第弐話 刃
組織だった抵抗はほとんどなかった。
それでも出会いがしらに多数の『敵』を仕留め、走り続けた。
そもそも主君に対する忠誠心など無かったのだろう。反乱軍の大多数は劣勢と知るや逃げ去ってゆく。
一部には向ってくる者もいたが、相手の力量を量れぬ愚かさかあるいはそれを知ってなお身を引かぬ傲慢さは、自らの命を縮めることにしかならなかった。
なんとか統率がとれているという表現にぎりぎり収まる形での対抗があったのは屋敷に入るまで。
ひとたび侵入が果たされたと知れると、主君を守るべき騎士や冒険者達は極端なほどその数を減らした。
屋敷を探索し、その最上階でそれと思しき部屋をみつけた。
ドアは施錠されていないようだ。
それでも警戒を怠らずにドアを開ける。その用心は、あっけなく無用と化した。
中には一人の男がベッドに腰掛けていた。
「ゾゥワィルム・ハルバリデュス」
疑問符を付けずにただ呟いた。
男が立ちあがる。首肯はしないが、その顔は古い記憶にある顔、そして幾つかの肖像画で見た顔と一致している。
「なんでこんな馬鹿なことを……」
低い声で男が返す。
「馬鹿? たしかに馬鹿なことかもしれん。
だが、人はひとたび手に入れた力を手放すことには耐えられんのだ」
俺の事がわかっているのだろうか。
確かめられずにいられない。
「俺は……」
名乗りかけたが、男に目で制された。
「宝剣フライハイツ。それさえあれば、我が目的も容易に達せられたであろうに……。
ゴダードの奴め。余計なことを」
俺の持つをもってその存在を認識しているようだ。が、それを言葉には変換しない。
代って出たのは呪詛にも近い呟き。
「ゴダードか。国を憂いた忠国の騎士。彼は真に国の、そこに住む人々の事を考えていただろう。
あんたとは違ってな」
批判ではなく、騎士道を全うした人物への尊敬の念が自然と立ち上る。
「余の命を奪いに来たのか?
そして、余の代わりに国を治めるか?」
「まだ……、まだそんなことを……」
不思議と怒りは沸点までは達しなかった。
父、ゾゥワィルムはただ生まれながらに権力を持ち、それを当然としてそれが無いという状況を飲みこめなかったのだ。
時代であるのか、この世界の未成熟がそうさせたのか。
ある意味ではこの男も被害者でしかない。
聞くべきこと、言うべきことは幾つかあった。頭の整理もつかぬままただ浮かんだことをそのまま口にする。
「反乱を鎮めたい。あなたの口からそれを発することで納まるのなら」
「命までは奪わぬと?」
俺は頷いた。
「出来る限りのことはする。
王でなくても、平穏に暮らせるだけの環境を。
国は……また、ギルド主導で作り直せばいいさ。
これ以上、無益な戦いを続ける意味もないだろう」
「ギルドによる支配の継続か。
欲のない奴だな。よほど潔癖に育てられたようだ」
半分はそのとおりだろう。俺を育ててくれた人々が望んでいたのは平穏な生活。
俺だって英雄の末裔などという出自を知らなければ、本当に無難な日々を過ごしていかも知れない。
冒険者にもならず、必要以上に剣や魔術の才を伸ばすことも無く。
だが、冒険者となった俺は、王子としてではなく、国を救った英雄としてギルドを支えることぐらいはできる。その権利もあるはずだ。
ふいに、男が話題を変えた。
「母のことは聞かんのか?」
「望むなら共に暮らせるように配慮する」
王からも、もちろん王妃からも愛情など与えられずに育った俺。
俺にとって父からの愛情がかけらも感じられなかったのと同様に、王と王妃も互いを慈しみ、大切に思う気持ちは無かったのかもしれない。
だが、仮にも家族、夫婦である。これから少しずつ理解を深めていけばよいなどというのはきれいごとなのだろう。だが、絶望や諦めの中でそうしていく可能性は少なからずあるはずだ。
その想いから発した言葉だった。
「望み? 望みはこの世界を掌中に収めること」
「まだ言うのか! 生きてるんだろう!?
一緒に居たくないならば、それでもいい」
「生きている? 確かに、これを生と呼ぶのならばっ!」
男は服を破り捨て、胸元をさらけ出した。
「!?」
言葉を失った。
男の胸には、男と同じく肖像画による印象が強い王妃の顔が埋め込まれていた。
肌には血が通っているように思える。作り物ではない。
ならば、その体は?
いや、それ以前にどうやって!? 何のために?
数々の疑問符が頭を埋め尽くす。
俺は悟った。もはや目の前にいる存在は人間ではない。
幾つかの言葉が交わせたことが奇跡とも感じられる。
認識は現実の変化となって報われた。
男の体が、四肢が隆起していく。右肩から腹にかけて深い亀裂が入り、胸元に埋まっていたはずの女の顔が徐々にせりあがっていく。
ありえないことが次々と起こる。
胴が膨張し、3本目、4本目の腕が生え出す。同じく足も。
双頭、四つ腕、四本足。直立するその姿は人間の面影を残しているが、もはや人外としか表現できない。その背丈もかろうじて天井を打ち破らない程度に収まっているが、徐々に高さを増していく。
理性も失ってしまったのか、二つの顔で原型をとどめる口からは低音と高音のそれぞれの笑い声にも似た絶叫が迸るのみ。
絶叫が途絶えた瞬間、俺の体を衝撃が襲う。
とっさに放った気に護られた俺の体は、壁を打ち破り屋敷の外へと放り出される。
静かだった。
街にはもはや誰も居ない。残っているのは俺と、一体の化け物のみ。元父であり、その妻の一部を取り込んだ異形の巨体。
鈍重な外見に反して、それもまた屋敷を飛び出してくる。
化け物が絶叫する。
「あぐばるぐぅ ぐぁぐばぐぅ がぁるばぁずぅ …………」
同じ言葉を繰り返す。徐々に意味が鮮明となる。
それは『ハルバリデュス』と叫び続けているのだ。自らが王であり、国であることを固持するかのように。
救いの道はあるのだろうか? 迷いながらも剣を振るう。
俺に振り下ろされ、打ち付けられようとする四本の腕を弾き返す。
その醜く歪みながら、自在に長さを変える腕には魔力が込められているのか。
単純な打撃ではない。剣を交えるごとに、剣気が吸われていくような。
生半可な剣気、生半可な武器では、受け止めることすら困難だろう。
だが、俺の手にあるのもまた『ハルバリデュス』
腐敗した、憎悪の結晶ではなく、救国の希望。
「おおおおおおおおぉおおおおおおおぉおぉぉぉぉぉぉぉ!」
すべての力を解放したくなる想いを抑え、必要最小限の力を注ぐ。
身を守ることを忘れ、ただ一心に剣を振りかざす。
ひとたびの躊躇。
その間に、二撃、三撃と狂乱の攻撃が俺の体を打ち付ける。
が、その全てを俺の体は弾き返す。砂粒一つ分の幅すら後退しない。
代わりに踏み込む。
気合など入りようもない。ただ、斬れるものを、斬れると知っているものを両断するために。
熱したナイフでバターをわけるように。
双頭であったのはあるいは俺に与えられたわずかな慈悲だったのか。
単純に、相手を縦に、その中心を均等に切り裂こうとする意思は、父とそしてもう一人の顔を狙うことに繋がらない。
二つの首の付け根から、ただ真っ直ぐに切り裂いた。
その行為を自覚し、体に染みつけるためにあえて剣から放たれる刀身を超えた刃ではなく、俺の手と繋がる現実に存在する刃のみに力を注いで。
やけにあっさりとそれは為された。
フライハイツはなんの困難もなくそれを為さしめた。
二つに別れ、びくんびくんと脈打つ欲望の成れの果てが、正気を取り戻すことなく、人語を再び発することなくその活動を終わらせたのは、俺の意思がそう望んだからなのだろうか?
王であったもの、王妃であったものを見据えながら、しばし時の流れを忘れ呆然とたたずんだ。
所詮は飾りだったのだろう。見捨てられつつあったのだろう。事実そうされたにすぎない。
それでも反乱軍は王を求心力を――そんなものがあったのかどうかすら怪しいが――、失い瓦解する……はずだった。
少なくとも統制を失い、個別に対処していけばやがて平和が取り戻される。この時はそう信じていた。
障害のない単純作業。
噂は伝わっていくはずだ。オフパルシュツンが取り戻された。反乱軍を率いていたゾゥワィルム・ハルバリデュスは討たれた。そしてそれを為したのはどうやらハルバリデュスの血を引くものである。
俺はその噂が伝わるよりも早く、未だ反乱軍が多数存在しているであろうグラゥディズの西側地域へと向かった。
たった一人で決着をつけるために。
その最後の時には最大の難関が立ちはだかっていることも承知の上だったがそれを乗り越える自信は十分にあった。
それからの期間。それは反乱軍の足取りを追う旅だった。街から街へ。
反乱軍に占拠された街を解放してまわる。たった一人で。
そもそも、反乱軍の残党がどれだけ残っていてどこにその大部分を置いているのかはさだかではない。
俺が訪れた街には小規模の治安維持を名目とする戦力が残されていただけだ。
報復を恐れ、手出しできないでいた住人に構わず、それらを討った。
ささやかな喜びと、それ以上の不安の眼差しに見つめられた俺はそんな街に長く滞在することはできなかった。
体だけを癒し、また次の街へと旅立つ。
3つ目の街で異変が起こった。
街を捨てたのか、住人はいない。
反乱軍でさえも。
ただそこに居たのは、理性を失い、目に見えるものすべてに破壊の限りを尽くす怪物だった。
ゾゥワィルムのように、双頭ではない。頭はひとつ。腕も足も二本。だが、明らかに人間の姿を失っている。
全部で5人(5体?)いただろうか?
無慈悲にそれを切り捨てた。
次の街でも事態は変わらない。そこに居る化け物の数が増えただけだ。
そして、次も。その次も……。またその次も…………。
とある街に着く。相変わらず化け物だらけだ。問題はその数。
どう考えても、街の人間がほとんど化け物となったとしか考えられない。




