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第六話 図書館と古書の馨

窓から差し込む月の灯りが、部屋をしっとりと幻想的に彩る。月の灯りはいつだって変わらずに人を優しく包み込み、暖かい気持ちにしてくれる。

 僕の部屋に備え付けられたランプに火を灯す。ソファーに深々と腰掛けると、端っこにある冷蔵庫から取り出していた冷えている瓶の水を、そのまま一口飲む。

 瓶のまま飲む、というだけで心なしかいつも飲んでいた水道の水よりも、ずっと美味しく感じるから不思議なものだ。


 僕は授業を終えた後、誰かと話したり出掛けたりすることも無くまっすぐ自室へと戻ってきた。

 自分の部屋もまだゆっくり眺めていなかったという事もあったし、折角もらった自由に使える時間で、まだ住んで日が浅い自分の部屋に少しでも慣れておきたかったからだ。

 自分だけの空間があるっていうのは心に一つの大きな安堵感をもたらす。現に授業から部屋に帰ってきた僕の心は非常に穏やかだ。

 瓶のまま飲んでいる水はテーブルの上で静かに波打っていて、雫が中で滴り落ちている。その様子を黙って見ていても、今ならば何時間でも過ごしていられる位に穏やかな気持ちだ。

「あー……でも本当、さっきの授業凄かったな。改めて魔術を目の当たりにしてしまった。でもよくよく考えたら、僕ってあんまり成果なかったような気もする」

 いや、異能士と判明した事が先生達にとっては、一つの成果なのだろうか。そういえば授業の初めに魔術士と異能士を見分けれるから一石二鳥とかなんとか、アゲート先生は言っていた。

「月の涙……アウラによく似たあれは、一体僕の身体に何をもたらしてくれたのか。異能士として、僕には一体何の力が宿ったのか」

 月の涙、とは入園の儀式の際キスハート園長から渡された、アウラに似た魔術の種と呼ばれる例のもの。

 それを身体に取り込む事で魔術を扱えるようになるとかなんとか。確かにあの月の涙を受け取った瞬間から僕の中で何かが革命的に変わり、魔術の事を無意識に理解し、身体の中に宿った魔力と呼ばれる力を感じる事が出来ているのは確かだ。

「まぁ、ゆっくり頑張ろう。別に急かされている訳でもないし、焦る必要もないはずなんだから、気楽にしてたほうが良さそう。それよりも今はこの世界の様々な事に慣れていく事の方が、僕にとってはよっぽど重要だなぁ」

 色々とありすぎて、何日もこのムーンガーデンで過ごしていると勘違いしてしまいそうになりそうになるけれど、実際はまだ多分二日か三日位しか此処で過ごしていない。事実、この部屋で生活しているという実感もまだ全然沸いていない。入居したてのアパートのような高揚感はあるのだけれど。

 なので、折角時間があるから少し部屋の中を探索してみる事にした。もしかしたら壷や箪笥を調べるとこの世界のお金や薬草が出てくるかもしれないし。……いやまぁ、それは無いか。


 改めて自分の部屋となったこの空間を眺めていると、本当に北欧風というか、絵本の中に出てくる部屋のようだ。内装に用いている素材の木材は見ていても、香りを嗅いでいても暖かみを感じる優しい空間にしてくれている。

 見渡せば殆どの家具が木製で、やはり素朴で暖かい雰囲気の家を思わせる。ベッドも木製で、腰掛けたり、身体を沈めたりした時の木材の軋みがなんとなく心地よい。

 布団や敷布団に珍しい模様が刺繍された布で包まれていて、民族調に仕上がっているのが絶妙に雰囲気を出していて、非常にお洒落だ。

 そして決して綺麗な造形ではない、良く言えば歪でデザイン的な、くすんだ焦げ茶色の木製の本棚には、重厚で古そうなカバーの本がいくつも並んでいる。その何冊かを触ってみると、古本が放つ独特の香りが鼻腔を突く。本好きな僕にとっては、こんなヨーロッパな雰囲気の本棚に好きな本を並べるのは夢であり、並んでいる本からほのかに放たれる匂いにはむしろ至福すらも感じる。

「えーっと、これは……魔術薬学。よくわかる魔術……魔術の呪文について、か。これは教科書的な本か」

 何冊もあるその本の中から適当に一冊を取り出してみる。まるで辞書の様に分厚く、まさしく重厚でずっしりとした重みがある。表紙は所々汚れていたり、ページの端が痛んでいたりと、今まで沢山の人に何度も何度も大切に読まれてきた本なのだと感覚で解る。

「ざっと読んでみてもまぁ……うん、当然ながら全然解んないな。それより、言語自動翻訳みたいな魔術がこの世界もしくは学園全体に張ってあるのかな? このことは実はずっと気になっていた事なんだけれど、誰の言葉でも理解できるんだよなぁ。恐らくというか確実に皆日本語を喋ってるわけではないと思うんだけれど。それにこの本だって……」

 今手にしている本だって読めるのだ。問題無く読めてしまっている。日本語で書いてあるはずなど無いのだけれど、いや実際書いてある文字は日本の文字であるところの、ひらがなや漢字ではないのだけれど。その文字の意味が頭の中に流れ込んでくるというか、見た事の無い文字を理解できてしまうなんとも不思議なこの感覚。

「文字を理解するのと書いてある内容を理解するのは別物なんだけれどね。全然わかんないや」

 テストでだって文字は読めても、解けない問題があるように。この本も読めはするけれど理解は出来ないのだ。……そう自分に強く言い聞かせることにした。そういうのは結構大事なのだ。

 他にも、文学的な小説やファンタジー小説。自己啓発本、様々な雑誌など結構充実した内容の本棚だということがわかった。時間があるときは是非全部読みたい。第一世界でのアパート暮らしの時は寝る前に本を読む習慣があったので、本がこうやって用意されているのは凄く嬉しい。正直枕元に本がないとちょっと落ち着かないのだ。

 本の感触を手のひらに残して、他にも何かないか部屋を見渡してみる。けれど、そこまで色んなものが用意されている訳ではないので、特別調べたい物も実はない。

 ただ、僕の住むこの部屋の適度にさっぱりしているというか、余計なものがない感じはとても気に入っていた。それもまだ引越してきて間もないからだけれど。

 これから少しずつ雑貨や生活必需品が増えていくと思うと、胸が躍る。模様替えは昔から好きなので、自分の部屋の模様替えをどうしようかと考えているだけで、楽しい気持ちになる。

 部屋の探索を終えた僕はソファに深く座り、テーブルに置いていた瓶に入っている水をそのままぐいっと飲む。キリッと冷えた水はやはり、今まで飲んでいた水よりもずっと美味しく感じたのだった―――





 自分が生活する事となったこの部屋をじっくりと眺める。空気を深く吸って、身体に馴染ませていく。そして一つ一つの家具や置物を軽く撫でるように触っていく。そうするとなんとなくここは自分の場所、自分だけの場所になるような気がする。

 僕がまだずっと幼かった頃、育ててくれた義理の親から与えられた小さな部屋でも同じことをしたし、ムーンガーデンにくる前に住んでいたアパートでも、やはり同じことをしたのを思い出した。

 なんだか少し懐古というか、柄にも無くノスタルジックな気持ちになった。

 今のところ一番ゆっくりできて落ち着くことができるソファーで、身体を存分に沈ませて座る。そしてふと見た時計の針は夕方と呼ぶには少し早く、まだまだ時間は余っている。夕食の時間まで当然まだ早そうだし、多少疲れてはいるけれど寝るにはやはり早いし勿体無い。

「よし、まだまだ時間もあることだし学園内をちょっと散歩しに行こう」

 テーブルの上に置いてある、綺麗な模様の瓶に入っている水をもう一口飲んで、コルクで栓をして冷蔵庫にしまう。因みにこの冷蔵庫は電気で動く第一世界の冷蔵庫と見た目からなにからなんら変わりはないが、なぜかどこを探してもコンセントが見つからなかった。科学力もそれなりか、それ以上に発達しているのかもしれない。

 基本的に僕が今まで生きてきて得た知識だと、科学と魔術は相対している相反するものだと思っていたのだけれど、この世界だとそうじゃないのかもしれない。

 そのどちらかが発達すると、もう片方が衰退する。幸せなものがいれば誰かがどこかで不幸に。誰かが笑えば誰かがどこかで泣いている。誰かが生まれれば誰かが死んでゆく。太陽が沈めば月が昇る。いや、どれも一概にそうとは断定できないし妄言も甚だしいのだが、世界の因果は決して変えられないし、万物は対極し、その全ては両義である。

 科学が発展したからこそ、魔術や魔法と信じられていた類は今ではその仕組みが科学力で暴かれて、空想の産物となってしまった。

 第一世界のその昔、呪いや占い、魔術行為を行なう者や、魔術を崇拝する者は容赦なく差別され、畏怖とされ、異端とされた後に迫害された。

 そこには目も塞ぎたくなるような、数々の凄惨で残酷な歴史が確かにある。もしも科学が発展していなかったら魔術や魔法が栄えていた世界、あるいは科学と魔術が交わる世界が存在していたのかもしれない。

 もしくはこの雄大な宇宙のどこかで。

 そんなことを思っていると、些細な事でも胸が躍る自分がいてなんだかくすぐったい気持ちになった。そんな気持ちを隠すように、オールドアから自室を出ることにした。

  


 木漏れ日、いや木漏れ月というべきか。廊下の窓から臨む沢山の木々の葉は緩やかに揺れ、その間から木漏れ月の灯が差し込んでくる。窓もシングルハングで、下から上へ押し上げるタイプの綺麗な窓は、いかにも北欧の田舎風な雰囲気が出ている。

 もしも太陽が昇っていて、雲ひとつ無い晴天にシングルハングの窓を思いっきり押し上げた時にこの身を拭き抜ける風は、なんともいえず心地よい事だろう。なんだか少し太陽が恋しくなってきた。

 試しにシングルハングの窓を押し上げてみる。開けてみると意外にも爽やかな風が吹き抜けて、外に生い茂る木々の香りがまた良い。差し込む月明かりは優しく、月とそのそばの惑星は大きい。お酒が飲めたなら月見酒なんてしてみたくなる程、素敵な月と空だ。

 あれから僕は部屋を出て、天井の綺麗なステンドグラスを少し眺めてからロビーを足早に抜けた。それからアウラに乗って寮棟を出て、大聖堂の方へ何の気なしに歩いていた所で思わず月や月明かりの木々が目に入り、立ち止まって窓の外を眺めていた。

「あれ? よく見たらこんな所に階段があるな。いや、注意して見ないと解らないって程でもないけど……今まで何回か此処通っていたのに、全然気が付かなかったな。通る度に疲れていたせいもあったのかも知れないけれど」

 まっすぐに伸びる廊下。その途中に三つの分かれ道があって、その片端には階段がある。因みにもう片方にはまた廊下が伸びていて、その途中には訓練用中庭がある。例の基礎魔術の授業を行なった場所だ。真っ直ぐ進めば大聖堂がある。

 今日はゆっくりとした、あても無い散歩なので、まだ行ったことのない階段の方へ進んでみる事にした。 

 階段もやはり木製。歩くたびにギシギシと懐かしい音がする木の階段。手すりも当然木製で、複雑な模様が彫られていて高級感が漂っている。そんな手すりを触っていると妙に落ち着くのは、日本の建築は元々木造だったからだろうか。その階段は少し薄暗いのだけれど、中で吊るされたランプがゆらゆらと優しい灯りで階段の足元を照らしている。僕にとっては丁度良い暗さで、すっと気持ちが落ち着く。

「おー、部屋がある。えーと……あ、図書館だ」

 階段を上りきると、新たに廊下が前方と右方に伸びていた。左側に視線を移すと重厚な扉があり、その入り口には落ち着いた配色と模様の、モダンなカーペットが敷かれている部屋があった。壁から吊るされた黒錆が残るチェーンに看板が付いていて、そこには【第十六図書館】と書かれていた。

「……うわー第十六って。少なくともこの図書館の他に十五部屋あるってことになるもんね。もしくはそれ以上か。凄いな……読みきれない程の本があるなんて、胸が熱くなる」

 まじまじと目の前の第十六図書館の扉を眺める。昨日今日ムーンガーデンに来たような新入生が図々しくこの場所に入ってもいいものなのだろうか。入った途端に、中で読書中の人達からの侮蔑や嫌悪の視線を浴びてしまうかもしれない。もしそんな視線を浴びてしまったら僕はもうこの場所には来れないし、しばらく誰にも会いたくなくなってしまう。

「でも……」

 正直言って入ってみたいし、見てみたい。この世界に図書館があるのなら、必ず行こうと心に決めていたこともあり、知識欲や興味が不安を上回ってしまった。

 恐る恐る扉に手をかける。不気味なほどひんやりとした取っ手を、緊張して微妙に震えている手で掴んで回す。重厚な扉は意外にも簡単に開き、その軽さはむしろ自動扉なのではと思うくらいだった。そのまま中へと誘われるかのように室内へと入る。

 まず一番に感じたのは、扉を開けた時に感じる古い本の放つ独特の香り。古書が今まで過ごした時代や環境の、塗り重ねられた匂いと香り。紙が長年空気に晒されて湿気と乾燥を繰り返し、沢山の人に読まれて磨耗した紙の芳香。

 本を開いたときにページの風に乗って香る古書の不思議であり独特なその匂いは、この本が書かれた時代や内容の中に流れ込んでいくような感覚がしてとても好きな匂い。勿論新刊の香りも、一日中本に囲まれて過ごしても良い位に好きだ。

 そして開けた扉の奥に広がるのは、本に支配された図書館独特の空間。それも、高い天井の近くまで届く程の巨大な本棚が、部屋の中に無駄なく設置されている。それでいてその本棚と本の量の迫力に圧迫感を強く感じることも無く、まるでずっと過ごしていた自分の部屋かのようにリラックスできる。何千、何万冊とあるであろう本は綺麗に本棚に陳列されており、読み手が現れるのを静かに待っているようだった。

「うわ……これは、予想を遥かに超えて凄い……」

 部屋の中央には艶のある足の長めなテーブルが幾つも並んでいて、図書館の雰囲気を壊さない落ち着いたこげ茶色でありながらも、独特なマーブル模様がお洒落なテーブルだ。

 そのテーブルを沢山の本棚が囲っている形になっていて、壁際から中央に向かって等間隔に並んでいる。テーブルの下には扉のところにあった絨毯と同じ模様の、大きめな絨毯が敷かれていた。

 そんな、言葉通り静寂な空間。本に囲まれたこの場所だけは時間が進んでいないような、周りの事象から取り残されてしまった場所のよう。

 少しだけ耳鳴りがする程度の無音が、この図書館を本の香りと共に支配していた。それが僕にはとても居心地良く感じた。 

 そんな場所の、一番真ん中にあるテーブルには女の子の姿があった。

 女の子の目の前には何冊もの本が積み上げられていて、僕が入ってきた事にも気付かずに分厚い本を熟読していた。その読書姿はまるで、細部まで精巧に作られた人形のセットのよう。もしくは映画だ。洋画でのワンシーンに登場しそうな程、幻想的且つ独特な空気を生み出している。話しかけるのも躊躇ってしまう程、この図書館という空間に溶け込んでいた。

 そして僕はその女の子の名前を知っている。

「久しぶり、雛子」

 ビクっと身体を震わせて、椅子を軋ませてガタリと鳴らす。相当にびっくりしたのか、分厚い本で咄嗟に口元を隠しながら僕の方に視線を送っている。

「……っ? あ、あぁ、誰かと思ったら御巫凪さんですか。あぁ、びっくりしました……」

 どこか安心したような表情で胸を撫で下ろした様子の雛子は、分厚い本をぎゅっと抱きしめながらとてとてと此方へ小走りしてきた。なんだか僕のアパートの近所に住んでいたおばちゃんが飼っている小型犬を思い出してしまった。可愛い。

「あ、フルネームはなんだか堅苦しいしさ、凪でいいよ?」

「そうですか? それはちょっと照れますね。私そういうの全然慣れてなくて、あうう……じゃあ……な、凪。どうしたのですかこんな所で。まさかまた迷ってしまってしまったとか」

「いやいや、大丈夫。迷ってここに辿り着いた訳じゃないから。今日はもう授業ないからさ、学園内を散歩してたんだ」

「あ、そうだったんですか。……今日はもう授業ないのでしたっけ。そういえば凪、無事に入園できたみたいでよかったです」

 そう呟くと、雛子は少し頬を赤らめて微笑んだ。ふわりと空気を含んで柔らかく、ゆるくパーマがかかっているような白に近い金の髪がゆらゆら揺れる。

 僕を見つめてくるその瞳はぱっちりと二重で大きく、色は最初に出会った時の通り右目が黒で左目が艶やかで綺麗な宝石のような白藍色のオッドアイは、その瞳の中に吸い込まれるような錯覚を覚えるほどに神秘的だ。

 服装も変わらずナチュラルカラーで幾重にも重ね着したような民族衣装のようで、胸元には金属でできた綺麗に装飾された三日月のネックレス。右の耳には前にネックレスにしていた物と同じ、奇抜な形の中にもどこか繊細で綺麗なデザインのピアスが相変わらずゆらゆらと揺れていた。

「あの時は本当に助かった。今思い出しても足が竦むよ。その後にしてもらった雛子の案内もなかったら多分しばらく迷ってたし、改めて、有り難う雛子」

「い、いえそんな……でもあの時は危なかったですもんね。凪、食べられちゃうところでしたし。その後、順調に事は進みましたか?」

「うん、入園の儀式も無事に済ませたし。さっき初めての授業も受けてきたよ。基礎魔術訓練って授業なんだけれど」

 先程雛子が座っていたテーブルの方へ移動しながら僕はそう言うと、テーブルに積み上げられている分厚い本の中から適当に手に取った。古い本独特の匂いと触り心地に、改めてこの場所の居心地の良さを感じる。

「新入生の始めての授業は、いつだって基礎魔術訓練なんです。実際に魔術を扱ってみて、月の涙によって体内に構築された魔力を、術者の身体染み込ませるって意味もあるし、ムーンガーデンという全くの異世界に来たんだという事実を受け入れる為に魔術を扱わせる、という意味も込められているみたい」

 僕に続いて隣に座った雛子は、テーブルに身体を預けながら物語を紡ぐようにそう話してくれた。語りながら閉じられた瞼に被る睫は長く、繊細な硝子細工のように綺麗な横顔にドキっとしてしまった。

「へーそっか、あの授業にはそんな意味も込められていたんだ。でも言われれば、うん。納得の理由かも。前者は僕にはまだよく解らないけれど、後者はよく解る。実際僕もそうだったから」

「ここが貴方達にとって、異世界だなのだと……凪も実感させられた?」

「まぁムーンガーデンに来てからの出来事の一つ一つが強く実感するに値するものだったけれど、あの基礎魔術訓練を行なっている中庭の光景は、異世界に来たっていう事実を実感するのに十分過ぎるくらい強烈だった。ただ……」

「ただ……?」

「僕はさっきの授業では魔術を唱える事が出来なかったんだ。分類的には異能士らしくってさ。まだ能力も解らないらしくて、まだ僕自身魔術を体験していないのが少し気になってる。せっかくだからやっぱり使ってみたいしね、魔術」

「そうだったんですか。でもでも、やっぱり異能魔術士って独特の能力を持っているから、此処の個性が目立つし、私はとっても好きですよ?」

 無垢な笑顔でそう言うと、雛子はふわりと微笑んだ。優しい笑顔を出来る女の子は心もきっと綺麗で、その優しさや暖かさが外見まで滲み出るのだと僕は思う。

「ありがとう。じっくり自分の特化したという能力をこれから探すよ。その為の授業もきっとあるだろうし。あ、でもまさか……能力はなにもありませんでしたーなんてオチはないよね?」

「うん、月の涙を身体に宿したのならそういう事はないと思いますよ? 絶対とは言えないけれど、今までそういう人は居ませんでしたし」

「そ、そっか。それはちょっと安心した。そういえば雛子はどんな能力を持ってるの?」

「えっ? うーん……それは今は言えないかなっ」

 質問した瞬間に少し表情に陰りが見えた。聞いちゃまずいことを聞いてしまったのかと思っていると、僕に向けられた雛子のぎこちのない笑顔。数秒前の発言を撤回出来るのなら今すぐにでも撤回したくなった。

「別に秘密にするようなものでもないんですけれどね。只あんまり言いたくないと言うか……私の能力を言って今までにいい思いなんてしたことないですし。……凪には嫌われたくないし」

 目を伏せる。長い睫が揺れる。幼い身体が、繊細で華奢なその身体が小さく震えている。その身体に刻まれた思い出や記憶の事を僕は何も知らない。何も知らないって事はふとした事で人を傷つけてしまう。

この小さな身体に、辛く、そして暗く重い記憶を僕の無神経な一言で掘り起こさせてしまったのかもしれない。

「いやいや僕もデリカシー無さ過ぎた、ごめん。でもこれだけは言っておくけれど、何に特化しようが何の能力だろうが僕は今まで通り雛子に接するし、これまで通りというかこれまでよりもずっと仲良くしたいと思っているよ。逆に嫌われるだなんて思っていたことにショックを覚える位だ」

 だから気にしないで、言いたくないならそのままでもいいから。と呟きながら僕は雛子の綺麗な瞳を覗き込む。図書館を灯すランプの小さな光りが反射して光っているせいなのか、覗き込んだ瞳は少し潤んでいるように見えた。

「良かった……ありがとう、凪。……私ももっと仲良くなりたいな」

「うん、折角出逢えたんだしさ。これからもっと仲良くなれるよきっと」

「えへへ、うん。あ……凪。あのね、それこそ折角だからちょっと聞いて欲しい事があるんですけれど」

 頬を赤らめて、軽く目元を袖口で擦りながら改まってそんな事を言い出す雛子。

「なに? どうしたの改まって」

 空気が少し張り詰めていくのがわかる。雛子が感じている漠然とした怯えや不安が、空気や此処に集められた本に影響して、図書館の物寂しさや薄暗さが際立ってくる。



「最近学園の生徒が消えているって話、凪は聞いたことある?」


 生徒が消えている。雛子の放ったその言葉はあまりにじめじめと暗く、その言葉の意味する出来事を想像するだけで、今起こっている事の危機感に冷や汗が出てくる。どろっとした粘り気のある黒い塊となった言葉は、深く深く頭の中に響き渡ってじわじわと染み込んでいくのだった。





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