第七話 メモリー ~ 母と子
王都マーフィルへ帰ってきた翌日。
今日はギルドへは行かず、ファーチャの元へ行くようにアリシアからも勧められた。
昨日は、アリシア達が依頼から帰ってくるのも遅くて、ファーチャのところへは行けなかった。
だから今日は朝一で行けという。
フィデルナーの屋敷に着くと、家の前を掃き掃除をしているポーラさんに出会った。
「あっ、ポーラさんお久しぶりです」
「おお、お久しぶりでございます。ルートさん」
瞳が輝いている。
「朝っていいですよね。心が洗われますよね~。
朝日っていいですよね~。
心に沁みわたりますよね~」
なんだろう。この心のこもっていない台詞。
「ちょっと悪いんだけど、ファーチャを呼んで来てくれる?
ルートが来たって……」
という、アリシアの言葉の途中で、家のドアがバタンと大きな音を開けて開き、飛び出してくる小さな影。
「ルゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥトォォォォォォォォォォ!!!!
ルート!! ルートルートルートルートルゥゥゥゥゥゥトォォォォォォォォオオオオオ!!!!!!!!」
恒例行事のようだ。まあ、しばらくぶりだし仕方ないか。
今日は、全部間違えずに『ルート』と呼んでくれたようだ。あとで褒めてやろう。
「バカ!バカ!!バカ!!バカ!!!!
なんで黙って行っちゃうのよ! なんで連れてってくんないのよ!
なんで、放って置くのよ!!」
俺に抱きつきながら、俺の周りをぐるぐるとまわりながら、俺をポカポカと殴るという器用なことをしてくるファーチャ。
「これ、ファーチャさん、はしたないですよ。落ち着いてください」
とポーラが窘めるが、効き目はまったくない。
「寂しいじゃない! 悲しいじゃない! 涙がポロポロでちゃうじゃない!
ルート! ルート! ルート! ルート! ルートォォォォォ!!」
そして、ファーチャは俺にすがりつくように抱き着いて動きを止めた。
一件落着か? 落ち着いたか?
「なんですか? 朝から騒々しい……」
ドアの奥から人影。ファーチャの母親だろうか……。
優しい笑みが俺に向けられる。息が止まる。涙があふれ出そうになる。
少し前の俺だったら泣いていたかもしれない。その胸に飛び込んでいたかもしれない。
ファーチャのように自分の気持ちに正直に人目も気にせず馬鹿みたいに叫びこそしないだろうけど。
俺は高鳴る鼓動を抑えて、静かに言った。
「はじめまして。ルート・ハルバードといいます。
駆け出しの冒険者をやっています。
先日は、ファーチャさんとご主人様にお世話になりました」
自然を心掛けて一句一句、噛みしめるように話した。
「はじめまして。ルートさん。
お噂は、主人と娘から聞いています。
シーファ・フィデルナーです。
こちらこそ、家族がお世話になりました」
シーファさんは……、丁寧にゆっくりと姿勢正しく頭を下げてくれた。
中に案内された。
今日は臨時でお勉強も魔術の練習も免除されたファーチャはソファの俺の横にちょこんと座る。
今日は、長い髪をツインテールに結んでいる。俺の嗜好には存在しない髪型だ。
昨日のうちにアリシアから軽く聞いていた話だが、世間話として、最近のフィデルナー家の様子を聞く。
俺の方は特務だから、本来であれば行先もその期間ですらも口外できないという事情もあった。
「ほんとに、ファーチャさんはルートさんがお気に入りのようで。
いえ、魔術は熱心なんですよ。お勉強も真面目にやってくださいます。
アリシアさんとは大違いです。
ですが、合間合間にルートさんのお話を聞かせてくれとそれはもうしょっちゅうしょっちゅう……」
「だって、好きなんだもん! 大好きなんだもん! 聞きたいんだもん!」
「帰ってきてくださってほっとしてます。
最近ネタ切れ気味で……」
ポーラさんが、ため息交じりに言う。
さっきからチラチラとアリシアの顔色を窺ってしまっている俺だが、アリシアは落ち着いた表情をしている。
「逃げるのよ! ポーラったら!
お母さんのお手伝いがあるからって!」
「ですが、それは本当のことで……」
「そうよ、ファーチャ。わたしが頼んでいることなんですから」
「良かったわね。ポーラ。ついでに花嫁修業が出来て。
シーファさんなら、主婦として天下一品だもの」
アリシアの言葉にシーファさんが、
「わたしはごく普通に、自分に出来るだけのことをやってるだけなんですけどね」
「いえいえ、ほんとうにお勉強になります。
ためになります。この数か月で見違えるように人間力を伸ばしている自分を自覚しておりますよ。わたくしは」
ポーラさんに疲れが見えるのは気のせいだろうか?
だが、甘い顔をしてはいけない。真人間に立ち直れるかどうかを試されているととらえるべきだ。
その後も世間話に花が咲く。ファーチャが、ポーラさんが、アリシアが、シーファさんが思い思いに、それぞれのエピソードを語る。
俺はともかく、この女子四人。俺の居ない間になかなか親交を深めたらしい。
ファーチャとアリシアもぎくしゃくすることなく。
心配が杞憂に終わって俺はほっと胸をなでおろす。まあ、完全にアリシアが一歩退いてファーチャと接してくれているおかげなんだけど。
ここのところのアリシアの包容力と言うか、懐の深さはちょっと感心してもしきれないほどだ。
シーファさんとの出会いも大きかったのかもと勝手に思う。
そのシーファさんが立ち上がり、
「ちょっと、ルートさん。お話があります。
こちらへ来ていただいてもいいですか?」
と俺を呼ぶ。
「あっ、はい」
さすがのファーチャも自分の母親にまでヤキモチは妬かないし、それ以前にしっかりと躾けて貰っているようだ。
シーファさんの前だとそれなりに大人しく、それなりには普通の子だ。
俺が出ていくことに文句も言わない。
「おかえりなさい。ルート」
シーファが……シンチャの顔になって言う。
「……ただいま。シンチャ」
静寂が流れる。あれからお互いいろいろあった。
言葉にならない。言葉にできない想い。
もうあの時へは戻れない。だから、今はこうして再び出会えただけで充分だ。
俺を迎え入れてくれるシーファの心づかいだけで。
「ゴーダのことは、アリシアさんからも聞いたのですが……」
「うん。相変わらず頑固で……。
頼りがいがあって、みんなに好かれて。
病気になったり元気になったり……。
俺を冒険者するために力をくれて……」
「ゴーダのことだから、決して後悔するような生き方じゃなかったと思います。
ゴーダが居たから今のルートがあるんでしょう」
「うん……」
再びしばしの静寂。
そしてシーファが本題に入る。
「わたしは二人の子供を育てました。
ひとりはファーチャ。そしてもう一人はルート・ハルバード。
どうしてなのでしょうか。
ファーチャと居る時にはよくあなたのことを思い出します。
あなたたちには、同じような不思議な雰囲気を感じます。
偶然、思い過ごし……そんなふうに考えていたのだけれど。
小さい頃のファーチャはね、よく一人でいるときにこっそり耳を傾けてみると、『トール』、『トール』と口にしていることがありました。
それすらも偶然だと考えるようにしていたのだけれど。
ルートはハルバリデュス王家の血を引く、英雄の末裔です。魔術の才能があったり、剣術の上達が早かったり。それは、英雄の血がさせるものだと思っていました」
俺はただひたすら聞いていた。
「でも、何故だか、ファーチャにも同じような素質があるようです。
ルートほどではないにしても。
それに、旅から帰って来てからと言うもの、いえ、あなたと会ってからと言った方がよいのでしょう。
ファーチャの様子がおかしいのです。
溜めていた感情を吐き出すように。
夜ごとルート、時にはトールと寝言にまで口にするようになってしまって……」
「すみません。シーファさん。
原因は……やっぱり俺にあると思います。
だけど……」
「言えないこと……なんでしょうね」
「はい……」
「ファーチャを見ていてそう思いました。後から気づいたわ。そういえばルートも同じような感じだったって。
何か秘密を抱えた子なのだって。
わたしがファーチャの事を気に掛けるのは親としての責任。
できればあの子の考えていること、思っていることを全部知ってしまいたい。
だけど、あの子はそれを願っていない。
わたしはどうすればいいのでしょう?
ただ、願っているだけでいいのかしら?
あなたたちの無事を。あなたたちがあなたたちらしく生きていくことを。
それを信じるだけで……」
シーファの言葉には、その行為を疑うような口調は含まれていなかった。
ただ、自分の無力を嘆くような、それに近い感情。
「それで……、それだけで十分すぎるほど……です」
「少しゴーダの気持ちもわかってきたかもね。
ファーチャは、ポーラに魔術を習いだしてからまた一段と成長して。
わたしの前では言わないけど、ルートと一緒に旅に出るっていうのが態度にありありと出ているわ。
おてんば娘に育てようなんて思ったことは一度もないのに。
でも、外に目を向けて、頑張るファーチャを見ているうちに、小さな世界で留めておくのは可愛そうだって思い始めて」
そう言ってシーファは少し表情を和らげた。
そして言う。
「あの子の好きなようにさせるのが、ルートにとってもいいのなら。
いずれあの子の願うとおりにさせてあげるつもりです。
だけど、その時期はルートが考えて決めて欲しいの。
そしてそれを教えて欲しい。
今すぐってわけじゃないんでしょう?」
「ええ。今はまだ。
俺もしばらくはこの辺りで冒険者としての経験を積むつもりですから。
何時になるかは今ははっきりとは言えないけど、その時が来たときには……。
できるだけ前もって……」
「ごめんなさい。
ルートのことも、ファーチャのことも。
どっちも同じくらいに大切に思っているから……」
それはこうして話をしているだけで伝わってくる。
ファーチャの実の母として、そして俺の育ての親として。
変わりもの二人を育てたシーファだ。迷いが生じて当然。心配をして当然。
俺の方こそ申し訳なく思う。ファーチャともども……勝手に育てさせといて、出生の秘密を明らかにしないなんていうことを。
だが、今シーファにも、他の誰にも話すべきことではない。
時が来たときに、必要があれば、打ち明けることもあるかも知れないが……。
今はまだその時ではないはずだ。
あんまり長くファーチャやアリシア達を待たせてシーファさんと話をするわけにもいかない。どうせしばらくは――というかずっと前から――同じ街に住んでいるんだから、徐々にお話していきましょうということで。
また、みんなでわいわいとおしゃべりをして、お昼ご飯をご馳走になって、今日は完全に休日モード。
長い依頼の翌日なわけだから、それはそれで当然として大手を振って休んでやろう。
ということで今度はファーチャにしょっ引かれた。ストレートに二人っきりで話がしたいからと。
俺とシーファを見て思いついたのかもしれない。
俺はファーチャの自室に案内された。
どこにでもありそうな、ちょっと裕福な家庭の女の子の子供部屋。
「お、おとこのひとを……、あたしの部屋に入れるのは……、初めてなんだから!」
そう緊張せずともよかろうに。ファーチャは早くも挙動不審だ。
今日はスキンシップすら禁止だという意味を込めて、俺は机の横にある椅子を引っ張って座った。
「まあ、ファーチャも座れよ」
「ど……、どこ……、ルートの膝の……」
「いや、床でもベッドでも好きなところに」
「好きな……?」
と俺ににじり寄ってくるファーチャを視線で牽制する。
察しの良いファーチャは、諦めて床にぺたんと座った。
「あのな、折角の機会だから今後のこととか話そうと思うんだけど?」
「今後!? 今後って、まさか……、結婚とか結婚とか結婚とか!」
まともに取り合ってくれないから、ファーチャの反省を促す意味で、
「なんかシーファさん言ってたぞ。最近のお前が挙動不審だって。
完全っに、俺の所為だとばれているし。
寝言とかでも言ってたみたいだし。
小さい頃からぶつぶつと『トオル』『トオル』って呟いてたとか。
せっかくさあ、それなり以上の家庭に生まれたんだから、大人しく暮らして機会をうかがうとかさあ、いろいろ考えて暮らそうよ。
変に怪しまれて育児放棄とか悪魔祓いとかのお世話になったら大変なことだったろう?」
と言ってやる。
「寝言はしょうがないじゃん! それは不可抗力だよ!」
「それ以外は?」
「うう……ごめんなさい」
「なんか、シーファさんいろいろ薄々と気づいてるみたいで……。
まあ、半分は俺のせいってのもあるんだろうけど……」
と俺は簡単に、シーファの過去を話した。ファーチャにとっては初耳だ。
だけど、別に驚くでもなく聞いていた。
ファーチャ曰く、
「あたしとルートの間にはそれぐらいの運命的な繋がりがあって当然」
とのことだ。
とにかく、変に心配かけてもシーファに悪い。今はカールさんというちゃんとした旦那さんまで居る。
より一層、目立たぬように、怪しまれないように気を付けるようにファーチャに念を押しておいた。
交換条件として、時が来ればシーファはファーチャのやりたいように生きることを応援してくれるという情報を出したので渋々納得してくれる。
うすぼんやりと、ファーチャも冒険者養成学園にでも入学して卒業してから、捜索活動に本腰を入れたらいいという未来図を提示する。
その代り俺は、できるだけこの辺で活動する。折り合いは付く。
その話はそれで決着した。
数年間の雌伏の時。時が満つるのを待つ。無難な計画。時間はかかるが順当な未来予想図。明るい将来計画。
計画ってのは破綻するから、厄介だ。
数日後。
プラシ達とパーティを組んで依頼をこなしてギルドに報告に寄った。
ベルさんが居た。
明日の予定をこっそり耳打ちされた。特務の依頼主への面談。
俺も必須の参加者だそうだ。
集合場所は……、王城の前だった。
詳しいことを聞きたいがベルさんの態度がそうさせてくれない。
ただ俺は言われたとおりの時間に約束の場所へと赴いた。
「あっ、ベルさん」
ベルさんは時間通りにやってきた。
「いくわよ。着いて来て」
短く言うとつかつかと歩いていく。城門へと一直線に。
やっぱり……、この中なんだよな……。
門兵に何事か呟き、書状を渡すとか手続きを淡々と進めていくベルさん。
しばらく待っていると中から迎えが現れた。
「お待たせしました。こちらへ」
品のよさそうな女性だ。俺とベルさんはその女性に案内される。
周りを兵士四人に囲まれて。
城壁の中にも沢山の建物がある。様々な人が暮らしている。
だが、目的地はそんな周辺区画ではないようだ。城に入り、多数の人とすれ違いながら。
広い通路を通り階段を上り。広すぎてわけがわからなくなってくる。
「どうぞ中へお入りください」
案内の女性に促される。どうやらここが目的地のようだ。
残念ながら? 女王への謁見室ではないようだ。
ベルさんに続いて、俺も中へ入る。空気の流れが外と異なる。荘厳な雰囲気。
広い部屋。奥には放射状、階段状になった他より一段高い場所があり、豪華な椅子が置かれている。
少女が座っている。髪の長い、美しい。威厳がある。
どういうことだ? ほんの数日前にシーファさん――シンチャ――と運命的な再会を果たしたところだっていうのに。
何かの間違いか? いや、俺が……間違えるはずがない。それだけは自信を持って言える。
「はじめまして。ベル・ワイナリー。
お久しぶりです。ルート・ハルバード。
いえ、トール・ハルバリデュスとお呼びしましょうか?
わたくしは、マーソンフィール王国王女。
ファシリア・マーソンフィール」
そう語る姫様……。ファシリアと名乗った少女から発する雰囲気は……。
俺に伝わってくる感触は。俺の記憶に訴えかけるその感覚は……。
紛れも無く『フア』だった。