第十一話 フェイタルエラー
これは夢だ。わたしは夢の中に居る。
ここはグラゥディズではない。グニューヴァの、長年暮らした生家。
暖かい暖炉の前に座って……。隣にはマリシアが居る。6歳? 5歳?
まだルートと出会う前の頃……。
父が居て、ポーラが居て。でも、もう母は居ない。
ポーラがわたしに物語を読んで聞かせてくれていた。
英雄のお話。
子供向けの……、魔竜戦役の話。
まだ、魔竜戦役なんて言葉も知らなかった頃。
その時は……、それが事実だとは信じていなかった。
たかだか2~300年前のことなのに。
竜が狂い、国が滅びかけ、多くの人が死んだという。
わたしは幼くして母を失くした。
でも、父が居た。マリシアが居た。ポーラが居てくれた。
沢山の使用人達。
恵まれていたのだろうと今になって思う。
今の、16歳のわたしと、5歳のわたしが交錯する。
わたしの意識は再び、ポーラが語る物語の中へ没入する。
絵本とも童話ともつかないそのお話は、英雄の活躍を主軸に描かれる。
突然現れた英雄。成長し、強くなり、仲間を集める。海を渡る。そして竜と戦う。
英雄は竜の本拠地であるハルバリデュスへ。
そこからの戦いは描かれない。
ただ……、平和が……人間にとっての平和が取り戻された。
だから、今、(5歳)のわたしは何不自由なく暮らせている。
英雄が帰還する。
みんなが喝采を上げる。街ではパレードが沸きおこる。
騎士たちが行進する。足音に乱れはない。
ザッザッザッザッ……ザッザッザッザッ……。
やがて騎士たちが近づいて来る。
足音が大きくなる……。
ザッザッザッザッ……ザッザッザッザッ……。
やがて足音は木戸を叩く音に変化していく。
コンコンッ。コンコンコンッ
「アリシアさん、夜中にすいません。起きてください」
夢から覚める。足音はドアをノックする音に変わっていた。
「あっ、はい……」
わたしが応えると、ノックは止んだ。
「すみません、夜中に……」
パルシ様と同居している少年、リーヤの声だろう。申し訳なさそうな、それでいて芯の通った口調で。
「リーヤさん?」
「急いで、出かける準備をしていただけませんか?
詳しいことはパルシ様が。
僕はこれから、プラシさんを起こしに行きますので」
眠い目をこすりながら、起き上がる。出かける準備? どうして?
それはパルシ様が教えてくれるのだろう。
リーヤは知らされていないのかもしれない。
まずは着替え。後は軽く髪を整える程度。最小限の身支度で、部屋を出る。
荷物は……、必要なら後で取りに来ればいい。
「不穏な気配を感じてな……」
わたし達三人の前でパルシ様は切り出した。
「リザード達を狂わせた邪気……、いやそれよりももっと濃い何か。
邪気とは別の物かもしれんが……。
街を包み始めておるかもしれん」
「僕たちは……何も感じませんが……。
アリシアはどう?」
プラシの問いかけに、
「う~ん……」
と首をかしげる。率直に言うと、なんの気配も感じられない。
リーヤはただ黙ってパルシ様を見つめている。
「何もなければよい。何もなければよいのじゃが……。
感じた以上は確かめずにはいられない。
じゃが、儂は歳老いた身。
リーヤと二人で行くことも考えたが……」
何かあった時、二人よりも四人。それに、ばらばらに行動するよりもまとまって行動していたほうがいいに決まってる。
プラシは魔力が回復していないし。放っておくことはできない。
「いえ、一緒に行きます。ね? プラシ?」
さすがに、昼間にあんな騒動があったばかり。街は静まり返っていた。
それに、夜間は極力出歩かないようにとギルドからも指示が出ている。人気はほとんどない。
月は雲に隠れて見えない。星明りを頼りに、リーヤの先導で進む。
リーヤはパルシ様の腕を取って支える。
もう何年もこうして二人で暮らしてきたのだろう。
リーヤはパルシ様の目となり、パルシ様は目となるリーヤを信頼している。
家を出てからしばらくは、パルシ様が気配を探って立ち止まることが多かったけれど、目指す方向は決まったようだった。
それからは、ただ黙々と歩み続ける。
旧ハルバリデュス王国の王城。いわば街の中心部。ギルドもあれば要人達の私邸もある。
警護の騎士や冒険者の姿がちらほらと見え始めた。
好奇の視線が向けられているのかもしれない。でも、直接的には干渉してこない。
「王城に入るんですか?」
プラシが聞いた。
「必要であればな」
パルシ様が短く答える。
城がどんどん大きくなる。曲がり角を曲がる。ここから城の入り口までは一本道。門が見える。
「そのまま進みますか? それとも引き返したりはしませんか?」
ふいに後ろから声を掛けられた。振り返ると一人の少女が立っていた。
歳はわたしと同じか少し小さいくらい。背もわたしよりちょっと低い。
長い黒髪で、どこか芯の強そうな、それでいて可愛らしい少女。
黒いマントを羽織っていて、体のラインは見えない。でも顔つきから思い浮かぶ少女の体はどこか華奢なように思える。
「なるほど、この気配の主はお前か」
パルシ様の言葉に少女は、
「そうだと思いますか? それともそうじゃないと思いますか?」
と、感情を押し殺したような返答を返す。
「そうだと言ったはずじゃが?
お前は人間ではないな?」
パルシ様は質問を投げかける。光を失った双眸にそれでも厳しい感情が籠っているのが伝わるようだ。
「あたしは人間ですか? それとも人間ではないですか?」
再び少女は問いかえす。
「人の形をしておるが……」
わたしはプラシと顔を見合わせた。プラシも良くわからないと言った表情だ。
相手がパルシ様でなければ、この少女が人であることを疑うことはなかっただろう。
それどころか、ここまでやってくることもなかった。
わたし達には感じられないなにか。それをパルシ様は感じている。
ならば、ここは任せるしかない。
ベルさんでも居れば、「正解したら何が貰えるのよ」なんて横槍を入れるところだろうけど。
「人の形に見えますか? それとも見えませんか?」
ふいに少女の姿が歪む。少女とその周囲を包む境界がおぼろげになっていく。
少女の瞳に映っていた街や私たちの姿が、少女の後方の風景に変わっていく。
少女を包む黒いマントが、少女の背後の景色と同化していく。
どんどん姿は薄くなり、見えなくなってしまった。
「あたしは人ですか? それとも人ではありませんか?」
少女の姿はもう見えないのに。声だけが響く。
パルシ様はそれには答えない。ただ身構えた。パルシ様から魔力の高まりが感じられる。
パルシ様はこの状況を危機だと判断した? ううん、何事にも備えは必要。
わたしも、いざという時のために、魔術を使えるように準備を……。
「あなたたちは生き残れますか? それとも……」
少女の声がかすれて聞こえなくなるのと同時だった。
あたりを、街中を、まばゆい光が包む。
ただの光ではない。熱線。光の魔術の集約にも似た……。
それでいて、一個人では為し得ないほどの大魔力の奔流。
一瞬で悟ってしまった。街は滅ぶ。目指していた王城は瓦解する。
光に飲まれ、パルシ様も……リーヤも……プラシも……。
そしてわたしも……。
声を出すことすらできなかった。
わたしはもちろん、パルシ様ですら、防御結界を張る時間さえ与えられなかった。
もがくことすら許されなかった。身じろぎすることすらできなかった。
ただ、なすすべもなく暴力的な光の洪水に飲まれていく。
人生の終わりには走馬灯が浮かぶ? それは嘘だと思った。
たしかに、一瞬の出来事の中で様々な思惑が浮かんでは消える。
最後の時を迎えて思考能力は、拡大を見せている。高速で回転する。
だけど、それは現状を把握するので精一杯だった。
幼き日々の出来事なんて思い起こされない。
ただ……。
ルートの顔が浮かぶ。
わたしは……もう……ルートに会うことは……。
できない……の……だろう……。




