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狼虎  作者: 深井波乃上
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第零目の町 一話

 小鳥のさえずりと温かな日差しに目を覚ました。ここ最近は引っ切りなしに事件が起きているため、睡眠が思うように取れていなかった。ベッドからやっとのことで這い出て、鏡の前に立ってみる。まだ脳が正常に機能していないために顔はしゃきっとしていない。

 おぼつかない足取りで居間に行くと、既にダイニングテーブルにはコーヒーの入ったマグカップと食パンがそれぞれ二人分がきちんと並べてあった。

 「おはよう」

 台所から出てきたミーシャが言った。ミーシャはある事情で一緒に住むことになった年齢不詳、黙然無口、超俗的な少女である。きっと笑顔は愛くるしいと表現するに値する―いや、それ以上であることは間違いないはずなのだが、ミーシャは人形のように頑なに無表情だった。けれどその仮面は案外脆かったりする。というのも、やはり強固な仮面を作るにはまだ幼過ぎて、平常心を失い、仮面が外れることもしばしば。背は私の腰までしかない。そんな小さな体躯をワンピースが包み込む。ミーシャは白い無地の膝下まであるワンピースをいつも着ている。私が一番最初に買ってあげたのと同じ服で、胸元に小さな蝶々結びのリボン飾りがあしらわれている。

 髪は茶髪で、滑らかで艶やかなその茶髪の全長は膝までに達する。じゃがむと、毛先が地面についてしまう。もっと短く切ることを何度も申し出はしたものの、ただただ首を横に振るだけだった。くるぶしまでに伸びると、勝手に自から私に切ってと言葉少なに頼んでくる。その都度私はミーシャの髪を膝まで切り揃えている。

 ちなみにミーシャも私と同じ狼虎である。可愛くとも私と同じ魔物の血がその小さな体躯を巡っている。

 「あっ、おはよう。朝ご飯、また、作らせてしまったね。ごめん」

 ミーシャの頭を撫でながら言うと、

 「別に構わない」

 と無表情でミーシャは言った。

 なぜ頑なに仮面を付けているのか幾度となく思索を巡らしても、巡らしたところで全くとして答えでありそうなものに辿り着けそうにもなかった。だからと言って直接聞くのも憚れるので、長い間保留にしている。

 「食べようか」

 「うん」

 私とミーシャは食卓について、朝食を無言で食べはじめた。

 無言だが、どこか温もりを感じられる毎朝の朝食の時間である。



 朝食を食べ終わり、作業着に着替えて、一階に下りた。テーブルとカウンターに上げてある椅子を下ろし、一通り雑巾で拭いた後、玄関前に立て看板を立てた。

 実は、自宅の一階は喫茶店である。狭くもなく広くもない店内には五つの二人用の丸いテーブルが互いに等間隔をもって置いてあり、奥に五人が並んで座れるカウンター兼調理場がある。道に面している壁は緑色の木の格子が入ったガラス張りのもので、朝は温かな日差しが店内いっぱいに差し込む。そんな飾りっ気がなくて、ゆったりできる店内の雰囲気のおかげで私の料理の腕が傑出していなくとも、それなりの評判と、来客数があった。この喫茶店は店主でもあり、私の育ての親であるジュードおじさんが私に残してくれた唯一にして最も思い出深いものだった。

 その店の先でほうきを掃いていると、早速一人目の来店者が現れた。

 「い、いらっしゃいませ……」

 しかし、その一人目の来客者に対する挨拶に訝しげな音色が混ざるのを禁じ得なかった。

 というのも、来客者は、気温は低くないにも拘わらず、コートを羽織り、フードを深く被っていたのだ。活気があり、平和な街の中心部ではその姿は異様に浮いて見えた。コートを全身を覆うように着ているために身長と性別以外何もわからなかった。

 だが、来客者に不快感を与えるのは不本意だったので、挨拶以降は、それを噫にも出さず、店内のカウンター席に案内し、注文を取った。

 「何になさいますか?」

 メニューを差し出しながら訊いた。

 しかし、それに目もくれず、

 「コーヒーだ」

 とだけふてぶてしく来客者は言った。来客者の風采をより一層引き立たせるような厳かでありながら透き通るような声だった。

 「以上ですか?」

 「そうだ。早く作れ」

 しかし、口調が女性特有の気品を微塵も感じさせなかった。

 来客者の機嫌を損ねてしまったと思いながら厨房に戻り、注文のコーヒーの豆を挽いていると、来客を知らせるドアに備え付けられたベルの陽気な音が耳に入った。

 「いらっしゃいませ」

 今度は普段通りにドアの方に向いて挨拶をした。

 すると、それを合図に、私が豆を挽いているのを足の長い椅子の上で足を抱えながら眺めていたミーシャが椅子から飛び降りると、カウンターの上にあったメニューを背伸びして手に取り、来客者の方にとことこと駆けていった。

 来客者は常連の人で、ミーシャに無言で差し出されたメニューに気を悪くするどころか、満面の笑みでメニューを指差して、注文した。常連なので、注文は必要ないのだが、わざわざ注文するだけでなく、わざわざ私の手が空いていない時を狙って来て、ミーシャに注文させる常連客は後を絶たない。

 ミーシャは注文を受けると、無言でこくっと小さく頷いて、行きと同じく、とことこと私のもとに駆け寄って、メニューを突き上げるようにして私に見せると、注文されたものを言った。その後ろ姿を高齢の常連客は孫を見るような慈しみを讃えた眼で見ていた。

 了解の意味を込めて頷くと、ミーシャはメニューを元に戻して、定位置に戻った。

 女性にコーヒーを出し、更に注文で入ったコーヒーとトーストを作っていると、不意に誰かの視線を感じた。顔を上げると、女性がこちらをじっと見ていた。いや、フードを深く被った上に彼女の背に照り付ける日光で顔が深い影を帯びて見えないが、こちらを見ているように思えた。気のせいだろうと思って、目線を手元に戻した。しかし何かが引っ掛かって、気になってちらっと盗み見るように顔を手元に向けたまま、女性に目線だけを向けた。女性はコーヒーをゆっくりと味わうようにして飲んでいるように思えたが、その女性の意識は私の方に向けられているようだった。

 いや、やはり気のせいか。

 そう割り切って、作業に戻った。

 その時だった。

 ――こいつは強いぜ。血の臭いがぷんぷんするぜ。ぜってえに俺等を楽しませてくれる――

 心の隅に燻る『シュヴィル』がつぶやきかけてきた。

 このねっとりと絡んでくるような声が聞こえると必ず、汗が吹き出し、腕や足が小刻みに震え、呼吸が苦しくなり、体の末端から勝手に変化しはじめる。無理矢理押さえ込もうとすればするほど、手の震えの激しさが増していく。この感覚は数十年ぶりの感覚だった。もちろん血のにおいなんて微塵もしていない。

 「どうした。気分が優れないように見えるが、大丈夫か」

 女性が笑みを浮かべながら声を掛けてきた。その笑みはどこか切って付けたように無機質で、底知れない不気味さを内包していた。

 「な、何でもありません」

 すかさず鋭く延びた爪を隠すように手を背中に回して返答した。

 「そうか」

 と言うとコーヒーを飲み干し、コーヒーの代金を大きく越える金額をカウンターに残し、まるで用が済んだかのように、私の呼び掛けを無視してさっさと店を出た。

 遠ざかる背を見ながら、拭いきれない危機感が生まれているのがわかった。

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