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第十九話 緋袴の眦とエーテル

あの後クイナの病室から出てきた僕は、少しの間廊下でそのまま動けずにいた。

 ただぼーっと立っているのも難儀になってきて、身体を壁に預けて肺から全て息を吐き出すようにゆっくりと深呼吸する。

 ベッドに眠るクイナに、沢山の点滴のチューブが身体中を貫いていた。腹部には治療用らしいけれどホログラムの剣が刺さっていて、とても痛々しかった。

 あの傷はどんな理由があれ、僕がこの手で付けた傷だ。その事実を改めて目の当たりにしたのは結構精神的に響いている。胸が酷く痛む。

 そんな資格なんてないだろうけれど、でも流石に突き刺さるものがあった。鋭利な刃物で心をぐちゃぐちゃに掻き回されたような、酷く辛辣な感覚。

「でも、すごく自分勝手なんだけど……クイナが無事で本当に良かった」

 少し肌寒く、照明も薄暗い廊下で再度深く息を吸い込む。色々な事を身体に沁み込ませる様に深く、もっと深くまで空気を送り込む。そうすることで、不思議と気持ちも落ち着いてくる僕のちょっとした習慣だ。

「またお見舞いにこよう。なにかクイナの気に入る様なお土産買わないとな」

 そう一人呟きながら、壁から静かに背を離す。頭を振って、脳が必死で行なっているだろう情報や現状の整理を促そうとするも、ただ立ち眩みするだけで何も変わりはしない。

 壁に掛けられた等間隔に並ぶ照明。淡く光るその連なりをぼんやりと眺めながら、どうしようもなく頭に浮かぶのは先程のメイドさんの話だ。

「……病室に戻ろう。まずはそれからだ」 

 どうやら病み上がりの身体には、この歩いたり喋ったりする程度の運動も堪えるようだった。それも少し考えれば明白な常識だなと苦笑いしてしまう。

 自室に戻るのも息を切らし、心臓は動悸している。身体にはまだまだダメージが残っているらしく、ベッドに腰掛けるまでに立ち眩みや身体のよろけも何度かあった。

「あ……ってか点滴の液体が無くなりそう」

 点滴の液体が無くなって、中の空気が身体に入っていったらどうなるのだろう。いつか連れて行ってもらった病院での点滴を眺めて、ぼんやりそう考えていたことを思い出した。

 この点滴のチューブから空気が果たして注入されるのか否かは一先ず置いておいて、血管に空気が入ったらどうなるか。

 おぼろげな記憶を辿る。確か微量だと循環している内に血液に溶ける為問題なかったはずだけれど、それが微量じゃなかった場合。

 注入された空気量が微量とはいえない量だったとしたら。肺で重症の空気塞栓を起こして、肺のガス交換の働きが低下する。そして脳にも空気塞栓が併発し、脳梗塞の症状を起こす事となる。

 今、間も無く液体が無くなる。チューブにはまだ気泡は確認してないが、アウラのような玉の中は変わらず色が変わる半透明の球体なので、中の液体が無くなったことによる空気圧の変化もみられない。

 仮に、この中に空気が十分に満たされているとしたら。

「あれ……なんかこれは……ちょっとやばい気がする!」 

 そう思って、辺りを見渡してみる。所謂ナースコール的な物がないか期待したのだけれど、それらしきものは残念ながら一個も見当たらない。

 いっそ多少なり血が出ようが引き抜いてしまおうかと、半透明のチューブを引っ張って針を抜こうとするも何故かびくともしない。

 そうしている内に焦燥感が増していき、時間だけが刻々と過ぎ去っていく。

 いよいよ打つ手が無くなり、ちょっとしたパニック状態になった時。丁度よく部屋の扉がノックされる音がした。

 もしかしたら医療関係の人が、そろそろ点滴が切れる頃だと様子を見にきてくれたのかもしれない。まだ焦燥の名残を残したまま、それでも僕は少しほっとした。

「はい、どうぞ」

「……お主なにやってるんじゃ?」

 扉を開けて早々、そんな言葉が僕に放たれた。一体なんのことだ? と思って窓に映った自分を見てみると、なるほど僕は世にも奇妙なポーズをとっていた。一旦そう認識してしまうと、恥ずかしさで顔が焼け石のようにどんどん熱くなっていく。混乱していたにしてもあの格好は流石にない。

 そこに居るのは穢れ無き白衣(びゃくえ)に、燃えるような緋袴。白と赤のコントラストが、落ち着いた配色の病室内だとなんだか浮いて目に障るかと一瞬思ったのだけれど、不思議と五月蝿くない。むしろ、日本の古くからの伝統衣装を纏ったその姿に懐かしさすら覚える。

 巫女装束などでも見られる、色の濃淡を表現するための刺縫(さしぬい)という日本刺繍が腰部に入っていて、改めてその巫女装束の出来栄えと似合いっぷりに心から感嘆する。

 水無月愛雨(みなづきあいう)。そこの扉のところで、呆れたように僕に視線を向けている女の子の名前だ。

「……水無月、なんか久々だね」

「本当じゃぞ、一体どれだけ儂を放っておくつもりじゃお主」

 背中位まであるストレートの黒髪はさらさらと上質な絹のように滑らかで、艶やかである。

 左目の下には泣き黒子がある。その泣き黒子がなんだか妙に色っぽく、凛々しいというよりかはどちらかというと可愛い顔立ちの女の子。

 言葉使いとイントネーションに特徴があるその喋り方も、なんとも古めかしい。日本特有の馴染み深い巫女姿で、水無月本来の見た目の可愛らしさと言葉使いがなんだかちぐはぐだ。初めて話した時はあまり慣れなかったものだけれど、今ではこんなに愛くるしくて懐かしくて。

「儂を除け者にして、儂には何も話してくれなくて。……突然あのメイドさんが教室に飛び込んできたかと思えば、意味深な会話の後に今度は御巫氏が消えるように居なくなって。……(あまつさ)え帰ってきたと思えばこんな大怪我をして、そのままお主は何日も目を覚まさなかった」

 先程までの和やかな雰囲気は今はもうない。優しさを感じさせる厳しい表情の水無月が醸し出す荘厳な空気は、一瞬でこの病室を満たした。

「心配して、何も知らないまま只じっと待っている立場の人のこと、考えた事あるの……?」

「あ、いや、ごめん。でもちゃんと帰ってきたから」

「待っている立場の人のことを、考えた事があるのかと聞いておるんじゃ!」

 涙声で叫ぶように怒鳴り、僕を射抜く様に見つめる大きな瞳には少し涙が浮かんでいる。唇を噛み締めた水無月の拳は強く握られていて、血の気が引いているのか青白くなり震えている。

「お主がなにか必死に考えて、戦っているその間。何も出来ないし何もさせてもらえない。そしたら、残るのは無事を祈る事しかないじゃろう……儂だってな、お主の無事を祈るという過酷な戦いをずっとしておった」

 その後は、目を覚ましてほしいという祈りじゃ。と不意に視線を横に流した水無月の目が、憂いを残した。水無月の熱を帯びた視線の名残に、火傷のような痛みが伴う。

「……水無月」

「なんじゃ」

「その、ごめん」

「なにがじゃ」

「……心配かけて」

「…………阿呆」

 主は阿呆じゃ、と俯いた水無月は(たが)が外れたように駆け出して僕に近づいてきた。そしてその刹那、僕の胸を一回叩くと俯いた顔が上がって微笑んだ。(たお)やかな表情が先程の鋭さとのギャップで更に魅力的に映る。

「おかえり。……よく帰ってきたの」

 心配かけおって……と(まなじり)にうっすらと涙を浮かべて微笑む水無月。僕は、一体どれだけ沢山の人に心配をかけたのか。あの時は必死で、死に物狂いだったから……そんなのは言い訳にはならないのはわかっているけれど、周りの見えていなさ加減が半端じゃなかった。自分が嫌になって反省する。

「ありがとう、水無月。……兎に角、無事に帰ってきたよ」

「いや、それは無事とは言えぬよ」

「……そっか、確かにそうだね。あ、ところでさ、すっかり忘れてたし僕の身体がなんとも無いところから推測すると、血管に空気は入らなくて無事だったみたいだなぁ」

 半透明のチューブには、水滴が微かに残っている位で液体は体内に入ってきていない。元々病み上がりの身体の不調はあるけれど、今のところ大丈夫だ。

「ああ、そうじゃ忘れていた。儂はその点滴の様子を見にきたんじゃった。終わったなら回収して、必要なら新しい点滴に変える為にの」

「えっ? なんで水無月が?」

 そういえば、水無月が入ってくる時。あまりのタイミングの良さについ医療関係の人、看護士さんか先生が来るものとばかり思っていた。

「儂が頼んで、この看護棟のお手伝いを一時的に承認してもらった。専門的な事はあまりじゃが、お主の看護をするくらいの技能教養は儂にもあったからの。主が大怪我をして帰ってきて、目を覚まさないと噂を聞いて……儂にも出来る事、しようと思っての」

 なんという事だろう。僕はつくづく目の前の事しか見えていなかった。必死だったとか言い訳にしかならない。こんなにも僕のことを心配してくれている人がいる事を忘れ、無茶して心配かけた。申し訳なさと嬉しさが激しく混同して戸惑ってしまう。

「僕、その……本当ごめん、ありがとう」

「何を言ってるんじゃ、これは儂が勝手にした事。御巫氏、そんな顔をするでないよ。儂がどうしたらいいか、わからなくなってしまうじゃろう……?」

 そう困ったように微笑む水無月。僕の顔はきっと、酷く情けない表情になっていたのだと思う。感謝こそすれど、困らせるつもりはなかったのに。

「御巫氏、とりあえず座って? まずはその点滴を外そう」

 言われた通り座った僕に向かい合う形になり、そのまま水無月が静かに瞼を下ろすと、小鳥が鳴く様な声で何かを唱えた瞬間浮いていたアウラのような球体の点滴と半透明のチューブは虚空へと消えてしまった。まるで手品の様に鮮やかだった。

「おお、消えた!」

「ま、儂は魔術士ではなく異能士らしいからの。今のは特別な魔術ではなくて、医療棟全体に充満している医療魔術に(あやか)っただけじゃよ」

「それでも、驚いた。手際も良いし、本当に看護士みたいで安心出来るよ」

 針が抜けた部分の軽い消毒と止血。軽い問診など、かなり様になっている。巫女ってこういう教養もあるんだったかな? と記憶を辿ってみても、特別巫女がこういう医療に特化しているというのは聞いた事が無い。きっと水無月が自分で努力して得た、技術と知識なのだと思う。

「褒めてもなんもでんぞ。……ところでお主。今回の噂されていた消失の事、日本の撫子として深く聞いたり追求したりしようとは思ってはおらんが……一応解決をみて落ち着いたのかの?」

「うん、一応解決とみていいと思う。終わったよ。誰かが突然消失した、なんてことにはもうならないはずだよ」

 胸を撫で下ろしてホッとする水無月。そしてこの時、僕はほんの小さな嘘を吐いていた。その嘘を誤魔化す様に平常を装いつつ、これからどう病室を出ようかとか、着替えはどうしようかと考えていた。

 しかし、気付いた時にはもう遅かった。透き通るような水無月の瞳が僕を捉えている。僕のほんの小さな仕草と、違和感を感じたのか不言のまま訝しみを孕んだ視線を向けられていた。

「……何か隠しておるじゃろ?」

「えっ……?」

 一瞬また怒らせてしまったかと思った。しかし、なんというか気のせいかもしれないけれど、どこか諦めにも似た優しげな表情を浮かべている。半ば呆れてしまったのか、小さく溜息も漏れていた。  

 どうにも水無月の前だと気兼ねしないというか、どうしようもなく溢れ出る日本の和の雰囲気に安心してしまう。だから、つい取り繕うことも出来なくなって、隠したい事も隠せなくなる。

「どうせまた何か、儂に内緒で色々考えてて無理しようとしておるのじゃろう? ……儂には何も話さないまま、また隠そうとしておる」

「……そう何でもお見通しだと、取り繕うのも馬鹿馬鹿しくなってくるよ」

「それは、御巫氏がわかりやすいだけじゃろう? そして、お主がそうやってまた何か隠しておるのも、この間の消失の事も……儂を危険な事に巻き込まない様に、というお主の不器用な優しさというのも正直気付いておる」

 気付いておるが、なんだかそれはやり切れないんじゃよ。と哀愁が漂う微笑みを浮かべている。その表情はこの状況でこんな事を思うのは、少し不謹慎かもしれないけれど本当に美しくて絵にして飾りたい程に憂いを帯びてて、凄く綺麗な表情だった。

「そんな大げさなものじゃないよ、僕なんて。でも、うん……巻き込みたくないってのは確かにあった。それで水無月には極力喋らないようにしてた。……そっか、気付いてたんだ」

 胸にちくりと僅かながら痛みが走る。悪い事はしていないけれど、なんだか隠し事がばれたみたいに心が締め付けられる。

「……まさかまた、今からその身体でどこかに行くなんて言わないじゃろ?」

「…………」

 もう全てを見抜いた上でそんな質問を投げかけるなんて、返事できなくなってもしかたないじゃないか。

「……儂がこうして止めても、行くのか?」

「この事件は、本当の意味でまだ終わってないんだ。僕が行ったところで何も変わらないかもしれないけれど、それでも行かなきゃいけないんだよ」

 そう、まだ終わってはいない。先程メイドさんから貰った情報が事実だとしたら、本当は今すぐ飛び出して向かいたい位なのだ。

 でもそんな爆発しそうな感情も、今ならなんとか抑えられる。心配してくれる大切な人を無碍(むげ)には、もう絶対したくない。

「……やっぱり止めても無駄、か。でもちゃんと……帰ってくるんじゃろうな?」

「当たり前だよ。その時は色々心配かけたお詫びと御礼に、月の祝福亭でなにかご馳走するよ。話せる範囲で色々話しながらさ」

「……はぁ。…………お願いだから、無茶をせず無事で帰ってほしい。……まったくどこまでも阿呆だよお主は」

 でも多分、儂が一番阿呆なんじゃろうな。と小さく漏らしながら笑っている。そしてそんな風に背中を押してくれる水無月には、やはりどうしたって敵わないなと思ったのだった。





「やはり、この間の事を調べにきたのですか?」

 対峙してみて改めて戦慄してしまう。それほどこの男、というよりエーテルは底の知れないの強大な力と絶対的な威圧感がある。

 引き締まった細身の身体に、短めに整った黒い髪。深みのある黒のスーツを着た男。月の灯りを反射する程磨き上げられた革の靴。一見すると害のなさそうな中性的な顔立ちは、どう見ても私の知っているエーテルの男だった。 

 あまりの恐怖に、背筋に冷たいものが這いずり回る。膝が玩具みたいにガタガタと震える。でも、私は今ここで引く訳にはいかない。

「おや。やはり、というのはどういう意味でしょう? 私まだ何も言ってませんけどねぇ……もしかして何かあったんですかぁ?」

 宜しければ教えて下さいよぉ、と口が弧を描くように歪ませながら、嫌みったらしさのない極めて純粋そうに笑う。

 しかしその独特の言い回しの奥に卑屈さが見え隠れするのがわかる。此方に墓穴を掘ったと嫌でも思わせる使い古された台詞が、この男にはよく似合っている。

 一度、いや何度も対峙した私にはトラウマのように蘇って来る嫌悪感。込み上げて来るのは吐き気だけでは収まりそうも無い。

「……とぼけないで下さい」

「どうも穏やかじゃありませんねぇ……誰も貴女を獲って食おうなんて言ってないじゃないですかぁ。キスハート・雛子・ニルヴァーナさん」

 一言喋る度に神経を逆撫でする声と話し方。……もう既にこの場を彼に支配されているのをひしひしと感じる。足元が蟻地獄の砂に飲まれていて、底に待ち受けるのは恐怖と絶望。ねっとりと粘り気のある悪寒が、対峙した時から少しもおさまらない。

「まぁ、余興はこの辺にしておきましょうか? 私も時間が余っている、という訳でもありませんしねぇ。ではそろそろ其処を通して頂きますよ? それと貴女も私と共に来て頂きましょうかねぇ。少しだけ、貴女にもお話が聞きたいんですよ」

 無害そうな微笑み。共に来て頂く、このたった六文字の台詞に抑えていた恐怖が今にも飽和しそうになる。そして間違いであって欲しい予想がどんどん確信に変わっていく。

「お断り、します。あと……此処は通せません。何があっても通しません」

「なんと! へぇ……なんだか見ない内に雰囲気も変わったようですねぇ。……では、いいでしょう。私は勝手に進みます。止めたければどうぞ、お好きに止めて下さっても構いませんよぉ」

 さも何も問題が無い、とばかりに革靴の踵を小気味よく鳴らしながら学園に侵入してくる。

 いや、実際こんな風にゲートを通過したという事実だけでも恐ろしいのに、内部に侵入してもこうして自由に動けるのも大概化物じみている。此処だけでも、沢山の防護魔術が掛かっているはずなのに。

 そして私はとうとうその場から動けずに、エーテルの彼は私の横をゆっくりと通り過ぎてしまった。

 どうしようもなく怖い。しかしそれ以上に、悔しかった。こんな時、きっと凪なら……。

「おやぁ……? 此処って結構強い人祓いの魔術、掛かってますよねぇ?」

 急に何を言っているのだろう、と振り返ったその先には――――――





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