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第二話 蛙石と、探求者の囁き

「御巫氏、お主はなんにも学習せんのじゃなぁ……」

 魔術回路の授業はつつがなく終了し、窓の外を眺めながら焼き切れそうな頭を休ませていると前の席に巫女服の女の子が座ってきた。

 呆れ顔で僕に視線を向ける女の子の名前は、水無月愛雨(みなづきあいう)。背中位まであるストレートの黒髪の娘で、その髪はさらさらとまるで上質な絹のように滑らかで艶やか。一目見ただけで、よく手入れされているとわかるとても綺麗な髪だ。

 左目の下には泣き黒子がある。その泣き黒子がなんだか色っぽくて、凛々しいというよりかはどちらかというと可愛い顔立ちの女の子。

 身に纏うのは穢れ無き白衣(びゃくえ)に、燃えるような緋袴。白と赤のコントラストに、日本の古くからの伝統衣装を纏ったその姿に懐かしさすら覚える。

 巫女装束などでも見られる、色の濃淡を表現するための刺縫(さしぬい)という日本刺繍が腰部に入っていて、改めてその巫女装束の出来栄えと似合いっぷりに心から感嘆する。

「いやー、なんだかついつい。クイナの隣にいると不思議と話が弾んで止まらなくて。抑制された環境だからこそ、こう……ほら、笑っちゃいけない場面で笑いたくなるあの独特な感じというか」

「いや、その気持ちは解らなくはないんじゃがな……しかしほどほどにしとかんと、補習は免れんじゃろうし、その内もしかしたら何か制裁が下るかもしれないのう?」

 意地悪そうに口を歪ませながら微笑むその表情は、どこか冗談めいていて楽しげだ。

 しかしその内容は無視できない。補習は絶対に嫌だし、ってか制裁って……そんな不吉な言葉を耳にしただけで背中に冷たいものが走る。想像するだけで嫌だし、この世界ではなにをされるかわからないところが更に恐怖を煽る。

「き、気をつけるよ……」

「うむ。時に御巫氏、先程先生から渡されたこの紙はもう読んだかの?」

 微笑しながら満足そうに頷くと思い出したかのように首を可愛らしく傾げて、僕に視線を向けながら羊皮紙を両手で持っている。

 水無月が持っている紙は先程の魔術回路の授業の終わりに、先生から全員に配られたものだ。その羊皮紙にはこういう内容が書かれてる。



 今週の土の曜日に、不定期大会である魔術模擬戦【探求者の囁き】を開催する運びとなった。

 参加資格はキスハート学園関係者である事と、月の涙を宿している事の二点。

 今年の探求者の囁きの内容は以下の通り。

 一、制限時間は三十分とする。

 二、一対一である事。魔術や異能の類であればその限りではない(魔術で他の人間を呼び出すものは含まれない)

 三、学園を包む保護魔術「アムレート」は模擬戦の期間中必要以上に効かせる事とする。しかしもしもの為に救護、医療の支援を用意する事とする。

 四、対戦者が試合を続けるのが困難だと判断した場合は、その時点で審判が勝敗を決めることとする。(降参も含む)

 五、探求者の囁きはお互いの戦闘技術向上を最大の目的とする。卑劣な反則等あった場合は即敗退とする。

 今回の優勝商品は金一封と【蛙石(かわずいし)】とする。なお参加の表明をするものは明日の火の曜日、午後五時に大聖堂に集まるように。

 


「あぁ読んだ読んだ、探求者の囁きかぁ……それにしても、なんだか結構急な話だよねこれ。優勝商品もよくわからないし」

「蛙石か……なんか、貴重な石なのかの? さっぱり検討もつかんが、金一封に関しては腰を浮かばさずにはいられない気持ちじゃの」

「うん。金一封……どれくらい貰えるのかは興味あるなぁ……。ってか、蛙の石か、蛙って名前ついているけど、実際は全然関係なかったりしてね。」 

「それに不定期ってことは、過去にも何回か行なわれておるんじゃろうしの。聞いた話じゃとあんまりかしこまった行 事じゃないらしいし……さしずめ、学校行事の体育祭みたいなものじゃろう?」

「あー……なんかそれすごくわかりやすい」 

 第一世界での学校行事。クラス対抗で走ったり球技したりで競う例のイベント。照らし合わせると確かに、キスハート学園流の体育祭の様にも受け取れそうだ。

 僕は元々運動が得意なほうではない。なので、第一世界での体育祭はあまり良い成績を出した記憶がないし、寧ろ足を引っ張って忍びない思いをしていたように思う。

 しかし誤解しないで欲しいのは、身体を動かしたりするのが嫌いな訳ではないということなのだ。苦手なだけであって、決して嫌いではない。

「で、御巫氏はこれに参加するのかの?」

「うーん……いや、正直あんまり乗り気ではないかなぁ。ってかむしろ僕は探求者の囁きを観戦する側がいい」

 まだ入学して日が浅いので、他の人達の宿した魔術や異能を全然知らない。どんな魔術があって、どんな種類の異能を持つ人が居るのか。そして個人で特化したその能力をどんな風に駆使して扱うのか等、とても興味があるし、そんなイベントがあるのならむしろ金を払ってでも観たい。

「儂も観戦はするつもり。これは結構な動員数になりそうじゃの? どこで開催されるのかはよくわからぬが、探求者の囁き……うむ、楽しみじゃなぁ」

 参加者は毎年多いのかのう? と水無月は小さく首を傾げて、探求者の囁きの詳細が書かれている羊皮紙に視線を落としている。

 僕は女の人が本とか読む時の、この独特な雰囲気だ好きだ。視線を落とした清楚な表情に、長い黒髪が静かに揺れる。彼女の文字を追う綺麗な瞳と、浅い呼吸はまさに大和撫子そのものだ。

 目の前の水無月は今、僕の理想的な読み姿をしている。このままずっと見ていられるなぁと眺めていると、顔を上げた水無月と目が合って、慌てて目を逸らす。顔が熱くなっているのが鏡を見なくてもわかるのが恥ずかしかった。

「でもあれだね、結構このイベントについて知らない事多いから、後で僕知り合いに聞いてみるよ。そういうの詳しいと思うし」

 今頃ラボラトリーで煙草を咥えながらフラスコやら薬品やら、思い思いに調合して研究している白衣の男。

「そうか、なにかわかったら儂にも色々教えて欲しい。あー……そうそう、聞こうと思ってたんじゃが、御巫氏は最近バイトを始めたと風の噂で聞いたんじゃが」

「ええ、そんな誰の利益にもならない様な風が吹いているなんて、全然知らなかった。というか僕の話題が噂になる訳がないと思うのだけれど……でも、うん。始めたよ。そのさっき言ってた知り合いのところでちょっと手伝いしてるんだ」

 とは言ってもまだバイト代は一度も貰ってないのだけれど。というか僕は手伝いという手伝いをまだしてない気もするので、正直貰えるかわからない。やったことと言えば、ラボラトリーの片付けと掃除、それに軽い買出し位のもの。

 思えばバイト代について詳しい説明はなかったが、多分月末あたりにはなにか説明があるはずだと思う。そう思いたい。

「やはりやっておったか。実は儂もなにかバイトしてみようかなと思っておったのじゃが、今思うと第一世界でもバイトしたことがないから、いざこうなるとちょっと緊張するの」

「やっぱ実際、生活するって何かとお金必要になるもんね。月の祝福亭でご飯食べたり、まだ行ってないけど他の店でお茶したとしてもお金は掛かるし。なによりバニラノームで色々買い物したいしね」

 ここキスハート学園のゲートから出て、壮大な景色が広がる長い階段を下った先の街。

 統一感の無い区画や屋根の色、建物の様式。土の道、草の道。田園、花園。いい意味で田舎っぽいというか、古さが味を出していて見るものを安心させるような風景。

 ほんの少し湿り気を帯びた土を踏みしめた時に伝わる独特の柔らかさ。大小様々の砂利、植物が生い茂る暖かくて素朴な道。

 賑わっている露天商や酒場には沢山の人で溢れかえっていて、見たことの無い料理の美味しそうな匂いや雰囲気につられて人がどんどん増えていく。

 点々と続く街灯のランプは、独特の古めかしさが残っていて黒錆や赤錆が少し付着している。店や民家に灯るランプは様々な形をしていて、模様も色も素材もそれぞれ全然違っている。

 バニラノームを照らすランプの灯りは優しい。思い出すだけで心がすっと落ち着いていき、柔らかい気持ちで身体全体が包まれるのだ。

「な……御巫氏はもうあの街に行ったのか……? いいなぁ、儂も行きたい。バニラノーム、憧れの街じゃ。のう、どんなじゃった?」

「もうね……いつだか水無月とさ、月の祝福亭でバニラノームの灯りを眺めながら喋った時に想像した、街の風景そのものだった。様々な形のランプで照らされてて、見たことの無いもので溢れてて……」

 喋るのも忘れて、瞼の裏に刻まれたバニラノームの情景に耽っていると、目の前の水無月からの抗議の声に呼び戻される。ほんの少し膨らんだ頬が愛らしくて、今までの思考の数々が水無月の可愛らしい表情で埋め尽くされた。

「ううー……儂も行ってみたい。でもわかるじゃろう? この学園から出るのはあのゲートを抜けねばならぬ。許可を貰ってあそこに行くには何故か勇気がいるんじゃ……一人は、ちょっと怖い」

 その気持ちは凄くわかる。あの時は雛子が一緒にいたからスムーズにゲートから外に出れたけれど、もし一人だったら多分あそこまでいって怖気づいてしまう。

 一人で得体の知れない外に出る恐怖は勿論、ゲートから発せられるおぞましいあの気配は、体内に月の涙を宿した者ならば本能的に近づくのも躊躇う。それにやはり知らない土地をむやみに一人で歩き回るのは危険だ。

 この世界ではなにが起こるか、わからないのだから。

「じゃあ、今度一緒に行こっか。僕も近々また行きたいって思ってたし」

「ほ、本当か! 嬉しい……約束じゃぞ、約束。儂は本当に期待してていいんじゃな?」

 やったぁ……っと小声で微笑む水無月の姿は、本当に嬉しそうで見ていて純粋に僕まで嬉しくなってくる。こんなに喜んでもらえるのなら、もっと早くバニラノームまで一緒に出かければよかった。

 水無月と歩くバニラノームはきっと楽しい。もしかしたら巫女服は珍しい衣類で、目立って視線を集めてしまうかもしれないけれど、水無月も巫女服もとても綺麗だから皆見蕩れてしまうかもしれない。

「水無月は、バニラノームに行ったら行ってみたい店とか場所ってあるの?」

「そりゃあある。というか、まだ儂は学園の外も見た事ないしの。まずはこの世界の景色と空気を感じたい。そのあとはゆっくりこの世界の名産や食材、料理、雑貨…………やばいの!」

 恍惚といった様子の彼女は瞳を輝かせて、どこか別世界へと旅立ってしまっている。しかしその様子は普通の女の子。彼女と他愛も無い話をしていると、慣れてきたとはいえ此処が第二世界ムーンガーデンという事を忘れてしまいそうになる。

「僕はこの世界の食材も気になるなぁ。ほら、月の祝福亭での料理名や使われている食材って、僕達には馴染みのない名前ばかりだし、興味深いよね」

 本当の事を言うと、知りたい情報はもっともっとある。この世界の動植物、文化、歴史。その中には勿論キスハート学園の事も含まれている。

 相変わらず僕は、この世界についてわからないことだらけだ。

「確かにの。ぶっちゃけ儂らは食べ物の情報なんて殆ど知らない様なものじゃからな。月の祝福亭で食べる物も、どんな食材を使った料理なのかもわからないまま食べてるし。……今思うと、ちょっと何も知らなすぎじゃな。それも仕方ないことじゃろうがの」

 まだ、この世界で過ごした時間はあまりに短い。様々な情報を知らなくて当たり前といえば当たり前なのだ。

 しかし知らなかったで済まない事もこの先あるかもしれないのも事実。当たり前のように食べている食材も、何も知らないまま食すのはあまりに警戒心がなさ過ぎるのかもしれない。

 勿論これは一般論であって、月の祝福亭の店主であるところのラピスさんを信用していないという訳ではない。あの店の料理はどれも美味しく、食材に対して無知な僕にも時々おしゃべりがてら説明してくれたりする事がある。実はそれが僕にはとても嬉しい。

「なんかこの話してたらもっと色々勉強というか、知識欲が溢れてきたよ。あとついでに食欲も溢れてきた」

「お主はその見た目に反して、何気によく食べるからのう。でも、まぁ……それには激しく同意だけれど、まだ昼にはちと早いようじゃの」

 相変わらず外は闇に染まっていて、木々や植物達が気持ち良さそうに揺れているのが窓から見える。

そんな景色を眺めながら水無月は、しかし儂もお腹が減ったのーと少し照れくさそうにはにかんでいる。

「じゃあ、午前の授業はもうないみたいだし……月の祝福亭に行ってお茶でもしようか」

 よかったら付き合ってくれる? と聞くのはとても恥ずかしかったけれど、水無月は少し頬を赤らめて頷いてくれた。安堵も溜息を気付かれない様に吐き出して、水無月と一緒に月の祝福亭に向かうことにしたのだった。


 



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