11話 大いなる呪い
GWペースの2話目行きます。
──再びシグマ視点──
どこだ。
暗い。
俺は沢で倒れたはずだが、ここは屋内だ。
身体を起こすと、頭が痛む。
「おお、気が付きなさったか。まだ寝ていた方が良いが」
仄暗い部屋。燭台の向こうに、見知らぬ老女が座ってこちらを見ていた。
普段なら、かなりびっくりするはずだが、不思議と危機感はない。
夜か。
「すみません。ここはどこでしょう」
「うむ。ここは儂の家じゃが」
麻のシーツと寝台、それによく見えないが、調度の具合から考えると、そこそこ裕福な商家か、農家のように見える。
「あのう」
「ああ、連れの娘さんなら、さっきまでお主を看っておったが、表に薬草を採りに行ってもらった。押っつけ戻ってくるじゃろうて」
「そうですか、助けて頂いたようで。ありがとうございます」
俺は頭を下げた。
「なんの。娘さんが、お主を背負って、ここまで来たんじゃ。見かけによらず、力持ちじゃし、ええ娘さんじゃの」
「はい」
女性は、うんうんと頷いている。
「最初は、夫婦連れかと思ったが。幼馴染みだそうじゃな」
「ええ」
「士爵様と聞いてびっくりしたもんじゃか。まあ、お主も元気なったら。大事にしてやることじゃ。それまでは、こんなあばら屋じゃが、ゆっくりとしてゆくが良かろう」
いや、あばら屋じゃないだろう。
「痛み入ります。あの、あなたのことは、なんて呼べば」
「儂かの、儂は…おや」
隣の部屋で、扉が動く音がする。
「カーラさーーん」
「おお、戻ってきたようじゃ。娘さん。ここじゃ。お連れさん、気が付きなさったぞ」
「えっ」
けたたましい足音がして、ラムダが飛び込んできた。
「シグマっ」
「ああ」
「よ、よかったぁ」
ベッドの脇までやってくる。
「大丈夫、なの?」
「いや、まだ頭が痛むが…」
「ええぇ」
至近距離にラムダが顔を寄せてきて、俺の手を取る。
「手が冷たいよ」
なんだ、この違和感は。
それより、 外に行っていたラムダの手の方が暖かいな。何だか、ざらついてるし。
「では、儂が薬湯を淹れるでのう、飲むが良かろう。どれ」
「ああ、お願いします」
ラムダは、振り返ると、カーラと呼ばれた女性に、草は台所にと伝えていた。
「すまん、ラムダ。心配掛けたようだな」
「ううん。いいの。心配っていうか、突然倒れたからさあ、怖かったよ。でもカーラさんが、丁度通りかかって。ここに連れてきてくれたの」
「そうか。それで、ここはシャラ境なのか?」
「そう。集落の外れだって」
蜜蝋燭の揺らめく灯りに、少女が涙ぐんでいることに気が付いた。
俺は手を離し、ラムダの目尻を拭った。
彼女が、NPCと分かっては居るが、心が動いて思わずそうしていた。
「どーれ。これを飲みなせえ」
お盆に湯気の立ったカップを持ってきた。
目の細い純朴そうな表情。良いおばあさんに思える。
「苦いがのう。これで、元気が出る」
受け取って、息を吹きかけつつ、一口含んだ。ややとろみの付いた感触。確かに苦い。だが飲めない程じゃない。ふうふう、吹きながらさらに飲んでいく。
「すこし、暖まりました。ありがとうございます」
「うーむ。飲んだら、また寝るとええじゃあろう。娘さんよ、あんたは、夕餉を食べなされ」
「でも」
俺は、カップをラムダに渡して、横になる。
「食べた方がいい」
「そうじゃ。お連れは血色がようなってきた。じゃが、娘さんがそんな顔で見ていては、眠られんぞ」
「…分かった」
ラムダは名残惜しそうに、振り返りつつ出て行った。
俺は、ふうと息をついた。とにかく原因を突き止めないとな。
『ポーズ!』
俺は、ゲームを中断しようとして眼を瞑った。
「あれっ」
『ポーズ!』『ポーズ!』…
ポーズできない。ここはポーズ不可領域なのか?ならば。
『ログアウト!』
だめだ。
『ログアウト!』『ログアウト!』…
どういうことだ。
「ステータス」
だめだ。ウィンドウも開かない。やばい状態だ。腕を上げる。手は動いている。したがって拘束モードに入っているわけではない。仮に入っていたとしても、ログアウトのコールには反応するはずだが。
ひどいバグに填まったか。
それとも重篤なシステムエラーなのか。
いずれにしても、ゲームとしては致命的だ。
ん?エディターズエディションだったな。あれが問題なのか。抜けたら、先輩に報告しなければならない。
仕方ない、かなりのペナルティはあるが。最後の手段だ。
俺は、胸の前で腕を交差させる。
「ハルト!」
絶対優先のゲーム中断コールだ。メーカは、法的にもこれを無視できない、フルダイブ環境ソフトウエアの基本中の基本動作。
しかし。
全く反応がない。何度も、コールしたが。
うーむ。これはかなりの非常事態だ。俺はややパニックになった。
ログアウト無反応までは、先輩のいたずらかもという線も頭をよぎったが。ハルトまで効かないとなると、意図的にやっていれば犯罪だ。ひどければ、当局による立ち入り検査、サービス停止に追い込まれる。
それにしても、おかしい。ここまで変なら、フルダイブ動作自体にも異常が現れても良いはずだ。しかし、そのようなことはない。頭痛があるとか、違和感はたくさんあるが。
ううう。
血圧が上がったのか、頭痛がぶり返してきた。だめだ、考えがまとまらない。
どうする。このゲームから抜け出す手は…。
有る。
サーバがどうあれ、ソフトがどうあれ。最後の歯止めが。
思いついた瞬間、また俺は意識を失った。
──────────────────
うぐぅぁ。
俺は、胸を掻き毟られるような激痛で意識だけが覚醒した。
手を…胸に…動かない。
『ログアウト』
だめか。
──寝ていれば良いものを。
『誰だ?ラムダ?カーラさん…では無いのか』
目では見ていないが、黒い影を感じる。
──貴様 このままでは死ぬぞ 分かって居ろう
『死ぬ?』
意識が…保てない、夢か現か。
──大いなる呪いに掛かって居る
──我にも解くことはできぬ
──相殺する
─ 八十禍津大禍津神直毘大直毘 ─
ふんぬ。
ふぬぐぅぅーーぅぅぅ……
胸に鋼鉄のような何かがめり込む。
これまでを倍する衝撃が、心臓を襲い。激痛で自我が弾け飛んだ。
────────────────────
目覚めたとき、辺りは明るかった。
あわてて、一通りゲームから抜け出るための動作はやってみたが、やはり反応がない。
あっ。
違和感の原因がわかった。
明るくなって気が付いたが、非常に視界が良い。解像度が何倍にも上がっている。現実と遜色ないと言うより、現実世界そのものだ。焦点もしっかり合うし、視線移動や首振りによる視界移動に全く遅延がない。
それに、視界の左上にあるはずの時刻表示、つまり現実が何月何日何時何分なのかの表示がない。それどころか。
どういうことだ。
思わず飲み込んだ唾が、妙に生々しい。
そうやっている内に、ベッドの横に座って寝ている少女に気が付いた。
「ラ、ラムダ」
「ん…ううん」
「ラムダ」
びくってなって、目が開いた。
「ああ。シグマ、おはよう…ああー。シグマが気が付いた…?」
耳がキーーンとなった、次の瞬間、抱きつかれた。
他人がパニックになると、自分は落ち着くというのは本当だな。
衣擦れの音、ラムダの体温。すごい情報量だ。
「シグマ…よかった。もう、あれから2日も気が付かなかったから、どうなるかと思っちゃった」
「なっ、なんだと」
俺は、ラムダを引きはがした。
「本当に2日間、俺は寝ていたのか」
「うん」
涙を溜めた双眸のどこにも疑う余地はなかった。
しかし、この前に気を失ってから2日。さらに、異変が起こった日の1日があるので、通算3日経ってる。その間、ログアウトもポーズもできていないわけだ。VRMMO連続48時間プレイを当然越えている。
俺の自作ゲーム機の通信モジュールにも、タイマーリレーがあるので、LSFの状態がどうあれ、ログインもしくはポーズのプロトコルが通過してから48時間経過すると、ハードとして回線を切断する、はずだ。LSFのプレイ時間と現実の時間の感覚比は1:1なので、ラムダが嘘を言っていない限りは、最後の歯止めも効かなかったと言うことになる。
だめだ。
完全に手詰まりだ。
サーバー側から切ってくれない限り、餓死だな。
「…シグマ、シグマ」
「あ、ああ」
「大丈夫?まだ頭痛いの?」
痛くない。気怠さもない。
「いや。もう治ったようだ」
「よかったあ」
再び抱きつかれる。
「あっ!なんなの、これ?手?」
俺のチュニックがはだけ、胸が見えていた。
そこが大きく黒ずんでいる。
痣か。
「なんでもない」
「なんでもなくないよ。こんな大きい痣。前は無かったよね。本当に身体は…」
「ああ、問題ない」
何の根拠で言っているのか、自分でもよく分からない。
俺は、着替えると言って、起き上がった。なおも心配するラムダを何とか言いくるめて、外に出す。
鏡があったので、覗いてみた。
「やっぱり、手の形だよな」
触って見たが、色以外は違和感が無い。そこに右手全体を当ててみる。
大きい。
手から向こうに痣がはみ出ている。二回り凌ぐほど巨大な痕。
鼓動が伝わってくる
そうか、夢では無かった。
──貴様 このままでは死ぬぞ 分かって居ろう
──相殺する
あれは、誰だったんだ。
呪い?相殺?
「ちょっと待て」
鏡で見えた俺の顔。
髪の毛は乱れてるのはまだしも、なんとヒゲが伸びてる。
あり得ないぞ、これ。
今の異変状態で比べる意味があるのかわからないが、βではこんなことは無かった。恐る恐る、顎に触ってみると、ジョリジョリした手触りがある。単なるグラフィックではなかった。
そうだ、もう一度左胸に手を当ててみると、先ほどよりも速くなった鼓動がある。
LSFは、そこまでリアルでは無い。
俺は、生きてるのか。ここで。
学生住宅で、寝転がっている俺は、どうなったか。
まだ生きているなら、内臓反応として空腹や耐えきれない喉の渇きが有るはずだ。しかしそれはない、ならば。死んだか。あるいは、現実とこのLSF世界が完全に切り離されたか。そして転生したか。
悩んでいても、謎が晴れるわけでは無い。
替えのチュニックとパンツを着る。ローブは何となく暑そうだったので、まずはやめておいた。
「起きたかの?」
カーラさんが部屋に入ってきた。
「はい」
「昨晩は随分うなされて居ったようじゃが。身体は大丈夫かの、動けるかや?」
不自由なく手と脚は動く。
「無理しなければ何とか」
彼女の手を見た。小さい。
痣の大きさとはまるで…いや。あの痣は、普通の女性の手の大きさじゃない。
「うむ。それは、なによりじゃ。ならば、顔でも洗ってきたらどうかの」
「はあ、そうします」
「うむ、水は台所の甕にもあるが、外に小川がある。そこで洗うが良かろう」
俺は頷くと、ゆっくりと戸外に出た。
振り返ると、質素ではあるが、かなりの大きさの家だ。館と呼ぶべきだろう。
ラムダが居て、こちらに駆け寄ろうとしたが、手で制する。20歩も歩いたところに小川が流れている。飛んだら渡れそうな程の川幅。流れは緩やかで、底の砂利がはっきり見えるほどの綺麗な水だ。一段低くなった川岸があり、石を敷き詰めてある。洗い場なのだろう。
俺はしゃがんで、手を浸ける。
「冷たい」
山陰を流れてきたのだろう、気温から考えられないほど清冽だ。
顔を洗って、口を漱ぎ、もう一度掬って飲んだ。
うまい。
ふっ。この非常時にも、水が旨いんだな。
非常時──理性は、明らかにアラートを出している。が、なんだろう、興奮も緊張もない、落ちついている。
俺はこれまで何度も、死の兆しを感じたことはあるし、その度に子供心に絶望もした。客観的に見れば、今も生きているのが不思議なぐらいだろう。
小児病棟でも、同年代の子供が何人も亡くなった。彼らが去り、俺が残ったことに何か差があるのか?
俺の死に時は、何時なのか。なんとなく、今は違う気がする。
それにしても。絶え間なく流れ続ける水を、このリアルさでタイムラグなしにレンダリングするのはすごくないか。俺の自作ゲーム機で、性能が足りているのが信じられない。
いや、無理だろ。無理無理。
風で戦ぐ草、絶えず渦巻きほぐれる水の流れ、刻々と形を変える雲たち。これらを流体-構造連成解析して、その上でレンダリングなんて、とてもとても。
まるで、ここが現実みたいだ。
「はい」
手ぬぐいを差し出された。
「ありがとう」
顔を拭いて、手を拭う。布地のこすれ具合の感触。あの異変前とは全く異なる、劇的に品質が向上した世界。
VRMMOをやっていた認識の方が、間違いだったのじゃないか?
「身体は、どこも痛まない?」
「ああ、快調だ」
「なんとか鼻炎?は」
「ああ、大丈夫だな」
大掃除したのが効いたのか?そうでなくても、鼻がぐすぐすはしてたが、今は自覚症状が全くない。不思議だ。
「一安心だね」
そうだな。ログアウトはできないが、現状は知っておくべきだな。
ステータス。
やはり、反応しない。ならば魔術。
そうだ魔術だ。
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訂正履歴
2015/11/28 三点リーダ訂正