エピローグ
物事には理みたいなものが、ある。
しかし、この世界は必ずしも決められた物語の上を歩くだけじゃない、と僕は思っている。例えば何かで悩み、そのどちらかを選択したとする。右側を選んだとしてもそれは決められた物語。だからあえて左を選んだとしても、それは既に必然的に敷かれた物語なのだ。と言われても、僕は正直首を傾げるしかない。
なぜなら右を選んだ自分の世界と、左を選んだ世界の二つがそこで生まれる可能性だって、あるはずではないか。どちらか一つを選んだ世界しか広がってないなんてどうしたって思えない。
しかし逆に僕があの時ゲートに行けたのは、どんなに強い人避けの魔術が施されていたとしても必然だったとも思える。
もしかしたらあのまま気付かないままの世界があったかもしれない。しかし、この世界の僕はこうして気付けた。でも、なんとなくどの世界の僕もきっと……
「凪、なに難しい顔をしているの?」
深海に潜っていくような思考のスパイラルから、目の前に居る雛子の声で引き上げられた。危なかった、よくわからない悟りを開いてしまうところだった。
「ごめんごめん、色々考えてた。それにしても、間に合って良かった」
「本当だよ、ってか本当に凪がきてくれるとは思わなかったよ……そりゃ人払いの魔術を施してもらったとはいえ、少し来てくれるかなって期待もしていたから」
やっぱり嬉しいよ、と照れくさそうに微笑む。先程までの恐怖で強張った表情はもう跡形も無い。
「でも、本当不思議。どうして此処にこれたの? 仮に術者のメイドさんに会って話を聞いたとしても辿り着けないはずなんだけど……」
「んー……雰囲気?」
「えー、雰囲気でわかる様な魔術じゃないと思うよー……」
そんなやり取りをしながら、いつもの様に浮かぶ大きな月と寄り添うように浮かぶ、淡い紫と薄い青に光る惑星を眺める。そしてつい先程まで起こっていた事を静かに思い出していた。
*
僕がこのゲートに到着したとき、ゲートが申し訳程度に開かれていた。そして見たことの無いスーツの男が学園に入るその直前に僕と鉢合ったのだ。
奥にいる雛子はもう、顔面蒼白。恐怖に打ちひしがれていている様子。そして口を半開きにして僕に戸惑いと安堵の混じった視線を向けていた。
対峙した瞬間にわかってしまう、相手の放つ桁外れの存在感。そのまま目の前に立っているのも烏滸がましくなるような威圧感。間違っても逆らう事は許されないと本能が訴えかけてくる程だった。
相手は特になにもせずに僕の目を見ていた、それだけでここまで完膚無きまでに圧倒されたのだ。
「おやぁ、貴方はー……」
「凪、駄目ぇぇぇええ!」
雛子の悲鳴じみた叫びに一気にスイッチが入る。気を引き締めて戦闘態勢に入ると、まだまだ残る怪我や痛みが軋んで、その勢いで一気に壊れて動けなくなってしまうかと思った。しかし身体に宿るアウラが眠りから目覚め、一瞬で血と共に魔力が全身を廻る。
やはり最後までこの娘を守りたい。またあの明るい表情で笑って欲しい。この状況は絶望的だけど動かない訳にはやはりいかないのだ。
「……本当、穏やかじゃありませんねぇ」
視線で人を殺す事は出来ない。そんなロジックすらこの男は否定してしまいかねない視線で、僕を射抜く。
さも面倒くさそうに溜息を吐きながら、両手をポケットの中に乱暴に突っ込む。その様はなんだか無防備なはずなのに何故か全く隙が無い。
「いやね、本当別に今貴方達をどうこうしようって思ってないんですよぉ? そんな身体でわざわざ御足労頂きましたけれどね。キスハート・雛子・ニルヴァーナさんも、緑師の貴方も力みすぎなんですよ。私達は悪ではない、それはこの世界では常識のはずでしょう?」
「世の中に染み付いた正論が、いつだって正しいとは限らないですよ……でもじゃあ、あんたは一体何しに……? 雛子とあんたを繋いでいるその魔術はなんですか」
雛子の腕と、スーツ姿の男の腕には薄らと黒みがかった色をした青の糸が何本も絡まって互いを繋いでいる。伸縮性があるらしく、重さも軽いのか時々風になびかれて揺れている。
「ちょっと様子をみに来たんですよねぇ。だってとうとうこのムーンガーデンに、噂の緑師が現われたっていうじゃないですか? それに今回の事件にはイヴの意思アルヘオ、それにシャルトライム、キスハート・雛子・ニルヴァーナまで絡んでいるときたら、それはエーテルとして様子を見ざるを得ないでしょう?」
「凪は、彼は関係ない……!」
「本当、少し黙っていてはくれませんかねぇ? …………はぁ、興が冷めました。緑師の姿も異能もこうして実際に確認出来ましたしねぇ。そもそも別に貴方やキスハート・雛子・ニルヴァーナになにかしようって気はなかったんですよぉ?」
これは本当なんで信じて下さいねぇ、と人当たりの良さそうな表情で微笑みながら雛子と繋がった魔術を解く。
人の顔色を窺うのが得意な僕にはその笑顔のどす黒さが解ってしまった。そんな風に装えて隠せるほど、この男から放たれる魔力や殺気はそうそう隠せるもんじゃない。
この男、というよりエーテルに関しては色々と聞きたい事があった。それについて問いかけようとすると、
「あぁ、そうそう。緑師の貴方、さっきから色々聞きたそうですが、基本的にエーテルの情報は全て最重要機密なので私からは何も貴方に情報を提供する事は出来ませんからね? 先に言っておきますけれど」
あっけなく先読みされ、あっさりと制された。僕はこの男の前で、まだなにもしていないのがもどかしくて悔しい。雛子の反応を見る限り、この男はきっと……。
「雛子はなにもしていない。だから、出来れば手を出さないで欲しい。只でさえあんたのエーテルってとこに、トラウマさえ感じているみたいなんで」
「トラウマですか、それは本当に遺憾です。しかし私達は世界の為に必要なことをしたまでですのでね。間違ってないですよ? 本当、貴方達はお互いを庇いあって……まるで使い古された台詞ばかりの安いドラマみたいで、心底興が冷めますよ。……それでは、私は大人しく退散するとしますかねぇ。まぁ、また窺いますよその内。どうかそれまで御健勝で」
そしてそのまま何事も無かったかのように、歩いて戻っていってしまった。月の逆行の中、ポケットに手を突っ込んで怠そうに歩いているのが、妙に印象的で脳に焼きついたのだった。
*
「またなにか、考えてる。……やっぱり、さっきの事?」
「あぁ、うん。やっぱ色々思う所や考える事あるしさ」
あの男とのやり取りからまだ一時間も経っていない。場所はまだゲートのある場所で、木製のベンチに雛子と座っているところ。
月灯りと、周りの微光性の植物の小さく淡い光に包まれた雛子の雰囲気はだいぶ柔らかくなってきた。
「凄かったよ……あの人。僕も必死で最後啖呵切ったけれど、すごく怖かった。あの人がエーテルの人だったんだよね」
「……うん」
「いや、別に雛子に何か話して欲しいって言ってる訳じゃないんだ。ただ……なんで人払いの魔術したのかなぁって」
「凪をこれ以上巻き込まないように。そう思ったのに、どこかで来てくれる様な気がして。でもそれってこの間の事件の時と一緒で、私なにも変われてないなぁって。あの時凪の姿をみて、私やっぱり安心したの。
でも、今回は本当に凪を遠ざけたかった。それは対峙してみてわかったでしょ? だから強力な人払いの魔術を施してもらった。でも……結局私一人では何も出来なかった。
そんなつもりじゃなかったのに、やっぱり凪に助けてもらっちゃった」
ありがとね、と儚げに微笑む雛子はほんの少し泣いていた。
「無茶しないでって僕に言ったけれど、雛子も無茶しないでほしいな。正直、危なかったと思う。それに僕こそ、結果的に巻き込んだ形になっちゃったよ。あの男の目的の中には、僕の事も含まれていたんだし」
「わかった……なるべく無茶しない。でも、エーテルが凪の異能に反応するとわかったから、絶対凪には接触させないようにって思ってたの。でもまた来るって言ってたね、困ったな」
「でも、僕はまだ魔術や異能の事まだまだ知らないし。頑張って雛子を守れるように頑張ってみるからさ」
だからそんな顔しないで? と、言っている自分がなんだか途中で恥ずかしくなってきた。これじゃまるで、映画や小説の主人公みたいじゃないか。
「……あ、ありがとう」
雛子の顔が赤い。茹で上がったように湯気が見える程赤い。多分僕の顔も雛子の事を言っていられない程赤いのだと思う。
そんな恥ずかしいやりとりを誤魔化す様に、また少し思考の海に潜る。もちろん隣に居る雛子の温もりとこの心地良い余韻を連れてだ。
この第二世界、ムーンガーデンに来てからまだそんなに時間が経っていない、と思う。正確には少しわからないのだけれど、一ヶ月経ったか経たないか位。
あの衝撃的な手紙を読んだ日から今まで、未だに信じられない事が多い。けれどここムーンガーデンで暮らしてみて、そんな沢山あった信じられない出来事や話の中、どんどん新しい自分を垣間見れることがとても嬉しくて。
こんな僕でも仲良くしてくれる人達が居て。今では話せる人の数は第一世界のときより遥かに多い事実。
そしてそんな中で起こった今回の消失事件や、学園や雛子、クイナの過去と真実と確執。思い出せば戦慄する激しい死闘。段々明らかになっていく第二世界ムーンガーデン。イヴ。
更にエーテルの片鱗の恐ろしさは先程体験したばかりで、まだその名残で未だに僕の呼吸が乱れている。
まだまだ此処での暮らしには慣れていない事やわからないことも多いし、魔術や異能についての勉強や実践の経験も浅すぎる事を痛感し、思い知った。
今回の事で雛子や大切な友人に何かあったときの為に、何より自分の為に。ちゃんと学んでいきたいと改めて思えた。
しかし、こうやって気ばかりが焦っていても仕方が無い。とりあえず隣に座る雛子と、月の祝福亭にてラピス店主の特製はちみつミルクでも一緒に嗜んでから考えても、きっと遅くはないだろう。




