表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/27

第一話 新しい世界

この気持ちを一体何と例えたらいいのだろう。

 それは、ふわふわと優しい何かに身体全体を包まれながら、壮大な海の中を宛ても無く只々ゆらゆらと浮かんで漂っているような。

 それは青空に浮かぶモコモコのわたあめのような雲に寝っころがって、ふわふわのベッドに暖かい太陽の光を浴びて心地良く昼寝をしているような、そんな夢を見ているような何とも言えない気持ち良さを、目を閉じてから感覚的に感じていた。


 あれからどれ位の時間が経ったのだろう。あれ、というのは僕の部屋で先程起こった例のあれだ。心地良い感覚の中では時間の流れを感じる事が出来なかった為、場所は勿論のこと今の時刻すら解らない。

 心地良さと共に麻酔を打たれた時のような痺れや、意識が朦朧としていたのだけれど、今ではだいぶしっかりしてきたので、僕はゆっくり瞼を開けて見てみることにした。

 どれくらいの間そうだったのかはわからないけれど、ずっと瞼の裏の闇を見つめていた僕の瞳は、既に闇の暗さに慣れてしまっている。虹彩がまだうまく働いてくれていないのか、瞼の隙間から入ってくる光に痛みを覚え、眩んでしまう。

 瞼を開けて飛び込んできた景色は、ぼんやりと薄暗い。夜か、もしくは室内だとはなんとなく認識出来るんだけれど、なんだろう。所々白く霞んでいるのは何かの照明だろうか。

 早朝に舞い上がり、ゆらゆらと蠢く靄のような視界の悪さが、徐々に鮮明になっていく。目を凝らして見てみなくても目の前に広がっている景色は、慣れ親しんだアパートの部屋の中ではもう既になかった。

 よく見渡してみると実際は夜という訳ではなさそうで、どうやら僕は仄暗い室内に一人立ち尽くしていたらしかった。

 僕が今立っている部屋の内装は、ファンタジー映画や漫画に出てきそうな雰囲気そのもの。今にも火を操る魔法使いや獰猛なドラゴンが出てきそうだ。

 新しいのか古いのかの判断がつきにくい壁と床は木張りのようで、少し体重をかけるとギシッと乾いた音が鈍く響く。埃っぽさが混じった木の独特の香りが懐かしくもあり、どこか新鮮な気持ちにもなった。

 この部屋には鈴蘭のような花の照明、所謂鈴蘭灯が壁際にポツポツと設置されていて、仄かに揺れながら光る鈴蘭がとても綺麗だ。

 動揺していた気持ちが、少しづつ落ち着いてくるのが自分でも解る。

 見渡せば見渡す程に、この室内はもう異世界だった。まるで幼い頃にどこかで読んだ、外国が舞台の絵本の中に迷い込んでしまったようで、とくんっと少し幼心が弾んだ。

「ざっと見たところ……多少頭がくらくらするくらいで特に身体に怪我や異常は無いみたいだけれど、いやいやまさか本当に来てしまうとは」

 なんとか現状を把握しようとするけれど、アパートから本当に移動したという事実を、目の前に突きつけれているだけで既に動揺している為に、思考がなかなか追い付かないことを少しもどかしく思う。


 とりあえずこのまま立っていても埒があかないような気がしてきたので、今居るこの場所を歩きながら調べてみることにした。

「もしも仮に、此処があの手紙に書いてあったキスハート学園なんだとしたら、なんで此処はこんなに人の気配が無いんだ? 雰囲気はまぁなんだかイメージ通りというか、想像していた所っぽいのに。生活した痕跡も無ければ人っこ一人居ないなんて」

 ぼんやりしていた意識がはっきりしてくると、沢山の疑問が浮かんでくる。というかもう疑問しか浮かんでこない。

 もし仮に不特定多数の人がこうして、手紙かなにかで此処に飛ばされたとして、他の皆は僕と同じこの場所に飛ばされているのだろうか。大体漫画やアニメだと、移動した先で学園の人が出迎えてくれて、そのまま学園の案内とかが始まったりするのが定番の流れだと思っていた。まぁこれは勿論ただのイメージなのだけれども。

 そしてこれもただの推測なのだけれど、もし仮に移動先が此処であっているのなら。僕と同じように手紙か何かで此処まで来た他の人達が居たとしたら、何故一人としてここに居ないのか。

 それは恐らくここに飛ばされていなかったか、違う場所にいるのか、もしくは既に進んで行ったかだ。要するにつべこべ言ってないで、この先に進めという事なのだろう。正直すごく不気味で嫌だけれど。


 鈴蘭灯の淡く揺らめく優しい灯火と、長く使われてない押し入れのようなカビ臭さと薄暗さが相対的で、なんだか妙にちぐはぐで少し怖いけれど先に進んでみることにした。一歩足を踏み出すごとにぎしっと軋む乾いた音は、ちょっとした高揚感と一緒に恐怖感をも煽ってくる。

 歩いていると基本的に一本道なようだ。鈴蘭灯が照らす道は切れ目が見えないくらい、ずっと奥まで続いている。自分の知識や常識を覆した今の状況下での、鈴蘭灯が照らす薄暗いこの場所は一種の幻覚、幻想のようで、正直まだ現実味が無い。ずっと夢を見ている気がしてリアルに感じられない。

「あれっ……道が、開けた?」

 暫く歩いていると、暗いせいなのか天井も見えない位高くて、先程の道とはうって変わって広い部屋のようだった。沢山の鈴蘭灯が一部屋全体を淡く照らしていて、広さは大体一般的な学校の体育館位はありそうだ。

「うわー鈴蘭灯、すごい綺麗。ってかあれ、でも……なんか臭うな。……なんだろう、獣?」

 部屋に入ってから鼻孔を突く獣臭がする。手入れされていない犬小屋のような、そんな鼻を軽く刺激する臭いが、ふわっと生温い風に乗って匂ってきたのだ。

 何か生き物がいるのかと、静寂の中辺りを目を凝らして見渡したその刹那。空気が振動し、突風が体を吹き抜けたと同時に、鼓膜が破れそうな程の猛々しい雄叫びが、室内を揺るがすように激しく響いた。

「うわぁぁぁっ……耳が……何か、いるのか?」

 未だに室内を反響し続ける激しい雄叫びが、鼓膜を麻痺させる程に刺激する。突然の事に今何が起こっているのか理解ができない中、耳の痛みに耐えながらも僕の生物としての本能が、限りなく危険だと知らせていた。

「ヤバい……これは何かヤバい気がする」

 そしてなんとなく。それこそ気紛れといってもいい。たまたま左側にステップしたその瞬間、僕がさっきまで立っていた所に、見たことのないような大きさの獣の前足の爪が現われて、豪快に床を抉ってきた。巨大な獣の前足が抉った床の木屑が、宙に舞うのが何故だかスローモーションに見える。

「う……うあ、ひっっ」

 一体自分の身に今、何が起こっているのか全然理解が追いつかない。それでも恐る恐る俯いた顔を上げて確認してみると、其処には俄かに信じがたい光景が広がっていた。


 見上げなければ見えない程、大きい虎のような淡く光る緑色の猛獣。そしてその圧倒的な生物としての存在感と威圧感。なによりその大きさは、僕の知っている虎の何倍もある体躯だった。先程の攻撃の余波は、未だ空気を遠慮なくびりびりと振動させ、僕はあまりの恐怖に涙が溢れて膝が笑ってしまっていた。

「に、逃げっ……逃げなきゃ」

 人は自分の理解を超える出来事に遭遇した時、一体どうなってしまうのだろう。

 諦めることなく思考し続けるのだろうか。今の現状を別の僕が俯瞰していたら、必死に逃げても当然こんな化物から、人間の足で逃げられるはずもないだろうと判断するだろう。武器を探して戦ったとしても運動音痴な僕は、蟻を踏み潰すようにあっさりと狩られるのだろう。

 しかし、そんな事を冷静に考えられる訳もなく。思考が吹っ飛んで頭の中が真っ白、いや恐怖で真っ黒になってしまった僕は、ただただその怪物を見上げる事しか出来なかった。

「ひ……逃げっ……うっ」

 背筋に冷たいものが伝っていくのがわかる。胃液が逆流してくるのがわかる。全身の筋肉が硬直していくのがわかる。目に涙が滲むのがわかる。どうしようなく自分が狩られる側なのだと、わかってしまう。

 目の前の鈍く光る怪物の瞳は、完全に僕を捕らえている。鋭い牙と、口から漏れる荒い息遣いは、いつでも貴様を捕食出来るぞと、まるで嘲笑いながら言っているようだった。

「は、ははっ……」

 こんなの、こんな化物に抵抗する事も馬鹿馬鹿しい。命乞いも甚だしい。結構どうしようなく僕は無力だったってだけだ。いきなり訳のわからない場所に移動させられた先で、得体の知れない猛獣に出会って、はい、殺されました。そんな人生だったってだけだ。…………そんなの、そんなのってさ。

「畜生……そんなのは、嫌に決まってるだろ!」

 意を決して、硬直した身体に渾身の力を入れる。無理やり動かした筋肉は、錆び付いた自転車のように悲鳴を上げつつも、まだ動いてくれるらしい。

 改めて対峙して驚くのは、やはりその馬鹿げた体の大きさと、緑色に淡く光るその体。見たことも聞いた事もない生物が目の前にいる状況は、やはりどこか非現実的で、映画や漫画の夢を見ているようだった。

 虎の怪物は、地を這うような低い唸り声を漏らすとゆっくり体勢を変え、2つの前足を交互に激しく床に叩きつけた。そして、人間など容易に丸飲み出来そうな大きい口をゆっくりと開けていく。

 激しい地震のような揺れに片膝をついて耐えていると、怪物の大きく開いた口元が、渦を巻く炎で紅に満たされていく。

「っっ……なんだよ……嘘、だろう」

 放たれようとしている激しい渦に巻かれた紅の炎。この世の形あるもの全てを炭にしてしまいそうなその炎は、漫画やアニメでみたような地獄の業火を彷彿とさせる。

 この距離でも既に焼ける程に熱くて、チリチリと皮膚に痛みが走る。あぁこれは、本当にもうダメかもしれない。

 立ち向かおうとした僕の心は、もう既に恐怖で(いなな)いていた。

 目の前の絶望的な状況に、生き抜く事を。脳が無意識に思考を放棄したその時だった。

「こ、こんな所で貴方は一体何をしているんですかっ?」

 まるで初夏の、広大な緑溢れる高原に吹き抜けた気持ちの良い風のように、僕の隣にはいつの間にか小さな女の子が居た。気配も、音もなく突然現れた。

「あ……あ、わ、わからない、いつの間にか此処にいて、それでっ」

「わ、わからないって……此処にはこの時間帯、生徒は立ち入れないようになってるんですけれど、えっと……とりあえず怪我は無いですか?」

「あ、うん。ごめん……怪我は、ないです」

「そうですか、なら良かったです」

 突如、風のように現れた少女。僕の怪我をそれとなく心配してくれて、無事だと言った後に微笑んだ時の女の子の笑顔は、凄く可愛く魅力的だった。けれど、それでいてどこか儚げだった。

 僕に向けられた笑顔は、触れれば脆く壊れてしまいそうな硝子細工のように、繊細で美しかった。

「では、危ないので私の後ろに下がってて下さい」

 女の子の後ろで自分だけ危険から身を守るなんて、なんとなく後ろめたさを感じる。普通なら、逆のシチュエーションだ。しかし、この数秒の間に感じた後ろめたさは一瞬で掻き消される事となる。そして、【魔術】の存在を、その未知の力を鮮明にこの目に焼き付ける事となった。

「もうおしまい……いきなりごめんね?」

 女の子が左手をふわりと浮かべ、小さな掌を怪物へと向ける。少し捲くれた袖からちらりと覗く細い左手首には、ミサンガのように編み込まれた色とりどりの綺麗な紐が何本もしてあって、更に綺麗な数珠もニ本しているのが見える。

 女の子が呟いた言葉が何かの魔術の発動を促したのか、空気が炎の熱気と共に張り詰めていくのがわかる。対峙する女の子に構わず怪物は溜め込んでいた渦巻く激しい炎を僕達に向かって放った。同時に女の子はその渦に走って飛び込んでいく。

「あっ、危ない!」

 炎の渦に巻き込まれたその刹那、放たれた業炎が女の子の一薙ぎで拡散されてしまう。激しく燃え盛っていた炎は、もう既に四方八方に飛び散っている。

 舞い散る大量に舞う火の粉の中、次の攻撃の為に身構える怪物に女の子は軽く、まるで飼い犬を優しく撫でるような動作で左手で触れる。

 すると、青白く眩い閃光と共に怪物が粒子のように、一瞬で霧散してしまった。粒子は仄かに光る沢山の光の粒となって宙を舞っている。その光景はさながら夜光虫のようで、幻想的な淡い光りは僕達の周りをふわふわと無数に漂っている。


 悪夢のような出来事が、その数秒であっさりと終わってしまった。未知の力を使った戦闘の一部始終に、僕は何も言えずにただ目を奪われて、見守ることしか出来ずにいた。

 未だに舞う火の粉と、夜光虫のような粒子の光の中で佇む女の子の姿は、そのまま絵にして壁に飾りたくなる程に幻想的で綺麗だった。自分も関った事だというのに、まるで映画のワンシーンの様だなと他人事のように見蕩れてしまっていた。

「えっと……もう大丈夫です。火傷はなかったですか?」

「あっ、うん、ありがとう。君こそ怪我はない?」

 見蕩れてしまっていたので、近くまで女の子が近づいてきていた事に気付かなかった。事態が落ち着いて改めて見てみると、その女の子はまだ幼さの残る顔立ちなのだけれど、綺麗に整っていて凄く可愛らしい。そう、言ってしまえばものすごく美少女だった。

 ふわりと空気を含んで柔らかく、白に近い金の髪は肩にかかるかかからないかの長さで、ゆるくパーマがかかっている。

 瞳はぱっちりと二重で大きく、色は右目が黒で左目が艶やかで綺麗な宝石のような白藍色のオッドアイ。その瞳を見つめていると、彼女の瞳の中に吸い込まれるような錯覚を覚えるほどに神秘的だ。

 服装は落ち着いた色で、アイボリーを基調としたどこかの民族系衣装のような、喩えるのならまるで何かのゲームのキャラクターのような雰囲気の幾重にも重ね着された服。胸元には金属でできた綺麗に装飾された三日月と、なにやらよく解らない奇抜なデザインのネックレス。と右の耳にはネックレスのような装飾の綺麗なピアスがゆらゆら揺れていた。

「でも、何故こんな所にいたんでしょうか。貴方は、一体……?」

「えっと、どこから説明したらいいのかな。んー……とりあえず数時間前に手紙が家に届いて、手紙の指示に従っていたら此処で目を覚ました……というか」

 改めて誰かに今の状況を話すのは、すこし億劫だった。何故なら内容が内容なので変に思われてしまったらどうしようとか、頭がおかしくなったのかと奇異の視線を要するに向けられたくなかったからだ。

「ああっ、もしかして到着が遅れている新入生の、御巫凪さんって貴方の事ですか?」

「はい、間違いなく僕の名前ですそれ。ってか到着が遅れてるってことは……やっぱり違う場所に着いてたってこと?」

「そうですね。……いやでも、こんな事今までなかったから、ちょっと不思議」

 少女は可愛らしく首を傾げると、考えるように口元に手を当てている。……可愛い。

「もし良かったら、ちょっと色々質問してもいいかな?」

「あ、はい。でも歩きながらでもいいですか?」

 ちょっと行くべき所で手続きして頂かないと、と呟いて微笑むとゆっくり案内するように女の子は歩き出したので、後をついていきながら質問する事に。

「じゃあ……まずここは、もうその魔術学園の中ってことでいいの?」

「そうです。此処はキスハート魔術学園の中です。適性のある様々な者が招かれて、魔術を身に付けることが出来る学園、といわれていますね」

「招かれるというか、結構一方的に連れて来られた感じだったけれどね……やっぱり魔術学園にきたんだな、僕。じゃあもしかしてここは日本ではないの?」

「日本というか、詳しい説明は後程に担当の先生方からあると思いますが、此処はそういう所とは全く別の場所です。地球の中、ではあるのですが、殆ど別世界です」

「地球の中? 別世界? ってことは……えーっと、なんだろう。……次元とか時間軸とかが違うってこと?」

「……びっくりしました。若いのに意外と凪さんは博学なんですね。そうです、別次元って言葉が一番適性かなと思います。私達は此処を第ニ世界と呼んだり、月の庭ムーンガーデンと呼んだりしています」

「第二世界、月の庭ムーンガーデン……」

 女の子から紡がれる言葉の一つ一つは、まるで御伽噺のよう。ちょっと理解が追い付かないけれど、今は深く考えないほうがいいのかも知れない。今までの常識が通用しない、理解しようとするとうっかり知恵熱でも出してその場で寝込んでしまいそうだ。

「じゃあ、僕は今その……月の庭ムーンガーデンの、キスハート魔術学園って所にいるってことでいいんだよね?」

「はい、そうです」

「そこはわかった。わかったことにして、後は……今の怪物って……その、学園内に野放しにされてていい生物なの?」

「先程の生物の名前は緑虎(みどら)といいます。訓練用に、魔術で具現化したものの数ある子の中でも凶暴で気性の荒い子なんです。凪さんが今いるこの場所は、学園内に住む人の実践訓練用の部屋なんですよ」

「はー、成程。そんなとこに行き着いたとか運悪いなぁ」

「いやいや、運が悪いってよりちょっと有り得ないですね。普通ならちゃんと決まった場所に行き着くはずなので……後、私が来なかったら凪さん下手したら死んでたかもしれないですし」

 控えめに微笑んでこちらを見つめる女の子からの、死というリアルな言葉に先程の怪物を反射的に思い浮かべると、背筋に冷たい何かが伝ってゾクッとなり、この事がトラウマにならないかちょっと心配になる。やっぱり結構危なかったんだな、と苦笑いしながら戦慄していると、目の前にはいつの間にか古めかしい大きな扉が現れていた。

「この扉を開けて少し歩くと学園大聖堂があります。大きな多目的ホールみたいなものですね。そこにいって新入生だと伝えればもう大丈夫かなと」

「大聖堂? それは、結構楽しみかも。テレビとかネットで教会とか聖堂をみると、なんでか目が離せなくなる独特の魅力があるんだよね。じゃあ早速開けてみていい?」

 重厚な質感ながらも、木の暖かみも残る古めかしい扉の取っ手を触ると、ひんやりして気持ちがいい。この扉を開けば、其処にはまさに異世界のような光景が広がっているんだろうなと思うと、自然と心が弾む。ふと振り向くと、淡く揺れながら光る鈴蘭灯が優しく見送ってくれている気がした。

 扉を開くとそこはちょっとした通路になっていて、先程の部屋の壁に並んでいた鈴蘭灯がこの廊下にも設置されていた。女の子と一緒に廊下を少し歩くと其処には想像していたよりも遥かに広く、壮大な大聖堂の光景が広がっていた。

 天井や窓にはステンドグラスの綺麗な模様が彩り鮮やかで、今は夜なのか空に浮かぶ月の光がステンドグラスを通って床に映し出される絵は、幻想的そのもの。全てを眺めるには、時間がかかりそうな程種類豊富に映し出されている。

 大聖堂の中央には用途や意味はまだわからないけれど、巨大で豪勢な装飾が施された(さかずき)のような器が、異質かつ独特な存在感を放っている。別に聖堂に置いては駄目な物ではないはずなのだけれど、装飾が豪華すぎる為か、なぜか妙にそこだけが周りの景色から浮いてみえる。

「うわー……これは正直言葉にならない」

「ふふっ、新入生は皆まずこの大聖堂にやはり感動するようですね。かくいう私も初めて認識したとき、凪さんと同じように言葉になりませんでしたし」

 大聖堂を眺めながら懐かしむように目を細めるこの小柄な女の子は、いつからこのムーンガーデンにいるのだろう。彼女の言葉を聞いてそんな事をふと思った。

 大聖堂に視線を移すとそこには様々な格好をした人がちらほらといる。絵に描いたような真っ黒のローブを身に纏った魔法使いの姿の人や、小さなドラゴンがそばで飛んでいる人。獣のような身体をしている人等がいて、此処が異世界だと再認識するには十分過ぎる光景が広がっている。まるでファンタジー映画を見ているんじゃないかと錯覚する程だ。

「それでは、私はこの辺で」

「うん、案内ありがとう。あ、そうだ名前。僕の名前はー……ってもう知ってるんだったね。でも君の名前まだ聞いてなかったし、良かったら教えてくれる?」

「あぁ、すみません申し遅れました。私は、キスハート・雛子・ニルヴァーナと申します。……色々と変な名前でしょう? いつかまた……どこかで逢えたら、私のこと雛子って呼んで下さいね」

 えへへ、と首を傾げつつ小さく会釈すると、どこから取り出したのか分厚い古書を小さい腕で抱きしめて、とてとてとどこかに向かって小走りしたかと思えば青白い光が雛子を包む。

 その光は、アパートで見た淡い光になんと感じがなんとなく似ていて、よく見ると雛子の足元には幾何学模様の魔法陣のようなものが出現していた。

 淡い光に包まれた雛子は、くるりと僕の方に振り返って微笑んだその刹那、なにか移動系の魔術なのだろうか、雛子は一瞬で姿が見えなくなってしまった。

 雛子は和名を持ち合わせている上に、この学園の名前を背負っていた。どこか儚げで神秘的な雰囲気を醸し出す女の子の、首を傾げて微笑む姿は、幼げな体躯になんとなく似合わない大人びた微笑みで、どうにも喩え様の無い気持ちになってしまった。

「すごい、あれも魔術なのかな? ……雛子か、また逢えるかな」


 死に直面した危ない所を助けてもらったり、なにもわからなくて戸惑っていた僕に、この世界の事を少し教えてくれた優しい女の子との別れの名残を惜しむ。またどこかで彼女に出会える事を、心の中僅かにで期待しながら、とりあえず目の前に広がる広大で壮大な大聖堂に足を踏み入れる事にしたのだった―――





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ