第伍話 内刃
奇妙な時間帯だった。
デュンケが放った魔物はベルさん達が引き受けてくれている。
俺は、全力でデュンケを打ち倒そうとしていたのは事実だ。
だが、デュンケは応えない。
ただ、俺の攻撃を受けるだけだ。その掌でもってして。
攻撃には転じない。
放たれた魔物に対してベルさん達は善戦している。
次第に数を減らす。
そうなると、デュンケがまた新たな魔石を放ち、魔物を追加投入する。
俺にはその隙を奪うことができない。またどこかでそうする必要性も感じていなかった。
プラシやシノブが窮地に陥りかけた時。
視野の境界にそれを捉えた俺は、援護の魔術を放つ。
デュンケはそれを遮ることもしない。
彼は彼で、ベルさん達を本気で倒そうとは考えていないのか。俺に対する振る舞いのように。
互いに、個と個でぶつかり合いながらも、同時に大局に身を委ねてもいる。
喜劇の一幕のようなやり取り。
デュンケ、そして俺。
真剣なるせめぎ合いのなかに、どこか緩慢さが見え隠れする。
弾かれ右に流れた剣を横薙ぎに振り戻す。
また弾かれる。跳ね上げる。再度弾かれる。
消耗戦を狙っているのだろうか? 長期戦こそがデュンケの本領なのだろうか?
デュンケはあと幾つ魔石を、魔物を生み出す源を保持しているのだろう?
デュンケは、俺の剣撃をあと何回弾くことが出来るのだろう?
その拠り所は? デュンケの掌に宿る力の源は?
ギアを上げる。全力を超えた領域へ。
周囲に目を向ける余裕を保ちつつも、より高次元の攻防へ。
デュンケの防御のパターンにも慣れてきた。
初太刀をいなされてから二撃目を考えるのではなく。
二撃目、三撃目を視野に入れた攻撃に切り替える。
長く学んだジャルツザッハを俺にそれを為さしめる。
だが、それが実ることは無い。フライハイツは一向にデュンケの体に触れることができない。
ならば。
剣に込める力の質を高める。
一撃、一撃の重みを増すために。
「ほう」
デュンケから小さな声が漏れた。
それまでのように掌ではなく、上腕で俺の攻撃を受け止めながら。
繰り出す剣が、デュンケの腕を隠す衣を、袖を引き裂いていく。
デュンケの腕が露わになる。
その構成要素は肉ではなく、結晶体。魔石と等しい輝きを放つ。
衣服に隠されていたその両椀は、ガラス細工のように透き通る輝きを持っていた。それでいて硬い。砕けない。罅すらも入らない。
陽動の五連撃。それに続く本命の一撃。
六連で放たれた俺の剣閃の最期の一撃がデュンケの胴を薙ぐ。
デュンケの防御速度を凌駕した。
が、肉を裂く感触は得られない。
上腕と同じく、硬質な鉱物に阻まれる触感。
デュンケが元々晒していた、顔と手首より先。それ以外の全てが魔石によって構成されている?
もはや人智を超えた存在だ。
その目的すら問いただしていないけれど。
異質な存在は、異様な執念に支えられる。
わかりあえるはずなどない。
ただ、俺はデュンケの行動を止めるためだけに己の力を振るう。
デュンケの持つ気配が変わった。
それまでは単に俺の力を量っていたのか。
手の内をすべて白日の下に晒し上げるために。
晒したうえで、それを防いでみせるために。
絶望をより効果的に植えつけるために。
防御に徹していたデュンケが、突如として攻撃に転ずる。
殺気を感じて、俺はデュンケとの距離を増ずる。
ノーモーションで放たれた、見えざる刃が俺に迫る。
文字通り、不可視の刃。その存在を感知できたのはまさしく本能によるところにすぎない。
知覚ではなく、感覚。
迫りくる、圧倒的な殺戮力を備えた刃を肌で感じる。
属性を、この世界の自然の理を無視した、無属性の力の刃。
精霊が活性化することもなく、精霊の力を介することなく放たれた、凍えるまでに冷々しい、煽動。
俺の内に秘められた防衛本能、培われた戦闘経験のみを裏付けに、それを避け、迎撃し、対応しそこなった刃が皮膚を掠める。
常人であれば何が起こっているのか気づくことすらできずに体を刻まれていただろう。 氷を超えた非情さ。炎を超える熱量。風を超える速度。土を超える頑強さ。光を超えたポテンシャル。闇を超えていく悪意。
俺には見えていた。感じられた。
もっともシンプルで、根源的な力。それが破壊の目的を伴って発せられるとこのような現象が起こるのだろう。
フライハイツが宿す力とある意味で同種。表裏一体。
内に込めるか、外へと放出するか。
魔術でもってしても、物理的な剣でもってしても、受け止めきれないはずのデュンケの攻撃。
それに対抗できる唯一の方法。
それは、今まさに俺がやっていることそのもの。
フライハイツに魂を注ぎ、その力をもって対抗する。フライハイツは応えてくれる。
そうしながらも、気付く。事実に。
デュンケの力に対抗できるのは、この場には俺一人。
この場に限定せずとも。世界を見て回っても、それが出来る人間は他に居ないのかもしれない。
必然。俺がデュンケに討たれる。デュンケにとっての必須事項。
それが為されたとき、デュンケの悪意を抑制するものはもはや存在しない。
奴の目的がなんであれ、それは遠からず果たされるだろう。
不可避。俺がデュンケを討つこと。
俺にしか為し得ない希望への一筋。世界を救うために。
戦局が一転する。
ベルさん達が、デュンケの放った魔物すべてを討ち終えた。
「これで四対一だな!」
肩で息をしながらシノブが強がる。
「一体何が目的なんですか!?」
プラシが、デュンケの思惑を自らの地平へと導こうとする。
「似合わない表情。
あんた、人の顔を使うなら、元の人間のことちょっとは研究しなさいな!」
ベルさんが、デュンケの持つ顔の本来の持ち主への回顧を言葉にする。
デュンケは言葉を発しない。
ただ、無表情に。あらかじめ決められていた未来を演じるように。シナリオをなぞるように。
魔石を放った。
これまでとは異なり、たったひとつ。
大きさは、既に放たれた魔石と同じ。
だが、その輝きは、込められたエネルギーは、それまでのものと一線を画しているように感じられた。
予感が真実であったことを知る。
魔石から姿を現したのは魔物ではなかった。
人の形をしていた。
短い間とはいえ、同じ時を共にした少女の姿。
「レン……レン……」
俺を見つめながら、視線を彷徨わせ、申し訳なさそうな表情を浮かべて、
「おにいちゃん……ごめんなさい……。
ほんっとに、ごめんなさ……」
少女の呟きが、途切れる。
少女の体が輝き、巨大なシルエットへと変貌する。
かつて戦った竜骸の在りし日の姿。
もっとも凶大で、リザードの持つすべての能力を高次で兼ね備えていると言われる、世界最強の種族。
一見してわかる。本能に刻まれている。遺伝子が告げる。恐怖を呼び覚ます。
膂力と知力の融合。生命進化の究極系。
「竜……、まさか……」
「これが……真竜……」
人とは異なる種族ではあっても、知性を持つと言われている存在だ。
その瞳には、賢しさが宿っている。本来であれば。
だが、俺達の目前に居る巨大な竜の瞳には狂気しか感じられない。
少女の姿を取っていた時の愛くるしさはもちろん、慈しみや思いやりといった光は1%も存在しない。
仮にも俺は、かつて狂った竜達を滅した英雄の末裔だ。
そこに、敵意を持つ竜が居たのなら、迷わず剣を振るっていただろう。
だが、見知った少女がその巨躯の源となったという事実が俺の行動を鈍らせた。
それでも、仲間の身を思う気持ちが俺の体を動かす。
竜が放った吐息。ドラゴンゾンビのそれとは比較にならない。
魔術でも、剣気でも防ぎきれない、それらの力とは干渉しえない圧倒的な別種の力。
デュンケが放った見えざる刃。フライハイツの内に宿る選ばれしもののみが振るう力。おそらくはそれと同種の力。
フライハイツに魂を注ぎ、ただ前へと突き進む。
ブレスを割って、竜の咢へと到達する。
「彼女に何をしたっ!」
既に視界の中には居ないデュンケに向かって叫んでいた。
叫びながらも、竜の喉を掻っ切るべく剣を振るった。
当たったところで致命傷にはならない。
竜の持つ力に遠く及ばないという自覚が迷いを吹っ切り、自身の限界に迫る動作を支援する。
剣が喉に、竜の皮膚に到達する遙かに手前で、右脇腹に鈍い痛みを感じる。
巨体に似合わず、俊敏な動作を為した竜の前足に打ち払われたのだと気づく。
吹き飛ばされながらも、仲間の無事を確認する。
距離を詰め、ブレスを引き裂いたのが功を奏したようだ。直撃は免れている。
プラシが残り少ない魔力を振り絞って竜へと極大の魔術を見舞う。
が、通じない。
一撃必殺ともいえる吐息を恐れてベルさんもシノブも距離を詰めることすらできない。
俺はただ跳び、竜の対表面へと剣を振るう。
持てる力の全てを使い尽くす覚悟で。
俺が竜と互角に戦っている以上、互角とはいかなくとも相手の動きを、注意をひきつけている以上は、仲間への負担は軽くなるだろう。
仲間への負担……? ベルさんやシノブ達の命……。
それが護られるためには……。
簡単なことだ。竜の戦闘力を奪えばいい。動けなくしてしまえばいい。
俺に……できるのか? 足止めが精々……?
「逃げろ! 逃げてくれ!
こいつは……、ただの竜じゃない。
小さな女の子、レンレンだったんだ。
元に戻す方法が、正気を取り戻す方法があるはずだ!
パルシならっ!
誰かがその方法を知っているはずだ!」
竜と切り結びながらも、叫んでいた。何もかもが足りない。
竜を倒す力も。レンレンであったはずの竜を倒す覚悟も。
魔力も剣気も、それを超えた力も。己の能力を高める術も。
「あれって使えないのか!?」
シノブの声が聞こえる。
「邪気払いの魔法陣!」
ベルさんの声が聞こえる。
「今の僕だけの力じゃあ……」
プラシの声が聞こえる。
五感が冴えわたっていくのを感じた。
竜の放つ吐息は強烈な威力を持つ。
が、俺はそれを切り裂くだけの剣を持っている。弾き返すことはできなくとも。
竜の振り下ろす、あるいは振り払う腕は重く、それを食らった俺の体をきしませる。
だが、それでも壊れずにいるのは、体中に気が張り巡らされているからだ。
無意識に限界出力にまで高められた流態の恩恵だともいえる。
己の力を最大限に、それ以上に引き出すための術。
だが、それでも竜にわずかな傷一つ与えることはできない。
それでも、俺の体は戦う力を失ってはいない。
戦い続け、剣を振るい続け、傷を負いながら、徐々に傷を増やしながらも考える。
自分が出来ることを。己の持つ力、引き出しの全てを開け放つまであきらめない。
俺の傍らを追い越していく存在に気付く。
シノブだ。
「無理だ!」
シノブの表情を見てその言葉が意味を為さないことを悟る。
彼女は知っている。届かないことを。
自分の力が現状況を打破する地点に遠く及ばないことを。それを知りながらも固めた決意。
シノブに向って払われた竜の爪が、直前で軌道を変える。
ベルさんとプラシから放たれた魔術。
傷を与えることはできなくとも、ダメージは無くとも。
竜の攻撃を逸らすことはできる。無力なんかじゃない。
「竜だかなんだか知らないけどさ!
伝説の生き物!?
それを相手にするなんて、英雄っぽいじゃない!」
シノブの拳が竜の胴を捉える。が、想像どおり、通じない。竜は巨体を転身してシノブをその顎で捕えようと首を振る。
「外からじゃ駄目なんだったらっ!」
吐息が放たれたなら絶命必須のその状況で、バックステップで竜の鋭い牙をかろうじて躱しながら。
シノブは笑っていた。笑って、あえて腕を竜へと捧げた。
竜の動きを見切り、攻撃範囲を理解した上で、危険区域へと腕を伸ばす。
シノブの右腕が、肩から先が竜の口へと飲みこまれていく。
「好きな男のためなら、腕の一本や二本!!
魔法拳『爆砕』!!」
竜の口が閉じられるのと同時に、シノブの腕が爆ぜた。
固く閉じられた竜の口元から爆発の余波が、光が漏れ出す。




