第五話 魔術と異能、浮かぶ月と星
月の祝福亭。壁に掛けられた様々な絵画を照らすランプや蝋燭の灯りは、部屋に優しい陰影を生む。
棚に置かれた用途のよくわからない置物達や、見た目貴重そうである綺麗な瓶の中の薬や酒は月の祝福亭の優しい灯りを受け、そこに溶け込んでいる。
そこは学園の憩いの場であり、癒しの場。情報が交錯する場所。新入生である僕達にも優しい月の祝福亭は、昼時でも様々な人達で賑わっていたのだった。
学園の食堂である月の祝福亭にて、僕は少し早い昼食を水無月と食べ終えた。
まだ若干身体に疲れが残っている事もあり、午後の授業までお互い休むことにして水無月と別れた後、僕も自分の部屋へと戻る事にした。
午後からの授業は基礎魔術訓練。
授業場所は学園の内部にある中庭、つまりは室内ではなく空の下で行なうらしい。
徐々に人が集まりだした月の祝福亭で小耳に挟んだ情報によると、中庭といってもその広さは平均的な庭のレベルを軽く凌駕していて、あそこを庭と呼ぶのは怪しいと言う程広いらしい。
これは勝手な想像なのだけれど、東京ドーム位の広さはありそうな印象だった。
部屋へと戻るため、アウラを使って寮棟へと向かう。
初めて見たときはアウラの見た目やその存在感、得体の知れないモノに対する驚きで絶句したものだけれど、今ではなんだかんだ言って慣れはじめてきているし、なにより一人で扱えるようになっていた。
自分の中に確かにある魔力という不思議な感覚が、アウラに呼応しているのがわかる。でも、相変わらずアウラがどういうものなのかは、よくわからないのだけれども。
アウラによる移動を済ませて部屋に戻り、ソファーに横になってゆっくりしていると、非常に強烈な眠気に襲われる。
満たされた胃袋がそうさせたのか、はたまた疲れがそうさせたのか。
そのまま目を閉じて、少しだけ瞼の裏の闇に浸る。心地よい暗闇に身体が休まっていくのを感じる。目まぐるしい状況の変化に脳も疲れているらしく、数分も経たない内にすとんっと意識が無くなった。
しかし、睡眠はいつだってあっという間に時間が過ぎてしまうもの。重すぎる瞼を押し上げ、僅かに開いた隙間から見えてしまったアナログ時計の針が示すのは、もう既に午後の授業の時間ちょっと手前。
壁に掛けられたアナログ時計を忌々しく見つめながら、休憩もそこそこに授業に向かうことにしたのだった。
午後の授業は中庭。なんだかんだで中々起きられず、時間ぎりぎりに部屋を出てしまった為、知らない中庭まで着けるか不安に駆られながらもなんとか無事に到着できた。
中庭の広さは尋常じゃない広さだとは事前に知っていたのだけれど、案内書を片手に中庭に到着した時はそのあまりの広さに驚いた。
案内書にはただ中庭とだけ記されていたが、実際の規模はやはり僕の想像を遥かに超えていた。ドームなんて言ってられない、なぜなら今立っている入り口から中庭の果てが見えないのだ。なにかそういった類の魔術なのかもしれないけれど、終わりの見えない空間が目の前に広がっている。
中庭に出てみると緑鮮やかな芝生が辺り一面に敷かれており、歩いてみると土の軟らかさが足の裏から伝わってくる。所々に植えられている木々の若い緑の香りがふわり風に乗ってきて、その青い匂いには清々しさを覚える。
そして空を見れば、満天の星空。今にも零れ落ちてきそうなほど散りばめられた星々は、どこになんの星座があるのかなんて確認できない程に沢山輝いている。
その中でも一番驚いたのは月と、その側に有るはずのない大きな星が浮かんでいた事だ。
ふわり浮かぶ月の何光年離れた所に浮かんでいるのかわからないけれど、見たことのない色と大きさの惑星もしくは衛星が淡い紫と薄い青に光りながら、そこに在るのが当たり前かのように月の側で浮かんでいる。
ムーンガーデン、というか地球との距離はどのくらい近いのか、どの位の規模なのかはわからないけれど、その謎の惑星の表面がいくらか見える位には近いし、月との距離も非常に近く見える。そして足が竦んでしまう程、月もその側の星も巨大である。こんな幻想的な絶景は想像の中や、ネットで閲覧できる誰かが描いたイラストでしか見たことがなくて、実際目の前にするともう何も言葉が出てこない。
言葉がでない光景、という意味をなんとなく知った。
その青と紫に光る惑星と月との、二つの光りで中庭は特にランプもライトも要らない位明るいので、証明器具は此処には一切必要ないようだ。そんな幻想的な空の下、基礎魔術の訓練授業が始まった。
「よーし。じゃあ基礎魔術訓練を始めるから、一旦集まって並んでくれ」
そう声高らかに僕達新入生を集めたのは基礎魔術訓練担当のアゲート・ジンバック先生だ。真っ黒いローブを身にまとい、三角帽子を片手に仁王立ちしている。
短髪で、凛々しい顔立ちをした先生はブカブカのローブで体格はわからないけれど、背の高さや肩幅を見る限り、体格は結構ガッチリしているようだ。正直魔術を嗜んでいるというよりかは、どちらかといえば体育会系という印象の先生だった。こう、大剣か斧をぶんぶんと振り回して敵に突っ込んでいくようなそんな感じ。RPGならば前線。きっとローブ脱いだらもう筋肉とかガチムチなんじゃないだろうか。
「よし集まったな。えーお前ら新入生にとってはこれが初めての魔術となる訳だ。緊張している者もいるかと思うがまぁ、適当にリラックスして臨んでくれ」
周りには期待と少しの不安に胸を膨らます、沢山の同期たちと僕。中には勿論クイナや水無月の姿もある。
「先日の通過儀礼、入園の儀式を受けてきたお前らには、もう己の中に魔術の種を飼っている事になっている。で、魔術には枝分かれする沢山の種類が在るって事は、あの時キスハート園長も説明してくれたと思う。因みに先生はー……」
そう言うと「説明より見たほうが早いんだよなこういうのは」と呟きながら静かに目を閉じた。瞬間、アゲート先生の体から目が眩む程の閃光が一瞬放たれた。周りからもその光度の強さからか小さな悲鳴がちらほらと漏れていた。
そんな突然の閃光に皆困惑していると、そこには俄かに信じがたい光景が広がっていた。
半獣。半獣とはそのままの意味で上半身または下半身が人間で、他の半身、または体の一部分が獣の姿をしている事、だ。勿論今まで神話やアニメ、漫画などで見たり聞いたりしたことはあったけれど、まさか。まさか閃光で目が眩み、それが落ち着いた時目の前にいきなり現れているなんて誰が思うだろう。
「先生はな、変体に特化した魔術士だ。変体できるのはまぁ基本的にはこの姿。まぁ聞いた事ある者もいるかもしれんが、神話とかで有名なケンタウロスだ。特徴は身体能力や魔力が格段に上がる特性がある。そして、魔術士とはオールマイティに魔術を扱える者。各自特化した能力を中心に努力とセンス次第で、沢山の種類の魔術を覚えることが出来る訳だ。例えばこんな風に」
そう呟くとアゲート先生は右手を宙に掲げる。目を閉じて、口元を動かして何かを黙唱すると先生の手のひらには小さな火が現れていた。
因みにさっきまでもっていた三角帽子はなく、かわりに左手には重厚で巨大な弓を手にしている。
「これは火の魔術。先生は火属性に特化している訳ではないので、その筋の人の炎魔術には敵わないのだがこの位は出来る。いや、出来るようになった」
先生の手のひらで小さく燃え続けていた火は、徐々に球体になっていく。その色は炎の赤を基調に、高温になった際に見える黒色等がマーブル状に球体の中で渦巻いている。先生はその球体を大きな手で握り潰すと、数秒も経たない内に中庭の僕達がいる所よりずっっと向こう側で激しい火柱が上がった。ビリビリと空気が振動し、熱で酸素が薄くなり少し息苦しい。その規模はここまで十分に熱が届くほど。
思わずこの熱気で中庭の木々に引火して学園が燃えてしまわないかと心配する位、先生が唱えた魔術に驚愕して声も出せずにいた。
「あー、その、お前らが心配しているような事はないから安心していいぞ。中庭には授業用に強めの結界魔術をあらかじめ使ってもらってたからな。あの火柱も結局あそこに在ったというだけで、効果はなにもない」
言われてみると何かが焦げたような匂いもなければ、小火で煙が上がっている様子もなかった。普通ならばあの巨大な火柱が現れれば大災害レベルだと思うので、結界の事はよく解らないけれどかなり効果があるようだった。
「それで、魔術士はさっき言ったみたいに努力次第で様々な魔術を扱える。もちろん相性もあるから覚えられる魔術とそうでないのがある。先生は変体に特化したけれどこうして火属性の魔術も少しは使える、というわけだ。
ただ人並み外れて様々な種類の魔術を扱い、その精度が非常に高く、並外れた威力の魔術を唱えられるような人になると、敬意を称して魔術師と呼んだりする。士ではなく、師だ。そのような人はこの学園にも数える位だから、もし出会える機会があったら色々教えを受けるといい。魔術の事のみならず学べることが多いからな」
入園の儀式で、各自身体に宿したアウラがそれぞれの特化を発動させ、その多くは魔術士に分類されること。しかしおおよそ魔術士に分類できない程の特異性、特化をもった者を総称して異能士と呼ぶことを説明してくれた。これは入園の儀式の時にもキスハート園長がちらっと言っていたことだ。
「まぁ、異能士達が扱う力も魔術には変わりないのだがな。なにせ正式名称は異能魔術士だから。まぁ魔術士であることに誇りをもっている人や、異能士であることに誇りを持っている人。はたまたそのことでほんの一部蔑み合う人なんてのも様々いるが、あまりその辺は先生こだわっていない」
同じ力の恩恵を受けた者同士。其処には種族や血、能力。肌の色や目の色なんぞで区別や差別などバカらしいからな、と豪快に笑ってみせるアゲート先生。
でも少しこの世界に住む人達の中の問題、黒い部分が見えてしまった気がして少し気持ちが沈む。こういう話から目を背けるのも嫌だけれど、間接的に知ってしまうのも結構堪える。直接見たりした訳じゃないし、その問題がどの位強く根付いているのかは解らないけれど平和が一番だと思う。
その平和は何の上に成り立っているのかを黙って深く考えると、そう腑抜けた事も言ってられないのだけれど。
「じゃあ今日は火属性の魔術を唱えてみるとしようか。数ある火の魔術の内の、基礎魔術。まぁ上手くいかない者は別の魔術を試してみる、という感じで。これでとりあえず魔術士と異能士を見分けることが出来るから、これから授業しやすくなる上に上手くいけば魔術を覚えれて一石二鳥と言う訳だ」
ま、見分け方については深く考えなくていいからなー、と言いながらアゲート先生は集合していた生徒達を適度に間隔を空けてばらつかせる。そして長い説明を乗り越え、ようやく実技に入ったのだった。
「あれー……なんか…………出来ないんですけれども……」
アゲート先生の指導によると、入園の儀式によって覚醒した身体に宿る魔力は感覚的に制御出来るようになるのだそうだ。そして、皆自室に用意されていた分厚い本である基礎魔術書から呪文を心に刻み、詠唱もしくは黙唱することで発動するそうなのだが。だがおかしい、僕にはなんの反応もない。先程から周りでは小さな火を指先に灯した生徒や、手のひらで踊る火を唱えた生徒らの声で一気に騒がしくなっていて密かに焦燥感に煽られる。
「おい、えー……っと、御巫か。おい御巫なにぼさっとしてる。見ててやるからほら、やってみ」
「うわっ!」
唐突に現れたケンタウロス姿のアゲート先生に驚いてしまった。だって、遠目で見ていたより体が大きい。見上げないと先生の顔が見えない。なんといってもまだこういった光景には慣れていないんだなーと思いながら、近くに来た先生の半獣姿をまじまじと見てしまう。
「……いやまぁ、その気持ちはわかるがな。とりあえずやってみ、他の生徒も見て回らなきゃなんないし」
促されるままに唱えてみることに。集中、集中。目を閉じると身体に流れる魔力を微弱だけれど感じる。それは、不思議な感覚だ。特に教えてもらった訳でもないのに、魔力の流れが手に取るように解るし自在に扱える気がする。そして先程魔術書で覚えた呪文を、思いを込めて黙唱してみる。
今なら、唱えられる。
「……?」
「……なんだかんだ心の中で言いましたけれど、すみませんやっぱり出来る気がしないです」
「あー……」
いや魔力を感じるのだけは本当なのだけれど、どうしてもその魔力を火属性とやらの魔術を唱えられる気がしないというか、僕の魔力が全く反応しないというか。
「最初は火属性魔術が合わないだけかと思ったんだがな、うん。どうもそうじゃないみたいだ。魔術士特有の身体発光や、唱えたときに感じるちょっとした魔力の匂いがお前から全くしない」
身体発光というのは、魔術を唱えた時に身体が淡く光る現象なのだそうだ。魔力が呪文によって魔術に変換された時に反応する光。人によってその色は様々らしい。中にはあえてその発光をさせないように制御する人もいるそうだ。
「御巫、お前は異能士だな」
「異能士、ですか?」
異能。異質な力、魔術士からある意味逸脱した者。なんだか疎外感を感じてしまうのは、まだ魔術士とか異能士の事を深く理解していないからだろうか。「お前は俺達とは違う」と言われているような気さえしてくる。
前の世界、第一世界でも様々な場面で疎外感を感じていた為、正直に言うと久々に感じた疎外に色々と昔の事を思い出してしまって、自然と先生から目を逸らした。
「なんだ、嫌なのか? 先生から言わせてもらうとな、ちょっと羨ましいとさえ思うよ異能士。魔術士は沢山いるから、それだけ似た魔術士いたりするけどな。異能士は一人として同じ能力の人間が居ないんだよ」
「一人として同じ能力を授かった人はいない……」
「そう。ってことはそいつだけの、そいつにしか扱うことの出来ない特別な能力が備わってるってことだろ。それはやっぱり、羨ましいなと思うよ」
「じゃあ、僕には僕だけの能力が宿ってるかもしれない、ってことですか? どんな異能かはさて置いて」
「そう。それがなんなのか、いつ芽が出て開花するのかは俺にも解らないがな。けどそれって、魔術士と比較するのもおかしい話だし、要は捉え方次第だろ? 考え方、捉え方次第で色々と変わると思うぞ」
「そう、ですか。……うん、なんだか元気でました。頑張れる気がします」
「ああ、期待している」
そう言い残すとアゲート先生は近くの生徒の所に様子を見に行った。一人一人にとても親身になってくれるその姿勢は好感を持てたし、僕にとっても有意義な会話になった。先程一瞬浮かび上がってきた黒く淀んだ感情は、今では殆ど感じない位に澄んでいる。
「それにしても、みんな魔術使えていいなぁ。僕もちょっと炎だしてみたかった……ゲームの魔法使いの
様にとまでは言わないまでも、指先に小さな火を灯す位は経験したかった」
「一人でなにぶつぶついってるの、なぎなぎ。それよりどうだったどうだったー?」
小さな不満を独り言のように吐き出していたら、急に後ろから話しかけられた。言うまでもない、この呼び方をするのはクイナしかいない。
「クイナ、いいの? こっちまで勝手にやって来ても。一応今は各自で訓練しましょうみたいな雰囲気だと思うけれど」
「んー、でも、先生は友達の所に行っちゃ駄目だなんて一言も言ってなかったしね」
でしょ? と、ふわり微笑んで、小首を傾げながら此方を見上げてくる。今ではすっかり晴れた心がまた翳ってきたとしても、この授業中にも関わらずしばらく見蕩れてしまいそうになる程の笑顔を見られれば、最早黒い感情などゴミ箱行きだ。全力のトルネード投法だ。
「ま、いっか。なんかさ、僕はどうも魔術士じゃなかったみたいだよ。炎とか出なかったしね。さっきも先生から聞いて、僕は異能士だろうって」
「異能士? キスハート園長とか、アゲート先生がチラッと言ってたやつだね。でもあたしは魔術と異能のその違いとかは勉強不足でよくわかんないなー。でもあの儀式であたし達に宿った力はあたし達に一番合う能力だといいなー、なんて考えててね? だからきっとなぎなぎに宿った力もなぎなぎにぴったりな力なんだよ」
なぎなぎはどんな能力だろうね? なんかすごく楽しみだねっ。と八重歯が覗く眩しいクイナの笑顔はまるで春の暖かい陽だまりの様だ。春の陽気の心地よさは万人共通。僕も早くオリジナルマジック、自分だけの特化能力を見つけたいとそう思った。異能だろうが魔術だろうが、みつけた時はすぐクイナに見せに行こうと思う。
「クイナはどうだった?」
「えへへへへ、見て見て」
クイナが目を閉じる。瞬間、柔らかな風が頬を撫でた気がした。魔術を発動させる為の呪文を黙読しているのか、唇が微弱に動いている。そしてクイナの身体に薄い膜が覆ったかのように透明感のある青色に包まれたと同時に、手のひらに火が出現したのは目を閉じてから数秒も経たない内の出来事だった。
「おおっ。凄い、なんかスムーズだったね。それにしてもー……すごい、本当に火が手のひらの上にあるよ」
「うん、なんかよくわかんないんだけど、さっき初めて唱えてからなんか染み付いたように覚えれたんだ。これっていわゆるこの呪文は、あたしと相性がいいって事なのかなー?」
「相性か、そうかもしれないね。いいな、その感覚僕も早く味わってみたいなー」
自分の手のひらを見つめて握ったり開いたりしてみる。試しに先程唱えた火の呪文、今皆やクイナが唱えている呪文と同じものを黙読してみる。あぁ、いやまぁ結果はわかってはいたんだけれど。
「クイナ、それって手のひら熱くないの?」
「いやーそれがね、ぜんっぜん熱くないんだよ不思議なことに。不思議な火だねぇ?」
クイナは自分の手のひらで揺らめく火を眺めながらそう呟いた。試しに僕が触れたらどうなのだろうと、指先をクイナの手のひらで揺らめく火に近づけてみる。
「うわ、熱っっ」
「ちょ、ちょっとなぎなぎなにやってるのっ……だ、大丈夫? もしかして痛い? 火傷とかしてない?」
完全に僕の不注意による出来事にも関わらずクイナは心配そうに、少し目尻に涙を溜める程心配そうに僕の指に優しく触れてくれた。まるで大切なものでも扱うようにそっと触ってやがてこちらに視線を送ってくる。勿論上目で見つめている事に加えて、指を優しく触られている事になるので僕の心臓も当然張り切ってしまう。あの、もし宜しければもう少し落ち着いてください心臓。
「あ、ああごめん。ちょっと大げさだったよ、そんなに熱くなかったから大丈夫。指は多少ヒリつく位で火傷とかは、ないみたいだし。むしろ勝手に触ろうとした僕が悪かったんだよ」
「ううん、あの会話の流れならそう思うのも仕方ないよ。でも、あたしが唱えた呪文でなぎなぎを火傷させてしまったのがなんか……ううー、本当にごめんね?」
申し訳なさげに謝るクイナの姿に、先程の自分の軽率な行動に悔やむ。なぜあんなことをとっさに確かめてしまったのか、こうなることも少し頭を働かせれば解るというのに。
「いやほんと全部僕のせいだし、クイナは一個も悪くないし。指先ももう痛くも痒くもないから大丈夫」
「ほんと? ……なら、良かった」
本当に良かった、とクイナは再度微笑んでくれた。この笑顔を曇らせるような事はする訳にはいかないな、と思ったのだった。
そうしている内に授業は終わりに近づき、集合の合図である先生の大きな声が中庭に響く。疎らに散っていた生徒達は再びアゲート先生の元へ集合し、僕とクイナも小走りで最初に集まった場所へと向かった。
「おーし集まったな、お疲れさん。初めての魔術はどうだった? 上手く唱えられた者、火属性は合わずに唱えられなくて別の魔術を唱えられた者、異能士と判明した者。各自有意義な時間になった事を願っている。では今日の授業はこれで終わりだから、後の時間は自由にしてもいい。但し、明日の授業に遅れたりしないよう早めに休めよ? 消灯時間の十時過ぎに学園内を彷徨くと叱られるからな」
まぁ俺もよく叱られたがな、と豪快に笑ってみせるアゲート先生。先生は既にケンタウロスの姿から戻り、通常の人間の姿だ。見た目通り活発でやんちゃなイメージは、どうやらそのままらしい。その当時の先生方を困らせているアゲート先生を想像してしまい、悪いとは思いつつもついつい笑ってしまった。
「また次の授業で会おう。では解散」
授業の終わった合図に、同期の生徒達は緊張を解いて興奮混じりの小さな溜息を漏らし、友達同士で思い思いに話をしだす。魔術の事、学園の事、これからの事。
近くに話し相手である水無月やクイナが居ない僕は、ふいに夜空を見上げる。夜空というか、もはや僕の見上げる景色は宇宙の中だ。無数に散りばめられた星々にふんわり浮かぶ月。そして見たことのない色と大きさの惑星は、淡い紫と薄い青に光りながら相も変わらず浮かんでいる。
授業を終えた開放感と、あちこちから感じた魔術の余韻を感じながらこの後どうしようかな、などとぼんやり考えながら見上げた空の幻想的な絶景を眺めた僕は、改めて感嘆の溜息を漏らしたのだった。