1話 危機の始まり
週末に1話ずつ投稿して行く予定です。
未だ容赦のない陽光は、蝉の声を意識の外に追いやる。
朝から登ってきた沢は、いくつかの急流を過ぎて、緩やかな蛇行を見せていた。
それゆえに身を隠す影はない。
つい先ほど登り切った滝の上から下流を臨みながら、休息を取る。暑さもあるだろうが、連れの疲れ具合に、歩みが速かったかと省みた。
せせらぎに素足を浸して暑気が緩んだのか、彼女の息遣いが整って来ている。
「それにしても暑いよね。もう秋なのに」
連れ──長い黒髪を背後で束ねた、少女が呟く。
首筋に浮いた玉のような汗が不快なのか、手ぬぐいで押さえるように拭いている。
「そうだな」
連れは、一旦こちらを窺って、前に向き直った。
綻ぶ蕾のごとき乙女。
連れの名前は、ラムダ。
やや朱が差した顔を改めて眺めてしまう。
大きな眼とやや太い眉は芯の強さを表に出し、緩やかなカーブを描く頬と小振りな唇が素直な優しさを漂わせている。
その麗しき娘が先ほどから、こちらをちらっと見ては上気した頬を押さえる。
落ち着きなく視線が泳ぐ理由が思い浮かばない。
革生地に白銀の鱗片を多数縫い付けた鎧は、上体に馴染み、細身ながら絶妙な曲面を湛えている。
少女と呼ぶには艶やか。
淑女と呼ぶには伸びやか。
花冠を開く風情ながら、未だ初々しさを纏う。
自らが編んだ化身だとしても、見続けるのはどうかと言う気にもなる。
所在なく下を見ると、川底にきらっと光るものがあった。
随分蒼く見える水に手を浸けて、それを拾い上げる。
石英?水晶か?地は透明だが、細かな傷が入ってやや白く見える。元々は角張っていたのだろうが。流されて来たのだろう、今は丸まっている。
魔水晶に似ているな。
ただ全く魔力を感じないので、違うようだが。
「その石が、どうかしたの?」
俺は首を振ると、元有った辺りに石を戻した。
「早く涼しくなって欲しいよね」
「ああ、秋は旨い物が多いからな」
「相変わらず、シグマは食いしん坊だね」
シグマとは俺のことだ。
へっぷし。
むずむずする。
意味も無いが、反射で鼻の辺りをこする。
ラムダに笑われた。
会話で暑さが紛れたのか、彼女に元気が戻っている。
「さて、まだ先は長い。そろそろ行くぞ」
「りょうかーい」
また歩き出そうとした矢先。
「あそこ」
ラムダが、前方を指した。100m程先に獣が居る。
「ウォーグか」
狼の魔獣だ。牙が大きく凶暴だが、知能もそれなりに高い。2頭か。
ウォォーーン。
彼らの縄張りに入ったのだろう。
遠吠えに応じて、林から仲間が、わらわらと10頭ばかり姿を表した。
「どうやら、只では通してくれないようだな」
「そうだね。仕方ないね」
そう、この頭数程度のウォーグは敵ではない。しかし、立ちはだるのであれば、逐わねばならない。
ラムダは、背負っていた鉾槍ハルバートを両手で携え走り出した。
彼女は戦士。俺は魔術士だ。
水を蹴立てた派手な猪突。対岸の一頭に絞ったのか。扱くように獲物を繰り出す。
むん!
見た目の嫋やかに反して達者なものだ。
槍一閃の度に、ウォーグが光を上げて屠られていく。
そう、血飛沫では無く光だ。
俺も、杖を取り出し、駆けた。
魔術を…あれを試すか。
流れに足を落とさず、岩をジグザグに跳び、ウォーグの構えに迫る。
─ 劫烈火 ─
眼の奥が微かに瞬くと、視野が瞑み、凍るように刻の歩みが転調した。
杖からわずか離れた空間に微かに生まれた炎は、脈動しながら膨れあがり、渦巻く緋色の火焔となりて迸る。
視覚が復帰した途端、焔が恐るべき速度で伸びてゆく。
ラムダに背後から飛びかかろうとしていた個体を、炎の杭が貫き通す。声もなく一気に光粒となって散る。
あとに残る小さな魔石も鋭い軌跡を描いて、虚空へ消えた。
「油断するな」
「へへ。シグマが何とかしてくれると思ってたけど…熱いよ」
「すまんな。髪は燃えてないから安心しろ」
軽口を叩いている間に、標的を俺に変えたようだ。
そうそう。射程の長いやつを早く潰すのがセオリーだ。
挟み撃ち。左右から飛びかかって来る。
が、左は陽動。体を捌いてやり過ごし、右へ。
─ 劫烈火 ─
魔獣がまた1頭燃え尽きる。
下級魔術ながら『劫烈火』は使えるな。最近憶えて使ったが、初級魔術とは文字通りに火力が違う。
もっと集束できれば、言うことは無いが。
やぁぁああ!
ラムダの槍も次々魔獣を屠っていく。
大きい振り回しと鋭い突きを取り混ぜ、トリッキーな軌跡で鉾に狼を掛けていく。
近くに寄ってみれば、肉を切り裂き、骨を断つ音が聞こえる。
悪くない。このまま突き破れる。
ウォォオン…ググ。
どこかやや距離のあるところからの吠え声。
ウォーグ達は、一様にびくっと反応すると、それまでの無秩序な動きが変わった。
俺たちを丸く取り囲み動き出す。右回りと左回りの二重の包囲だ。
こちらが攻撃の態勢を取れば、後背から飛びかかる手筈だろう。
ラムダにも、それが分かるのか、うかつには手が出せないでいる。
しかし、間合いを測る、足捌きのテンポが速まっていく。
はあぁぁぁっっ。
じれたのか、ラムダが吶喊を掛ける。
裂帛の気合いと共に、ハルバートが繰り出される。
突きと共に狙いの1頭の首が飛ぶ。
悪手だ。
やはり。
囮だ。
後背から別の2頭が、ラムダに迫る。
─ 旋風牙 ─
下級風属性魔術。
渦巻く風が、瞬く間に伸びる。
一拍後れて、腹に響くうなり音。
ラムダに先に跳んだ個体が捻れ、吹き飛ぶ。
しかし、もう1頭は大気の壁にはね飛ばされたのみ。
旋風牙は領域魔術では無い。
渦に捕らえれば凄惨な威力を発揮するが、2頭を一度に屠るには到らなかった。
振り返りざま。
─ 劫烈火 ─
ぎゃん。
光に消えるまでに、肉の焦げる臭気が鼻をつく。
予想通り、俺の背後からも飛んできていた。
二重三重の陽動。
ウォーグにしては周到だな。これは…先導者が居るのか。
「落ち着け、ラムダ」
再び魔獣達は、輪を描く。しかし、囲むは俺のみ。
ぐるる、ぐるると唸りを上げつつ回る。
間合いを測っているな。
数頭が意を決したのか、地を蹴った。
獣の鋭い呼気が、鬼気を催す。
そして俺を食いちぎらんと、同時に飛びかかってきた。
─ 劫烈火 ─
─ 劫烈火 ─
魔術士を葬るには、速度。
その理を知ってか知らずか。初撃に隠れた必殺の一頭が、顎を開いて魔術の発動に先んじる。
ローブを翻して閃く光条。
グァーーー。
右手に握ったクリス・ダガーで刺し貫いた。
三頭が一気に光と消える。
奴らにとって絶対の戦術だったのか。通用しないと分かったウォーグは、低く唸りながらも俺たちから距離を取った。
「もう分かったろ、散りな」
ブンっと、ラムダがハルバートを大振りする。
が、効果は無い。
ウォーーォオン。
またも遠吠えだ。
魔獣達はその声に従うかのように、近くの個体が入れ替わるように遠ざかる。そして次は、輪の内側となったやつらがさらに下がる。
憎らしい程の連動。
そして最後に四方へ散り去った。
「奴か」
離れた崖の突端に、何かが居る。
逆光に狼のシルエット。
しかし、遠目にも先ほどのやつらよりは大きい。
こっちを睨んでいるようだ。視線が交錯したように感じた時。
悠然ときびすを返して姿を消した。
それにしても下級魔術にして、あの威力。
級…位階が上がれば、段違いに強く、規模も大きくできる。
魔術士も悪くない。
それも上級4大魔術が使える賢者。目指すべきはそこだろう。
杖とダガーを仕舞い、ラムダに歩み寄る。
気が抜けたのか、表情が冴えない。
「どうした」
こちらを仰ぎ、そして先を見た。
「ん…ううん。何でもない」
そうは見えないが、口を突くのは別。
「なら、いいが」
再び歩き出す。
昼時を過ぎた頃、蛇行していた沢が真っ直ぐに流れるようになった。
岩が姿を隠し、ずいぶん歩きやすくなった。
川底は一層白くなり、水が本当に蒼い。
ついに林が開けた。
「湖だ」
それほど大きくはないが、青々とした水沢。対岸もはっきり見える。
ここが目的地、シャラ境か。
そう思ったとき異変は起こった。
周りが紅く偏移して視界が歪む。
何だ。
突然、腰から下の感覚が消える。
まずい。
がくっと視線が下がる。
「シグマぁぁぁ」
ラムダの悲鳴が、ずいぶん遠くに聞こえる。
システムエラーか、バグか。
しかし。
猛烈な頭痛が俺を襲う。今時のゲームではあり得ない。
完全に地べたに倒れたことを、俺は顔の感触で知る。上体で藻掻くも視界が渦巻き始め、空が視界を占めた時、俺は意識を失った。
手探りで進めておりますので、不備があるかとは思いますが、よろしくお願いします。
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訂正履歴
2015/4/26:タガー→ダガー
2015/7/20:賢者を目指すべきの記述を追加,低級→下級
2015/8/2:挿絵を追加
2015/8/6:挿絵を削除
2015/08/10:戦闘時のセリフ、呻き声、擬音を更新