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第八話 バニラノームと黒猫堂

大聖堂を背にして、雛子と肩を並べて歩くこと数分。

 キスハート学園特有の、木の床から少しずつ石が敷かれた床へと変わっていく。その不揃いの石畳の間からは雑草が伸びていて、どことなく古い遺跡かなにかを思わせる。

 僕達が歩く道にはもう既に天井は無くなっており、気付けばキスハート学園の敷地内ではあるものの、屋外に出ているようだった。


 等間隔に浮かぶ、古めかしいランプの火が辺りを優しく照らす。辺りに生える見たことも無い不思議な植物達は群れるようにして固まっていて、先端に咲いた小さな花がぼんやりと光っている。

 発光植物と呼ばれるその花の灯りが、仄かに足元を照らしてしてくれているのがとても幻想的だ。

 そして突然目の前に現れた巨大な扉。巨大、というしかない自分の語彙の無さにがっかりなのだけれど、自分の背丈の何倍何十倍という規模の、重厚かつ様々な魔術が施されている扉。

 魔術が施された扉というのは、様々な魔術を扉に重ね重ね唱えられた扉らしい。更に魔術陣を描いたり仕掛けたりする事で、防御壁として外部からの進入を遮断する役目を果たす。その幾重にも張られた魔術の種類は軽く百を越すのだそうだ。

 陰、防護、反射、隠蔽。迷彩や撃墜等など。今ではなんとなくわかるその扉の微妙な違和感も、きっと月の涙を身体に宿す前ならば、全く気付かなかっただろう。

 その鉄壁とも思える重厚で巨大な扉はキスハート学園の、外へ通じる正面扉。その扉を皆ゲートと呼ぶのだという。

 図書館でのやりとりの後、雛子が早速行こうということで、そのまま外へと通じるゲートまで連れて来てもらったという訳だ。巨大な扉が突然現れたなんて言ったけれど、ゲートの特性なのか、こんなに近くに来るまでその存在を認知できなかったのだ。

「で……でかいっ……こんなのどうやって開けるんだ」

 開いた口が閉まらない。そのまま馬鹿みたいな顔で目の前にあるゲートを見上げていると、隣で雛子が少し得意げにしていた。

「えへへへおっきいでしょう? このゲートが学園と外を繋いでいるんだよ。まぁ勿論他からも入園できるんだけれど、基本はこのゲートが出入り口なんです」

 それにね? と雛子は嬉しそうに説明を続ける。

「私は生まれた時からムーンガーデンにいたんだけれど、このゲートを開けられる人は実は私と、御祖父様と、あのメイドの格好した娘だけなんだよ」

「ええっ、そうなの? あの重厚な防御魔術でがっちがちに固められてる上に、更に開閉も限られた人か。こりゃ、いよいよ最強の扉めいてきましたな」

「過去誰にも外部から突破されたことないんだって」

「すごい! でもまだ実感ないけれど確かにこのゲートはそんな感じする。じゃあさ、このゲートから外に出るときは皆どうするの?」

 正確な数はわからないけれど、この学園に住んでいる人や出入りしている人の数は相当な人数になるはずだ。生徒のみならず先生もだし、物資搬入や月の祝福亭への食品の入荷。休みの人のお出かけやお客さん。ざっと考えただけでも、このゲートを開かなきゃならない機会が沢山ありそうだ。

 しかし、もしかしたらこのゲート以外にも出入り可能な場所があるのかもしれない。

「うん、このゲートを開くときは此処にいるメイドの娘に言うといいよ。ここに来ればメイドの娘がいるはずだから」

「雛子様、御巫凪様。お出かけで御座いますか?」

 雛子と話していると、いつの間にか僕達の傍らにはメイドさんがいた。一体いつの間にここに来ていたのだろう。気配もなかったし、物音一つしなかったので正直話しかけられて、驚いてしまった。

 前に会った時に長かったウェーブの黒髪は、肩位までの長さになっていた。相変わらず艶やかでよく手入れされているその髪を、思わず触りたくなってしまう。

 頭には白いフリフリがついた可愛いカチューシャ。白と黒のモノクロを基調としたメイド服は変わらないのだけれど、スカートの裾にもう一枚ひらひらの部分があり、この間はその部分がピンクだったのが緑色になっていた。黒と白を基調としたメイド服に、緑は合わないだろうと思ったのだけれど、なんか見ているうちに似合っているように見えてきた。いや、うん、凄く可愛い。

 表情も相変わらず殆ど無表情に近いのだけれど、やはりそれがまた可憐でよくできた人形のようで、可愛いというよりも凛としていて綺麗という印象は、以前から変わらない。

「あっ、メイドさんお久しぶりです。ってかいつの間にいたんですか、気付きませんでした」

「いえ、私なら最初から此処にいましたけれど……」

 無表情なのだけれど、心なしか寂しそうに俯いているように見える。しかしこれも、僕のただの都合のいい思い込みだったりして、メイドさんは特にどうとも思ってないのかもしれない。

「今から、凪と街に行くんです。えーと、外出しても大丈夫ですよね?」

「勿論で御座います雛子様。今日は天気も良いですし、買い物や散策には丁度いいと思います」

 天気が良い、という言葉にふと空を仰いだ。空には満天の星空が眩いばかりに輝いていて、天の川らしき光の脈も見える。勿論大きな月と、その近くに浮かぶ青紫色の惑星も揃って夜空を彩っている。

 澄み切った空気。地上と空を遮る雲もない絶景の夜空。感嘆の息を漏らしつつ、ゲートを再度見上げる。

 確かにメイドさんの言ったとおり、天気が良いようだった。

「雛子様と凪様にとって、良い日になりますように。どうか気をつけて行ってらっしゃいませ」

「ありがとう、じゃあ留守はお願いしますね? なにかあったら直ぐ連絡して下さい」

 そう微笑みながらメイドさんに言う。少し心配そうな顔にも見える気がするメイドさんの表情は、やはり無表情。

 そして雛子がゲートのとある部分、なにか蛇のような、蜻蛉の様なよくわからない生き物の模様が掛かれているところに触れると、その模様が淡く光りだした。そしてまるで大型の地震がきたかと思う程の地響きの中、ゲートが徐々に開いていく。この巨大なんてものじゃない程巨大な扉がこうして開く瞬間を近くで見ると、それはもう圧巻だった。

「じゃあ、行きましょうか。ね、凪?」

「いやぁ、初の外出。感極まるとはこの事だなぁ。改めて初めましてムーンガーデンって気分」

「ふふ、それなんの挨拶ですか?」

「楽しみ過ぎてどうしたらいいのか、わからなくなってきたよ雛子」

「その気持ちは解りますけれど、あんまりはしゃいで迷子にならないで下さいね?」

「そ、それは流石に恥ずかしいから気をつける」

 ゆっくりと開いていくゲートは金属が擦れる音を盛大に鳴らしている。その広がっていく隙間から差し込む月の灯りはやけに眩しく感じで、月もこんなに近くて大きいと太陽みたく逆光になるらしい。

 徐々に見えてくる景色の中、雛子と僕は吹き出すように笑いながら、そんなことを他愛もなく言い合っていたのだった。 






目の前に広がるムーンガーデンの外の光景。まさしく絶景と呼ぶに相応しい景色を前に、僕は立ち止まってしまい声を出せずにいた。

 空を見れば、学園で見上げたよりも広く見渡せる満天の夜空。星も、月も、その近くに浮かぶ謎の惑星も、空を埋め尽くさんばかりに大きく見える。

 遠くを眺めてみれば、海のようなものも見える。海のようなもの、というのは夜だからよく見えないという事もあるのだけれど、なんだか海面に白い霧のような靄が立ち込めているせいもある。

 その靄のせいで海が見えない程、海面を埋め尽くすように靄がうねっているその光景は、さながら異世界的で、幻想的。

「絶景や世界遺産を見ると、人は考え方や世界観が変わる。一種の悟りのようなものを開ける、なんて聞いた事があってさ。何言ってんだよ馬鹿か、嘘だよそんなのって思ってたけど……今ならなんか、わかるかも。鳥肌がたつよ。綺麗というか、幻想的過ぎて言葉に上手く出来ない」  

「えへへ、そこまで言ってもらえると私としても嬉しいかな。凪が今見てるこの景色が、私の故郷でもある訳だから、そういう風に褒められるとやっぱり嬉しい」

 少し照れを含ませながら、故郷の姿を見て想いを馳せる雛子のその横顔は、どこか大人びて見えた。

 学園のゲートから街までは、くねくねと左右に曲がりながらも緩やかで歪な傾斜。街まで続く長い石階段は、形の違う不揃いの石を組み合わせた物で、沢山の緑苔に覆われていたり所々割れている。そこから雑草や小さな花が顔を出していて、古めかしいのだけれどなんとなく田舎の神社の雰囲気を思わせた。

 石階段をゆっくりと下りながら階下に広がる街を眺める。

「街ってこんなに大きかったんだね。すごく綺麗で、優しくて落ち着くよ。そうだ雛子、この街ってどんな名前なの?」

「あ、名前ですか? この街の名前はバニラノームって言います。本当に沢山の人達がこの街で生活を営んでいますし、お互い助け合う意味で、この街とキスハート学園の関係も濃密なんですよ」

 統一感の無い区画や屋根の色、建物の様式。土の道、草の道。田園、花園。いい意味で田舎っぽいというか、古さが味を出していて見るものを安心させるような風景だ。

 此処からでもわかる程に賑わっている露天商の一角には、沢山の人で溢れかえっているのがわかる。もしかすると、酒場もあるのかもしれないその一角は特に賑やかだ。バニラノーム全体の雰囲気は確かに僕がイメージしていた雰囲気に似ていた。

「すごい賑わってるねー。それに、色んな店があって楽しそうだな。最初の説明会で先生がうっとりしていたのも、なんだか頷けるよ」

「あはは、確かその説明会の担当はルイ先生だったよね」

「そうそう、バニラノームの事を話しながらうっとりしてたのがさ、すごく印象深かったよ」

 主に酒場の話の時にうっとりしていた、とはなんとなく言わないでおいた。もしかしたら教師としての沽券に関わるかもしれないと少し思ったからだった。勝手な事は言えない。

「うっとりしちゃうのも仕方ないです。本当にいろんな店があって楽しいですもん。食材も豊富、酒や薬草専門店に、雑貨屋さんや(まじな)いの道具を売っている店もあるし。食べ物屋さんだって沢山だから、いつ来ても楽しいんだよ」

「いやもうそれ聞いてるだけで、既にこんなに楽しい気持ちになってるしね。実際その場所に行ったらと思うと、胸が激しく躍る気持ちだよ」

 じゃあ、早く行こうっと雛子は微笑みながら、数段降りていって僕を見上げている。僕は立ち止まって、雛子のその姿と、目の前に広がる外の絶景を眺めながら深呼吸をしてみる。

 澄み切った空気が僕の肺を満たす。僅かに含んでいる水気が肺にはとても心地よく、すごく美味しい。僕が歩き出すのを待ってる雛子を追いかけるようにして、歩を進める。

 満天の星が煌めく夜空の下、沢山の人で賑わうバニラノームに近づくにつれて、足元には見知らぬ草花がまた増えていて、街を照らす沢山の綺麗なランプが軒先や道端に吊るされているのをはっきりと認知する事ができる。その暖かく優しい街の光景に、自然と僕の歩く足は速まるのだった---





土の地面。

 アスファルトではなく、ほんの少し湿り気を帯びた土を踏みしめた時に伝わる独特の柔らかさ。大小様々の砂利、植物が生い茂る暖かくて素朴な道。

 バニラノームを歩く僕の瞳に映る全てが、どれもこれも今まで見た事のない位綺麗な光景で胸が躍る。初めて外国に旅行したのならば、きっとこんな風なんだろうと思う。

 目に映る何もかもに感動し、啓発されるような。自分の中の何かが強く反応するような、そんななんとも言えない特別な心境。

 点々と続く街灯のランプは、独特の古めかしさが残っていて黒錆や赤錆が少し付着している。店や民家に灯るランプは様々な形をしていて、模様も色も素材もそれぞれ全然違っている。

 鉄でコーティングされ、四方に硝子を張った重厚で味のある雰囲気のランプ。他にもステンドグラスランプと呼ばれるランプは、自由な模様と色合いだ。幾何学模様、他にも生き物を描いていたり植物を描いたものもあって、とても綺麗で見ていて飽きない。そんな沢山のランプが照らす空間は、もはや夢のような光景で胸が熱くなる。


 彼方此方から漏れる賑わいの声と音。しかしその音は不快なそれではなく、むしろ心安らぐ類の優しい賑わい。

 映画や漫画で見たような、杖をついて歩いているお年寄りや、頭の上に籠を乗せながら並んで歩く、スタイルの良い綺麗な女性。串に刺して炙った何かの肉を片手に、はしゃぎ回る腕白な子供達。店先まで客が溢れている酒場で、統一感の無いグラスを互いにぶつけ合っている、仕事を終えた年頃の男達。

 店から漏れる明かりは橙色の淡い光は、此処に居る人々を優しく包み込む。テーブルや男達の揺れる影が土の地面に伸びていた。

 この世界でのランプや蝋燭等の灯りは、僕がいた世界の電灯のように必要不可欠。なにせ、月が何度も昇る太陽のない世界なのだから。しかし僕が知らないだけで、実は昇っているのかもしれないのだけれど。

 街全体を包む橙色は、今まで感じたことの無い安心感と高揚感を生みだす。逆に、今までずっと白い光と、パソコンの画面に照らされ続けていたアパートや、義理の両親の小さな部屋に灯る無機質な蛍光灯の光の、寂しさと冷たさを思い出した。

 このムーンガーデンの、バニラノームという街は優しい。気を緩めると、目から汗が流れそうになるのに気付いて、僕は恥ずかしさから瞳を閉じて目頭を押さえたのだった。


「あ……外の光景に胸が熱くなりすぎて、キスハート学園の外観見るのすっかり忘れてた」

「あー、そういえば凪、一切振り返ることも無く目の前の景色を見渡してましたもんね。そのままこの街まできちゃいましたし」

 しまった……これはちょっとショックだ。今からでも間に合うかなと思って、ちらっと振り返って見てみても、山の方は靄っぽくなっていてキスハート学園の外観は一切見えない。

 かなり残念だけれど、ゲートを開けて目の当たりにするあの光景は、振り返るのを忘れても仕方ないような気もする。

 外観はまたその内見れるだろうし、折角外に出てきて街に来たのだし、潔く諦めることにした。

「そういえば雛子、おつかい頼まれたって言ってたけれど、何を買うの?」

 バニラノームに夢中になっていて、すっかり忘れていたけれど本来の目的はそう、雛子の頼まれたという買い物である。

 雛子に問いかける僕の視線は未だに定まらずにいた。バニラノームの光景を目に焼き付けるように、自分の居場所をここに作るように深く息を吸い込む。肺をバニラノームの空気で満たすように深く呼吸をしながら、ゆっくりと雛子の方へと視線を移す。

「うん、実はちょっと研究に使う材料とか頼まれてたんだ」

「研究? 雛子が研究を、ってわけじゃないのか。頼まれたんだもんね。そっか材料ね……因みにどんな材料か興味あるから、良かったら聞いてもいい?」

 雛子は少し、バニラノームを照らすランプの優しい灯りを眺めながら思案していた。時折指を折っていたのはきっと、頼まれた材料を一つ一つ反芻しているのだろう。

「えーっとね、まず竜の鱗粉でしょ? あと虚ろな瞳と、デルフィニウムの花弁に……時計皿と、空の小瓶と、硝子管に後はー……ああ、そうそうビールとチーズだった」

「いろいろ聞きたい所だけど、でもこれだけは言いたい。最後の二つ完全に研究材料と関係ないな! その研究者の酒とつまみの好みだけは、もう把握しちゃったよ」

「えへへ、うん。でももしかしたら研究に必要なのかもよ? ビールとチーズ」

 できれば焼き物もほしいとか言ってた気がする、と悪戯に微笑みながらそんなことを楽しそうに呟く雛子の足取りは、軽い。雛子もこうやって、バニラノームを歩くのが好きなのだというのが伝わってくる。

「ところで、材料の名前さ。なんか聞いた事もないのがやっぱり多くて、すっごい興味そそられる名前ばかりだったね。それはー……どこで売ってるの?」

「そうですか? 私にはもう当たり前の事だからなぁ。あ、凪、その店はここです。今、丁度着きました」

 そう促された先には、なにやら怪しげな雰囲気を放つ店。軒先からアーチを描くように何枚も民族布を垂らし、入り口も布で軽く閉じられている。時折吹く風に揺られて、中からランプの仄かな灯りが漏れ出している。その灯りを見つめながら、この店の室内がどんな風になっているのかぼんやりと想像してしまう。

 店先に吊るしてあるランプも、心なしか妖艶に感じる。幾つかのランプの内の中でも、蜻蛉を模ったランプが繊細且つ巧妙な作りだ。上に反り上がった尻尾の先端がランプの灯りの部分になっていて、ついつい見蕩れてしまう。

 この辺りの店や建物を見渡しても、やはりこの店が一際異彩を放っている。

 そして、そんな異彩を放つ店先で挙動不審にしていたせいか、周りから少し視線を感じた。あまり、好意的ではない類の、粘つく視線だ。

「な、なんか……ここは個性的な店ですねぇ雛子さん……」

「うん。あーでもでも、この独特の雰囲気が好きだーって言う人もいるんですよ?」

「うーん……まぁ実を言うと、結構僕も好きかもしれない。このなんとも言えず怪しい感じとか、何を置いてあるのかわかんない感じとか、なんか俄然わくわくしてきたもん。この店にさっき雛子が言ってた品物売ってるの?」

「はい。この店は黒猫堂というんですが、ここには薬、魔術薬等に使用する素材や材料が非常に良く揃っています。それこそ先程言ったものは、黒猫堂のほんのほーんの一部の商品なんですよ」

 まるで自分の事のように誇らしげに喋る雛子は、僕に微笑みかけながら店内へと入っていく。入り口に垂らしてある数枚の重ねてある民族柄の布が揺らめいて、店内のランプの灯りが漏れたのがなんだか、秘密の場所に誘われている気がして少しだけ、鼓動が早くなった。


 お香のような良い香りのする布をすり抜けて、僕も雛子に続いて黒猫堂に入る。

 ゆっくりと見渡してみると、店内は意外にも小奇麗にしてあった。

 いや、意外にも、というのも失礼な話なのだけれど、雛子が頼まれたという物が置いてある店を想像した時に、僕のイメージの補正もあってか足の踏み場も無いような場所を想像した。埃が溜まっていたり、乱雑に商品が散らかっていると思っていた。

 実際は想像したものとはだいぶ違った。

 壁際に並んでいる木製の古そうな棚には、からからと瓶が並んである。その中身は様々のようで、緑や黒といった沢山の種類の色の粉が詰まっていたり、まだ緑が映える草花や、乾燥させた植物のようなものもそれぞれ瓶に入っていて、大量に並べられている。全て同じ瓶ではない不揃い感が、なんだか僕の好奇心を駆り立てる。

 他にも用途のよくわからない色んな物や道具、綺麗なランプ等も置いてある。

 一箇所に集められた様々な種類のランプには、全て灯りが点いていて複雑に影を作りだしている。中にはステンドグラスランプもいくつかあって、その絶妙な色合いに僕は思わず感嘆の息を漏らす。一箇所に集められたランプを初めて見たけれど、強い感動を覚えるくらい綺麗で、独特な世界がそこに出来上がっていた。

 その近くの台には小瓶が並んでいる。小瓶の中身は液体のようで、その液体の色もまた様々だ。赤、薄い赤等、赤っぽい液体だけでも数え切れないくらいある。他の色の数も合わせると、気の遠くなる数になりそうだ。

 透き通った綺麗な色の液体が入った小瓶がランプに照らされていて、黒猫堂の室内は多種の色で染まっている。

 小瓶が置いてある台には、水晶やアメジスト、砂漠の薔薇、アクアマリンやラピスラズリなど、宝石と思われる綺麗な石が沢山並んでいる。さらに黒ずんだ何かの生き物のような物が入ったケースも沢山あって、いよいよこの扱っている商品の多さと不思議な雰囲気、尚且つなんとも言えない不気味さを実感してきた。

 なんだか第一世界の僕の部屋で、パソコンで見た欧州のまじない屋か雑貨屋にでも来たような気分になった。

「……いらっしゃいませ、っと……雛子様、でしたか!」

 雛子の後を付いて店に入り、店内を舐める様に眺めていた僕達にかけられた声。妙に歴史を感じさせる声。しかしながら可愛げのある声なのだけれど、どこか少しだけ枯れたようなその声は妙に頭に残るような、女性の声だった。

「黒猫堂の店主さん、今晩は。お邪魔します」

 黒猫堂の店主さんと呼ばれたその女性は、黒猫を抱きながら静かに店の奥から現れた。

 女性の腕の中で小さく鳴いた黒猫を、静かに下ろす。勢いよく走りだすこともなく、黒猫はマイペースに店内を散歩し始めた。

 そんな黒猫を優しい眼差しで見つめる女性は、今まで会った中でも断トツに魔術士っぽい見た目と雰囲気。黒のローブに身を包むその体躯は、どうやら細いようだが、よくわからない。

 というのは、ローブを纏っている為に身体の線が見えにくいという事だ。全体の雰囲気と、肩幅や身長を見てみて、ローブで体躯は隠れてはいるけれど、黒猫堂の店主さんは細めの身体という印象を受けた。

 ローブのフードを取った、黒猫堂の店主さんの顔つきは、声や風貌とは裏腹に可愛らしい顔をしている。僕が受けた第一印象よりもずっと若いのかもしれない。

 瞳の色は透き通るような青。全てを見透かされているような錯覚さえする、海のような蒼。優しく、穏やかでありながらも厳しい、海のようなそんな瞳。

 少しだけくすんだ様な長いブロンド色の髪は、首に近い位置で括られており、背中に向かって大胆かつ繊細に下ろしている。

 隣にいる雛子に向ける優しげな微笑みは、誰にでも出来るような類の笑顔ではなく、その笑顔の中に沢山の言葉と、意味を含ませたような笑顔。昨日今日出会ったばかりの人間が、見ず知らずの相手に向けれる笑顔ではないことから、雛子とは昔からの縁があるという事がなんとなく伺える。

 優しい微笑みをする女性なんだなと、その笑顔と醸し出す独特な雰囲気に目を奪われていた。

「今日は何を買いにいらしたんですか?」

「えーっとですね、これ頼まれたんです」

 ね? と、黒猫堂の店主さんに紙を渡しながら、雛子は振り向いて僕に微笑みかける。と、同時に初めてその時黒猫堂の店主さんから視線を向けられた。

「ところで雛子様、そちらの男性はどちらの方です?」

「えっとですね、こちらの方は御巫凪さんといって、学園で知り合った私の友人なんです」

「左様で御座いましたか、なら良かった。てっきり付き纏われているのかと」

 何気に失礼な事を呟く黒猫堂の店主の手元に視線を送ると、何やら怪しげに光るものが見えた。本能的に一歩下がり、背筋に冷たい汗が伝う。

「その、失礼でしたらすみません。店主さんの左手に握ってる物って……」

「ん? あぁ、これのこと?」

 そう無表情に差し出した左手にはしっかりと刃物が握られていた。何の刃物かと思って見ていたら、前住んでいた世界でも大変お世話になった包丁の類のようで、それが身近な刃物な事でなおさら恐怖を覚える。

「…………えっ、なんで包丁持ってるんですか」

「いや、例えばほら、君が怪しい奴だったとして、尚且つ雛子様を困らせている奴なら刺してやろうかなと思って」

「えぇぇぇぇー……なにを平然と物騒なこと言ってるんですか、そんな気軽な感じで人を刺そうとしないで下さいよ……」  

「気軽なんかじゃない、私の場合むしろ気重さ。それにしても、そうか雛子様の友人か。……珍しい。改めて謝罪するよ御巫君。私の事はまぁ適当に呼んでくれて構わないよ」

 なんだか不思議な話し方をする人だった。そして改めて謝られたのだけれど、黒猫堂の店主からはどこにも謝罪の色が欠片も見えない。そこはまぁ、そういうざっくりした性格の人なのだと諦めることにした。

「ところで店主さんのお名前、知らないんですけれど伺ってもいいですか?」

 そう問いかけると、少し困ったような表情で可愛らしく小首を傾げて上目で僕を見つめてきた。一挙一動が、何を考えての事なのか全く掴めない不思議な人だ。

「名前かぁ、私自分の名前忘れちゃったんだよね。だから、店名の黒猫と呼んでくれてもいいし、雛子様みたいに黒猫堂の店主と呼んでくれても構わないよ。あーそうだ、思い切って女神様と呼んでもらっても差し支えないな?」

「いえ、僕はがっつり差し支えるので遠慮しておきます。あと、そこで思い切っちゃう意味もよくわかんないです」

 冷たくあしらってみると、意外にも表情豊かにショックを受けたような顔をしていた。その後吹き出したかと思えば、からからと笑っていた。もしかしたら、打ち解けられたのかもしれない。

「はははは、あーいやいや笑った。あー……よしわかった、やっぱり君は刺しとこう」

 全然打ち解けられていなかった。




「まぁ、改めていらっしゃいませ。御巫君もゆっくりしていってね。それで、えーっと……なんだ読みづらい字だねぇ……この見覚えのある字で書いたのはまぁ、多分」

「はい、今日もあの人のおつかいなんです」

 その瞬間、ぞわっと背筋が凍るような、なにか生温い液体が背中を伝っていく気がした。僕は、なんとなく手に取った硝子の瓶をそっと置いて、黒猫堂の店主に視線を向ける。

 人を激しく憎悪する時の顔、表情はきっとこういう顔なのだろうと黒猫堂の店主の表情を見て、なぜだか冷静になってる僕がいた。しかしその表情の全てが憎悪という訳ではなく、中には諦めのようなものなどもあるようだ。好意とも取れるので、少なからずその相手を嫌っている訳ではないらしい。

 因みにこの人の顔色を伺う残念な特技は、いつの間にか身に付いていたものだ。

「あいつ、また雛子様を使って買い物させて……野郎、そんなにこれらが欲しいのなら、私が自らわざわざ持ってってあげてもいいんだけどねぇ?」

 ただただ笑顔が怖い。黒猫堂の店主が、その例の人に商品を持っていったらきっと、その例の人には包丁が深々と刺さってるような気がする。

「いやいや、私から行ってきてあげるって言っているので、だから大丈夫ですから。ね?」

「うーん、そうですか? 雛子様が言うのでしたら、まぁ……」

 雛子が軽く諭すと、黒猫堂の店主はすぐに大人しくなった。雛子と黒猫堂の店主って一体どういう関係なのだろう。結構強めに気になる。

「どれどれ、なんだっけ。竜の鱗粉と、虚ろな瞳……と、デルフィニウムの花弁に……時計皿と空の小瓶に、硝子管か。竜の鱗粉と虚ろな瞳だなんて、奴はなんか臨時収入でもあったのですかねぇ?」

 雛子から渡された紙を片手に、黒猫堂の店主は店内を歩き回る。粉が詰まっているようには見えない、綺麗な硝子細工を大切そうに開けて、中身を小瓶に詰めたり、カチャカチャと時計皿とか硝子官を用意している様は流石に店主。手際もいいし、様になっていて絵になる。

 最初は大人っぽくて静かな印象。その後話してみて、がさつで乱暴な印象だった。品物の準備をする黒猫堂の店主を何気なく眺めている今は、繊細で、優しい人なのかなと思う。

 まるで自分を守るよう、誰かを守るように色んな鎧を纏っているかのように、柔らかな印象を受けたのだった。

「まぁ、こんなもんかな。御巫君、雛子様には重いから君が全部持ちなさいな」

 そう笑顔で差し出す紙袋は二つ。外国のドラマかなんかで、スーパーマーケット帰りの主婦が抱えている大きな紙袋を彷彿とさせる丈夫な紙袋は、皺を拵えながら中身をしっかりと守っている。

「あ、はい。わかりました。って思ってたよりも結構軽いですね」

「まぁね。でも、自分は手ぶらで、女の子に平気な顔して荷物持たせるような男にはなるんじゃないよ? あぁ、あと中にビールとチーズも入っているから」

 それと、と黒猫堂の店主は続ける。

「あんまり雛子様をこき使ってると、貴様を解体してうちの商品として加工してやると、今から会うであろう男に宜しく伝えてくれたまえ御巫君。なんだったら出張サービスしてやってもいい、とも伝えてほしい」

 私はとっても優しいからな、と可愛い声で黒い事を呟く黒猫堂の店主の手には、やはり怪しく光る包丁が握られていた。まだ知り合ってもいないけれど、噂の男性には今からでも遠くに逃げて、身の安全を確保して欲しいと願う。もしくは上手に隠れていて欲しい。でないとこの店主は、いつかきっと本当に刺しに行くと思う。

 いつの間にか隣に居た雛子をちらりと見る。僕と黒猫堂の店主のやり取りを楽しそうに見ていて、時折声を漏らしながら、口元に手を添えて笑っていた。

 雑談もそこそこにという感じで、雛子はささっと会計を済ませて、店内を名残惜しそうに眺めながらゆっくりと出口へと向かう。僕もそれに倣って店内を見渡す。

 本当に様々な物に溢れかえっていて、その用途や原料など全くわからない商品ばかり。それは僕の好奇心を刺激するに容易い環境だった。

 黒猫堂。とても気に入ったので、後日また改めて来たいなと思った。その時、店主は包丁を持っていない事を祈るばかりだ。

「黒猫堂の店主さん、凪の事気に入ったみたいで良かったです」

 入り口に垂れ下がっている布をすり抜け、ランプと月の明かりに照らされる街へと出る。黒猫堂から出る際、散々な扱いだったけれど気に入られていたのっ? という僕の発言は、雛子から華麗にスルーされた。

「まぁ、それは否定はしないですよ雛子様。何やら、面白い方と御知り合いになられたのですね。ふふ、ではまたの御来店お待ちしておりますね。本当はもっとゆっくりしていってほしいのですが、用事があるのなら仕方ありません。どうかお気をつけて」

 初めて黒猫堂の店主さんに会ってから、今までで一番優しくふんわりとした笑顔だった。僕へはともかく、雛子へと向ける視線の柔らかさは、やはり黒猫堂の店主の本当の人柄が滲み出ていると思う。見ていてこっちまで暖かい気持ちになる、そんな表情なのだ。

「じゃあ、いこっか凪。黒猫堂の店主さん、有り難う御座いました。また来ますね」

 黒猫堂の店主さんに見送られながら、バニラノームを照らすランプの優しい灯りの中に僕と雛子の二人は溶けて、混じり込む。


 相も変わらず空に浮かぶ謎の惑星と大きな月。満天の星空。酒場から聞こえる笑い声の中、僕達は頼まれた物を持っておつかい主が居るという建物に、ゆっくり雑談を交えながら歩いていくのだった。


 


 


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