第十二話 別離
夕食も食べ終えて一息ついた頃。
俺は、やはり早々にベッドに追いやられた。
この調子だと明日は朝から誕生日パーティなのかもしれない。
「ルートは寝おったか?」
「ええ、すやすやと。いつもながら寝つきが良くって」
ごめんなさい。まだ起きてます。こっそりと。
「しかし、こうした静かな暮らしもいいもんじゃのう」
とゴーダがしみじみと言う。
ここでの暮らしも、もう5年を超える。
「そうですね。新鮮なお野菜も沢山とれますし、おとうさんが捕まえてきた獲物でお肉も食べられますし。
ミルクやバターが手に入らないのは残念ですが。
そういえば、ルートは最近野菜よりお肉のほうが好きになってきたみたい。
ケーキとかでは喜んでくれなくなるのは何時ごろからでしょう?」
「儂なんかこの歳になっても、甘いものは大好きじゃぞ?」
「そのお歳になったからではないですか?」
シンチャが茶化して言う。
「う~ん、そうかもしれん。
若い頃はケーキなぞはそれほど食べる機会もなかったしな」
「それはそうと……」
とシンチャは話題を変える。
「ルートのことなんですけど、そろそろ学校に行く歳になるじゃないですか?」
お? 学園編の始まりか? 小学校ではハーレムはさすがに作れなさそうだけど。
ちなみに、この世界でも小学校に相当するようなものはあるという。
ただし、仕組みがちょっと違う。
好きな年齢で入っていいのだ。
様々な年齢の子供が自分の習熟度に合った授業を受ける。そういった場所。
歴史を学んだり、文字の読み書きや計算といった一般的な事柄や、生活に役立つ基本的な魔法を習う。というのが通常過程。
で、剣や魔術などの異世界ならではの事柄は? というとそういうものは学校では教えてくれない。
俺にとってあまり魅力のある場所ではなかった。
それもあってか、通う子供は限られている。。
貴族や金持ちの商人たちは自らの子供を学校になんて行かせない。
専門の家庭教師を付け、剣技や魔術、商いの基本などより特化した知識を子供に付けさせているのだ。
少しお金に余裕のある中流ぐらいの平民の子供が生徒の大多数なのらしい。
聞きかじりだけど。
もう少し成長すると今度は、冒険者養成学校とかいうところに通えるようになる。
そこは、その名の通り、冒険者のための技術を教え込むところ。
剣術科……魔法科……総合科。
詳しくは知らないが、俺が通いたいのはむしろこっちだ。
今はまだ年齢が達していないので通えないのだけど。
「学校か……。
今はまだ……」
とゴーダが考え込むように口ごもると、
「いえ、それはわかってます。
学校に通わせるのは難しいことぐらい。
だけど、ルートにもお勉強は必要だと思うのです。
簡単な読み書きなどはこれまでも少しずつ教えてきましたが……」
「それ以上となると、時間もかかるし、なにより教科書が必要じゃな」
「ええ、もう少し早く思いつけばよかったんですが」
「ん? ああルートの誕生日プレゼントか?」
「それも悪くはなかったかなって。
でも今回はおとうさんからのお免許で十分喜んでくれると思いますわ。
でも、教科書を与えるとなると来年の誕生日まではしばらくありますし……」
「そうじゃな。考えてみよう。
ルートなら、教科書さえ与えれば一人ででも勉強するだけの力もやる気もあるじゃろう。
近いうちに入手できるように手配する」
「ありがとうございます」
「いや、礼なぞいらん。
むしろこっちが感謝しているくらいじゃ。
どうにもな、子育ての経験なぞないもんじゃから」
「それはわたしだって……」
「いや、シンチャはルートが王城に居た頃から、面倒を見てきておったじゃろう。
大きくなるまでに必要な一通りのことは学んできたわけじゃ。
儂なぞは、畑や狩り、剣術ぐらいしか教えてやれん」
「そんなことはないですわ。
畑を世話するのも、狩りに行くのも大事なお勉強です。
それなら……どうでしょう?
最近ではルートも段々とおとうさんのお手伝いが出来るようになってきたじゃありませんか?」
「たしかに」
「おとうさんも時間に余裕が出来てきたようですし、
ルートにお勉強を教えてくださっては?」
「儂がか?
いやそれは……ちょっと……。
もう何十年も前のことじゃからのう……」
「あれ? ひょっとして自信ない?」
「いや、すぐに思い出すじゃろうよ。
子供の勉強内容ぐらいは……。
儂だって子供のころは、ちゃんと勉強してきたのじゃ。
剣術ばっかりやっておったわけではない」
「うふふ。冗談ですよ、冗談……」
そんな話をしていた時である。
遠くから馬? の足音が聞こえる。どんどん近づいてくる。
「こんな時間に何事じゃ!?」
と気づいたゴーダは、
「ちょっと様子を見てくる。シンチャはここで待っておれ」
と、剣を取って表に向う。
シンチャはすぐに俺の様子を見にやってきた。
起きているのがばれないように、規則的な寝息を心がける。
黙ってシンチャは俺の傍らで立っているようだ。
不安な気持ちがひしひしと伝わってくる。
安心させてやれない俺がもどかしい。
いや、外の様子も気になるし、目を覚ましたふりでもしようか。
悩みどころだ。
やがて馬の足音は、家のすぐそばで止まる。
「おお、これはゴダード様! 御無沙汰しておりました!」
と男の声が聞こえた。
「お主は確か……」
「王政時代は末席ながら騎士を務めておりました。
それよりも、大変でございます!
殿下の6歳の誕生日を機会にギルドで殿下の捜索強化の動きが出ております!」
「なんと!
して、それは何時始まったことじゃ?」
「さきほど、ギルド内で、優先案件として公開されました!」
「敵は冒険者たちか……。
して、おぬしがここへ来たのは独断か?
あのお方とは話は……」
「ベルギュム様からのご指示であります。
本日の夕刻に出港済みのクァルクバードへ向かう船を沖合で待たせているとのこと。
それに乗り込むようにとの伝令です」
「なに!? 出発は今すぐじゃな……。
じゃが、足は……」
「それについては、わたしが乗ってきた馬にお乗りください。
ゴダード様と殿下のお二人であれば、問題なく走れましょう。
追って、もう一人、馬を連れてくる予定です。
シンシュア様はそちらで、お逃げくだされば。
別の安全な隠れ家をご用意しております」
話の途中で、シンシュアはたまらずに駆け出していった。
家の外へ向かって。
「ちょっと待ってください!
わたしも、わたしもその船に乗せてください。
どうして!? どうして一緒に行けないのですか?」
「これは……、シンシュア様。
なにとぞ、なにとぞご了承をいただきたく。
ベルギュム様からのご指示なのです。
わたしはそれを伝える役目であるがのみ」
「そんな……」
シンチャの口調から彼女の表情が透けて見えるようだった。
そんなシンチャに向かってゴダードが言う。
「良い機会かもしれん。
命あれば、自由あればまた出会う日もくるだろう。
これまでほんとうに世話になった。礼を言う。
お前ははお前で別の生き方を見つけてくれればと願う。
ベルギュム様のことじゃ。お前の将来についても考えてくれておろう。
家族や……、婚約者とも会える機会も作ってくれるじゃろうて。
殿下のことは儂に任せておれ。
こう見えても元騎士。命に代えてもお守り抜く覚悟は失われておらん」
ゴーダの言葉には強い意思がこもっていた。
シンチャの反論を寄せ付けないような。
騎士が急かすように言う。
「ゴダード様、お心はわかりますが時間がございません」
「うむ、ルートを起こしてくるとしよう」
「生活に必要なものはこちらで用立てますので、荷物は最小限に!」
「わかった」
「シンシュア様も、ご準備を間もなく新たな馬が到着するでしょう」
「ルート、ルート!」
と俺を揺さぶるゴーダ。演技力が必要だ。あたかも寝ていたかのように。
それでいてあまり時間を掛けずに、目覚めなければいけない。
何も知らない幼児として。
「ん~、なに? どう……した……の?」
「詳しい話はあとじゃ。
家を出ねばならん」
「どっか行くの?」
「ああ、引っ越しじゃ。荷物は持って行けんからな」
そこで思う。荷物……俺の大切な物……。
今までの誕生日プレゼント。ゴーダからもらった手作りのおもちゃ。
シンチャが仕立ててくれた洋服。
木刀、俺の剣。
全部置いて行くのか? それは……ちょっとつらい。
ゴーダは、がさごそと荷造りを始める。
といっても引き出しをふたつみっつ開けただけ。
ちらりと見えたそれは、俺がゴーダの誕生日に贈った手紙だった。
泣けてくる。
あとは、俺の剣。大事な物らしく、丁寧に素早く布に包んで木箱にしまう。
そんな姿を眺めながらも、俺は演技を続ける。
確認せねばならない。結果はわかっていても。
「ねえ、シンチャは? シンチャも一緒に行くんでしょ?」
「…………」
ゴーダは答えない。
変わりに家に入ってきたシンチャが俺の前でしゃがみこむ。
一度流れた涙が渇き、また新しい涙が瞳に溢れてきている。
「ごめんね……。
ごめんね、ルート。
一緒には行けないの。
信じてね。ほんとはずっと一緒に居たいんだよ。
わたしは……、わたしはルートのことが大好きだから。
おとうさんのことも、この家族が大好きだから!」
と俺をぎゅっと抱きしめる。
ゴーダは無言でしばらく見つめてくれた。
「ルートよ。
お前は強い子じゃ。
別れは辛かろうが、二度と会えなくなるわけでもない。
しばしの別れじゃ。
シンチャ、お前を娘にもって儂はほんとうに幸せじゃったと心から思う。
じゃからこそ、シンチャの幸せを願っておるからの。
達者で暮らせ」
言い放つゴーダの目にもうっすらと光るものが見えた。
「おとうさん……」
ゴーダはそこで俺に視線を向けてくる。
俺に……、シンチャとの別れを促しているのだろう。
何を言えばいい。どういえば伝わる?
だめだ。思いつかない。
浮かんだのは、
「シンチャ、今までありがとう。
ずっとずっと大好きだから、僕もシンチャが大好きだから。
元気でね、いつか、いつか絶対に会いに行くから!
探して会いに行くから……。それまで……。
ありがとう」
涙がボロボロこぼれてくる。上手く言葉にできない自分がもどかしい。
水を差すように表から、
「ゴダード様!」
と声がかかる。
「ああ、今行く!」
と応じたゴーダ。
立ち去ろうとする俺をシンチャ引きとめた。
自分の部屋に入って取ってきた小さな包を手渡してくる。
「ほんとは、明日渡そうと思っていたのだけれど……」
中身はなんだろう? わからないが、小さな袋で持って行けることに感謝した。
これならば邪魔にはならないし置いて行けとは言われないだろう。
「それから……」
とシンチャは自分の首に掛けていた小さな石の付いた首飾りを外して俺の首に掛け変えてくれた。
「これ、わたしの一番のお気に入りだから。
大切なものだから。
いつか、いつか絶対返してね。
それまで預けとくから」
「うん! 約束する」
シンチャに見送られながら俺は心の中でそっと呟いた。
(ありがとう 元気で かあさん……
どうか どうか 無難に……)
こうして俺の逃避行が始まった。
ゴダードは自らの愛剣すら置いてきていた。
万一冒険者に見つかれば、剣など役には立たないのだろう。
隠密裏に逃げ延びることがただ一つの望み。
闇夜に馬を疾走させる。
5年前のあの時を思い出す。
王城から逃げ出した夜。
あの時はゴダードが居て、シンチャが居た。
今は一人減り二人になった。俺とゴーダ。シンチャは居ない。
こうして、俺の楽しくて暖かく幸せだった幼年時代にピリオドが打たれた。
俺は、ゴーダの駆る馬の背で6歳の始まりを迎えたのだった。
これにて第一章、幼年期編終了です。
お読みいただきありがとうございます。




