第十五話 クエスチョン
「ルート、おい! ルート」
俺は……。体が重い。ここは……? いや、場所は移動していない。感覚がそう告げている。
どうやら、俺は地面に横たわっているようだ。
その俺の体を揺すりながら声をかけているのはロイエルトだろう。
頭はまだ、ぼんやりしているがなんとか体は動かせそうだ。
ゆっくりと体を起こす。
「気が付いたか!?」
目の前にはロイエルトの顔があった。
こういう時に、一番に視界に入るのが野郎の顔ってのはちょっと嫌だな……。などとは、本人を目の前にしてぼやく必要もないのでその想いは胸の中に留めておく。
「ああ……」
起き上がりながら記憶を辿る。
混乱していた。ただ、突き動かされるように少女とこの場所へ来て……。
!!!!
鈍いながらも記憶がよみがえる。
竜魔術師。超長距離魔術攻撃。グラゥディズ。アリシア。
不安や動揺が体中を駆け巡る。それと一縷の希望も。
周囲を見渡す。
あれだけあった木々が……。広範囲にわたってすっかりと失われている。同じ範囲の地面も抉られ、ところどころ焼け焦げている。
足元に視線を落とす。
そうだ。俺の為すべきだったこと。アリシア達へ向かう魔力の流れ、悪意を、光の奔流を食い止める。
それが成った証しとして。俺の足元の地面は抉られていない。焼け焦げていない。
そのか細い護りの証拠として、俺の背後には途が出来ている。
超長距離魔術攻撃を遮断した一筋の希望の途が。
「さっきは助かった。いや、ルートに礼を言うべきか、そっちの女の子に言うべきなのかわからんが……」
ロイエルトが言う。
礼? 何があった? おおむね想像は付く。想像は付くが……。
レヒトとの会話を終えたところで俺の記憶は途絶えている。
魂の譲渡……。契約は遂行されたのか?
そうであれば、アリシア達は……。
いや、それならば、どうして俺は……?
「記憶には残っていないでしょうね」
少女の口から……、レヒトによるとレン、あるいはレンレンという名を持つ存在の口からそんな言葉が漏れた。
「えっと……、君は……」
今さらながらに少女の正体を問う。先ほどまでとは……オフパルシュツンで出会った時とも、それからベルさんと合流すべく、ロイエルトと歩んできた道中とも、レヒトが現れる以前と以後で、少女の佇まいがまったくもって異なっている。
今なら、聞き出せそうな。いや、語ってもらえそうな気がした。
そして、その予感は一部において真実となる。
「さきほどの話は聞いていました」
話と言うのは、レヒトとのことだろうか?
俺は、少女に向き直り、呼びかける言葉を探す。
「レン……レンレン?」
「今はレンで結構です。
おひさしぶり……と言う言葉はあなたには適切ではないでしょうね。
そして初めましてというには機を逸しているでしょう」
少女が語り始めたそばから、ロイエルトが耳打ちをしてくる。
「……なにやら、さっきから雰囲気が違うようなんだ。
といっても、俺とは話をしたくないようで何を聞いてもだんまりだ」
「ああ」
と俺はあいまいに頷いて、レンとの会話に戻る。
「君が……力を貸してくれたのか?」
「力を貸すという言い方は好きではありませんが、まあそういうことになるでしょうか?」
「あいつは……、さっきまで君の中に居た……?」
にわかに信じがたい話ではある。この少女はこれまでに、この短い期間で三つの人格を宿したように思える。
あどけない、謎めいた無垢な少女。出会った時の人格。
そして魔王の側近と名乗った少年……なのか、性別はおろか、年齢も不詳だが、なんとなく少年っぽい感じを受けた。一人称が『僕』であったということも影響しているのか……謎めいていて、いきなり現れていきなり消えた人格。
そして、今目の前にいるこの人格。
一人芝居の類ではないのなら……、多重人格か? それとも何か理由があってのことなのか。
「お疑いかもしれませんが、先ほどあなたとお話をしていたレヒトという存在はここには……、私の中にはもうおりません。
あの方の役目は、あなたを、ルート・ハルバードをこの地へと導くこと。
そして、私の力を使って仲間を護り抜かせること」
「役目? 魔王がどうこうって言ってたが?」
「何の話だ!?」
ロイエルトが話の腰を折りに来る。
さらには、
「ルートは状況がわかっていないようだから言ってやろう。
あれこそが、竜魔術の力だ。
遠く離れた街から街へと、なんの警告も無しに発せられた竜の力……」
そこまで言ってロイエルトの言葉が止まる。
何が起こったのかはわからない。
ただ少女……レンは静かに首を振っていた。
レンとロイエルトから代わる代わりに説明を受けたところによると、やはりこの場所はオフパルシュツンから発せられた魔術の攻撃が通過した地点であったようだ。
俺は、どういうわけだかその攻撃を事前に悟り、この地に赴いた。
レンを伴って。
ロイエルトもほどなくして追いついた。ちょうどレヒトが消えた後だろう。
そのあたりからの記憶は俺には存在していない。
が、レヒトと俺の会話を聞いていたレンにはこれから何が起こるかがわかっていた。
俺が何を望むのか。それ以前に自身が生き残るためにとらなければならない行動を。
レンは魔術を遮断する障壁を作った。
逃げることも出来たはずだ。だが、それを選ばなかった。俺のために。俺の願いをかなえるために。
だが、街を護るほどの力はない。ただ、俺と、レンと、そして後からやって来たロイエルトを匿うだけの、ほんの小さなバリアだ。
そして、その背後に、俺達の作った壁の延長線上にアリシア達が居てくれることを願って作られた微かな希望の壁。
「今の私は、とても無力です。
人の力を……、ルートさんの力を借りねば、あのような魔術を遮断する障壁など作れようもありません」
「俺の力?」
「ええ、あなたに眠っている力……。あなたが持ちながら、未だ使いこなせていない力。
あなた自身は使い方を知らなくとも、私にはわかっています。
その力がなんなのか。そして、その力を借りる術も」
「アリシア達は助かったのか?」
俺は思い浮かんだことをそのまま尋ねた。俺の力のことなんてあとでじっくり聞けばいい。
「どういうことだ?」
ロイエルトが疑問を口にする。
「レヒトの言葉が真実であれば、この場所で魔術を遮断したことにより、ルートさんのお仲間の身は護られた。そう考えるべきでしょう。
ですが、私にはそれが真実であるのかどうか、現時点ではわかりかねます」
レンの言葉はロイエルトの問いに対する答えになっていない。
もどかしく思いながらも俺はロイエルトに説明した。
レンの体を借りて姿を現したレヒトの存在やその言動を。
竜魔術師の超長距離攻撃魔法や、俺とアリシア達との位置関係を。
「信じられんな……」
「ああ、俺も完全には信じちゃいない。
グラゥディズまでは遠く離れている。
だが、そもそもオフパルシュツンから魔術が放たれることすら俺達には知る由も無かった。
だけど、それがわかった。ということは、その他の事も真実であることを信じることもできるってことだ。
ただ……問題は……」
俺の頭に浮かんでいた懸念。そう、のんびりと話をしている場合ではないかもしれない。
情報は力だ。無知は不利に繋がりうる。
だとしても、あれほどの威力の魔術の攻撃。
二度目があったとしたら……防ぎきれるか?
それ以前に、一度目の時のように攻撃のタイミングがつかめるのか? 掴めたとして……、グラゥディズでアリシア達が無事にいてくれるとして、再度盾になることができるのか?
そういった懸念がある以上、この場に留まっているのは得策ではないのかも知れない。
アリシア達が無事であれば、街でそのまま居座っている可能性は少ないだろう。どこかへ避難するはずだ。
だが、そこを狙われたら……?
どうする? アリシア達の元へ向かうべきか。それとも、オフパルシュツンへと向かって魔術師の軍団を制圧するか。
俺の力で? 一人で? よしんばロイエルトが協力してくれたとして……。
レンにも戦闘の能力があったとして……。
おめおめと逃げ出してきた場所へと再び戻るのか?
「大丈夫です。二射目はありません」
レンはきっぱりと言い切った。
「どうしてそんなことがわかる?」
ロイエルトの問いに軽く頷きながら続ける。
「あれは、人間の体を構成する精霊を触媒にしたいわば自爆の術。
先ほどの範囲を攻撃するだけで何十人もの魔術師の命が失われたことでしょう。
そして彼らの……、いえ、命を賭した魔術師達ではありません。
魔術師たちの背後で号令をかけた者。
いわば、この事変の黒幕の目的は既に果たせられました」
黒幕? 目的? そして、なにかと物知りげなレンの言動。
謎が深まるばかりだ。
だが……、俺は傍観者ではない。知る立場にある。
知ったうえで、体を動かすことが出来る。
ならば、今知れることを。真実を。少しでも手に入れることが重要なのかもしれない。
だが、レンの言葉はそこで終わった。
最後に意味深な言葉を残して。
「ルート・ハルバード。
レヒトが知っていたという未来。
それは可能性の範疇でしかない。
その程度なら、私にも未来を占うことができるでしょう。
前に進むのなら……、それはオフパルシュツンへの道。
あなたの父親と対峙し、真実を知るためへの分岐。
そして、仲間の身を思うあなたが選びそうなのは、もうひとつの道です。
グラゥディズへと戻るという選択肢。
ですが、その先には……あなたの死が待ち受けているかもしれません」
それだけを言うと、レンは崩れ落ちるようにその場に倒れ込んだ。
「おい! レン!? どうしたんだ!?
レン! レン!」
体を抱き起す。
少女の瞳が再び開く。だが、そこに灯っていたのは無邪気な輝きだった。
「レン……、あっ! 名前思い出した!
あたしねっ! レンレンって言うの!
お兄ちゃんが付けたくれた名前!!」
まいったな、こりゃ……である。
結局、何がわかって何がわからなかったのかすらわからないまま中途半端な情報だけを与えられて放り出された。
だが……レンは言った。真実を知るためにはオフパルシュツンへと向かうべきなのだと。
ならばそれに従うべきか。
だが、もう一方の道。グラゥディズ。これも安全な道ではないのだろう。
そしてそこには仲間が居る。
俺の死が待っているかも知れない場所……。ならば……そこには……仲間の死さえも待ち受けていないのだろうか?
俺は、選ばなければならない。与えられた情報だけを頼りに。
前へと進むために。




