第十話 剣術
三歳児が剣術。というのはこの世界ではわりと普通のことらしい。
教え手は努力の人、ゴーダ。元王国騎士団団長まで勤め上げた騎士ゴダード。
本人は謙遜しているがこれは上達が捗りそうだ。
と思ったのは甘い考え。
すぐに思いなおす羽目になった。
「剣の道は心の道じゃ。まずは精神統一から」
と始まる座禅。なんと異世界には正座の文化があった。
足がしびれることこの上ない。
さらには
「なにより自然体を尊ぶ。それが剣術の極意なのじゃ」
と、教えられたのはじっと身動きせずに突っ立つだけの修行。
そもそも剣術の練習に充てられる時間は少ない。
畑仕事とか、いろいろしながらなんだから。
それでも、今は狩りよりは剣の修行が優先できた。
こないだの一件――勝手にシンチャと一緒に結界の外に出たこと――を戒める意味でも俺は遠出禁止を食らっていた。狩りには連れていって貰えない。
ゴーダが狩りに行っている間は、座禅と直立。そんな日々。
正直成長している気はしないのだけれど、
「何事も基礎が大事なんじゃ。
基本を怠ると、後々で修正しづらくなる。
なに、近いうちに剣を使った修行を始めるから今はじっくり静かな心を身に付けよ!」
『身に付けよ!』なんて師匠モードに入ったゴーダに言われてしまうと従うしかない。
一週間が経ち、10日ほどが過ぎた頃。
「これを貸してやろう。今のお前には過ぎたものじゃがな」
と渡されたのは小ぶりな一振りの剣。
「これって、じいちゃんの剣?」
と聞くと、
「まあそんなもんじゃ」
と曖昧な答えが返ってきた。
ぴかぴか輝く刀身。
切れ味は悪くなさそうだ。
それはいいんだけど……。
柄の部分になんだかごちゃごちゃとちりばめられた装飾。
一緒に差し出された鞘には宝石が埋め込まれていたりもする。
どこに隠してあったのか、どこから引っ張り出してきたのか。
それは、子供が剣術の練習に使うには確かに過ぎたものだった。
というか、素朴さがまるで足りない。
ただ、大きさ的にはちょうどいいかんじ。若干長いかどうかというところ。
手にもなじむ。
重さ的には結構厳しい。金属製の剣というのは子供に扱うには少し重い。
が、これを使った練習は筋力アップにもなるとプラス思考で考える。
やっと剣の修行が始まるかという考えはやっぱり甘い。
「剣と一体となることを覚えよ!」
と示された修行は単に剣を鞘に入れた状態で突っ立つだけの修行。
ただ、これはわりと早く終わった。
いつもどおり、一人で先に布団に入り寝たふりしているときの、シンチャとゴーダの会話。
「なんだか毎日楽しそうですね」
「ん? なにがじゃ?」
「いえ、ルートの剣術ですよ。
どうです。よい弟子になれそうですか?
ずっとひとりでも真面目に修行しているようですが?」
「こればっかりはな。
今の段階ではわからんよ。
じゃが、いっぱしの構えを見せるようになってきた。
体に芯が通っているというのかな。
もともと、あの歳にしては力も強く、運動神経もよさそうな子じゃったが。
なにより理解と飲みこみの速さじゃ。
儂の教えたとおり、辛抱強く練習に励んでおる。
この分だと、剣を鞘から抜くのも近いな」
と感情を押し殺したように言ったゴーダに、
「なんだか嬉しそうですね」
とシンチャがその奥に秘められた感情を見抜くように言った。
口調からだとわからなかったが、表情は緩んでいたのかも知れない。
「そうか?」
とゴーダは短く答える。威厳を失わないように若干力を込めつつもさりげなく。
「ええ、正直なところ……。
ルートに剣術を教えるのはもっと先になってから。
そう思っていたのですが、おとうさんもなんだか最近元気じゃないですか?
それを見ていると、これでよかったのかなと思います」
「まあな、儂が教えてやれるのは、引退してから始めた畑弄り。
森の歩き方。動物の狩り方、それくらいじゃ。
それに剣術。
まあな。儂も若い頃を思い出してしまっているのかもしれん。
儂の師匠は優しいお方でな。
父の古い友人じゃった。
厳しく教えるというよりは、のびのびと。それぞれのペースを考えて。
儂は師匠のように上手には教えられておらんかもしれないが……」
とゴーダが謙遜気味に言うと、
「充分のびのびやってますよ。ルートは」
とシンチャがすかさずフォローする。
まあ、実際そうだからね。辛さよりは楽しさが勝つ。
自分の成長は嬉しいし。
あえて楽しんでやらなければやってられないくらい地味に修行だから。今のところ。
「それならよいのじゃが……」
そんな話を聞く限り、筋は悪くないらしい。
今のところ、無茶な成長ぶりを遂げて怪しまれるという失態も犯していない。
着実にステップアップしていけそうだ。
なんて考えていたのはもう2年近くも前になる。
5歳になった俺は相変わらず剣の修行に明け暮れていた。
こんなに退屈なものだとは思ってもみなかった。
なんせ実戦形式という概念がまったく導入され無いのだ。
「じいちゃん。修行ってさ、二人で一緒に練習したりとかしないの?」
「ふたり? ここで剣術が使えるのは儂しかおらんが?」
「だからさ、俺の相手をじいちゃんがしてくれたり……」
「相手とはなんだ?」
「いやだからさ。真剣じゃまずいけど木刀とかで打ち合いとか」
「打ち込みのことか?」
「うん、なんていうか知らないけど……」
後から聞いた打ち込み稽古は俺のイメージしているものと違った。
単に一人が的となり攻撃を受ける。というやっぱり単調な物。
実戦さながらの木刀での真剣勝負とはかけ離れた練習。
で、俺が取り組んでいるのはそれよりももっと単調な、素振り。
素振り千回とはよく聞くが、千回どころか……。
何万回? 数えられないくらい素振りをし続けていただろう。
毎日毎日素振りの日々だった。
しかも、型というかパターンのバリエーションが少ない。
たった五種類の軌道。それらを組み合わせることも許されない。
ストイックな訓練だった。
ゴーダはあっさりと答える。
「素振りの基礎ができていないうちには次の段階へ進むことは叶わん。
儂が初めて人間相手に剣を振るったのは10を超えてからじゃったぞ」
そこまで言われたら仕方がない。黙々と素振りを続けよう。
しばらくして、ようやく素振りにバリエーションが出てきてくれた。
細く切った布を木から吊るす。その布に沿って剣を切り下ろす。
使うのは木刀だ。ゴーダが削り出してくれたもの。
これがなかなか難しい。風のない時はなんとか思い通りになるものの、風に揺られる布を捉えるのには苦労した。
「これができるようになって……。
やっと上段斬りの入り口に立てたというところじゃろうな」
うわあ、あと下段に左右、それから突き。なかなか道は険しそうだ。
五歳の時期もそろそろ終わりと言う頃だ。
地道に努力を重ねて俺は基本の構えと、5種類の基本攻撃をマスターしていた。
マスターといってもゴーダからお墨付きを貰ったわけではない。
自分的にもようやく入り口に立ったところだと自覚はある。
伸び悩みを感じ、それではここはひとつのゴールなのでは? くらいの感覚。
そもそも、俺の剣は我流だった。元の世界では。
変則的に、時に最短距離で時には相手のふいを突く角度から。
実戦で鍛えた技だった。
誰に習ったわけでもない。
そういう事情があったから、こんなチャンスだ。
正統派の騎士が師匠を務めてくれるのだからと良い機会だと言われるがままに訓練してきたが……。
「うん、よい太刀筋じゃ」
と褒められることはあっても必ずその後に、
「じゃがな、未だ迷いが残っておる。
何が原因かわからんが、ルートの剣には……。
そうじゃのう、口で説明するのは難しいのじゃがな」
「どういうこと? なおすから教えてよ!」
と俺は修正点を聞き出そうとする。
だがゴーダは口ごもる。俺に伝えるべきか伝えぬべきか迷っているようだった。
結局、
「無心じゃ。心を静かに。
何も考えず、一切の邪念を捨て去るのじゃ。
それができるようになるまで……。
それまではしばらくこの稽古を続けて様子を見よう。
なに、成長はしておるよ。十分じゃ。その歳では立派だと言い切れる」
とはぐらかされてしまった。
やっぱり地道な努力はしばらく終わりそうにない。
はあ~、それほどセンス無かったのかなと落胆してしまう。
将来は無難な剣士? まあ、魔術師の道もあることだしな。