第二話 アシッド ~ 招かれざるモノ?
「これはいったいどういうことですかな?」
正座して下を向くポーラさんに、そう尋ねるのはこの船の船長。
自称、キャプテン・アルカダ。巨乳のおばさん、いやお姉さんだ。アルカダさんと呼ぶと怒る。おばさんなんてもってのほか。
この船に乗っている限りキャプテンと呼ばなければならない。お姉さん扱いしなければならない。
ポーラさんはそのまま土下座しそうな勢いで、
「本当に、申し訳ございません!!
わたしの監督不行き届きでございます。いえ、最初はファーチャさんもほんの出来心、最後のお別れぐらいはせめてゆっくりと……。ルートさんと離れる最後の最後まで近くで同じ時を過ごしたい。
そういう乙女心は尊重して差し上げなければならないと思いまして……。
出港の間際にお顔を見せて、驚かす。と、まあただそれだけの計画だったという訳なのですが……」
「それがなんで今になって現れるのよ!」
今度はアリシアが語気を強めながら、いや完全に怒り口調だ。
「気が付いたらファーチャさんと二人で眠ってしまい……。
起きた時には海の上で……。言いだすにも機会が失われてしまって……」
「それで密航者の真似事を……。
ほんとに……ポーラが付いていながら……」
プラシが大きなため息をついた。
気持ちはわかる。というか俺もさっきから何度ため息をついたことか。
既に出港して数日。
定期船の運航がストップし、グラゥディズへ向かうために特別にチャーターした船には最小限の乗組員しか居ない。どんな状況になるかわからないから食料などの備蓄は十分。
他には客を乗せていない。
ポーラさんとファーチャが、今まで見つからなかったのも仕方ないと言えば仕方ないが……。密航しやすい環境だったというのはそりゃあそうなんだけど。
「ようやく捕まえたわ! どうする? 縛り上げる?」
「はあ、油断したわ。小さな子供だと思ってたらやるじゃない。
さすがは、ルートちゃんのお友達なだけあるわね」
シノブとベルさんに抱えられてファーチャが連れてこられた。
今の今まで逃げ回っていたのだ。見つかると即投降したポーラさんと違いファーチャは往生際が悪かった。
「お友達じゃないもん! 恋人だもん!」
じたばたと体を揺すりながらも叫ぶファーチャに、
「密航者はサメの餌ってのが海賊のしきたりなのですが?」
キャプテンが言う。
「俺達の乗ってるのって海賊船だったっけ?」
とプラシに聞くと、
「船を見る限りは全然そうじゃないんだけど、キャプテンが海賊だって言ってるんだからそうなんじゃない?」
と小声でささやいてくる。軽口でも叩いてないとやってられない。
「エイホー、エイホー、海賊だ……
逆らう奴はサメの餌……。
そうだな……、俺達ももはやこの船に乗っている以上は海賊だもんな。
ファーチャとポーラさんには悪いが、海賊のしきたりには従うしかないな……」
「「えっ!」」
ポーラさんとファーチャの顔が真っ青になるのを見て、アリシアだけがクスリと笑った。
後戻りをして時間を失うよりも今は一刻も早くグラゥディズ大陸を目指すべきだという圧倒的多数の意見――反対意見はポーラさんの一票のみ――によって、ファーチャとポーラさんを乗せたまま船は進むことになった。
最悪船に待機させるか、状況によってはそのままキャプテンともども引き返してもらえばいいだろう。
「ねえ、キャプテン? ここってグラゥディズからこっちへ向かってくる船も通る海域で間違いないのよね?」
とベルさんがキャプテンに尋ねる。
「ええ、そうです。やはり、船は見当たりませんか?
定期便が途絶えていないのであれば、もうとっくにすれ違っていてもよいのですが?」
「かなり広範囲を探ってみたけどね。
船の気配は感じられないわ。
風向きとかの影響でまったく違う航路を通ってるってことはない?」
「この季節、そして風。
まともな船長であれば、この航路を選ぶでしょう。
どうします? このままグラゥディズからの船と接触できそうな進路を取るか?
それとも、到着を優先して最短航路へと舵を切るか?」
ここ数日何度も繰り返されてきたベルさんとキャプテンの会話。
少しでも現地の情報が得たいと考えたベルさんは、グラゥディズからマーソンフィールへ向かう船を補足しようと考えた。
キャプテンの話を聞く限り、そう遠回りにはならない。せいぜい数日のロスで済むということ。
早く着くに越したことは無いが、時は金だとはよく言われるが、情報だって貴重である。インフォメーションイズオルソーマネー。
現地の情報が、最新の状況が知りたい。俺も他のみんなも賛成した。
グラゥディズからの船とすれ違えるような航路を選択し、ベルさんが魔術で周囲に船が無いかを探索する。
運よくというか、運がいい方に転ぶ前提だったが、グラゥディズからの船を見つけて、接触して情報収集を行うというのが当面の目標であり課題であり作戦の一環。
だが、結局は無駄足だったようだ。定期便はおろか、小舟の一艘すら見つからない。
「そうね。このまま進んでも……。
そろそろ見切りをつける時かもしれないわね。
キャプテン、最短航路を。ルートちゃん? それでいいわね?」
「ええ。どうせグラゥディズが近くなればまた、向こうから出た船とすれ違う航路へと合流するんですよね? キャプテン?」
「まあ、それはそうだが……、それよりも……」
言い澱んだキャプテンにベルさんが重ねて、
「そうよね。この船をどこに着けるか?
よね? キャプテン」
「ああ、それはそちらで決めて貰わねば」
そうだった。俺達がグラゥディズの情報を求める最大の理由。
それは、港の状況を確認すること。
正規軍側が港を守り通しているのであれば、要塞都市グラゥディズの最寄りの港。港町ポートヘールツへ向かえばいいだけのことだ。
だが、向こうから船が出ていないのであれば……。ポートヘールツが万一反乱軍に抑えられているなどの事態であれば。グラゥディズからの船が来ないのがそういうことなのであれば。
行先を変更しなければならない。別の港、あるいは反乱軍の勢力範囲外へと。その反乱軍の勢力範囲というのが現状まったくわからないのだ。
未だに、根城であるオフパルシュツンにとどまっているのか?
そこから、グラゥディズのみを攻めるべく進軍しているのか?
それとも、他の街を籠絡すべく、周辺地域へも攻撃の矛先を広げているのか?
さっぱりわからない。
「まあ、こっちは船なんだから。
陸の近くまで行って、なんだかまずいことになってそうだったら海へ逃げればいいんじゃない?
とりあえず、最初の目的地、グラゥディズの最寄であるポートヘールツを目指しましょう」
もう十年も前になるのか。
ハルバリデュスから、マーソンフィールのあるホクタロットへ。ゴーダと二人で渡った船。
あの時は、手厚く保護され船室から出ることを許されなかった。
読書読書の毎日だった。
今回は違う。
沢山の仲間、それに密航してきたおまけつき。
他の客も居ないから、船員たちの迷惑にならなければ何をしたって怒られない。
ポーラさんがあり合わせで、魔術の練習ルームを作ってくれたり、甲板や空いている倉庫室でシノブやベルさんと手合せしたり。
退屈はしなかった。
たったひと月あまりの時だったが、伸び盛り、成長期な俺達は毎日毎日力を付けていく。
ギルドでの依頼のような臨機応変、ケースバイケースでの対処法を身につけられるような経験を積むのもいい修行になっていたのは間違いない。
だが今回のように期間が限定され、さらには他にすることがないという環境は、また違った意味で俺達を大きく成長させた。
俺達はキャプテンにデッキに集められた。
「そろそろ陸が見えるころです。
ご依頼のとおりに、ポートヘールツへの針路を取っています」
キャプテンが、望遠鏡を差し出す。
ベルさんがそれを俺に渡す。
「なんにも見えませんが……」
「ああ、そろそろとはいってもあと小一時間というところでしょうか?
なにぶん目印になるような小島も何もない海域でしてな。
寄ってくる船が無いか、大陸の影が見えてこないか?
我々も注意は怠りませんが……。
あいにくの曇り空です。視界は悪い。
ですが、ポートヘールツまでは目と鼻の先と言っても過言ではない」
「何かあった時の判断をすぐに決定して、全員に知らせるためにもここで待機していた方がいいってことね?」
ベルさんの言葉に、
「まあ、そういうことです」
とキャプテン。
しばらく交代で監視を続ける。手の空いたものは軽食をつまみながら。
「あっ!」
望遠鏡を覗き込んでいたファーチャが声を上げた。
「どうした?」
と皆が駆け寄る。
ファーチャと同じように望遠鏡を眺めていたプラシに対して、
「何か見えたか!?」
と聞くが、プラシは、
「僕の方は何にも……」
「貸して!」
とベルさんがプラシから望遠鏡をひったくる。
俺もファーチャに望遠鏡を譲ってもらう。
「こっちもまだ何も見えてませんが……」
キャプテンの声にファーチャが、
「だって、見えたんだもん! 煙が上がってるのが!」
「煙? ファーちゃん? どっち?」
とベルさんがファーチャに方向を確かめる。
「煙なんて見えないわねえ……」
「ですが、もうそろそろ見えてきても良い頃です。
方角はお嬢さんの言うとおり、そちらがポートヘールツですから」
さすがは海の女である。うっすらと見え始めてきているグラゥディズ大陸の山々の地形から、街の位置を把握している。
「もう少し、もう少し近寄ってみましょう。
ファーちゃんは、他にもわかったことがあったら教えて頂戴ね」
実際のところ煙なんていうのは上がっていなかった。
この状況から察するに、その時には多数の煙が上がっていたのだろう。
それがいつなのか。数日と言った期間では無いように思える。
グラゥディズで反乱がおこったという情報がマーソンフィールへ伝わるのにひと月。
そして、俺達がグラゥディズに到着するのにまたひと月。
その約二か月間の中のいずれかの時点で。
ポートヘールツは、街としての姿を失っていた。
家々は焼け落ち、砕かれ、道も港も瓦礫で埋もれ。
人の気配を感じない。生活することが叶わない。
変わり果てた姿の元港町の姿がそこにはあった。
小舟に乗り換えて上陸した俺達は……。
いきなり数十人の軍勢に囲まれた。
「あ~、なんかもう完全に終わった街だと思って探索魔術で調査するの忘れてた~!」
ベルさんが嘆く。
「いえ、ちゃんとわたしが、調べときました……けど……。
人間の気配なんて感じなかったのに……」
とアリシアが言う。
気を緩めていたわけではないが、相手は探索をかいくぐるなんらかの方法を取っていたのに違いない。
大勢の冒険者風の軍団。その中から一歩踏み出す一人の男。
この中ではリーダー格なのだろう。年齢は俺と同じようなもの。
長く伸びた髪は無造作にくくられ、伸び放題の髭。
悪く言えば山族、良く言っても傭兵のような出で立ち。
「待っていたよ。ルート・ハルバード。
きっと来ると思っていた」
俺は、相手の顔を見つめた。様々な感情を想起する、ある意味では懐かしい顔。
野蛮でどことなく下品な風貌に似合わぬ、鋭い眼光。
「お前は……、ロイエルト!?
まさか、反乱軍に!?」




