85話 追い詰める追い詰められる
俺とエレは、王都に来ていた。
ラムダは、ミーシャを世話すると言って、リスィ村の館に残っている。
ただし、エレは館に居るが、俺は内務省の庁舎だ。
よくここに来るなあ…。
味も素っ気も無い石造りの建物だ。昨日は雨が降ったらしく、壁が黒っぽい。
「やあ、よく来てくれた。ペリドット士爵」
「シグマでいいですよ。ダーレムさん」
入った部屋は、ブルーム内務卿の首席秘書官の部屋だ。
本が多いな。
「うむ。閣下はお忙しくてな、面会できるのは30分後だ。私もシグマと話をしたかったから、ちょうど良いが」
「捜査の件ですか?」
「そうだ」
「順調…という顔では無いですね」
表情が渋い。
「うーむ。内務省は普段貴族相手だからなあ。聖職者相手は…勝手が違ってなあ」
「そうですか」
俺は、虚空庫から鞄を取り出す。
「んん?」
留め金を外して、中から書類を取り出す。
「これは…なんだ?」
たくさんの数字が並んだ紙を見て、ダーレムさんが訝しんだ。
「王国教区長ヴァルザックが、書いた帳簿ですよ」
アガサに命じて潜入調査の上、手に入れたものだ。
「帳簿?」
だからなんだという顔をしている。
「追い詰める材料になると思いますが」
どうも、ダーレムさんはぴんと来ていないようだ。
「知っているよな。ランペールでは宗教団体は課税されない」
「王国租税法第71条、王国政府が認める宗教法人は課税を免ずる」
ちなみに法人とは、人間では無いが、法で認められた人格という意味で、企業や団体のことだ。前に王立図書館で読んだ内容だ。
「あっ、ああ。それだ…」
「同第2項。ただし、次の場合は課税するものとする」
「なっ、何?」
「(1)不動産を売却した利益。(2)宗教活動と関係の無い事業による利益…」
「ど、どういうことだ」
「魔石を人々に使わせることは、メシア聖教会の教義には入っていません。つまり、その帳簿に書かれている魔石取引による利益は、課税を受けなければなりません。悪質な脱税の場合は、召喚の上、条件が揃えば責任者を拘束もできます」
ダーレムさんは、色めき立った。脱税は問えないと先入観が有ったようだ。
「どうしたらいいんだ!」
「脱税は、財務省の領分。協力して貰えばよろしいかと」
「財務省…か」
「東方では餅は餅屋と言いますからね」
「もち?」
「それはともかく、専門家が存在するなら任せた方が良いという意味です」
「うーむ」
「それでは、手柄が財務省に行くという点ですか」
俺は、わざと呆れたという表情を作る。
「そんな顔するな。シグマ」
「省益と目的達成とどちらが重要なんですか?」
「分かっている」
「如何でしょう、ブルーム閣下からニールス財務卿に、話を持ちかけて貰うというのは?」
「それは…」
「お二人の仲が悪いとか」
「いや。王立パリス大学校の、それも付属幼年学校からの同窓生で…」
「悪いんですね」
通常学閥は好意となりやすいが。いずれも大貴族出身だしな。
「…良くはないな」
「ですか」
「が、名案だ。お二人の仲は、閣下の個人的な問題だ。やって頂こう……それは良いとして」
おお。なかなか芯があるね、この人も。
「はあ」
「シグマへの見返りはどうしたらいいか?そう言う話になっている。さっきの話がうまく行くようなら、尚更だ」
「いえ、別に見返りなど。正直、我が家の復讐に利用させてもらってるとも言えますし」
ダーレムさんの顔がやや引き吊る。
「ふふふ。無欲なのか強欲なのか、よくわからない返事だな」
「はあ」
「ただ、だからこそ、それでは安心できない人もいる」
ふむ。後であの時の貸し!と言われるのが嫌だと、そう言うことか。適当に、借りは返したことにしておきたいわけだ。
「では、1つ。そちらの腹が痛まず、内務省であればいとも容易くできる件ではありますが、ねだってもよろしいですか」
「うーむ。どんどん商人になっていくなあ、シグマは。とりあえず、要求を聞こうか」
「さる一族を、士爵にして欲しいのですが」
15分後。秘書官室に呼び出しがあり、俺達は庁舎を移動した。
内務省の中でも、なかなか格の高い応接室だろう。
そこに、ベネディクト・ブルーム。この国の閣僚が座っていた。
「お召しにより参上いたしました」
「うむ。良く来てくれた。そこに座られよ」
相変わらず、渋いおっさんだ。
「はっ。失礼します」
示されたソファに腰掛ける。
ダーレムさんは、侯爵の後ろに立った。
「単刀直入に言う」
「はい」
「ドミトリー伯爵から出ていた、そなたの子爵叙爵申請については、承認を取り消し、却下する」
むっ。別に俺から望んだわけではないが、却下すると言われるとカチンと来るなあ。
「理由をお聞かせ頂い…」
「最後まで聞くが良い……申請は却下するが、別途、王国子爵を叙爵する」
はあ?
分からないぞ。
伯爵の一族、つまり陪臣として子爵となるのではなく、ランペール王直臣の子爵にしてやる。そう言っているのが分からないわけではない。
それに何の意味がある?それも一度認めたものを覆してまで。
うちの鉱山があるのは、ドミトリー伯爵領だ。仮に俺が直臣子爵になったところで、事業税が行くのは、伯爵の元だ。しかも、直臣子爵になれば、俺に王都で館地を与え、歳費を与えることになる、損はあっても得は無いはずだが…。
ダーレムさんも、始め驚き、その後困惑の表情をした。
「それは、大変名誉なことかも知れませんが」
「そのようなことをする、理由が分からないか…」
「はい」
「理由は、そなたの事業だ。ドミトリー伯から、ペリドット鉱山の再開の届けがあった。それに、魔石…夢幻晶というのか?の話は、こちらでももっぱらの噂だ」
まあ、そっちの話だろう。まだ魔術士としては名は売れていないし聖者などと呼ばれていることは、そう簡単には知られないだろう。
「それで、ここからが肝心なことだが」
「はあ」
「届けられた事業としては、鉱山と、魔石およびゴーレムの販売だが」
「はい」
んん?
「政府は、前者と後者の事業を分け、後者の本拠を王都に置くことを要求する」
「いや、あの」
「別に工場や施設を、王都に置けと言っているわけではない」
なるほど。
「つまり単に名目上の本拠だとしても、事業の税は、王都つまり伯爵では無く政府に入る」
「そう言うことだ」
「しかし、逆に言えば、伯爵の収入は減る。私は父の代からの大きな恩義があります。閣下は、私にその伯爵を裏切れと仰いますか?」
「ふふふ…ははは、あはっはは……」
まただ。この人が突然笑い出した。
「ダーレム、あの眼を見よ。儂はラティス卿が、陛下と話されているときに何度か同席したことがあるが。時折見た眼だな」
カーラさんの、あの猛禽の目?
「これが17歳の眼とはな。いや、済まぬ済まぬ」
本当に愉快そうに笑った。
「そなたの懸念も無理は無い。だがドミトリー伯は、この件を切り出せば、1も2も無く同意するだろうよ。まあ、こちらが切り出さずとも、暫くすれば、あちらから言い出すはずだ」
どういうことだ?
内務卿がでたらめを言っているようには聞こえない。
「そなたは、若いし力も才能もある。しかし、だからこそ思い至らぬこともある」
うーーむ。カーラさんと同じことを言われた。
「これから、貴族となるシグマに、1つ言っておかなければならぬ。貴族の世界とは嫉妬が渦まく場所だ。王国という限られたパイを、分け合う者同士。誰かの得点とは別の誰かの失点だ」
「はあ…」
「さらに言えば、大きすぎる貴族は王国の敵となりかねん」
ふむ。それは誰にでも同じ。つまり俺自身への警告でもある。
「それで、伯爵としては、王国と痛み分けとしておくと言うことですか?」
閣下は頷いた。
ならば、俺や商会からの税収を、確実にするために王国貴族にするのだろう。
一番考えやすいのは。
陪臣は、主家の長の駒でしかない。ルイード候の弟、ルイス子爵も自業自得なところはあったが、家を潰されても主家はお咎めなしだ。俺と伯爵は今のところそんなことは無いだろうが、人は変わる。伯爵が変わらなくとも、子息が長じれば…。
「直臣にするのは…王国としては、主家を挟む分、陪臣が不安定と見ているからですか?」
「そうだ。無論それだけでは無いがな」
…まだ他に理由があるのか。
今のが王国のためになることならば、他の理由は俺の利得となること…か。なんだ?
俺へ直接ではないのか。
客…いや。それ以外……客を除いた第三者、俺に嫉妬する存在。
「嫉妬する者が、俺が、陪臣よりは王国貴族の方が商売の邪魔をし難くなる」
「ふふふ。一を聞いて十を知るとは、このことだな」
どうやら合格らしい。
「とはいえ、私からは承諾致しません。伯爵様のご意向をまず伺います」
「うむ。それでいいだろう」
ふう。少し肩の荷が下りた。
「済まぬな。政府のために働いてもらいながら」
「いえ。閣下そして内務省は、貴族を掣肘するのみならず、末端の貴族へも親身になって戴けるんだなと感服しました」
内務卿は振り返り、ダーレムさんと笑い合った。
「王は、貴族制あっての王室、国民あっての貴族と、日頃話される。我々はそのつもりだがな」
「ははは、眼の敵にされるのがほとんど、良くて政府の狗扱いですね…その犬達から閣下へお願いがあるのですが」
「ん、なんだ?」
ダーレムさんは、歩いて俺の横に座った。
そして、先程の王国教区長ヴァルザックを追い込む策、脱税の話をした。
無論裏帳簿の写しも見せる。
「この策の発案者は…」
「ペリドットなのであろう。ああ、皆まで言うな。儂からニールス卿へ持ちかければよいのか?」
「ぎょ、御意」
「何が御意だ。ふふふふ、ははは……分かった。この後閣議がある、そこで言うとしよう」
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2016/2/13 「誰かの得点とは誰かの得点だ」→「誰かの得点とは別の誰かの失点だ」
2016/03/20 聖メシア教皇→メシア聖教教皇