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固執


   1


 見るものを圧倒するその巨大な建物は、セプテンと呼ばれる。入り口には、空にとどくのではないかと思われるほどの大きな門があった。その門には神聖な装飾が施されており、門から入り口にかけて続く半円形のステンドグラスからは、静かに光が洩れていた。

 その中央に、女がいた。赤い髪の女だ。額には金の輪をはめ、腰には太いベルトをまいており、そこから大きな剣をぶら下げている。身軽そうな短いスカートからは、すらりとした足がのびていた。厳しい目をした、ディンディゴの女だ。

 女は、見事な装飾の門にも、天井のガラス細工にも、左右の白い大きな柱にも足止めされることなく、つかつかと真っすぐ歩いていった。刳り貫かれたような形の入り口をくぐり、目的地へと向かって歩く。その足がだんだんと早くなったが、自分を落ち着かせるように、一歩一歩確実に進んでいく。

 白い部屋をいくつも通り過ぎ、やがて大きな扉に辿り着くと、女はためらうことなくその扉を開け放った。

 扉の向こうには、白いローブを着た老人と、同じような格好の男性とがいた。若いほう

の男が、諌めるように声を張り上げる。

「何事だ、ファレイ=ミラ……! もう少し、落ち着いて行動できんのか」

「お言葉ですが、キリン=ルーシ殿」

 ファレイは、真っすぐキリンをにらみつけた。

「いま何が起こっているのかご存じないわけではないでしょう……その状況で、落ち着い

ていらっしゃるあなたがたのほうが信じられません」

「ファレイ……! 貴様、赤の神官の分際で……!」

「黙りなさい」

 キリンを手で制し、老人が座っていた椅子から立ち上がった。ファレイに歩み寄り、や

さしい瞳で彼女を見下ろす。

「あなたのいうこともわかります。しかし、落ち着きなさい、ファレイ=ミラ。あなたの

ように、心からセプテンを愛する神官がいることを嬉しく思います」

「ありがとうございます、ルーンセイグ老。光栄でございます」

 深々と頭を下げたファレイを見て、ルーンセイグは微笑した。この一途さ、真っすぐな

信仰心は、かけがえのないものだ。

「今回の事件は、誰に非があるというわけでもありません。そうですね……これもまた、

なくてはならない出来事であり、必然であったのでしょう。何事にも無の意味はない……

セプテンの教えです」

「……はい」

 頭を垂れたままで、ファレイがうなずく。わかっているはずのことであったが、その言葉は初めて聞かされた教訓のように心に響いた。

 顔を上げる。ルーンセイグの白い衣裳が目に留まった。セプテンの神官のなかで、最も

位の高い白の神官のみが着ることを許されたものだ。横に、不機嫌そうに控えているキリ

ンもまた、白い衣裳を身にまとっている。

 対して、ファレイは位の高くはない赤の神官だ。戦う役目を持つ神官が、このように呼

ばれていた。

「ファレイ、何か用件があったのではないのか?」

「用件、というよりも……いてもたってもいられなくなり、お願いがあって、参りました」

 キリンに向き直り、ファレイは口を開いた。

「ここのところ、神殿は乱れております。奇跡の神子さまがご不在というだけでなく、さ

らには希望の象徴であるエスペランスがなくなってしまうとは……。しかも、エスペラン

スが盗まれた日、この神殿を見回っていたのは私でした。責任を取りたいのです」

「責任……そのようなものは誰にもないと、先ほどいったばかりですね」

「ですが……!」

 ルーンセイグは、息を吐きながら微笑した。

「エスペランスを持ち出したのは、フィエルテ=ドントワールに相違ないでしょう。責任を取りたいというならば、ファレイ、あなたにはフィエルテの追跡を命じます。赤の神官として、任務に就いてもらえますね?」

「――! はい、もちろんです! ありがとうございます、ルーンセイグ老」

「礼をいわれることではありません。頼みましたよ」

 ファレイは、もう一度深々と頭を下げた。それから、赤の神官として敬礼し、踵を返す。

 颯爽とした後ろ姿が部屋から消えると、ルーンセイグは小さくため息を洩らした。

「真っすぐですね。あまりに真っすぐで、脆い」

「引け目を感じているのでしょう。身体能力の高さを問われる赤の神官に、ディンデ

ィゴは少ないですからね」

 キリンがこたえる。事実、基本身体能力に勝るビースルが赤の神官になることが多く、

ファレイのような例は稀だった。

「いずれ、あの子も、わかるでしょう……」

 ルーンセイグは、もう一度微笑む。心情の推し量れない、静かな笑み。

「世界は、決して、真っすぐではない」


   *


 目覚めると、そこは暖かいベッドのなかだった。

「…………」

 目を開いて、最初に見えたのは天井だった。ロゼはそのまま、動かなかった。

「…………」

 ひどく、ぼんやりとしていた。考えようという機能が働かない。しかしやがて、ロゼの

脳が、動きだす。ここはどこなのか、自分は何をしているのか──

 見つめていた天井が見えなくなって、代わりに、大きな耳の少女が視界に現れた。

「あ、起きた! おはよう、ロゼ」

 話しかけられて、ロゼの頭は急に覚醒する。

「ミーシャ。おはよう」

「へえ、『おはよう』って、知ってるのね。朝のあいさつ。ロゼって、何が初めてで、何を知っているのか、よくわからないわ」

 いわれて、ロゼも少し驚く。確かに、そのあいさつは何も考えずに口からこぼれた。ずっと昔に、ロゼもまた、日常的に使っていたのかもしれない。

「朝ごはん、できてるって。さっき、リィナさんが呼びにきてくれたのよ」

「うん」

 ロゼはうなずいて、起き上がる。ベッドの隣に、水をはった容器が置いてあった。ロゼ

は自然に、それで顔を洗い、隣にあった布で拭う。

 感心したようにそれを見て、ミーシャはふぅんと鼻を鳴らした。

「それも、習慣だったみたいね。不思議。きっと、ニンゲンだった頃の記憶が、残ってい

るのね」 

 いいながら、ロゼの大きな帽子を取って手渡す。それを受け取って、ロゼは曖昧な笑み

を返した。そうはいわれても、自分には何が何だかわからない。

 準備ができたのを見て、ミーシャは笑顔で右手を差し出した。手をつなごうというのだ。

深く考えずに、ロゼはその手をつかむ。

 ミーシャはくすぐったそうに笑った。そのままロゼをひっぱり、部屋を出ると、階段を駆け降りた。

「あ、ロゼさんも起きたんですね。お早ようございます」

 ちょうど階段の下をとおりかかった、三つ編みの少女が、やわらかく微笑む。大きな瞳

の、可愛らしい少女だ。

「お早よう、ございます」

 少し気後れしたように、ロゼが応える。昨晩のことはあまりよく覚えていないが、確か

リィナという名の娘だ。

「ご飯、できてますよ。奥のテーブルに用意してあります。ごゆっくり、どうぞ」

「ありがとうございます」

 楽しそうに、ミーシャがぺこりと頭を下げる。テーブルには、ホットサンドと野菜スー

プ、そしてフルーツジュースが用意されていた。

「わぁ、いいにおい!」

「お腹すいてなかったけど……見ると食べたくなるね」

「すいてなかったの? わたしはもうぺこぺこよ!」

 そして二人がテーブルにつく。豪華とはいい難かったが、あたたかい、家庭の味のする料理だ。二人は、あっという間にそれを食べ終えた。

「おはようございます、ロゼさん、ミーシャさん。あなたたちは運がいいわ、とてもいい天気ですよ」

 食後に、温かい紅茶を持って現れ、年老いたディンディゴの女性がやわらかく笑った。マリアンという名の、この宿の主人だ。背中を丸め、ゆっくりとした動作で二人に紅茶を注ぐ。

「おはようございます、マリアンさん。昨日は、どうもすみませんでした……あんな遅い時間に、押しかけてしまって」

「あらあら、そんなこと。いいんですよ、ゆっくりしていってください。これも何かの縁でしょう。よかったら、うちのリィナが町をご案内しますよ」

 そういわれて、ミーシャは微笑む。それも、いいかもしれない。

 マリアンは、ふと気がついたように、丸い眼鏡を右手で支えながら、まじまじとロゼを見た。小さく声をもらし、何度も目を瞬かせる。

「これは……昨日は気づかなかったけど……あらあら、私ったら、勘違いをしてしまっていたみたい。いえね、もう目もほとんど、見えないものですから。ディンディゴとビースル以外のヒトにお会いするのは、何年振りでしょうかねえ」

 しみじみと、何かを思い出すようにつぶやく。ロゼは首を傾げ、ミーシャは思わずびくりと動揺した。

 その横を通りかかった孫娘のリィナが、笑いながらマリアンの肩をたたいた。

「もう、おばあちゃんったら。何わけのわからないこといってるの。ごめんなさいね、時時、変なこといい出すんですよ、うちのおばあちゃん」

「ああ、いえ……」

 ミーシャが曖昧に笑う。それを見て、ロゼもとりあえず笑ってみた。

「お二人とも、今日は本当にいい天気ですよ。リリン・ドゥーアへ向かわれるそうですけど……せっかくですから、観光なさってはどうです? このリィナでよければ、ご案内しますよ!」

「そう……ですね、うん、二人で、散歩してみます。どうもありがとう」

 このままここにいては、何か気づかれてしまう気がして怖かったので、ミーシャはそういってそそくさと席を立った。


 エーダの町の中央広場では、相変わらずたくさんの人が行き交っていた。しかし、昨日のように演説をしているものはいない。路上に広げた店で呼び込みをするもの、買い物をするもの、待ち合わせをしているらしきもの……たくさんの人がいきいきとした姿でそこにいるのを見て、ミーシャは胸が高揚していくのを感じた。

 町は、こういうものでなくてはいけない。自分が生まれ育った町を思い出し、彼女はそれを打ち消すように首を左右に振った。

「綺麗だね。噴水が、ちかちかしている。まぶしい」

 ロゼが、目を細めてつぶやいた。広場の中央にある大きな噴水が、朝の光を反射して、輝いているのだ。ミーシャは、少し笑った。

「ドールでいたときには、こういうの、見ることができなかったのよ、ロゼ。綺麗でしょう? どんな気持ち?」

 ロゼの手を握っているミーシャには、改めて尋ねるまでもなく、彼の気持ちは流れ込んできていた。それでも聞きたくて、ミーシャはロゼの顔を覗き込む。

「んー……なんていうか……すごい、ね。おっきい」

「おっきい? 変なロゼ!」

 声を出して、ミーシャが笑う。いまロゼが感じているのは、とても容易にいい表せる気持ちではなかった。大きな感動と、わずかな困惑、そしてほんの少しの畏怖。

「ねえ、いいにおいがするわ! あ、ほら、何か売っているみたい」

「甘いにおい。なんだろう」

 尻尾を揺らし、ミーシャはロゼを噴水の横のベンチに座らせた。

「ちょっと待ってて! きっと、クリームのお菓子だわ。買ってくるから!」

 返事も待たずに、ビースルらしい身軽さで走っていく。何かをいおうとして口を開いたときには、ミーシャはもう随分遠くに行ってしまっていて、ロゼはそのまま口を閉じた。

 片手で帽子を押さえて、噴水を見上げる。まぶしい。

 彼には、目を覚ました後に見たものすべてが、まぶしかった。

「……ドールでいたときには、見ることのできなかったもの……」

 つぶやく。では、いまの自分はなんなのだろう。

「ドール……ニンゲンのなれの果て……じゃあ、ぼくはニンゲンに戻ったのかな。それとも、ドールなのかな。それとも……」

 ロゼは振り返った。たくさんのディンディゴとビースルがいた。自分は、彼らとは違うのだろうか。何が違うのだろうか。

 どうして、目を、覚ましたのだろうか。

「……?」

 視線を感じて、ロゼははっと息を飲んだ。嫌な気配だ。

「誰?」

 思わず立ち上がる。ドールは、どんなヒトよりも優れているように「造られて」いる。集中すれば、鋭い視線が自分に向けられているということも、それが誰のものであるのかということも、すぐにわかった。

 痩せた、ディンディゴの男だ。彼はひどくうつろな目で、じっとこちらを見ていた。

「……何?」

 誰にも聞こえないような小さな声で、ロゼはつぶやいた。男の目は、だんだんと意志を持つかのように光を帯び、やがて驚きの表情となった。

「……どういうことだ……」

 男が声を絞り出す。ロゼの視界の中で、行き交う人々の姿は遠くなり、男の姿だけが浮き上がったようだった。

「……どういうことだ、貴様、なぜ動いている……?」

「ぼくを、知っているの?」

 大きく目を見開いたままで、男はゆっくりと近づいてきた。ロゼの目の前まで来て、その姿を凝視する。

「知っているさ……貴様の顔は見たことがある……それにその格好だ、間違いない……どうして、貴様が、動いているんだ……?」

「そんなこと、ぼくにも……」

「貴様ではないのだ! 何故だ、何故こんなことに……!」

 突然の大声に、ロゼがびくりと身を震わせる。男はロゼの両肩を思い切りつかんだ。

「わかったぞ……腕輪だ……そうだな? 返せ、それはオレのものだ、返せ!」

 男の指が肩に食い込んだ。ロゼは顔をしかめて、その手を振り払う。

「何をいっているのかわからない。あなたは誰? 腕輪って何?」

「わからないだと? ふざけるな! ならばどうして、貴様が動いている?」

「わからないって、いっているのに……!」

 ロゼは、男の手を力任せにねじ上げた。男が苦痛に顔をゆがめる。

「ロゼ! どうしたの!」

 ミーシャが駆け寄ってきて、ロゼの手を掴む。意識が流れ込み、ミーシャは男をにらみつけた。

「なんなの、あなた? ……? あなた、神殿の……」

「おまえ──っ、奇跡の神子だと? ……くそっ、ふざけてやがるっ」

 男は鋭く舌打ちした。意外な身軽さで翻り、噴水の反対側へと走り出す。

「……出直しだ、必ず、取り返してやる……!」

 一人つぶやき、そうして姿を消した。

 残された二人が、呆然と、顔を見合す。

「……なんだったんだろう」

「あの人、見たことある。神殿で働いていたはずよ。何をされたの?」

 ロゼは小さく息をつき、すとんと腰をおろした。首をかしげるようにして、ミーシャを見上げる。

「腕輪を返せ、どうしておまえが動いているんだ……そんなことをいってた。ぼくが、ドールだってことを、知っているみたいだったよ」

 ミーシャが眉をひそめる。

「……まさか、腕輪って……」

 続く言葉を飲み込んで、ミーシャはゆっくりと首を左右に振った。


   2


「腕輪?」

 白い髭を触りながら、片眼鏡をかけた老人は、赤い髪の美女を見上げた。

「見りゃあ、わかるでしょうよ。お客さんの後に並んでるだけでも十数個だ」

「そういうことでは、なくて……」

 ファレイ=ミラは、カウンターに身を乗り出した。

「私が捜しているのは、銀の装飾の……少し、骨董めいたものです。こう、三日月形になっていて……」

「骨董ねえ……ないよ、そんなものは。お客さんのいうように、たとえ誰かが持ってきても、買い取らないね。骨董ほどあやふやなものはない。うちの店は、歴史を信じない方針でね」

 ファレイは、眉を跳ね上げた。怒りがこみあげたが、気を沈ませて、圧し殺すように礼を口にする。そうして店を出て、大きく深呼吸した。

 これで、このエーダの町の店はすべてまわった。予想していたことだが、やはり、売られてはいないらしい。

「この町に入ったことは、確かだが……」

 しかし、人を捜すにも、物を捜すにも、一筋縄ではいかない大きな町だ。気を取り直すように顔を上げて、眩しいばかりに水を散らす噴水を見つめる。

 今は、それを美しいと思うほど、心に余裕がなかった。ファレイは、足早に歩きだした。


 薄い生地にクリームと果物を包み込んだ菓子を頬張り、ロゼは思わず言葉を失った。一瞬だけ動きを止めて、それから一気にたいらげる。

 その様子を見て、ミーシャは小さく笑ったが、言葉を発するわけではなく、そのまま俯いてしまった。

「どうかしたの?」

 ロゼが問いかける。少しだけ遠慮がちな声だ。返事がないので、ミーシャの顔を覗き込むと、ひどく深刻な顔をしていた。二人が座るベンチの前で、噴水が相変わらず見事な水芸を披露しているが、今は二人の目に映らない。

 敷き詰められた石の囲いが、水を浴びて微かに輝いている。それを照らす陽は、もう高いところにあった。

「……結局、外に出ると、こうなるのね」

 ミーシャが、呟いた。意味はわからなかったが、ロゼは何となく悲しくなる。

「あの人が、正しかったのかな。それだけは、認めたくないけど、そうなのかな。……ねえ、ロゼ」

 ロゼはこたえない。ただ、ミーシャを見ている。

「わたし、もうセプテンとは関わらないつもりだったんだけどなあ。無理なのかなあ。きっと、セプテンに呪われてるんだわ」

「……セプテン……町? それとも、神殿? 嫌いなの?」

「セプテンと名のつくものは、全部嫌い」

 そういって、ミーシャは笑った。こういうこというから呪われるのよ、といって、おかしそうに――少しだけ自嘲を含ませて、笑う。

「ねえ、ロゼ。さっきの人に、腕輪を返せっていわれたのよね? 心当たりはある?」

 いわれて、ロゼは、両手の長い袖をまくってみせた。

「ぼくは、腕輪なんてしていないよ。持ってもいない。どうしてぼくが持っていると思ったのか、まったくわからないよ」

「そうよね……なんだったんだろう」

 つぶやきながら、ミーシャは考える。もしも、エスペランスが盗まれたという噂が本当で、それを探しに神殿のものが動いているのだとすれば、彼がそうなのだろうか。

「……ロゼを見て、一目でドールだってわかるなんて、どういうことかしら」

「何を、考え込んでいるの?」

 純粋に不思議そうに、ロゼがミーシャを見つめている。少し笑って息をつき、ミーシャは立ち上がった。

「なんでもない! さ、せっかくだから、この町のいろんなところを見て回りましょう。

まだ旅は始まったばかりだもの。こんな出発点で、ぐずぐずしてられないわ」

 明るい笑顔だ。耳と尻尾を揺らし、まだ座っているロゼへと手を差し伸べる。

 その手を握る前に、ロゼは、昨日から抱いていた疑問を口にした。

「リリン・ドゥーアっていうところへ、行くの?」

 ミーシャは、瞳をゆっくりと瞬かせた。

「ああ、そっか、昨日話したんだっけ……。最終的な目的地は、そのつもりよ。どうしても、行きたいの。ロゼにとっても、意味のある場所だと思う」

 ふぅん、とロゼが小さく声を発する。そして、今度は手を握り、もう一つだけ質問した。

「そこには、何があるの?」

「難しい質問ね……たぶん、なにもない」

 ミーシャは、少し淋しそうに笑い、こうつけ加えた。

「でもひょっとしたら、ニンゲンが一人」


 空が赤く染まるころ、二人は宿へ帰りついた。数えきれないほどの店をまわり、町の図書館を見て、それから博物館を出るころには、空の明るさはその色を変化させるところだった。見た店の数のわりには小さな荷物を抱えて、ミーシャが木製の扉を開ける。買ったものといえば、保存食と、火種ぐらいだ。

「おかえりなさい、ロゼさん、ミーシャさん」

 カウンターで、リィナがにこやかに二人を迎えた。

「エーダの町は、どうでしたか?」

「とっても、素敵だった! たくさんお店があるのね。全部行きたかったのに、半分も行けなかったんじゃないかな」

「そんな、一日じゃ無理ですよ!」

 残念そうなミーシャに、リィナは笑う。エーダは大きな町だ。一日どころか丸三日あっても、すべてを見ることは不可能だろう。資料館や名所なども見ようと思えば、なおさらだ。

「夕食の準備、もうちょっとかかるんです。お呼びしますから、それまで……」

「うん、部屋で休もうかな。ありがとう」

 やさしく笑って、ミーシャが階段を上っていく。それまで黙っていたロゼは、リィナにむかってペコリとお辞儀し、あとに続いた。

 部屋に入り、ミーシャはソファに深く座り込んだ。無言だ。ロゼは、ミーシャを見下ろした。

「どうしてそんなに、無理をするの?」

 少し間を置いて、ミーシャが顔を上げる。

「なにが?」

 にこやかな、やさしい笑顔で逆に問いかけられ、ロゼは首を左右に振った。

「ほら、そうやって、また無理をする。ミーシャ、ぼくはミーシャみたいに、人の心の声が聞こえるわけじゃないけど……それでも、ミーシャの心、少しはわかるよ」

 ミーシャの表情が、笑顔のままで固まった。ロゼはしゃがみこみ、俯いてしまったミーシャを見上げる。

「疲れていないわけがない……いつも笑っていられるわけがない。ヒトのそういうところが、ぼくにはわからない。ミーシャの笑顔は、アリアさんたちと同じだ」

「アリア……さん? あんな人と一緒にしないで」

「でも一緒だよ」

 きっぱりと、ロゼはいいきった。

「何かを我慢して、笑って、それで自分を誤魔化せている気になってる。それじゃあ、何も、変わらないのに」

「……だって……! だって、わたし……!」

 ミーシャの声が大きくなり、それから重い沈黙が訪れた。圧し殺した声で、ミーシャはもう一度、口を開く。

「……考えが足りなかったのね。自業自得。セプテンの外の世界は、素晴らしいところなのだと思ってた。もちろん、旅なんて大変だってわかっているつもりでも……ちっとも、わかってなかった。それに、結局、セプテンからも離れられない……」

「…………」

 ミーシャは、自嘲気味に、笑った。

「わたしね、あなたが動きだしたとき、本当に嬉しかったの。世界がわたしの味方をしてくれているような気になったわ。あなたと一緒なら、なんでもできる気がした。あなたに世界を見せたいというのは本当だけど……つまり、一人じゃ嫌だったのよ。……でも結局、あなたを道連れにしただけね。ごめんね、ロゼ」

「ぼくは、感謝しているよ」

 ロゼは、ミーシャの両手を優しく握った。その気持ちが、ミーシャのなかに流れこむ。ミーシャは目を閉じた。

「あなたみたいな人のこと、お人好しっていうのよ。……ありがとう、ロゼ」

 ミーシャも、その手を握り返す。

 静かな沈黙が落ちた。

「……?」

 不意に、ミーシャが顔を上げた。大きな耳を動かし、鋭く辺りをうかがう。

「……どうしたの?」

「――しっ! 何か、近づいてくる……」

 ロゼも、静かに耳を澄ます。ややあって、微かな風の音が、聞こえてきた。ロゼが素早く窓を見る。ミーシャはすでに、扉と反対側にある大きな窓に近づき、外を睨みつけていた。

「鳥だわ……!」

 ごうっと風がうなり、ほぼ同時に窓ガラスの割れる音が響き渡った。黒い大きな鳥が数羽、窓を破って部屋に飛び込んできた。

「きゃあっ」

「ミーシャ! 下がって!」

 とてつもない羽音と、ぎゃあぎゃあという鳴き声。頭を抱えて身を屈ませたミーシャを庇い、ロゼが鳥を睨みつける。

「なんだ……? 目が、光ってる……烏に似てるけど……」

「セプテンの黒鳥だわ! どうして……」

「――うわっ!」 

 一羽が二人目がけて一気に滑空し、ロゼは咄嗟にそれを手で払い除けた。想像よりも重い感触を残し、黒鳥は空中でよろめく。

 部屋の中を飛び回っていた数羽の鳥が、やがて部屋の中央あたりに集まった。目を怪しく光らせ、まるで二人に襲いかかる機会を窺っているようだ。

 ミーシャを後にかばい、ロゼはじりじりとあとずさる。

「こういう場合、普通、ヒトはどうするの?」

 冗談のつもりか、緊張感のない問いを後に投げかける。ミーシャは引きつった笑みを浮かべ至極真面目にこたえた。

「ヒトそれぞれだけど、逃げるのが普通ね……可能なら、だけど」

「不可能だ」

「そう思う」

 沈黙が訪れる。

 ざわりと、黒鳥の間に風が走った。そのすべてが、一斉に、翼を一際大きく広げる。

「くるわ!」

 ミーシャが目を閉じ、ロゼは真っすぐに黒鳥を睨みつける。その時、割れた窓から、もう一人の客が降り立った。

「助けてー、とか叫んでくれりゃ、やりがいもあるのによ!」

 二人と同じか、それより少し上ぐらいの、少年だった。耳は丸い。栗色の、後で束ねた長めの髪を揺らし、手にした鞭で黒鳥を叩き落とす。

 およそ三回。その動きだけで、少年はすべての黒鳥を床にたたき落とした。ひゅっと鞭を振り、器用にまるめて腰のベルトに引っかける。

 二人は、声も出ず、突然の来客を呆然と見つめた。あまりに唐突で、何が起こったのかよくわからない。

「……あ、あなたは?」

「こんちは、初めまして。なあに、通りすがりの正義の味方だよ」

 少年は、ぶかぶかの上着の袖をつかんで、まるで貴族の少女のように一礼した。つかつかと二人に歩み寄り、ロゼと、それからミーシャを見る。

「危ないところだったから、助けてみたんだよ。何か襲われる心当たりは?」

「ないわ」

 きっぱりと、ミーシャがこたえる。もちろん、ないわけがない。少年はとぼけた様子で、肩をすくめた。

「そりゃまた、物騒な世の中になったもんだね」

「……助けてくれて、ありがとう」

 礼を口にしたのは、ロゼだった。頭を下げ、自分より少し背の高い少年を見る。

「通りすがりなわけがないよね? ぼくは君を、この街で何度か見かけたよ。ぼくのすぐ近くで。まるで、見張っているみたいだった」

 少年は、かるく眉を上げた。

「……こりゃ、驚いたね。気づいてるんなら気づいてる素振りでもしてくれれば、こっちも対応のしようがあったんだけど」

「そうなの?」

 ミーシャが、後からロゼの服の袖をひっぱる。触れているので、思いは伝わっているはずだが、聞かずにはおれなかったようだ。ロゼは、そうだよと答えた。

「気づいたのは、街に入ったとき。それからも、何度か見た」

「ふむ……それはそれは。隠れ損だね。でも、説明はあとで」

 控えめなノックが、響いた。ミーシャは、はっと顔を強ばらせる。そして、そこから顔をのぞかせたリィナを見て、安堵した。

「……あの……何か、あったんですか……?」

 おずおずと、話しかけてくる。恐る恐る視線を泳がせて、床に転がる複数の鳥の死骸を発見し、悲鳴をあげた。

「こんにちは、お嬢さん。この宿に泊まりたいんだけど、部屋は空いてます?」

 突然の客と、鳥と、ロゼとミーシャと、割れた窓とを、困惑した様子で見て、リィナは力なく答える。

「……あ、空いて、ます……」

「そりゃよかった。じゃあ、泊まらせてもらうよ。期間は……」

 少年は、にやりとした笑みを浮かべ、恭しく右手をのばすと、ロゼとミーシャの二人を示した。

「この二人と、同じでよろしく」

 割れた窓から、冷たい風が吹き込んだ。ミーシャは驚いて口を開け、ロゼは不快そうに眉を曲げ、少年を見る。視線に気づいたのか、少年はさもおもしろそうに笑うと、ロゼの肩を馴々しくたたいた。

「ま、仲良くやっていきましょう」

「……ええっ?」

 数秒遅れて、ミーシャが、間の抜けた声をあげた。


「助けてくれて、ありがとう」

 リィナとともに部屋のなかを片づけ、それでも悪臭がするからと他の部屋に移り、そこでやっとミーシャはお礼の言葉を口にした。その後に続いて、ありがとう、とロゼもつぶやく。

 少年は、片手を振りながら、はいはいと答えた。

「お礼はいいよ。目の前で襲われてるのに、黙って見てるわけにもいかないし」

「あなたが助けてくれなかったら、どうなっていたかわからない」

 無表情で、ロゼがいう。しかしその目には、油断のない光があった。

 それに気づかないふりをして、少年はとぼけた様子で笑ってみせる。

「自己紹介をしとこうか――俺はアスフェル。見てのとおり、ディンディゴだ。一人でずっと、旅をしている」

「旅を?」

 ミーシャは思わず声をあげた。自分たちとそう歳が変わらないように見えるのに、と考えてしまう。きっと自分では想像もできないような生き方をしてきたのだろう。

「旅が、珍しい? でもそっちも、旅をしてるみたいだけど?」

「――それは、質問? 知っているくせに、聞くの?」

 ゆっくりと、感情のない声でロゼが問いを発した。ミーシャが、驚いて隣を見る。

「回り道は嫌いって感じだね……でも、その質問は難しいね。深く考えて聞いたわけじゃない」

「…………」

 ロゼは目をそらさない。ミーシャも、アスフェルと名乗った少年の方に視線を移した。

 彼は、肩をすくめた。

「よしわかった! ちゃんと、説明しよう。俺はこの町の入り口で、あんたら二人を見かけた。そして興味をもった。なぜなら――俺は、白い町に行ったことがあるからだ」

 ミーシャは息を飲んだ。白い町――ロゼたち、ドールがいた町のことだ。

「じゃあ……」

「ご名答。一目でわかったよ、ドールだってね。だから、興味をもったんだ」

 驚いているミーシャの横で、ロゼがゆっくりと目を瞬かせる。

「――? どういうこと?」

「あなたが、いた町のことよ……真っ白な家が並ぶ町。覚えてるでしょう?」

 ロゼはうなずいた。それなら、覚えている。おそらく、自分にとっては故郷と呼べる場所だ。

「その家のなかには、ちょうどあんたみたいな――大きな帽子をかぶって、変わった服を着た奴らがいっぱいいた。見たことがある奴ならすぐわかるよ。あんた、ドールだろ?」

 正直にうなずく前に、ロゼはミーシャの顔色をうかがってみる。彼女は俯いてしまっていて、その表情はわからなかった。

「……うん」

「な? ほら、やっぱりな!」

 アスフェルはおもしろそうに笑った。

「俺は、まぁ自分でいうのもなんだけど、ドールにはちょっと詳しい。でもさすがに、動きだしたドールってのを見るのは初めてだ。あんたの行く末に興味がある。どうやら、変なのに狙われてるみたいだな? 護衛をする代わりに、あんたらにちょっとつき合わせてほしい。ま、ただのお願いだ、断ってくれてもいいけどね」

 それならそれで、勝手についていくだけだしね――後半の言葉を、彼は飲み込む。

「……そんなの……」

 俯いたままで、ミーシャは呻いた。信用できるわけがない。すぐに人を信用してはいかないということは、身をもって学習した。

 しかしその隣で、ロゼは決意をしていた。

「わかった」

「――? ロゼ?」

 ミーシャがロゼを見る。ロゼは、真っすぐに、挑戦的とさえ思える眼差しを、アスフェルに向けていた。

「お願い。ミーシャを、守って」

「……ロゼ?」

「同じだよ、ミーシャ」

 ロゼはやさしい表情で、ミーシャを見た。

「どっちにしても、同じだよ。この人は、ぼくらについてくる。だったら、目に見えるところにいてくれたほうが、いいよね?」

「う、うん……」

 釈然としないままに、ミーシャはうなずく。まるですべてわかっているようないい方だ。

 ロゼの言葉に、心のなかでアスフェルは笑った――このドールは、頭がいい。

 しかし、決定的に、わかっていないことがある。

「……よし! わたし、あれこれ考えるのは好きじゃないの。そうと決まったからには、仲良くやったほうがいいわよね。わたしはミーシャ。ビースルのミーシャよ」

 先程までとは打って変わった明るい声で、ミーシャが自己紹介をした。それから、とん、とロゼの肩をたたく。

「えと……ぼくは、ロゼ」

 アスフェルは、目を瞬かせた。

「それだけかよ? なんか他にないわけ?」

「何をいえばいいの?」

 逆に問い返され、アスフェルは口ごもってしまう。そして、少しだけ考えて、問いを口にした。

「そうだ、ロゼ。あんたは、目覚めたドールだ。目覚めて、そうしてこの世界で、何がしたい?」

「え……?」

 沈黙の後、ロゼは何だかおかしくなって、小さく笑みをこぼした。

 なぜ、そういうことを気にするのだろう。まわりから見て「特別」な自分が、「特別」ではなくなる儀式のように、当たり前であるはずの問いがロゼの前に降りる。

 そう、そんなものは本来、取り立てて聞くようなものではない。当たり前のものであるはずだ。ドールだろうと、ビースルだろうと、ディンディゴだろうと、他のどんなヒトであろうと。

「そんなの、答えられないよ。答えられるような質問じゃない」

 それは進歩だった。その言葉を聞いて、ミーシャははにかむように、少しだけ複雑な気持ちで微笑む。

 一瞬驚きの顔を見せてから、そりゃそうだとアスフェルはうなずいた。

 今こうして動いているヒトの間に、どれほどの違いがあるというのだろう。

「じゃ、他に思いつかないから、質問はなし! まあ、仲良くやっていきましょう。よろしく、ロゼ、ミーシャ」

 勝手にそうしめくくって、アスフェルは立ち上がった。おやすみね、といい残し、音をたてずに――しかし見た目には騒がしく、部屋を出てしまう。

 ぽつんと、二人が残った。

 眠くなってきたのか、ミーシャの目が半分しか開いていない。いろいろあったので、疲れたのだろう。しかしその前に、そろそろ夕食ができている頃だ。

「ねえ、ミーシャ。あの黒い鳥は、何だったの?」

 聞かれると思っていた。ミーシャは小さく息をつく。

「セプテンの黒鳥、だと思う。セプテンで、黒の神官として修業すると、ああやって動物を操ったり、呪術を使ったり……そういうことが、できるようになるの」

「呪術? すごいんだね、セプテンって」

「すごくはないわ」

 至極嫌そうに、ミーシャは答えた。

 最後にもうひとつ、とロゼが質問をよこす。

「それが、どうしてぼくらを襲ったの?」

 ミーシャは唇を噛んだ。

「心当たりがありすぎて、わかんない」

 事実だった。

 ロゼはうんとうなずいて、少し的の外れた言葉を返した。

「じゃあ、気にしてもしょうがないね」

 慰めているつもりなのかもしれない。ミーシャは、笑った。


 翌朝。

 ロゼとミーシャと、昨夜加わったアスフェルの三人は、エーダの町を出発した。

 宿を出るときに、リィナとマリアンから、保存食として鳥肉をたれに漬け込んだものを渡された。昨夜の黒鳥を、調理したらしい。素晴らしい商人根性だ。

「久しぶりのお客さんも、行っちゃったね、おばあちゃん」

 食器をかたづけながら、リィナは食卓で本を読んでいる祖母に話しかけた。

 マリアンは、目を細める。

「そうだねぇ……でも、出会いと、再会があるから、この仕事はやめられないねえ」

「おばあちゃん、いいこという! あたしも、このお仕事大好きだよ。でも、再会なんて、めったにないでしょ?」

「そうでもないさ」

 マリアンは幸せな笑みを浮かべた。

「再会はあるよ」

 もう自分は覚えていないとでも思ったのだろう。ちっとも変わらない、ひねくれた笑顔でひょっこり現れたあの少年は。

「そうなんだ? そっかぁ、あたしはまだないや。いいなあ」

 孫の声を聞きながら、マリアンは幸せな気持ちで、本に花のしおりを挿んだ。静かに閉じる。

 大切なしおりだ。昔、まだ若い頃に、少年にもらった赤い花。

「あ、そうだ、おばあちゃん。あの……なんていったかしら? そう、アスフェルさんが、お花をくれたのよ。おばあちゃんにって。食卓に飾っていい?」

「もちろん」

 そしてまた、昔のようにしおりを作ろう。

 マリアンは目を細めて、懐かしそうに、赤い花を見つめた。






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