プロローグ
最後に全部揃っていたのはいつだったか。
名を馳せた有名な宝石の数々が、豪華な装飾のショーケースに並んでいるのを男は哀愁交じりで見つめている。
しかしその表情は、病的な収集家特有の陰のある満足げな顔。周囲に自分のはぶりの良さや、欲する物を自分の手にする物欲と、征服感から得られる快感。そして強い権力を周りの人間の見せ付けられると期待する澱み濁った笑顔。
薄暗く彩られた室内で、空から舞い降りた天使の羽を両の手で優しく支え包むように一つの石を手に取ると、些か狂気的な笑い声が漏れていた。
第二世界ムーンガーデン某年、海から立ち込める靄や霧が海面を滑るように流れ、渦を作る光景がよく見える海沿いの一軒の豪邸。
周りにはこの豪邸の他に家はない。その為この建物が異様に目立つ上に、景色から逸脱していて浮いているというか、家主の性格や気性が知れる立地場所と家。
その家主は様々な価値のあるものを収集する趣味を持ち、気に入ったものを手に入れる為ならば金をいくらでも積むと評判の何かと尾ひれがつく生活をしている。
その中でも特に力を入れているのが、石であった。
第二世界ムーンガーデンにも沢山の鉱石があり、宝石に位置づけられる石も沢山見つかっている。それこそ第一世界とほぼ同じ成分と名前の石、水晶やルビー、アメジスト等も沢山ある。
海辺の豪邸に住む家主は、そのよく出回っている石の中でも希少な形、大きさや澄み具合や輝きの物を集めている。
他にも希少価値が高すぎて値段が高く、出回ることも滅多にないような石も酔狂して収集している。
アステリズムの光の筋が綺麗な珍しい宝石。遊色効果がその珍しさに拍車をかける。石に光が入ってきた際に内部の結晶構造や粒子配列によって光が分光されて、様々な色の乱反射が生じる事で虹のような多色の色彩が現われる現象。これは初めて見た人には圧巻の美しさである。
とあるの貝の殻の内面も似たような遊色効果があり、霧と靄の渦が立ちこめる海での漁業で時々獲れる。その貝も安価ではないのだけれども、高価過ぎる石を買えない人はこちらを好んで買うようだ。その貝の内面を使ったアクセサリー等は、やはり値段は高いが街の娘達にはとても人気である。
その中でも変色効果は希少さに拍車をかける。しかも豪邸の家主の所持している変色効果の宝石は大きさや形、光度は特級品の物らしい。
変色効果特に名の知れた宝石で、アレキサンドライトがある。月の光ではあまり反応しないが、蛍光灯下では暗緑色、青緑色を示す。白熱灯や蝋燭、ランプの明かりの下だと赤紫色に変わるのが特徴。滅多に見つからない為、天然物の値段は途方もない額となる。
今挙げていった宝石も当たり前のように所有している程に、家主は珍しい石や希少な宝石に酔狂している。
そんな家主には、その数ある中でも特に夢中になっている宝石があった。
無機質の中に固有の意思を持つと言われる、幻の宝石ジェムピティ。この世界でも最も手に入らないと言われる宝石の名。
欲しいと思ったものならばどんな手段でも、絶対手に入れる。そんな豪邸の家主でも苦虫を噛み潰す程の希少さのジェムピティ。
そして家主が苦心の末にジェムピティを手に入れたきっかけは、あまりに唐突で突然だった。
なんの前触れもなく、夜遅くに豪邸に現われた男がこう言ったのだ。
「夜分遅くに申し訳ありません。貴方がジェムピティをお探しと聞いたので、ご迷惑を覚悟で立ち寄らせていただきました」
「な……しょ、証拠はあるのか」
「残念ながら、ジェムピティには存在証明書が御座いません。なので私の所有しているジェムピティにも、鑑定書などが付いている訳ではないのです……しかし、貴方程の目利きならばと思った次第で御座います」
そう言って男が終始大事そうに持っていた、麻布に包まれたB4紙程度の大きさの硝子ケースを目の前に差し出した。その表情はランプの灯りで曇っていて表情は家主にはよく見えなかった。
「そ、そうか……よし。入れ。おい、応接間まで通せ」
そう家主が指示すると、側近であろうメイドが頷きながら頭を下げる。
「こちらです、どうぞ。ようこそいらっしゃいました」
そう粛々と案内をするメイドは従順を通り越して、いっそ機械的と思われるほどの淡々とした接客。しかしその質は最高で、言う事が全くないレベルなだけに文句を挟む隙などあるわけ無く、マニュアル通り感が否めない中でその接客事態に問題が無く、完膚なきまで否定させない独特の雰囲気を纏っている。
「こちらです」
男が案内されたのは応接間。濃淡の影を生む壁に並べられたランプの光は揺れて、テーブルに設えたドラゴンの姿を模した豪勢なランプが幻想的に辺りを彩っている。その部屋には沢山の収集物。見ればわかる貴重かつ希少な物がずらりと並んだ応接間に、質の良いソファーがその雰囲気を壊さないセンスは流石としか言えない。
「座りたまえ」
「では……御言葉に甘えて失礼させてします」
男はこの部屋の持つ酷く煌びやかな中に澱んだ空気に、一度咳払いをした。家主の体内の中に迷い込んだかの様な粘りのある居心地の悪さに、思わず眉間に皺を寄せそうになりつつも仮面の笑顔を向け続ける。
「では早速見せてもらおうじゃないか」
「はい、ただいま」
一方家主も警戒は解いていない。何故ならこの伝説の宝石に関して、デマや詐欺も横行しているのを知っている為だ。事実家主もその被害にあったことがあり、その被害総額は家が何件も建ってしまう程だった。
もう一つに、この男の素性が知れない事。更にこの場合、取引する場合には相手と同等かあるいは格上を装うのが定石だった。例え品物が嘘でもそうすることで、この取引や駆け引きを優位に進めるのが一般的だ。
裏を返せば、その態度こそに狙いが有るとも読めた。しかしそこからはもう堂々巡り。読めない表情、明らかに場慣れした雰囲気なのに格下をあえて装う男は、家主にとって不気味でしかなかった。
こうして疑心暗鬼に掛かっている時点でもう既に男の術中に嵌まっている事など、家主は最後まで気付く事は無かったのだが。
「……こちらで御座います」
そう言うと、先程家主に見せた麻布に包まれた硝子のケースをテーブルの上に置く。こうしてその得体の知れなさが、中からとんでもないものが出てくるような嫌な予感めいた物を家主に感じさせる。しかし病的なまでの収集中毒が家主をそれ以外考えられなくなる様に煽り、次第にはやる気持ちを抑えられなくなる。
麻布はあっさり解けた。優しく包む程度だったらしく、直ぐに中の硝子ケースが露わになる。
硝子ケースの中には、四つの宝石が在った。
そのあまりに堂々たる存在感に、家主は思わず感嘆の声を漏らし腰を浮かせる。
まるで呼吸でもしているかのような、強い生命を感じさせる不思議な感覚。そんなはずなどないのに、何か生き物を目の前にしている様な気持ちにさせる。
そして圧倒的な輝き。美しさ。カットや加工されていないそのままの姿なのにも関わらずその全体が紛れも無い大秘宝。岩石部分ですらとてつもない宝石にすら感じられる程の、圧倒的な完成度。
「いかがでしょうか?」
家主の表情や、隠しきれない興奮が駄々漏れの雰囲気をひしひしち感じている男は、狙い通り進んでいる事を確信しながらも問う。
「す……素晴らしい。私はこれほどまでの宝石を今だかつて見たことが無い……」
「わかって頂けましたか……只の宝石ではないことをわかってくださると、信じておりました」
ギラギラと物欲、収集欲を隠そうともせず目が血走っている。家主にはもうこの時点で、既に選択肢など残っていなかった。
「どうすればこの宝石を譲ってくれる。言い値で買おう」
「いえ、私はこの宝石を売る気はないんです」
「なん……だと?」
家主の表情が怒りのただ一色へと変化していく。このままだと相手を殴りかねない程の憤怒。
「ご、誤解です。私はとある宝石を探していまして。その宝石がこのお宅にあると聞いてやってきたのです。もしその宝石を譲って下さるのであれば、私もこのジェムピティをお譲りしたい、と思っております」
それも、この四つ全てお譲り致します。と、決定的な話を投げかける。家主にとって、棚からぼた餅。これ以上無い最高の提案であり、心の底から喜びや満たされる物欲で幸福の絶頂になるのも無理は無い。
「なっ……なにか、話が出来すぎている気がするが……。いいだろう、因みに貴様が欲する宝石とはなんだ?」
家主は純粋に気になった。これほどまでの希少さや美しさを誇るジェムピティを差し置いて、一体なにを求めているのだろうかと。その宝石には一体どれほどの価値があるのだろうかと。
「宜しければ、展示されているスペースをこれから少し閲覧させて頂いても?」
「勿論だ」
価値などは、その個人が下す評価のような物。そこら辺に転がっているような石ころが、何にも変えがたい宝物にだってなり得るという事を家主は知らないし、理解出来ない。
部屋の展示されているショーケースの中には、世界中から集めた数々の宝石が綺麗に並んでいる。
ランプの灯りを受けて、それぞれの色や味を醸し出している宝石達は、急な来客を喜んでいるかのように美しく輝いていて、眩しい。男の目にはどれもが美しく、そして儚げに見えた。
やがて男は一つのショーケースの前で、歩みを止めた。家主のもつ手持ちランプの灯りが静かに揺れたる。
「……まさか、この石じゃないだろうな……?」
「その、まさかなんです」
家主の反応は、この場合傍から見たら間違ってはいない反応だった。
男が立ち止まったショーケースには、まるで宝石とも呼べない只の石がごろごろと並べられているからだ。ランプの灯りを、鈍く吸い込むように、反射している。
「この石は、いつだったか……形がいいものだから、ぺリトードを購入した際についでに貰った物だぞ……? 価値なんぞ、なにもないただの石ころだ。……まさか腐竜の瘴気にでも当てられたか?」
第二世界ムーンガーデンでは、正気を失ったり支離滅裂な言動をした人に対して腐竜の瘴気に当てられる、という表現を用いる事が昔からよくある。実際は勿論そんなことはないのだが、ちょっとした冗談というテイストで使われる事がある。
勿論、この言葉で表情を曇らせてしまう女の子が居る事など、知る由など誰にも無い。
「いえ、私は正常ですよ。どうです? 私にこの石を譲ってくださいませんか」
「そんな石なんぞ、好きにしたらいい。……しかし、それでは私の気が済まない。これも持って行ってくれ」
そう満足げに隠そうともしない満たされた表情で、別のショーケースに何かをとりにいく。
そして家主が持ってきたのは、先程話題に上がっていたぺリトードだった。
ペリドートの屈折率は非常に高いため、明めの緑色が映えることが特徴の宝石。橄欖石とも呼ばれるその石は、明かりが無い暗闇の中でも綺麗に見る事が出来る。その希少さと美しさに耽溺する者も少なくない。
「本当ですか、こんな立派な宝石……では、お言葉に甘えて、頂くことにします」
男は単純に驚いていた。噂ではこの家主は貪欲な物欲からか、卑しさでは有名。何でも人にはあげない、ゴミですら他人には渡さないという徹底っぷりとの噂で持ちきりだったのだ。
正直、思わぬ良い誤算に、男は顔がにやつくのを上手く止められる事が出来ない。何故なら。
男の狙っていた物の一つに、家主が大事そうに抱えるそのペリト-ドも優先度は低かったけれど、含まれていたからだ。
この私欲にまみれた家主が、目先の利益に飛びつく豚で良かったと男は静かに妖艶の笑みを浮かべる。「うむ。しかし……素晴らしい宝石だ。本当にいいのかね?」
「勿論です。私も手に入れられて光栄です」
宝物でも扱うかのような動作で大事そうに石を触ると、男は微笑む。家主をそれを見てようやく安堵し、交渉成立したと認識して満面の笑みを浮かべる。
そして互いが互いの想いを胸に、二人はランプの灯りの下で握手をしたのだった。
壮大な海、うねる靄が海面を隠す様に渦を巻いている景色を、海岸沿いで眺める人影があった。
男の傍らには麻布で包まれた硝子のケース。大事そうにその箱に手を添えながら海の靄の渦を眺めている。
「思惑通り、順風満帆。こんなにうまくいって、いいのかね」
そう呟くと、目を閉じる。その瞬間男は淡く発光して魔術陣が現われ、辺り一体にピリっとした緊張感が張り詰める。
「もう少し、あともう少しだ……」
男の表情は喜びと哀愁が混じった、今にも泣き出しそうな顔で硝子ケースを見つめたのだった。




