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第四話 巫女と月の祝福亭

「えーっと……今回の総合説明会の担当及び、今年の新入生Aクラス担任のルイ・アンバークォーツです。専門は魔術学ですので、Aクラス以外の皆さんの魔術学も恐らく私が担当することになると思います。どうか宜しくお願いしますね。では折角ですので、皆さんにも順番に自己紹介してもらいましょうか。それではー……」



 第一印象。

 それは人や物に初めて接触した時、その対象への評価や今後に関わる印象を決める最初の判断材料だ。第一印象が多少悪くても、これからじっくり付き合っていけば内面の良さに気付いてもらえると楽観している人がいたとしたら、それは酷い勘違いだ。それは、僕が今まで身を持って体験してきた事。

 そして人が直感的に感じる第一印象は、あながち間違っていないのはもはや周知の事実なのだ。

「では、次……御巫凪(みかなぎなぎ)さん」

 人は出会ったその瞬間に、得られる情報を脳に記憶しようとする。見た目や匂い、雰囲気や声。相手を判断するのに必要な手掛かりが脳に情報として流れ込み、初めて感じた印象、即ち第一印象が形作られる。そう考えると、今クラスで行なわれている初めての自己紹介も、今後の学園生活の為にも良い第一印象になるようにせねばなるまい。

「ねぇなぎなぎどうしたの? 今なぎなぎの番だよ?」

「えっ? ああ、あ、ありがとう。ってか…………なぎなぎって今言うなよ……」

 僕の自己紹介は華麗に失敗した。



 入園の儀式の後に行なわれたクラス分けの発表では、僕の同期の総クラス数は三つだったので、クイナと同じクラスになる為には確立的に厳しかったのだけれど、僕のささやかな希望が叶ってクイナと同じAクラスになれた。

 今は三クラス合同での最初のイベント、顔合わせと自己紹介の時間なのだけれど緊張して既に失敗してしまった。今までクラス替えや進学等で何回か自己紹介を経験してきてはいるものの、いつまでたっても慣れないし未だに苦手なイベントの一つだ。

「えー……それでは、改めて御巫さん御願いします」

「……はい。僕の名前は御巫凪と言います。えーと、日本という国から来ました。此処でのことは解らない事だらけなので、良かったら仲良くして頂けると助かるし、とても嬉しいです」

 担任のルイ先生の指示通り、第一印象を諦めた自己紹介を終えた僕は、静かに音を立てないように椅子に座る。そして時間的には朝だというのにも関わらず、依然として暗いままの外を窓越しに見つめたのだった。



 昨夜は入園の儀式の後自室に戻って、備え付けのシャワーを使ってからすぐにベッドに倒れ込むように寝てしまった。

 睡眠不足とちょっとしたパラダイムシフトによる疲労のせいか、シャワーを浴びてる辺りから耐え切れない程の酷い眠気に誘われたのだ。その後、制服を箪笥にしまおうと開けてみると、箪笥の中にはなぜか甚平が追加で用意されていて、ふわりふわりと和物の服が浮かんでいたのは結構滑稽だった。

 でも実は夏などに良く着ていてかなり好きな服だ。そんな着慣れている甚平に着替えてベッドでゆっくりと寝れた効果なのか、疲れも割と取れていて寝起きは良かった。


 その朝のことだった。

 部屋に取り付けられている二つの窓のうち、ベッドから身体を起こすと見える小さな窓がある。その窓を見ると、どうも外の様子がおかしい。

 窓の外は寝る前と同じ、月が浮かぶ夜だったのだ。

 慌てて部屋に備え付けられた古めかしい時計を確認すると、六時三十分頃を指している。

 違うのは月の形と位置くらいのもので、寝る前と依然変わりの無い星の瞬く夜だった。起きたときに時計を見て、もしかして寝すぎてまた夜になってしまってるのかと本気で勘違いしてしまった程に、動揺した。何度も目を擦り、何度も何度も確認してみても、寝ぼけた訳でも夢を見ている訳でもなく、太陽が空に昇っていない朝の光景がそこには広がっていたのだった。


 そして現在時刻は朝八時半位。まるで迷路のような複雑な道を案内書を頼りに、なんとか教室まで辿り着いた。自己紹介を終えた今も依然として見つめる先は暗いまま、眩しい位散りばめられた無数の星と月が浮かぶ朝なのだ。

「えー、それでは自己紹介はこのくらいにしてですね……先程渡したマニュアル通り、第二世界ムーンガーデンの事やこの学園の事などの説明を始めますので、手元にある羊皮紙を見て下さいね」

 先生の言葉をきっかけに窓から目を離し、手元にあるマニュアルが書かれているのであろう何枚にも重なった羊皮紙に、視線を落とす。

「いいですか? この世界は貴方達新入生が今まで居た世界を第一世界とします。そう定義するとここは第二世界。第二世界ムーンサイドと私達は呼んでいます。

 ここムーンサイドと第一世界とは表裏一体です。理屈や構造の理屈は酷く難しい為、それを理解するにはとても時間がかかるかも知れませんが要するに、同じ地球上ということなのです。ただ在る場所と、視え方が違っているだけで」

 改めて説明される今居る不思議な世界の事。ムーンガーデンに着いた時に、命の危険から助けてくれた雛子から事前に聞いていた事とはいえ、今この僕らがいる世界のムーンガーデンをいくら目を凝らして見てみても、はっきりとなにか今までと明確な違いがあるわけでもない。

 頭では情報として覚えることが出来ても、実際に理解するにはルイ先生の言うとおり時間がかかりそうだった。表裏一体。表と裏に境界線は無く、一体であるとか? もしくは、表と裏に境界線は有るが一体である、とか?

 早くも頭痛に襲われ、頭を抱えたくなってしまう。

「貴方達はまだこのキスハート学園の内部、それもごくごく一部しか見ていないと思いますので誤解されている方も中には居るかもしれませんが、この学園の外にはちゃんと世界は広がっています。

 その広さはまぁ、第一世界と同じ広さと思って下さい。何せ、ここムーンガーデンは同じ地球の上で成り立っている世界なのですから。その中でもまだ未開の地なんてのもありますけれど、それは貴方達にはまだ関係のない話ですね。それで、このキスハート学園ですが外観は後ほど各自で見てもらうことにして……あ、言っておきますけれど凄いびっくりすると思いますよ。この学園然り、周りの絶景然り。それに近くにはとても良い雰囲気の街もありますしね」

 露天商も盛んですし、珍しい食べ物も沢山あります。それに、魔術関連の様々な道具も豊富ですし、魔術薬や薬草等もかなり豊かですね。服や雑貨も沢山、酒場も沢山ですしね。あとは……そう。酒場とかね! とルイ先生は目をキラキラさせてその素敵な光景、主に酒場を思い出しているようで、うっとりと頬に手を当て恍惚としている。 

「ねぇなぎなぎ。ルイ先生、なんだかとっても可愛い人だね」

「ん? あー、そうだね。うっとり顔でだいぶ酒場を強調してたように聞こえたけれどね」

 隣に座っているクイナが頬を赤くしながら、小声で話し掛けてくる。女の子の可愛いの基準は時々よくわからない。

「酒場かぁ、なんだかアダルトな響きだよね、酒場って」

「まぁ、このムーンガーデンではどうか知らないけれど、第一世界じゃ二十歳を過ぎた大人の嗜好品だから当然アダルトな響きだよね」

「え、そうなの? 私の生まれたとこじゃ十七歳の時から皆飲んでたよ。だから私も一応飲んだことあるしね、お酒」

「ええ、本当っ? あれー……あー、そういえば世界では飲酒出来る歳が色々違うんだったっけ。てかクイナはどこの国から来たの?」

「ちょっとなぎなぎ嘘でしょ、さっきのあたしの素晴らしい自己紹介聞いてなかったの……? うわー、なんかショック」

 少女漫画のヒロインよろしくうっすら涙を目尻に浮かばせて、上目づかいでちらちらと僕の様子を伺っている。

 本物の哀愁はそう簡単に醸し出せるような代物でもなく、わざとやっているのがばればれなのでそこまでうろたえる事は正直なかった。でも勿論聞いてなかったのは悪いと思ったので、申し訳ない気持ちに包まれてしまった。それと、クイナのその動作が可愛いくてしばらくこうして見ていたかったのは内緒だ。

「ごめん、まだ頭の中整理出来てなくて色々考え事しててさ。でも、その……わざとじゃないから」

「あはは、わざとじゃないって事くらいわかってるよ。なんか難しい顔して考え事してたもんね、なぎなぎったら。私の出身はなんとスウェーデンの田舎なのです。なぎなぎの故郷からずっっと遠いスウェーデンから来たんだよあたし」

 凄く綺麗な国なんだよ? と思わず見蕩れてしまう程の微笑みでクイナは小さく首を傾げた。

 故郷の事を嬉々として語るクイナは終始笑顔を絶やすことがなく、僕もなんだかほっこりした気持ちになった。どこかお洒落なところで、お茶しながらこうやってゆっくりクイナと話が出来たら楽しいだろうなぁと思っていたところで、今は説明会の途中だった事に気付いた時にはもう既に遅かった。

 なるべく小声で話すようにしていたけれど、知らず知らず声は大きくなっていたのかルイ先生は僕とクイナに生暖かい視線を送っていた。

「君達、今は授業中といえば授業中なんだから……私語はなるべく慎むようにね? まったく、今年の新入生も元気がいいのがいるのね」

 若干の恥ずかしさと、注意された気まずさを微妙に拭えないままルイ先生の説明は再開した。隣に座るクイナの方をちらっと見てみると、ちょうどクイナもこちらに視線を向けた直後だったらしく、目が合った。

 なにかの秘密を共有する子供のように、幼い微笑みを浮かべるとお互い先生の方に向き直った。こんなちょっとしたラブコメ的シチュエーションなんて生まれてから多分初めての事なので、ルイ先生の話を聞きながらも、顔面が熱くなっていくのがわかる程に恥ずかしくなったのだった。

「えー、なので、新入生の皆さんも自由時間や休みの日などには是非とも、街に出掛けてみてくださいね」

 あと、それにも関係する大事な説明もあります、とルイ先生は続ける。

「ムーンガーデンでのお金の事なのですが、当然ながら元々住んでいた皆さんの世界で使っていた通貨は使えません」

 お金の事、実は結構気になっていたので興味深く耳を傾ける。そして、予想した通り今まで使っていた貨幣は使えないようだ。

「先程配った羊皮紙から、今から小型のアウラが出てきます。これは絶対に体内に取り込んで下さい。ああ、いや取り込まずに持って歩いても構わないのですが、普通に不便ですし、失くした後の手続きが非常に面倒です。

 取り込むと、今貴方達が保有している月の涙の魔力とは別の感覚が生まれると思います。これは、簡単に言えば財布ですね。魔術士は魔術で金銭を管理します。

 脳内で自分の財布をイメージして、そのまま手で取り出す。イメージで出し入れ可能となってます。

 その魔術財布に学園から補助マネーが、定期的に振り込まれます。通貨名はリナ。初期の時点で一万リナ入ってますので大切に使ってくださいね。後で試しにいくらか出し入れしてみてください。直ぐに慣れますよ」

 手元に置いてある羊皮紙を眺めていると、魔術呪文であろう模様が浮かび上がってきた。そして一瞬の内に羊皮紙の上に小さなアウラが現れた。

 黒っぽい色で、綺麗な鳥の模様がアウラの中を気持ち良さそうに泳いでいる。今まで見てきたアウラとはまた全然違う、特別なものだというのが一目でわかる。

「リナが万が一無くなって万が一生活出来なくなっても、稼ぐという手も一応あるのですが……その方法は追々説明しましょう。それにそういう方の為の補助もありますし。

 兎に角無駄使いをしない事と、失さない事を心掛けて下さい。っといけない、気付けばもうこんなに時間が経っていたのですか。人数もいましたし、意外と自己紹介の時間が長くなったのですねきっと。では後は皆さんに渡した羊皮紙を見て、各自確認して下さい。その他解らないことや疑問に思ったことなどは、私でもいいし近くにいる先生に質問してもいいですからね」

 では説明会を終わります、とルイ先生が号令をかけると一斉に「ありがとうございました」と言葉を声を合わせ、後は各々行動を始めていた。

 説明会の最初に貰った羊皮紙の中の一枚に、この先数日の予定が書かれた紙がある。その予定を確認すると昼の三時位まで今日はもう自由時間らしく、その理由としては休みたい者もいるだろうし知り合いを作ったり、色々な所を好きに歩いて見て歩きたいだろう、という先生及び生徒会の新入生へのちょっとした考慮なのだそうだ。

 確かにまだ疲れが残っている為ゆっくり休みたいし、学園内や外とか色んなところを見て回りたいと思っていたので、結構嬉しい考慮だった。本当なら一日中だらだらしたり、ぶらぶらしたかったけれど……まぁそんな贅沢は言うまい。きっと近々休日は来るはず。

 午後からは基礎魔術訓練という授業が予定されているらしく、実はこの魔術訓練が楽しみだったりする。気になるその内容は魔術を習い、そしてその魔術を早くも使える授業らしく、先程の説明会の途中で誰かがそう話しているのを聞いて、今からもう待ちきれない思いでいるのだ。

 きっと炎を操ったり、氷の刃を飛ばしたり雷がそこら中に落ちてきたりして。それこそもしかしたら小さな頃から夢だった身体が宙に浮く魔術だって、あるかもしれない。



 窓の外は依然として月が浮かび、無数の星が瞬く真っ暗な朝。

 説明会の終わりを合図に、クイナと後でまた会って色々話をする約束をしてから、一旦別れた。そして僕も一旦自室に戻ろうとした、その時だった。

「御巫……凪氏」

 ふと、か細い声が聞こえて羊皮紙から視線を上げると、目の前には巫女姿の女の子が立っていた。

「御巫氏……今、時間大丈夫じゃろうか。もしよければ、その……少し話をしたいんじゃが」

 目の前の椅子に座る女の子は背中位まであるストレートの黒髪の娘で、その髪はさらさらとまるで上質な絹のように滑らかで艶やかである。よく手入れされていると一目でわかる綺麗な髪だ。

 左目の下には泣き黒子がある。その泣き黒子がなんだか色っぽくて、凛々しいというよりかはどちらかというと可愛い顔立ちの女の子は、僕に話し掛けるのに少し緊張していたらしく身体が小刻みに震えていた。

 なんとなく子猫を連想させる、それこそ守ってあげたくなるような仕草が、僕にあるはずのない母性をも錯覚させる。

 それに少し……いや、というかかなり言葉づかいとイントネーションに特徴があった。こう、なんとも古めかしいというか。日本特有の馴染み深い巫女姿だからなのか、あまり強烈に違和感を感じる事はなかったけれど、思い返すとやはり見た目の可愛らしさと言葉つかいがちぐはぐで、どこか違和感を覚えてしまう。

「あ、うん。僕は大丈夫だけれど。あの……違っていたらすみませんが、貴女はもしかして日本の方だったりするんです?」

「え……儂の自己紹介、聞いてなかったの? それはなんかショックじゃの……」

 うわ、今日二度目だこの展開。これはきっとデジャヴだ。流石にここまでくると、ちゃんと同期の人達の自己紹介を聞いていなかった事への後悔が止まらない。せめて同期の名前だけでも覚えておきたかった。

「ごめん、今日ちょっとぼーっとしてて。考え事が止まらなくて、その……ごめん」

「いや、ちょっとからかっただけじゃ。そんなに謝らんでくれ、このくだりはクイナ・シャルトライム氏とのやり取りを真似てみただけじゃから」

「うわ恥ずかしっ! えー、やっぱ聞こえてたんだ……」

「お互い小声で話しとったつもりじゃろうがの。儂の席が近かったせいもあってほぼ完全に聞こえとった。こっちまで恥ずかしさで顔が赤くなってしまって大変じゃった……あ、儂の名前は水無月愛雨(みなづきあいう)じゃ。先日日本から来た。御巫氏の自己紹介で日本から来たといっていたから、勇気を出して話し掛けてみたという訳なのじゃ」

 顔立ちや雰囲気でもしかしてと思っていて、御巫氏の自己紹介を聞いてやっぱり同じ日本だったのが本当に嬉しくての、と古めかしい言葉づかいと裏腹に女の子らしくふわふわと微笑む水無月さんはとても愛らしい。

「おお、本当に? ムーンガーデンにきて水無月さんが初めての同じ故郷の人だ。なるほど、これは嬉しいなぁ」

 実はちょっとホームシックではないにしろ、同じ日本からの知り合いに巡り会えず少し寂しい思いをしていた。それもあって、水無月さんとの出会いに少し感極まりそうになった。

「儂もなかなか同じ故郷の人に巡り会えず、心細く寂しい思いじゃった。同期に御巫氏がいてくれて嬉しい」

 段々緊張もほぐれてきたのか小さな震えはもうなく、水無月さんの表情も豊かになって柔らかい笑顔が眩しい。それに嬉しいと言われると、こちらまで嬉しくなってくる。

「ありがとう、僕も日本の知り合いが出来て嬉しいよ。ところで……ずっと聞きたい事があったんだけれどさ」

「聞きたいこと? なんじゃろう?」

「いや、その、水無月さんの口調の事なんだけれど……」

「んん……あー、なるほど。いや儂もな、最初誰かに話し掛ける時に頭の中での、丁寧で女の子らしい言葉を組み立てたりしたんじゃが、どうもやはりうまくいかなくって……やっぱりこの話し方は変じゃろうか……?」

 不安げに俯いてから、ちらり上目で見つめてくる動作。これがわざとじゃないとしたら、きっと水無月さんは沢山の男に求愛されてきているのであろう。その可愛い仕草に例外なく僕も動揺してしまう。

「いや、いやいや違う、変じゃない。ただちょっと珍しいなぁって、気になっただけ」

「そうじゃろうな。儂、日本では爺様と二人暮らしじゃったから、それでこの話し方になってしもうたんじゃな。もう直そうにも直らん」

「……そういう事情だと思ってなくて、なんか変なこと聞いちゃってごめん。水無月さんはそのままの口調でいいと思う。なんかちょっと親近感わくしね」

「そ、そうか。そういってくれると儂は嬉しい」

 そう言うと、水無月さんは今日一番の笑顔で「ありがとう」と呟いた。それに慣れてくるとその古めかしい口調もむしろ可愛らしくなってくるから、人間って勝手で面白い。

 今では一つのチャームポイント的な感じで、水無月さんの魅力の大きな一つだ。それと巫女服凄く可愛い。

「じゃあ改めてよろしく、水無月さん」

「儂こそ、よろしく頼む。それと水無月でよい。なんなら普通に名前を呼んでくれても構わんよ」

 そう言ってお互い微笑み合うとムーンガーデンで出来た新たな友人と共に、部屋を出る。既に誰もいなくなってしまった部屋には月明かりが名残惜しそうに淡く照らすのだった。





「いやー、まさか儂もあのタイミングで腹が鳴るとは思わなんだ」

 両手でお腹を押さえて、恥ずかしそうにはにかむ水無月と現在食堂に来ていて、設置されたメニューの前で品定め中。少し時間は早いけれど、お互いムーンガーデンに来てからずっとご飯を食べていなかったということもあって、説明会が終わってから一緒に食堂にやってきたという訳だ。

 食堂の名前であるこの「月の祝福亭」は、様々な形のランプに火が灯っていてとても暖かい暗さの店内だ。壁に掛けられている様々な景色、人の写真や風景の絵も大切そうに一枚一枚木製の額に納められている。

 そして壁際に設置された物置用の棚には、様々な色や形の瓶が並んでいる。独創的なデザインの瓶になみなみと波立たせている液体は、きっと貴重なお酒かなにかなのだろう。ちゃんと整列して並べられていない木製のテーブルと椅子は、ランプに照らされて逆にアットホームな雰囲気となり、まるで外国の絵本の世界そのものだ。

「あの部屋でた瞬間、携帯のバイブが鳴ったかと思ったよ。携帯は電源切って部屋に置きっぱなしだって気付いた時に横向いたら、もう既に水無月顔真っ赤だったし」

「ううー……いや、でもそれは致し方ないじゃろう? それに儂じゃって一応年頃の乙女な訳じゃからな……友人になって早々に腹が鳴ればそれは恥ずかしいに決まっとる」

「まぁ、まぁそれはそうだけれどね。いやー笑わさしてもらった有り難う。それじゃ早速選ぼう、美味しそうな匂いにそろそろ限界だし」

「……むぅ。確かに儂も結構限界じゃが、全く……お主、存分に笑いおって」

 忌々しそうにこちらに視線を送る水無月を華麗にスルーして、食堂のカウンター近くに設置されたメニューを眺める。どれも非常に美味しそうである。美味しそうなんだけれど、料理名と使ってるであろう食材の名前がなんだかおかしい。

「なぁ水無月」

「なんじゃ、今必死に選んどるから、しばしまっとれ」

「この、バブルベリークリームとマンゴーイカのパスタってなんだろう」

「…………」

「なんでこのメニューのイラスト、色がマンゴーの黄色ならまだしも全体的にとりあえず、真っ黒に仕上がってるんだろう?」

「イ……イカスミじゃろうか……」

「じゃあいっそイカスミパスタにしようよ名前……。あと食材の名前が印象に強く残る位ぐいぐい前に来すぎだよこれ……でも、これもしかしてマンゴーイカって事はマンゴーっぽいイカなんじゃないか? イカっぽいマンゴーは果物だけれど、この場合マンゴーっぽいイカだから海にいる例の魚類なんじゃないかな多分。そもそもイカとかマンゴーが、僕達の知ってるものと違うのかもしれないけれど……いやー使ってる食材の名前がちょっと斬新すぎるというか、未知だな」

「ちょっと気になるのう。ムーンガーデンで獲れる独特であり、住み慣れた者には当然の食材とかじゃろうか。そしてそれらは儂らにとって未知の食べ物ってとこなのかの? 儂、その料理見てみたいから御巫氏それ頼んだらいいよ」

「いやー……でもまぁ悔しいけれど僕も気になるからこのバブルベリークリームとマンゴーイカのパスタにするよ」

 喫茶店に置いてある手書きのメニューのような暖かみのある手書きイラストを、まじまじと見つめながら僕はそう呟いた。見た目はイカスミパスタだと思えば特に問題ないし、味は食べてみないとわからないけれどなんとなく美味しいような気がする。それに空腹は最高のスパイスとも言うし。

 いやしかしバブルベリーという食材が調理される前は、どんな果物でどんな容姿でどんな味がするのだろう。やっぱり見たことも聞いたこともない食材が気になって仕方ないし、色々と楽しみだ。そして如何せん空腹だ。

「よし、儂はこのエレファントオレンジとキーライチのフルーツサンド、とやらを頼もうかの。儂、結構強めにご飯派じゃが、意外とパンもいけちゃう乙女なのでな。なにやら珍しい名前の果物が入ってるみたいじゃし、やっぱり気になるし面白そうじゃろ」

 メニューを指差して楽しそうに笑う水無月は、やはり年頃の乙女だ。

 普通に同級生と仲良く話してるみたいで、なんだか日本ではこんなに仲良くしていた女の子はいなかったから、少し恥ずかしい。こうやって異性と仲良くしている、ちょっとチャラチャラしてる同級生を冷たい視線、なんならいっそ馬鹿にしたように見ていた自分に教えてあげたい。

 こういう何気ないやり取りは、本当に心の底から楽しいのだと。


 注文を受けるカウンターでは、なにやらいい感じに体格の良くてテンションの高いおばちゃんが登場し、その堂々たる風貌にたじろいでしまう。人見知りスキルが発動してしまった。

 僕が選んだ、バブルベリークリームとマンゴーイカのパスタは六百リナと書かれていた。会計の仕方が良くわからずに、なんとなく体格の良いおばちゃんに向かって値段をイメージしてみたところ、小銭がぶつかりあって甲高く鳴ったような音がした。

 しかしどうもそれが正解だったらしい。おばちゃんの手には数枚の硬貨が乗っかっていた。水無月も僕に倣っておばちゃんに硬貨を渡す。

 体格にいいおばちゃんは満足そうに微笑んで、奥へと引っ込んでいってしまった。

 そしてふと意識を自分の方に向けると、僕の目の端にホログラフのように数字が浮かび上がっているのに気付く。残九千四百リナと表示されていた。程なくしてそのホログラフは消えてしまった。 

 僕と水無月は素人感丸出しで、しどろもどろになりながらも注文した後、疎らに人はいるもののほぼがら空きの店内の窓際のテーブルを選んで座った。

「いやー、失念じゃったな。この世界の魔術士の財布の使い方を知らぬまま、食堂に来てしまったの」

「焦ったね。でも先生もあの説明会の時にもっとちゃんと説明してくれればよかったのに。しかもあの方法で合ってるか未だにわからないしね」

「本当じゃな。食べてから怒られても、それはそれで厭じゃしな」

 そんなことを呟きながら窓の外に視線を移すと、先程までいた部屋で見た外の光景とは少し違っていた。

「水無月、もじかしてあれが例の街なんじゃない? やわらかい橙色の灯、多分ランプとかキャンドルの灯りなんだろうな。すごく暖かい光景だな……。月の祝福亭も僕の好みで、こんな雰囲気の店に一度入ってみたかったんだ。長年の憧れが叶った気持ちだよ」

「うむ、この月の祝福亭もあの街もまるで映画の風景のようじゃよな。もしくはなにか外国の絵本の世界。儂もこんな光景をテレビや雑誌かなにかで見かけてからは、いつか行ってみたいと何度も何度も夢に見てきたのう。あんな露天商や様々な店があるならきっと、あの街はきっと賑やかで楽しい所なのじゃろうな」

 窓から臨む光景は、見た目的には夜なのだけれど、時間的には朝の賑わう街を見下ろす事が出来た。見下ろす、というのはどうもこの学園は少し高い所に建っているらしく、街を眺めるとなると自然見下ろさなければならないという訳だ。

「行ってみたいなーあの街。あ、そういえばさ、このムーンガーデンには太陽が昇らないのかな。びっくりしなかった? 今朝起きた時にまだ暗いんだもん、まさか月が沈んだ後にすぐ月が昇ってくるとは思わないしさ」

「うむ、儂は疲れすぎて日が出てる間中寝てしまっていたのかと思った。ずいぶん堕落してしまったと自分に失望したわ」

「し、失望って……それは流石に自分を責めすぎだと思うけれど」

「儂は割と早寝早起きじゃからの。休みの日だってそんな寝坊とかせんかったし。でもまぁ……どうやらこの世界は常に夜のようじゃな。もしかしたら太陽は何日に一回とかで昇ってきたりするかもしれんぞ」

「そんな太陽系とか惑星の、宇宙理論崩壊的な事あるのかな。一応此処は地球の上という事なんだし」

「だって此処はもう既に儂らの常識など、通じないのじゃぞ? しかもムーンガーデンの文明の中には、科学と一緒に魔術なんてものが加わっておるのじゃ。もはや何があってもおかしくないと儂は思っておるがの」

 あぁ、確かにそうかも……と僕は呟いていると、ちょっと水無月が間の抜けた表情になっていた。

「どうしたの?」

「あ……いや、なんじゃろう、あれ……」

 水無月が視線を送る先、それはどうやら僕の真後ろのようだ。先程の注文を受けてくれた、体格の良くてテンションの高いおばちゃんが再度登場して、此方を見て仁王立ちしている。おばちゃんが仁王立ちをしていると、なんともいえない恐怖に身の毛がよだつ。

「あんた達新入生なんだろ。あたし位になればね、そのくらいのことはすぐに解るんだよ、ふふん凄いだろう? そんな食堂のおばちゃんからの素敵サプラーイズ」

 そういって指をぱちんっと鳴らすと、なんとテーブルの上で小さな破裂音と共に注文した料理が現れたのだ。そう、これはきっと魔術だ。食堂のおばちゃんの、新入生を喜ばせようとした粋な計らってやつだろうか。

 でもこのサプライズは確かに驚いたけれど、驚きよりもやはり嬉しい。凄く嬉しい。言葉とかじゃなく、なんとなくそういう暖かい気持ちが本当に嬉しかった。

 テーブルに上がっている料理を一瞥してからもう一度振り返り、軽く会釈しておばちゃんに感謝を伝えると、満足そうにカウンターの奥へと消えてしまった。気の良いおばちゃんは、月の祝福亭の看板娘なのかもしれない。

 いや、娘、と言うにはちょっと無理があるけれど、でもとても印象の良い人だった。


 目の前に登場した、茹でたてのパスタとソースいい匂いが食欲をこれでもかと刺激する。我慢ならん、頼むから早く食べてくれ、と胃が主張してお腹が鳴りそうになる。

「あれじゃな、意外というのもあれじゃがかなり美味しそうじゃな。儂のサンドイッチも御巫氏のパスタも」

「うん、食材は聞いた事ないものばかりだったけれど、今現時点では今すぐにでもかぶりつきたいくらい美味しそう」

 お互いしっかり「頂きます」と声を合わせて手を合わせて頭を小さく下げる。そしてほぼ同時に口に運んでゆっくり味や香りを堪能する。

 僕が食べたバブルベリークリームとマンゴーイカのパスタは、今まで食べたことの無い、全くもって初めての味と香りだった。バブルベリーと思われるほのかに香るベリーっぽい酸味と甘味に、魚介であるマンゴーイカの甘く弾力のある甘めの身が絶妙の相性で、味が喧嘩をしていない。むしろ抱き合っていて愛し合ってると言って差し支えない位だ。

 パスタを彩る黒いソースの正体は想像通りイカスミで、その独特の香りがパスタをさらに上質な味へと進化させる。美味しい。

 水無月は水無月で美味しかったのか、頬に手を添えながらこちらに感嘆の視線を送ってきていた。水無月の頼んだエレファントオレンジとキーライチのフルーツサンドの感想を聞こうと思ったのだけれど、此処で空腹だった胃が本気を出した。

 今はとにかく食べてくれと強く促してくるのだ。そしてお互い思い思いに舌鼓をうつと、そこからはもうあまりの美味しさと空腹で無言になり、黙々と口にひたすら運ぶ僕と水無月なのだった。






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