第四話 ライトニング ~ 光の終末
「とにかく逃げるぜ!」
「とにかく逃げるわよ!」
ムルさんとベルさんが動き出したのはほぼ同時だった。
さすが、場馴れしている。経験を積んだ冒険者だけのことはある。
逃げるのも勇気。逃げ足も速い。
二人で教祖代を抱えると、さっさと階段を駆け上り始めた。
「おいっ! 行くぞっ!」
俺もシノブに激を飛ばして、シノブを先に行かせてから後に続く。
古代図書館の室内に戻り、そこからさっさと建物の外へ。
見張りに見つかるとかそんなことを気にしている場合ではない。
それどころかジエッジさんは、
「おいこら! お前達! そこで何をしている!」
と、俺達を見つけて駆け寄ってきた見張りの人間に、
「ほれ、これはお前らの大事にしている教祖代だ。
早く安全なところに連れて行ってやれ!」
と教祖代を引き渡す。
「えっ!? きょう……そ……だい……」
あまりのショッキングな出来事の連続で精神崩壊の兆候を見せ始めている教祖代は、気味の悪い笑いを続けるだけだったが、さすがに顔は売れている。
即刻保護されてどこかへ連れて行かれる。とてもご丁重に扱われている。
その隙にジエッジさんは、
「さて……どうしたもんかねえ……。
とりあえず、あっちのほうにでも逃げてみますか」
と言いながらも既に走りだしている。街とは反対の山の方へ向かって。
ベルさん、シノブ。俺達もそれに続く。
「追って来てる! 追って来てるよ!!」
シノブの絶叫。
空に浮かぶ巨大な影。薄紫色の光を放つそれはさっきまで眠っていた竜骸そのものだ。
羽ばたきもぜずに宙を滑るように飛来してくる。
この調子じゃあ、洞窟の崩壊でも大したダメージを受けていないんだろう。
というよりあの洞窟にこんな馬鹿でかい竜サイズの生き物が通れる出口なんてなかった。
崩落に紛れて、天井をぶち壊して飛び出したに違いない。
それはさておき、俺達は追われている。完膚なきまでに。
「そりゃそうだろうな。
そのためにわざわざ目覚めたってんだろうから。
これで俺達が狙われないんなら、脚本描いた奴は相当の馬鹿だとしか思えん」
「そんなのんきなこと言ってる場合じゃ!」
「いったんばらけるぞ!!」
ジエッジさんの指示でベルさんが別方向に走りだした。
俺も、二人とは違う方向へと向きを変えた。
シノブは何故か俺について来る。
で、ドラゴンゾンビはというと、一直線に俺に向って来ているようだ。
俺達を通り越し、先回りして行く手を阻むかのように着地する。
山がひとつ落ちてきたかのような大音響。地鳴り。
「なんでこっちに来るのぉ!」
シノブから再度の絶叫。
「思った通りだな。
狙いはやはり、ルートの持っている本か」
いやいや、ジエッジさん。わかっててばらけさせたんだ。
まあ、戻って来てくれたからよかったんだけど。
ジエッジさんとベルさんは、俺とシノブを護るように竜骸と対峙する。
「お前が護ろうとしている書物は俺達にとっても大事なものなのかも知れないんでね!
あいにくだけど、返すことはできない!」
一声叫ぶと、ムルさんは剣を引き抜いてドラゴンゾンビへ斬りかかる。
さすがの元仮面コンビ。ジエッジさんに呼応するかのようにベルさんも斬りかかる。
ジエッジさんは、竜骸の懐に飛び込むと、腹部を突き刺すように、剣を突き出す。
小さく鈍い音。
ベルさんは、竜骸が繰り出した左右の腕を器用にかわしながら何度か斬りつける。
「まいったな」
「まいったわね」
二人の剣は完全に固い体に弾かれてしまったようだ。
「じゃあ、これならどうだ!」
「じゃあ、これならどうなのよ!」
なんだか息ぴったりのジエッジさんとベルさんが、今度は魔術を使うための溜めを作る。
さすが、冒険者。実践馴れしている。
詠唱しながらも、通用しないとわかっている剣閃をひらめかせる。
俺は二人の戦いっぷりにただただ感心した。
ジエッジさんからは巨大な炎が、ベルさんからは巨大な風刃が。
いや、それだけではない。連続魔術だ。
ジエッジさんはさらに、巨大な岩石を。ベルさんは氷塊を。
血煙、水蒸気、様々なものに覆われて竜骸の姿が一瞬、靄の向こうに見えなくなる。
「やった!?」
シノブから悲鳴ではなく歓声。
「いや……、おそらく……」
とジエッジさん。
「ダメージを食らった感じではないわね」
とベルさん。
言うが早いが、二人はまた詠唱を始めた。
「まじで! あれだけの魔術が効かないの?」
単なる傍観者となりさがったシノブと俺を無視して二人は詠唱を続ける。
「「高鳴りし閃光の波動……心情の理を解き放ち……
定められし鼓動は律動へと変じる……
切り拓かれしは未来への約束……
回旋を描き、旋転せよ……」」
聞いたことのない呪文形態だ。まるでユニゾンのように、一字一句ずれなく二人で詠唱する。今までに感じたことのない、高濃度の光の精霊の躍動を覚える。
「「フューチャー・レイ!!」」
同時に唱和を終えた二人から放たれたのは巨大な熱線。光の洪水。直線ではなく、螺旋を描きながら竜骸へと向かっていくいわゆるレーザービーム。
ジエッジさんとベルさんから放たれたふたつの光の渦は途中で合流し、輝きを増しながら太い束となり、ドラゴンゾンビへと向かっていく。
あまりのまぶしさに、自然と目を細めてしまう。
「今度こそ! やった……でしょ?」
シノブが叫ぶ。後半は声のトーンが落ちている。
まぶしさの向こう側に見えたのは、傷一つない、まったく姿の変わっていないドラゴンゾンビの姿。ダメージを受けた気配は全く感じられない。
「ちょっくら時間稼いどくから、なんかいい手を考えといてくれ!
逃げるのは無しな。あいつを振り切るのは無理そうだ!!」
辞書に無理とか書いてても読み飛ばす男が自分を棚上げして無茶を言ってくる。
ベルさんと俺とシノブ。三人寄っても化学反応を起こさないトリオに。
確かに、空を高速で飛べるんだから逃げるのは無理。
あれの目標が、俺の持っている本なのだったらこれを置いて行けばあるいは……。
だが、それだと依頼を全うできない。
「弱点はあるはずなのよ。なんたってゾンビだから」
「でも、今使ったのって光魔術でしょ? しかもあんな威力の!
それが通用しないなんて!」
「剣はまったく通用しないんですか? 斬ってみた感じ?」
俺は聞いた。
「そうねえ、伝説レベルの神具ならあるいは……。
弱点が光なのは間違いないと思うんだけどね。
どういうわけだか魔術は効かない。光属性ですらも。
あっ、そうだ!
シーちゃん! 魔法拳士の攻撃なら内部に衝撃を伝えられるかも!
光の魔法拳だってあるんでしょ!」
「えっ!? あたし? あれを殴るの?」
「たかがシロクマの数倍じゃない? 大きさ的には。
動きはこっちで抑えるから試しに何発か殴ってみてよ。
どうせ効かないとは思うけどさ。
やらないで後悔するより、やって後悔!」
その言葉を聞いて俺も決意を固めた。
「もしかすると……、俺の剣なら……。
通用するかも……」
「おいおい! 早くしてくれよ!
こいつを一人で相手するのってめちゃめちゃ疲れるんだけど!」
ジエッジさんが急かしてくるが、
「不可能とか無理とか見て見ぬふりしてるんでしょ!
こっちだって真剣に考えてるんだから!
もうしばらく頑張っとけ!」
と、ベルさんが一蹴する。
俺の剣を手に取り、ベルさんが、
「さすがに、ルートちゃんが言うだけのことはあるわね。
この剣なら通じるかも知れない。
だけど……、シロクマを両断できるぐらいの剣気を乗せないと……。
通用するとまでは言い切れないかも」
それは今の俺にはそれこそ無理な話だ。シロクマ――スノゥベアーの固い皮膚にはかすり傷を負わせるのがやっとだった。
だけど……、
「これをベルさんか、ジエッジさんが使えば!?」
情けない話だが、窮地を脱するためには仕方ない。俺はまだ修行中の身。己の力はわきまえている。
だが、ベルさんの表情は暗い。
「残念だけど、極端に使い手を選ぶ剣のようね。
一言で言うとわがまま……」
ベルさんは俺から受け取った剣を振りながら続けた。
「あたしじゃあ、この剣に剣気を伝えることはできそうにないわ。
何年か使い込めば、変わるのかも知れないけど。
多分、あいつも同じでしょう。
これはルートちゃんのための剣っていうことなのかしら?」
「そろそろいいですか!」
再びジエッジさんからの催促が入る。
俺達は簡単に作戦をまとめた。ぶっつけ本番、破れかぶれ。出来ることをやれるだけやってみる。それだけの戦略。
ジエッジさんとベルさんでドラゴンゾンビの注意を引く。二人は陽動要員だ。
で、俺とシノブが自らの身の安全に重きを置きながらも隙を見て攻撃する。
シノブは光属性の魔法拳で。俺は込められる最大限の剣気を込めて。
「いっちょう、やってみるわよ!
くれぐれも、調子に乗り過ぎないこと!
まずは攻撃を食らわないことを最優先に考えて!」
ベルさんの号令で俺とシノブもドラゴンゾンビへと向かう。
護りの意識が手薄そうな側面から。
「食らえぇぇ! 魔法拳『煌』!!」
竜骸のでかい図体に阻まれて姿は見えないがシノブの叫び声が聞こえてくる。
「手応えはあった!
コイツにとっちゃ蚊に刺された程度かも知れないけど!!」
明るい兆しのような、風前のともし火のようなシノブの絶叫。
俺も負けてられない。
隙を見て全力で、斬りかかる。
剣気のコントロールは未だに不安定だ。だけど今持てる力を、気合を剣に乗せる。
「唸れ! フライハイツ!!」
大げさな気合の掛け声とは裏腹に、ドラゴンゾンビの左後ろ脚に刻まれたのは、ほんのわずかなか細い線。
「俺も! いや、手ごたえというほどのことじゃないけど!」
「どうなの! 効くの!? 効かないの!? どっちなの!」
ベルさんの問いに、シノブは、
「効かないってわけじゃないけど、ちゃんとしたダメージを与えるためにはあと何万回殴ればいいか!」
答えながらも、打撃を続けているようだ。ビシバシと音が聞こえてくる。
「似たようなもんです。全力で斬っても小さなかすり傷程度を負わせるのがやっと!!」
俺も、ちびちびと斬りつけながら答える。
「1秒間に100発殴ったとして!!
100秒後には結果が出てるってわけね!
上等よ!」
「ベルさん! 前提おかしい!!
あたしの拳は音速超えないから!!
秒間2~3発が限度だから!!」
「じゃあ、掛ける50で、5000秒!!
なんだ、朝までには終わるじゃないの!」
「訂正します! すみません!!
何万発殴ればいいか! を、何百万発殴ればいいかに訂正させてください!!」
シノブが生真面目にそれに答えた。
「おいおい……。
だけどなあ、俺とベルの剣も魔術も通用しないんだからなあ。
お前らがほんのわずかな希望だよ。
石の上に三年も座ってたらなんとでもなるっていうしな」
ジエッジさんが、呆れたように言う。言いながらもいろいろと通用しそうな攻撃が無いか試している。抜け目のない人だ。
小康状態が続くかと思えた。
だが、曲がりなりにもダメージを与えてくる俺やシノブの存在を疎ましく思ったようだ。
ドラゴンゾンビはジエッジさんやベルさんの攻撃を無視してシノブへと標的を定めた。
「えっ!」
とっさのことでシノブは反応できない。いや、反応はしたのだろうが、竜骸の素早く振り払われた前足の速度がシノブの反応速度を超えていた。
運悪く攻撃態勢に入っていたシノブに向って繰り出された攻撃だ。
シノブも油断と言うか調子に乗っていたのかもしれない。
いうなればカウンター。
「きゃあ!!」
吹き飛ばされるシノブ。直撃は避けたようだが……。
シノブを見据えたドラゴンゾンビがゆっくりと口を開いた。
「ブレスッ!!!! まずい!!」
ジエッジさんが叫ぶ。ベルさんがシノブの元へと駆け寄っていく。
そこからのほんの一瞬が……。
俺にはスローモーションのように……コンマ何秒毎に鮮明に目に焼き付けられた。
シノブを抱え上げて竜骸の吐息から逃れようとするベルさん。
だが、竜骸は軽く首の向きを変えただけで移動するベルさんに標的を絞り続ける。
何度も方向転換を繰り返すベルさんの手からシノブがずり落ちる。
そこでベルさんの動きが止まる。
ドラゴンゾンビの体が一瞬硬直する。その顎が鈍く光を放つ。
大きく開けられた口から、ブレスが放たれる。
ベルさんとシノブ、二人の前に立ちはだかるジエッジさん。
魔術を詠唱しながらも、小さな輝く何かをベルさんに投げつける。
唱え終えたジエッジさんが魔術障壁を展開する。
竜の息吹が魔法障壁へと到達する。
巨大な障壁は竜骸から吹き付けられた奔流を左右へと受け流す。
受け流しつつも、徐々に竜の吐息は魔術障壁を侵食していく。
ジエッジさんの衣服がブレスによる風圧ではためく。
仮面が吹き飛ぶ。
仮面の下から鋭い眼光をともなったムルさんの顔が露わになる。
ムルさんの表情が険しくなる。
竜の息吹は途切れるどころか、今なお吐き続けられ、徐々に勢いを増していく。
ムルさんの魔術障壁が徐々に小さくなる。
「無理とか無茶とか、不可能だとかよ!
俺とは縁遠い言葉なんだよ! おらぁ!!」
ムルさんが叫ぶ。
ムルさんは剣を抜く。剣気を込める。
剣が輝く。それは命の輝き。
剣に込められた覚悟が竜の息吹を相殺する。
しかし、その剣にも徐々に罅が入る。
竜骸のブレスは勢いを増し、俺の視界からムルさんを覆い尽くす。
「ムルゥッーーーー!!!!!!!!」
ベルさんの絶叫がこだまする。
視界が戻った時、そこに見えた光景。
変わらずの巨体を揺らす竜骸。
焼けただれた地表。ブレスの通り道となった幅数メートルの範囲。その後方へと何十メートル、何百メートルにも渡って抉りとられている。
ブレスの脅威にさらされながらも一か所だけぽつんと元のままの姿をとどめたままに残った楕円形の小さな空間。その中央付近には、シノブを抱きかかえたベルさんの姿。
ジエッジ……ムルさんの姿はどこにも見当たらなかった。
砕け散ったムルさんの愛剣の破片がパラパラと輝きながら舞い落ちている。