ケース3:現代との医療制度の大きな違い その1
今日は、ギルド事務員としてギルドの塩漬け依頼の消化のために外回りです。
塩漬け依頼とは、長い間放置されて誰も見向きもされない依頼の事です。理由は、報酬が少なかったり、特別な技能が必要だったり、難易度が高過ぎること。後は特殊な事例で依頼主側に問題があるケースです。
まぁ、今回のケースは単純労働であるためにそれ程問題はありません。それにギルド事務員の塩漬け依頼の消化は、無償労働ですが、その反面、お給料は他より少し高いです。この世界では、肉体労働よりも頭脳労働の方は評価が高いですから。
「こんにちは、シスター。今月も手伝いに来ました」
「あらあら、キスケさん。何時もご苦労様です」
今月の奉仕先は、教会。依頼内容は、教会の雑務の手伝い。こんな王都の主要街道から外れたやや大きめの都市は、教会と言っても比較的小さなものだ。
それに、このシスターは、四十代後半でそろそろ肉体的にきつくなっているのだ。現在、後進を育成中だが、それでは間に合わないので、こうして外部からの労働力を頼っている
「それじゃあ、今日は掃除と洗濯をお願いします。ベッドシーツとかが溜まってしまって」
「わかりました。何時もの所に道具がありますね」
教会は、現代でいう病院や診療所と言った所だろう。教会内に小さいながらにベッドを用意し、入院患者を受け入れている。
だが、医療制度としては、問題点が多い。
「シスター! うちの息子が毒蛇の毒にやられた!」
「分かりました。キスケさん、すぐにお湯の準備を! それからシスター・メリッサを呼んで来て! 患者の対応を」
「分かりました」
子どもを抱えた父親の治療ににこやかな表情を浮かべていたシスターの目元が険しくなる。そして、呼ばれた見習いシスターはすぐに魔法による解毒と治療の準備に取りかかる。
「はい。もう大丈夫ですよ。少し体がだるいと思うので、今日一日はこちらで休んで様子を見てください」
「はい。ありがとうございます。私は一度家に帰ります。息子をよろしくお願いします」
解毒は済んだが、少し熱を出している子どもを慎重に教会の入院用のベッドに寝かせて、見習いシスターのメリッサが病人食を作りに行く。
俺は、患者の対応の後、汚れたベッドシーツなどを洗濯していく。
「やっぱり、色々と違うんだよな。医療制度」
あのやり取りだが、ただ子どもの身を案じて一晩入院という訳では無い。一晩入院させて、その間に親は教会へのお布施という形の治療費を準備しているのだ。
今回の場合は、銀貨1枚(銅貨100枚分)。日本円にして一万円の治療費だ。
命の値段にしては安いだろうが、物価の違いなどを考えると日本の治療費としては高い部類だろう。
教会も慈善団体じゃない。生きる為に暮らしていかなきゃいけないし、教会自体を維持しないといけない。大都市なら、患者の数や寄付でかなり裕福な聖職者が多いと聞くが、この町では、シスターが清貧を旨としているために、かなり質素だ。それでもきっちり治療費は取る。
異世界では物価事情や治療技術が大きく違う。
今回のような毒に関して言えば、解毒薬を飲んで処置するか、教会などの回復魔法を使える人に頼んで解毒して貰うか、それとも人間の抵抗力を信じて各自の知っている民間療法を試すか。その程度である。
毒が回らない様に圧迫し、血を吸い出すなどという応急処置は、珍しい部類に入る。そして、そうした治療技術のバラツキが、死亡率の高さに繋がるのが一つの要因だ。
「それに保険制度の有無。一般薬の効果の活用か。まるでアメリカ社会を見ている様だよ」
保険制度の未加入者が多いアメリカでは、高い治療費が払えないために、ドラックストアの薬で対処したり、自らの治癒力に任せたりなどが有名な話だ。
それに保険制度を異世界に導入しようにも冒険者という死傷率の高い職種があるために確実に破綻する。また、高い保険料を払っても、大怪我したその場で救急車の呼べる日本とは違うために、搬送前に死ぬ可能性だってある。
「薬も汎用的というか、何と言うか」
薬だって、傷を瞬時に塞ぐ魔法薬から整腸作用のある丸薬など効果のバラツキと汎用性が高い。だから、特定の毒に対して、血清を作るなどの試みもない。だが、だからと言って医療改革をする事は難しい。
「可能な限り、住民や冒険者に怪我して貰わない様に、注意勧告するしかないのかな?」
とはいっても怪我人がいなくなれば、シスターたちの収入は無くなる。こういう現代と異世界の大きな違いは、制度や理論の導入自体を困難にしている事例の一つ
と見ていいだろう。
俺は、どこか現在の医療体制の改善を考えながら、洗濯板でシャカシャカとシーツの汚れを落とすのだった。