新学期
☆憂鬱な朝
朝、いつものように先生がやってきた。何かいろいろ言ってるけど、いつものように、呪文みたいにしか聞こえない。
オレは榊原竜登9歳。
ごく普通の小学4年生。いや、小学4年生だった、一ヶ月前までは。
「Good morning Luke. How are you?」
担任の先生がオレに話しかけてきた。
「おはよう」はわかるけど、後半は。
どうかって言われてもなんて言えばいいんだよ。
アイムファイン?じゃねー、気分とか最悪。でも「アイムファイン」しか教えてもらってない。でも、そう言うとウソだしなー。黙っておこう。
口を開こうとしないオレを見て、先生はため息をついた。
でもさあ、ため息つきたいのはこっちの方なんだぜ、先生。
今のオレの名前は、ルーク・サカキバラ。
こっちじゃ、子供が苗字で呼ばれることはまずないから、オレは「ルーク」って呼ばれてる。え?なんで「ルーク」かって?
答えは簡単。オレの名前、「りゅうと」を、先生をはじめ、クラスの誰も発音できなかったからだ。
結局、「響きが似ている」という理由で、オレの名前は「ルーク」になったってわけ。
もう、わかっただろ?
ここはアメリカの小学校、ええと、なんていったっけ、エレメンタリー・スクールだ。
オレは4th grader。もう、4年生とは言われない。
2週間前、オレは突然ここに入れられた。
父さんがアメリカに転勤になったのが、一月前のこと。
それに合わせて、オレと母さんもアメリカにやってきた。それまで全然知らなかったことだけど、父さんと母さんは英語ができる。
でも、オレはダメだ。アルファベットですら最後まで言えない。まさかアメリカに転勤になるなんて思ってもいなかったし。
そう、先生の言葉が魔法の呪文に聞こえるのは、英語だから。
何を言ってるのかわからないし、自分の意思も伝えられない。クラスの子と遊びたくても、話しかけることすらできない。
言葉がわからないのが、こんなにつらいなんて・・・。もう、日本に帰りたい。
オレは思わずため息をついた。
「What’s wrong? Luke.」
隣の女子が心配そうに話しかけてきた。
名前はヴェーラ。小麦色の肌に、くっきりとした顔立ちで、すっごくかわいい。どうやらインド系らしい。初めて会ったときに、いろいろ言ってた中で「インディア」だけ、かろうじて意味がわかった。
せっかく話しかけてくれたから、何か言いたい。でも。やっぱりどう言ったらいいのかわからない。
何も答えられないオレの様子を見て、ヴェーラはあきらめたようだ。
はあ、残念。言葉がわかったら友達になれるかもしれないのにな。
オレが本日2度目のため息をついたとき、教室の隅に置かれている電話が鳴り、それを取った先生がまた、何か言った。
それが合図のように、皆が一斉にドアのほうを向く。
なんだかわからないが、つられてオレもドアに注目する。
☆転校生
ドアが開いた。
そして、きれいな女の人と、その人にそっくりな男の子が入ってきた。金髪に白い肌に緑の瞳、いわゆる「ヨーロッパ系」ってやつだ。
アメリカの学校には日本と違っていろんな人種の子がいる。
インド系、アラブ系、アフリカ系、もちろんアジア系もいる。このクラスにも日本人そっくりの顔の子がいる。最初は「日本人だ」と思ったけど、韓国人だった。当然日本語は喋れない、ものすごくがっかりした。
まあ、それはともかく。
さて、入ってきたのは男の子だが、女の子みたいなキレイな顔をしていて、クラスの女子たちが早くもきゃあきゃあ言っている。
ヴェーラもやっぱり金髪のイケメンが好みなのかな。あ、いや、別に気になるとかそんなことないけど。
女の人が男の子に何か話しかけている。あれ?英語、じゃない・・・。
意味はわからないが、英語とその他の言語の違いはわかるようになった、外国人なのか。
アメリカに住んでると見た目だけでは外国人かどうかなんてわからないからな。
男の子は英語じゃないどこかの国の言葉で、多分お母さんであろう女の人に話しかけ、女の人はにっこりして頷き、教室を出ていった。
外国人ってことは、オレと同じ立場だ。オレはちょっとこの子に親近感がわいた。
もしかして、この子も英語がわからないのかな、だったら、同じ立場同士、仲良くなれるかも・・・。
そう思ったオレだったのだが、その子は先生に手招きされて教壇に上がると、流暢な英語で自己紹介を始めた。
(なんだ、英語できるのかよ・・・)
ってことは、やっぱりオレだけ仲間はずれなんだな、と思いながら、聞くともなしにその子の話を聞いていた。「ラルフ」ってのが名前らしいことだけはわかったが、あとはいつも通りさっぱり意味がわからない。ああ、ますます孤独だ、こんなにたくさんクラスメイトがいるのに誰とも話せないなんて。
誰かひとりでもいい、オレの言葉をわかってくれたらなあ・・・。
なんて思ってもしょうがないけど。
☆事件
昼休み、オレはたった一人でカフェテリアで母さんの作ってくれたサンドウィッチを食べていた。
今日転校してきたラルフの容姿はたちまちのうちにクラスの女子の心を捉えたらしく、奴は女の子に取り囲まれ質問攻めにあっている。
その中にはヴェーラの姿も、あれ、いない。な、なんかちょっとだけうれしかったりして。
「May I sit here?」
女の子の声だ、「すわっていいか?」と聞かれていることくらいは雰囲気でわかるようになった。
声のしたほうを見ると声をかけてきたのはヴェーラだった。わ、なんで?オレ全然喋れないのに、ここ座ったって何も話せないのに。
でも、それでもいいんなら。
「イ、イエス。プリーズ」
どきどきしながら、そう答える。
あ、たぶん初めてだ。このクラスに入って喋ったの。
ヴェーラはにっこりしてオレのとなりに腰掛けた。うん、やっぱり美人だよなあ、
言ってることは全然わからないけど、声聞いてるだけでウキウキしてくる、こっちに来てから初めて味わう幸せ気分。
と、いきなり後頭部に衝撃を感じた。
驚いて振り向くと、後ろにいたのは同じクラスの男子だった。
名前はえーと確か「チャド」乱暴者の問題児だ。
オレの方を睨んでいる。そして、床にはビー玉。どうやらこれをオレに投げつけたらしい。
こいつはヴェーラに気がある。言葉なんかわからなくたってそれくらいわかる。
で、言葉もわからないくせにヴェーラのとなりにいるオレにムカついた、ってところだろう。
もう、めちゃくちゃ腹が立った。
「痛えな、何しやがる?!」
思わず立ち上がって叫んでいた。チャドはあっけにとられたような顔をしてオレのほうを見た。
周囲の空気が張りつめたのがわかった。
その時、
「お前、日本人か?」
ものすごく懐かしい言葉が聞こえた。え、日本語?
そう言ったのは、転校生のラルフだった。
☆和人
「おまえ、日本語できるのか?!」
思わず、チャドへの怒りも忘れて、オレは金髪で緑の目の級友を見つめた。
「ああ、オレの父さん、日本人だもん」
ええええー!
「マジで?その顔で、日本人?!」
思わず間抜けな質問をすると、ラルフは苦笑いした。
「顔は関係ないだろ、オレは母親似なんだよ」
そりゃまあ、確かにそっくりだったけど。
「オレ幼稚園のときまで、日本に住んでたんだ。日本語懐かしいぜ」
「そうなんだ。じゃあ、お母さんがアメリカ人?いや、さっきの言葉、英語じゃなかったような」
「へえ、よくわかったな。うん、オレの母さんはドイツ人だ。オレ自身はアメリカで生まれたからアメリカ人だけど。でも日本国籍も持ってるから日本人でもあるな」
なんか不思議だ。
アメリカのエレメンタリーで、金髪の男の子と日本語で会話してるなんて。
「お前、名前は?」
「榊原竜登」
「りゅうと、か。漢字は?」
は、初めて名前呼んでもらえた、なんか感動。って、え、漢字?
「漢字わかるのか?」
「うん、まあ、一応。言ったろ、どんな顔していようがオレは日本人だって。で、漢字は?」
「ドラゴンの竜に、山に登る、の登」
「登竜門かあ、かっこいいじゃん」
「とうりゅうもん?」
「知らないのか?あれだよ、鯉が川を溯ると竜になるって中国の伝説。こいのぼりで有名だろ」
オレの名前ってそんな意味があったのか。まさかアメリカで金髪の同級生から自分の名前の由来を聞くとは思わなかったぜ。
「オレは森川和人。かずと、は平和の和に人。和には日本って意味があるからオレの名前はまさに日本人、ってわけ」
「へえ・・・」
☆絆
突然、チャドがオレたちの間に割って入った。
何言ってるのかはわからないけど、怒っていることだけはわかる。
それに対して、ラルフ、いや、和人がなにごとか言った。すると、チャドは真っ赤になり何か捨て台詞を残して去っていった。
「なんて言ったんだ?」
「ん?無視するな、って言われたからさ。お前に用はない、って言ったのさ。実際用はないだろ?」
「うん」
「で、そんなことばかりしてると、ますますヴェーラに嫌われるぞ、って言ってやったら、引き下がった。うん、あれは相当ヴェーラに惚れてるな、気の毒に」
「きのどく?」
聞き返すと和人はにやりとした。
「ヴェーラはお前が好きだからさ」
え?あの、その・・・
今度はオレが赤くなる番だった。
「そうだ竜登、オレ、来月誕生日なんだ。パーティやるから来いよな」
「うん、行く、行く」
言葉が通じるってことはもちろんだけど、それだけじゃない絆をオレはこの金髪の日本人に感じていた。
ひょっとしたら、一生の友人になれるかもしれない、そんな予感。
ちょっと気が早いかな、でも、オレの予感は結構当るんだ。
「ヴェーラも呼ぶからさ、うまくやれよ」
和人はオレの耳元でささやいた。
こ、こいつほんとにオレと同じ年か?慣れすぎ。
などと思っていると、クラスの子がオレたちのまわりに大勢集まってきた。皆口々に和人に話しかけている、なんか興奮してるみたいだけど、何でだ?
「みんなおまえが口きいたんで、びっくりしてるんだ。前から友達になりたいと思ってたけど、何も言ってくれないから、嫌われてるのかと思ってたってさ」
「いや、そんな、オレは言葉がわからないだけで、嫌ってなんか」
和人がみんなに向かって何か言うと、みんなは歓声を上げた。
そして、口々にオレに話しかけてくる。やっぱり何言ってるのかはわからないけど。何か今朝までとは明らかに違う。なんだろう、そう、あたたかい感じ。
和人が何か叫ぶと、クラスメイトは奴の前に並んだ。
「なんて言ったんだ」
「そんなに一斉に話しかけたら竜登が困るだろ。質問のあるやつはそこに並べ!って言ったのさ」
こいつ、今日転校してきたばかりのくせに仕切るなあ、でも。
そういうとこがこいつのいいところのような気がする。
現に、「日本に帰りたい」って気持ちがいつの間にかどっかへいってしまっていた。
ちらっと、ヴェーラのほうを見ると、ヴェーラは和人に何か言われ、何故か真っ赤になっていた。おい、何言ったんだよ!
和人と目が合うと、にやっと笑ってウインクしてみせた。
な、なんだよ、それ。
そう思ったけど。
この先、ずっと灰色だと思っていたオレのアメリカ生活にちょっと色がつき始めた、そんな気がした。
END
じつは水聖はほんの少しの間だけですが、アメリカに住んでいたことがあります。
この話はもちろんフィクションですが、そのときに見聞きしたことがヒントになっています。
たとえば、この話に登場する金髪の日本人、和人。
明らかなヨーロピアンフェイスで流暢な日本語を喋られるとびっくりしますが、そういう子はアメリカにはけっこうたくさんいます。アジアの血ってなかなか表に出にくいので。そして、インド系の子に美形が多いのもほんとです。