第五話 冒険者
「そうだ、これ渡しとくわ」
と、ムルさんが腰に携えていた一本の剣をひょいっと投げてきた。
おそらく普段はサブで使っているのだろう短剣。
受け取りながら俺はムルさんの顔を見た。
ムルさんはそんな俺に向って言う。
「気にすんな、安モンだ。なんなら持って帰れ。くれてやるから」
「いや、あの……」
俺はその言動の意味を測りかねて戸惑った。
「剣術の心得はあるんだろう?」
と、少し真面目な口調で話しかけてくる。
「いやあの、基本だけ……」
と答えると、
「どうだ? その剣? 抜いてみろ」
俺はその言葉に素直に従った。
なんだろう。やけに軽い気がする。取り回しはしやすそうだけど、軽すぎてちょっと逆に使いづらいかもしれない。重さがないと俺なんかの腕力じゃ威力もしれてしまう。
ゴーダから貰った剣は、もっと重くて重厚感に満ち溢れていた。刃とかももっと幅広だったし。
受け取った剣をしげしげと、眺めていると、
「重いだろう? 見た目に沿わず。
安いことは安いが粗悪品ではない。
だけど、使いどころが無くってね。こいつがあれば十分だから」
とムルさんは腰にぶら下げたもう一本の剣を指さす。こっちは俺に渡してくれたのと違ってごく普通のシンプルな長剣だ。
ああ、これでも子供が持つにしたら重い部類に入るのか。
軽いとか言わなくて良かった。
とか思って、ちょっと振り回したりしてみていると、
「ここから先は魔物の巣窟だ。
俺が、頼れる大人が居るから大丈夫……、
などとは思わないことだな。
自分の身は自分でも護る」
いやいや、安心パックツアーに申し込んだつもりなんですけど……。
とちょっと困った顔をしてみると、ムルさんは、急に表情を崩して、
「とはいわないけどな。
まあ、お前の身の保証は俺が責任を持つ。
だがな、何があるかわからいってのが冒険者としての心構えとしては必要なんだ。
万一、お前がモンスターに襲われたとき、コンマ一秒を争う事態が訪れないとも限らない。
その時に、剣を持つか持たないかで大きく結果が変わることもある。
例えば、その剣を持っていたがために、魔物が警戒して跳びかかるのを躊躇する。
あるいは、正面からではなく、迂回して攻撃をする。
そんなちょっとのことが、生死にズバリと関わってくるのが、冒険者の日常だ。
よく覚えておくといい」
相変わらずふざけた人だけど、性根のところは真面目なんだろうなと思った。
さらにムルさんは、こんなことを言ってくる。
「せっかくの機会だ。お前の実力試してやるぜ。
構えてみな?」
お言葉に甘えて俺は剣を構えた。
「ほう……、ジャルツザッハか。うん、なかなか……」
ムルさんは剣術にも詳しいと見える。一目で俺の流派を見抜いた。
ということは、俺の構えもそれなりに様になっていることか。
なんて悦に浸っていると、ムルさんが……動いた。
疾く、鋭く、剣を抜き去り、俺に向けて振り払う。
切っ先は俺の顔面へ向かってくる。
一瞬避けようかと思った。
避けられる自信もあった。
だけど……、不思議と危険な感じはしない。殺気というのか、そういったものが感じられない。
結果として俺は微動だにしなかった。普通の6歳なら泣いちゃうかもしれないけどね。
俺の顔が真っ二つに切り裂かれる……。
なんてことはもちろん起こらない。若干の余裕を持って、俺の目の前で剣の刃は制止する。
剣を収めながら面白おかしそうに、ムルさんが言う。
「なるほど……。いや、実に面白い。
今の一瞬の剣閃。
武術の心得の無い奴であれば、目を瞑ってしまう。
俺が本気だったら、あっという間にあの世逝きだ。
多少運動神経が良ければ、避けようと後ろに下がるだろう。
それでも間に合わず、大けがをする。俺の本気の太刀筋ならね。
武術や剣術の心得のある奴なら、手にした剣を使って受け止めようとする。
もう少し腕のある奴なら、屈んで躱すだろうな。
もっと強い奴は、俺の剣が顔に届く前に、逆に俺の喉元辺りに剣をつきつけてくるだろうな」
受け止めるのと躱すのとどう違いがあるのかわからなかったが、そのまま聞いていた。 今のところ俺はどのタイプでもないなと思いながら。
「でな、そのどれでもないのは……。
達人だ」
えっ? ひょっとして達人レベル? 俺? 既に?
「達人?」
と俺は思わず聞き返した。
「そうだ、達人だ。
相手が達人だとな……」
俺のように微動だにしないってことなのか? 気づけば剣の腕前は達人。6歳にしては上出来だ。
ムルさんは続ける。
「達人なら、俺にこんな真似はさせない。
それが、真の達人ってやつさ」
それだけいうと、冗談ぽく笑ってから俺に背を向けて歩き出した。
それ以上、追求することもできず、じゃあ一体俺はなんなのか?
もやもやしたまま、俺はムルさんの後を追った。
いろいろ歩き回るも一向に、『ルズ』どころかめぼしい薬草類も発見できない。
その間、ムルさんの冒険譚というか、自慢話を聞かされていたが、この人ほんとに真面目に冒険してないなあというエピソードばかりで楽しかった。
で、そんな中……ムルさんの足が止まる。
「この気配は……、ボォンラビットだな。
それも団体さんだ。
ひょっとして当たりか?
ちょっくら気合を……、
入れなくていいぞ。
お前の安全は俺が護るからな」
とムルさんは森の奥へ入って行く。奥は開けた草原にでもなっているのか若干明るいようだった。
「これはまた……」
そこには数十匹のボォンラビットがくつろいでいた。
草を食べたり、昼寝をしたり。動き回っているようなやつはいない。
一匹一匹が、牛くらいのでかさだ。ぜんぜん兎っぽくない。
なのに、可愛らしいつぶらな瞳というギャップ。
それ以外の特徴については後程ムルさんが解説してくれるので省略。
「そこで待っててくれ」
とムルさんは言い残してつかつかと群れの中に入って行く。
「ちょっとごめんよ」
なんて言いながら、ボォンラビットの齧っている草を遠目に覗き込んだり、あちこち歩いては生えている草を眺めてみたり。
で、戻ってきて、
「やっぱりねえな。『ルズ』は」
俺は、
「ボォンラビットって大人しいんですね」
と思ったことを口にした。
ムルさんはさらりと、
「ああ、わかる奴にはわかるんだよ。
自分に危害を加えない優しい人間は襲わない。
人徳者のなせる業だな。
だが、こいつら、見かけによらず強いぜ?
見ててみろ」
と、一匹のボォンラビットの近くへ歩み寄る。
剣を抜いて、背中を軽く突く。
すると食事中だった、巨大兎がムルさんの方へ向きを変える。
「まあ、こいつらがただの兎じゃなくて魔物なのは、見た目でわかるだろう?
眉間に生えた小さい角と、そして!」
とムルさんは剣をボォンラビットに向けて振り下ろす。
あっちゃ~、無慈悲で無意味な殺戮?
と思っていると、意外にもムルさんの剣は受け止められた。
ボォンラビットの細いが長い前足で。
後ろ脚だけで立ち、上半身を起こしていた。
キインと乾いた音が響く。
「この、前足にある固い鱗。別名手甲うさぎ。
どんな攻撃でも、弾き飛ばす反射神経と絶大なる防御力。それを支えているのがこの鱗だ。
だがこんなもんじゃないんだぜ?」
とムルさんは、連撃を加える。
が、左右の前足を使ってボォンラビットはそれを弾いて防ぐ。
カアンカアンと音が鳴る。
「おもしろいのはここからだ」
ムルさんの剣が加速する。二連撃から、コンビネーションへ。
弾かれては、斬りつけ、斬りつけては弾かれる。
剣撃の間隔はどんどん短くなっていく。
カカカカカカカッと、そのたびにボォンラビットの前足の鱗が音を立てる。
何気に……というか、攻撃しているムルさんの剣技。
さすが、自尊心の高そうな冒険者だけのことはある。
俺も目で追うのがやっとの素早さ。それでいて無駄のないスムースな流れ。
見とれてしまうような美しい太刀筋。
さらに加速していく。剣先の動きは俺の動体視力の限界へと差し掛かる。
で、驚いたことに斬りかかられている当のボォンラビットは涼しい顔で応戦している。
野生の力? ムルさんの攻撃は多彩で多様で相手の隙を着実に狙っているようにみえるのに。
そこで、手を止めてムルさんは剣を降ろした。
そのままボォンラビットに一礼する。日本でいうところのお辞儀だ。
それも、新入社員研修で習うような礼儀正しいやつ。
うさぎさんは、そのまま何事も無かったかのように食事に戻っていた。
「なっ? 強えだろ?
こいつらは物理攻撃に関しては絶対の防御力を誇るんだ。
だから、わりと自分達以外の存在には無頓着」
わりと……というか、かなりの無頓着さっぷりだ。
他のボォンラビットも仲間が襲われ? てるのに一切関心を示さない。
「それでいて草食。だから自分達から人間も襲わない。
こいつにあったら、無視するのが一番だ。
だが、エサを奪われることは非常に嫌う。
相手を務める自信がなければこいつらの居る前で草をちぎったり実をもいだりすることはやめておくほうが無難だ」
俺はムルさんの言葉を心に刻んだ。
今の段階では到底かなわない――俺は自分の実力を過大
評価しないのだ――恐るべき魔物。
昔襲われかけたダガァウルフなんかは今だと一対一でなら勝てそうな気がしていたが、世の中にはもっと強い魔物が沢山いる。世界は広い。
それを簡単にいなすのが、冒険者。真なる強者。
俺も自分の本来の目的を叶えるためには、こんな強さを身に付けなければならない。
まだまだ若いから急がなくてもいいが、高い目標としてムルさんが垣間見せてくれた実力の一端を記憶した。
「さあ、余興はこれぐらいにして。
目的のブツは無かったんだ。そろそろ引き上げるか?
自慢じゃないが腹が減った」
と、親しみのもてる笑顔を見せてくるムルさんに、俺は、
「はい」
と応じる。
いろいろ勉強になりました。
無難なピクニックでした。……ここまでは……。
突然聞こえ出した、ドオン、ドオンという地響きにも似た爆音。
徐々に近づいてくる。
ムルさんの表情が変わった。
「おいおい……、まさか!?
面倒なのが現れちまうようだぜ?」
「えっ?」
「こいつらの親玉だ。
その名も大ボォンラビット」
名前のセンスに問題あるが……。
「でも大人しいんでしょ? 餌さえ取らなければ襲ってこないって?」
「他の奴らはな……。
だが、大ボォンラビットは違う。
雑食だが、肉が大好きな変種なんだよ。
腹が減ったら共食い、仲間を食らう。
それだと群れが壊滅するから、普段は他の動物を襲う。
人間の肉も好物だ」
徐々に遠くに姿を見せ始めたそいつは他の奴のひとまわりもふたまわりもでかいという、まさに怪物と呼ぶのにふさわしい姿だった。
「というわけでルートくん。
お次は、お待ちかねの魔術講座だ」
ムルさんは俺をほっぽって逃げだすのでもなく、恐怖でひきつった顔になるのでもなく。
余裕をかましてくれていた。
頼りになるお兄さんの存在に安堵を覚えつつ、魔術講座とやらへの興味をそそられまくってしまっている我が身を自覚するのであった。
別に待ってたわけでも予想したわけでもないのだけれど……。