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第十五話 傷心と選択、正真の決断

『この娘には兄がいた。娘がこの学園に飛ばされる数年前に、兄の元に例の手紙が来たのだそうだ』

 辺りは相変わらず真っ暗闇の空間。その宙を舞う、無数の淡い光はゆらゆらと浮かんでいて、光の筋が混沌を調和するように幻想的だ。

 周りを見渡せば闇の空間のうねりは増していて、黒系色のマーブル状の変化を見ていると精神に異常を起こしそうな、いわゆる精神的ブラクラのような景色。

 ぬめりのある生ぬるい風に乗って、どろっとした鉄の匂いが漂う。時折思い出したかのようにノイズのように雑音が聴こえ、視界がぶれる。

 そんな中で対面しているクイナの中に居る術者が、クイナの記憶をまるで本を朗読するように語り始める。

 エルも先程から足を止め、黙って聞いている。時折、拘束されて気を失った雛子の様子を確かめてくれていて、その気遣いに心の中で感謝した。

『娘はその手紙を見せてもらい、兄は何かの悪戯かな? と苦笑いしながら娘に首を傾げてみせた。そして一応と言って準備しているのを、娘は不安に思ったりせず眺めていた。なぜなら、本当に居なくなるなんて夢にも思ってなかったからだ。

 そして月が大きく見える程に接近した夜。時計の針が真上に達した時に、兄は眩い光と共に消えてしまった。娘は激しい動揺と焦燥感に襲われた。何故なら娘にとって、兄は唯一の家族だったからだ。

 突然一人ぼっちになってしまった娘。訳がわからないまま兄を連れ去った手紙を、心底恨んだようだ。しかし、唯一の手掛かりといえる兄と一緒に無くなってしまった手紙の内容は、持ち前の記憶力で覚えていた。

 兄はキスハート魔術学園に行った。娘はこの日から、兄に逢う為に必死でキスハート魔術学園の情報を集め、その学園に編入する術を探す日々となった。

 バイトをしながら勉学を続け、どこを探しても見当たらないキスハート魔術学園の情報を集め始めてから、気付けば二年が経とうとしていた。その時に……』

 突然、クイナが苦しそうに顔を歪めて口元を手の平で覆った。クイナなのか、術者なのか定かではないが、どこか葛藤しているようにも見える。

『っっはぁっ……な、なぎなぎ……あたしさ。その、色々ごめん。人格、少しだけ入れ替わってもらえたから、あたしがここから先は話したい。なぎなぎに、あたしからちゃんと』 

「クイナ! クイナ、謝らないでよ、僕はまだ、クイナの事情もなにもかも知らないんだからさ。……うん、わかった。僕もちゃんと聞くよ」

 確か、術者と人格を変える行為は簡単なことではないとさっき術者から聞いた。同意の上とはいえ、やはり強い影響があるからか、胸の辺りを苦しそうに手を添えている。

 一瞬側にいって支えてあげようかと迷ったけれど、エルに視線で止められた。僕も、それが妥当な気がしたのでそのままの位置で聞くことにした。

『やがてあたしにも、突然手紙がやってきた。兄さんが居なくなってから、さっき術者の方が言った通り約二年後の事ね。

 送られてきた手紙の、やけに豪華な装丁にあたしはすぐにピンときて理解した。そして、これでやっと兄さんに逢えると思うと嬉しさで涙さえ流れてきた。あの時の報われたような気持ちは、何にも喩えられないものだった。自分で言うのもアレだけど、本当に生活には苦労したし兄さんが居ない独りの時間は辛かったから。

 あたしは、この手紙の意味と威力を知っていたから、直ぐに準備を始めた。バイト先には辞めると電話し、学校にも退学の電話を入れた。電話口からはなにか色々聞こえたけど、あたしに耳にはなにも響いてこなかった。言い逃げ同然で電話を切ったよ。

 あたしには兄さんの他に家族は居なかったから、特別誰かに別れの挨拶とかはしなかった。

 準備は順調に進み、気付けば夜空にはゾッとするほど大きくて綺麗な月が浮かんでいた。やがて時計の針は真上を指して、あたしは光に包まれた。

 ムーンガーデンの、キスハート魔術学園に着いたあたしは、本当に異世界にきてしまったと実感するより先に、兄さんを探した。それは死に物狂いといってもいい位、学園内を必死に探した。早く、家族に逢いたかったの。

 そして、たどり着いた先は、これ以上無いくらいにあたしを失意のどん底の突き落とすような、絶望させるものだった。

 兄は死んだ、と。しかしその理由は教えてもらえなかった。更に墓もなければ、亡骸、遺品も無いと言われた。あたしの中の大切な何かが、その時に壊れちゃったのをはっきりと感じた。

 あたしはすごく不審に思ったし、不確定な情報の多さに学園が何か隠蔽していると思った。そして、ありとあらゆる手を使って炙り出した情報は、限りなく劣悪で、怒りで気が狂いそうになる内容だった。

 あたしの兄、リース・シャルトライムは、月の涙の特殊適合者実験により、エラーで死亡。兄さんは、この学園に殺された』

「シャルトライム!? ……リース・シャルトライム、だって……?」

 エルが驚いたように声を上げた。なにかその名前に覚えがあるのか、驚きの表情を隠さずに口を半開きにしている。

『初めまして、エルファーさん。術者の方は貴方をご存知だったみたいですが、あたしは初めてなので、一応挨拶を。そしてエルファーさん、その反応からして貴方は結構この学園の事、知っているんですね。兄さんの名前も御存知とあれば、もう貴方に説明は要らないかな?』

「リース・シャルトライム、君の兄さんは……若くして亡くなってしまったが、月の涙の研究に成果を出したとかで、この第二世界ムーンガーデンの歴史的人物となっているが……研究結果の詳細が全く公開されないので妙には、思っていた」

『そう、大事な部分を伏せた説明でこの世界に広まってしまっていた。研究に成果を残した? ふざけてる……馬鹿言わないで! この学園に隠蔽された酷い人体実験の被害者よ、兄さんは。

 その事実を隠し続けた学園に、死者を弄ぶこの学園にあたしは忌み、恨み、憎悪し、激しく呪った。でもここからまた隠密に行動するには、もう既にあたしは目立ちすぎる行動をしすぎた。だからあたしは、今あたしの中に居る術者である、イヴの意志アルヘオの声に耳を貸した。

 それは自然な事だった。意見の一致。あたしの目的は、兄さんを殺したこの学園を創始者の末裔ごと滅ぼしたかった。イヴの意志アルヘオの目的の一部は、さっき言った通り。

 イヴの意志アルヘオの魔力を一度あたしの身体に宿した。その膨大な魔力を使うことで学園内でのあたしの記憶を禁忌魔術で全て曖昧にし、翌年である今年あたしは何食わぬ顔で入園した。入園したことにした。そして……今。

 なぎなぎ、わかる? 今、今この状況があたしの今なんだよ? あたしは……あたしはね』

 クイナの頬は濡れていた。僕はそんなクイナに、何一つ声を掛けられずにいた。今僕が仮になにか言ったとしても、それは重みの無い薄っぺらな無責任の塊でしかない。そんなことは僕にだってわかっていた。 

 僕を涙目で見つめ、声を詰まらせたままのクイナは、また突然表情を歪ませて苦しそうにした。すると、先程までの雰囲気と違っていて、顔つきも心なし変わっていた。術者に人格を変えさせられたのかもしれない。

『ちっ、喋りすぎだ……』

「イヴの意志アルヘオ……か?」

『もう話は終わりだ。緑師、そして薬師。お前らには選択肢を与えてやろう。私、イヴの意志アルヘオ及びクイナを殺す為に足掻くか、そこで拘束されているマヤの末裔をこちらに引き渡すか』

 どちらにしても、緑師には問答無用で消えてもらうつもりだけどな、とクイナは口を醜く歪める。

「そんな……どちらかを選べって言うのか……?」

 全身の毛穴が開き、汗が吹き出る。助けるのならば、どちらか? ……そんなの、決められるわけが無い。只でさえ今の話に困惑して、混乱しているというのに。

 頭を抱えようとしたその時、か細いながらも透き通る、綺麗な声が聞こえてきた。久々に聞くその声質は熱くなってきた脳を冷まし、安心からか冷静さを取り戻させる。

「な……凪、……凪、聞こえる……?」

 思わず駆け出しそうになるのを、エルに視線で静止される。しかし、その静止と同時にクイナから鋭い殺気を感じて、踏み出した足をそのまま地面に縫いつけた。

「聞こえるよ、聞こえているよ雛子! 雛子……大丈夫?」

「良かった……ありがとう。でもね……凪、もし迷っているなら……」

 続く言葉の予感に、全身が粟立つ。


「その時は……迷わず私を殺して……っ」


 意識が遠のいていく。雛子の言葉が脳内に響き渡る。言葉の持つ意味を理解しようと脳は働き、意味を理解するけれど、意味を理解すること事態を拒否したい気持ちが吐き気となって僕を激しく責め立てる。

 僕は今、この女の子に何を言わせてしまった? その言葉にはどれほどの思いと決意が込められている? 何回、人を泣かせれば僕の目は覚める?

 僕は、正真の馬鹿野郎だった。答えなんか、どうするかなんて最初から決めてたのに。

「……クイナは僕に任せて」

「……わかった。俺は雛ちゃんを助けに行く。御巫、ここは任せたからな」  

 本当に怒った人間の瞳は、その視線だけで、身体が硬直してしまうような、力がある。目で人を殺す、なんて言葉も信じてしまいそうになるくらいには、エルがクイナに……いやイヴの意志アルヘオに送った鋭い視線に僕も戦慄した。

 クイナの視線が僕を突き抜けてもっと後方、走り出したエルに向いている。動き出そうとしたクイナを、僕も視線で制した。

 ついさっきも感じていたように、妙に体が熱い。血が沸騰するような感覚は、冴えてきた思考も容易に鈍らせ、まるで自分が自分じゃないように感じる。 

『……そんな甘い考え、こういう局面だと一番最悪な結果になるのが、まだわからないか?……いや、もういいわかった』

 だるそうに手をぶらぶらさせながら、視線と殺気が僕に向くのがわかる。その感覚に僕はまた、ほんの少しの快感を覚えていた。

「雛子には手を出させない。嘘か本当かわからないけれど、さっき言ってた腐竜になんて、絶対にさせない。そして、クイナもイヴの意志アルヘオから助け出して、ここから帰る」

 そう言うと、堪えきれないようにクイナから笑いが漏れる。人を逆撫でするような仕草と共に、ねばっこい視線を向けてくる。

『それが胸焼けするほどに甘いんだって、きっと理解できないんだろうな。求めすぎたばかりに、全てを無くすのがオチだ。それに、これは同意の上だっつってんのに……まあいいよわかった。じゃあ、緑師。お前から消えてもらう』

 容赦しない、と小さく呟くと両手で髪を掻き毟り笑い出した。みるみる禍々しい魔力に包まれていくのがわかる。

『邪魔するな…………今更、図ったように現われて立ちはだかるな、緑師!』

 綺麗な髪を乱したまま、こちらをちらりとも見ずに両手を払う。同時に現われる水を含んだ竜巻はその場所に黙って静止していたかと思えば、クイナの合図で激しく蛇行して僕に向かってくる。  

「邪魔だと言われようが僕は、自分の意思を理不尽でも突き通す。今までいろんな事を我慢して失ってきた物は多いけれど、もうそんな思いをするのも、そんな自分に失望するのも心底嫌なんだよ!」

 僕はまた、不思議な感覚に包まれていた。身体が勝手に動くような、ゲームのオート機能というか。目の前から向かってくる洒落にならない規模の水の竜巻は、近くにいるだけで風に飛ばされているだろうし、このまま直撃したら学園内とは違って補正も効かないから、体はただじゃすまない。

 それなのに、やはり心が高揚しているというか、興奮状態というのだろうか。脳内麻薬が分泌されてるような今なら、なんでも出来る気がした。

 クイナが少し驚いた表情をしている。それもそうだ、僕だって驚いている。何故なら。

『緑師とはいえ魔術もろくにわかってない小僧が、この魔術を片手で押さえつける、だと? どうなってんだ……?』

 と言いながらも、クイナは軽快な動きで宙に何かを描くとそれを手で弾く。

 それが合図となったのか抑えていた水の竜巻はいきなり破裂し、一粒一粒が銃弾のように全体に爆ぜた。

 その衝撃に体はくの字に折れ曲がる。全身が打ち付けられる衝撃に、意識を失いそうになりながら耐えていると既に懐には、にやりと笑ったクイナが拳を構えていた。

 みぞおちにクイナの拳がめり込む。肝臓へ突き抜ける衝撃は吐き気を伴い、呼吸が止まる。少し遅れてやってくる痛みは水滴の銃弾と共に気を失いそうになる程で、留めて置けない程に意識が遠のいていく。

「っっ、はぁっ……本当に、容赦…………ないんだ」

 戦闘の覚悟を決めてから僕がこの状態になるまで、一体どれほどの時間の事だったのか。個人的には数十分が経つ位の出来事な気がしているんだけれど、記憶がそれを完全否定する。

 これはわずか数秒、一分そこいらの出来事だった。クイナと、イヴの意志アルヘオの圧倒的な力の前に、僕は立っていることすら出来ないのか。

『大きいこと言った癖に、三分も持たなかったね』

 ぐしゃ、と乾いた音が耳元で鳴る。地面に寝そべっていた僕の頭は、クイナの足で踏まれていた。口の中に広がる鉄の味と、砂利のざらざらした舌触りが気持ち悪い。

 強みの増すクイナの踏みつけの事よりも、雛子の事が気になった。エルは助け出してくれただろうか? エルのことだ、どんな魔術で拘束されてようがいつものようにちゃっちゃと、解いてしまうのだろう。

 雛子を助けてあげるその役目が僕だったなら。そしてクイナを助けてあげられたら。そのくらいの我が侭が通用してしまう程の力が、僕にあれば。

 身体が、熱い。溶けてしまいそうに熱い。痛みも薄れていくほどに熱くなっていく。

『へぇ……まだ動く力があったの。苦しい? 虚しい? ……いっそ一思いに殺ってあげようか?』

 気付けばクイナの足を払いのけ、僕は立ち上がっていた。殆どゼロ距離で対面するクイナの狂気と殺気は、相変わらず身を切り裂かれそうな錯覚を覚える。

「エルと雛子は……ん、流石エル。あの様子なら多分大丈夫そうだ……良かった」

『おいおい、この状況で余所見かよ。更に気を抜くとは最早、素人以下だぞ緑師』

 呆れたように出した声は、相変わらず二つの声が合わさっていて、それでいて口調だけがころころ変わる。クイナのような口調だったり、荒々しい口調になったり。

 痛みはもう辛すぎて感覚が麻痺してきている。痛くないわけではないけれど、若干の開き直りなのか、むしろ痛みが僕の背中を押してくれるような感覚。

「僕はクイナを絶対に殺さないし……雛子の事も、殺させない。僕も、当然死にたく……ない」

 だから……と声にならないような声で呟いてから、しっかりとクイナを見据える。もう、逃げない。

『そういう全てが自分の理想通りな終わり方で、はい皆が幸せになりました、なんてありえないだろ……そんなのフィクションの世界だけなんだって。甘えて、現実から目を背けるのもいい加減にしたらどうだ緑師』 

「嫌だ、背けない」

 身体がすぅっと軽くなる。今の今まで感じていたあの身体を燃やすような熱も、どこか心地良い暖かさになっていた。

『こちらにも譲れない事情と、目的や希望がある。緑師、お前がそう言ったとしても、もう私は止まらない』 

 一瞬何かが爆発したのではと錯覚する程、漏れ出した魔力とおぞましい殺気。クイナは、間違いなく本気だ。このまま僕を殺しにくるだろう。

 動きがおかしい。先程に比べて段違いに速くなってる。というか、殆ど残像でしかクイナを認識出来ない。

「ぐっ、あ……ごふっっ……」

 認識しようとしている間に間合いを詰められ、腹に拳が突き刺さる。殴られるというよりも、刃物を突き刺されたような感覚に近くて、鈍痛を超えて刺痛である。

 身体がくの字にへし折れる。めり込んだクイナの拳は握り締める強さに身体が追いつかないのか、手の平からは血が滴り落ちていた。

『痛いでしょ? でも、まさかこんなんで終わりだと思ってないよね?』

 そう呟きを残したまま、後ろに飛ぶように距離をとる。

 両手を宙に放り、何かを描く動作。手の平の血が舞ったその数秒の内に炎の渦柱は轟々と風を纏って捻れ暴れる。

『身体の強度はイマイチだがやはり、この娘の身体の魔力飽和量は素晴らしい……』

 そう感嘆の声を漏らしながら悦に浸るクイナ。そしてそんな様子からは想像も出来ないような切り替えで、激しく渦を巻く炎を僕に向かって放った。

 皮膚が焼け爛れるかと思う熱風。そしてその炎の渦の奥からクイナの高笑いが聞こえてきた。

「大丈夫……イメージできる」

 殴られた腹の痛みを堪えながらも、脳内にこの状況の対処法が自然に浮かんでくる。それはやはり僕の知らない情報ばかりだった。

 身体に流れる魔力を読む。左手に勝手に構築されていく魔術は、いつの間にか向かってくる炎に向かってではなく、何故か僕へと標準を向けられていた。

『緑師、此処じゃその魔術をまともに受けたら死ぬぞ』

「死なないさ」

 左手が、僕に向けられる。浮かんだイメージ通りに意識を傾ける。すると、僕の身体に巻きつくように地面から枝や蔓などの植物が伸びていく。螺旋を描くように、量を増やしながら僕に巻きつくその様は、傍から見たら逆に攻撃されていると勘違いされそうである。

 そして炎の渦柱が僕の元に到達する頃には、僕の身体は異能によって包まれていた。どのくらいの厚さになっているかはわからないが、不思議と周りは見える。巻きついた枝や蔓と感覚を共有しているような感覚に、まるで夢の中のようにデタラメで現実味がないなと思ってしまった。

 そして僕は熱すら感じないまま、炎の渦柱は枝と蔓の塊になった僕に衝突すると、霧散してしまう。

『なんだよそれは……なんなんだよそれはぁぁああああああああ!』

 まだ炎の渦柱の熱が辺りの気温を上昇させる中、僕の姿と戦いの姿勢を見て激怒した。その雰囲気だけで人を殺せそうなクイナは、叫びながら次々と魔術を行使する。

 暗闇の空から稲光の雷を落とし、地面からは突き出すように氷の刃を出現させて刺し、炎を纏った打撃を繰り出し。天から滝の様に大量の水が流れてきたり。

 しかし、クイナの体力が消耗するだけで僕の肉体には届く事はなかったし、痛みもなかった。なかったのだけれど、実際は随分削られ、燃やされ、抉られているのでもう殆ど枝と蔓は巻かれていない状態になって露わである。

『緑師……月の樹の力を使ってそうやって、逃げるつもりか、緑師!』

「言ったはずだよ。クイナの中の術者ならともかく、僕はクイナの身体を傷つけることはしないって」

 クイナの拳からも血が滴り落ちる。両手は痛々しく皮膚が破れ、やはりイヴの意志アルヘオとクイナの釣り合わない能力差と身体の錬度が露わになっている。

 クイナが傷付いている。遠くではまだ意識が朦朧とした様子の雛子が見える。僕はもうこんな状況から目を逸らしたかった。でも、ここで逸らしてしまったら、本当にもう挫けてしまって戦意を喪失してしまう。

『そうやってまた、偽善者の様に振舞って、そういうの本当苛々するんだよね……なにもわかってない癖に!』

 そうクイナの口調で悲痛に吐き出しながら、空中で何か掴んで離す仕草のあと、まるで手品のように水の弾丸が数発現われた。それを躊躇なく僕に撃つ。

 殆ど、僕を守っていた枝と蔓はなくなっていたせいか、水の弾丸がめり込んだ身体には激しい痛みが走った。苦痛に顔が歪んでいくのがわかる。口に広がる鉄の味を吐き出すと、食い縛っていたらしい歯と顎が、強烈に痺れている。

「うぐ、くっ……確かに、なにもわかってないけど……なにもわかってないからこそ僕は、クイナと戦いたくない……」

『うう、うああああああ、死ね、死ね、死ね、死ね…………死ねよ畜生、畜生……あたしは、悪くない……戦えよ、そんな特別な力があるんなら戦えよ……自分の意思を貫けるのなら、護ってみせてよ……』

 綺麗な黄金の瞳から、溜めていたものを吐き出すように涙が滲み溢れてくる。そして、そんな表情も直ぐに引っ込ませて、いつもそうしてきたかのように偽りの仮面を被った。

 クイナの兄さんが居なくなったその日から、必死に隠すように色んな表情を本当の顔の上に被ってきたんだろうなと、直感で感じた。そういうのはなんとなくわかる。

『一瞬の迷いか……ちっ、もういい、私が緑師を殺る』

 その後で、薬師を始末してマヤの末裔を腐竜

「イヴの意志アルヘオ、もうやめてくれよ……クイナから離れてくれよ!」

『まだわからないか、これは同意の上のい成り立っているのだと。娘もさっきはっきり言っただろう? 死ね、と』

 変わった口調と共に、僕に対する構えも先程に比べてがらっと変わった。先程はなんというか、荒い感じがしたのだけれど、今は僅かな隙も見せないといった感じの構え。

 ひゅう、と僕の喉がなる。気付けば発作の如く呼吸が上手に出来ていなかった。しかし、それは何故か。息苦しさの中で頭は何故か冴えた。

 答えは目の前にある。

 何も動いていないクイナから微かに魔術の匂いを感じた。その瞬間、僕の頭に自然と最悪なイメージが浮かんでくる。

 なんらかの形で密閉された空間にて、大規模な炎が生じ不完全燃焼によってその炎の勢いが衰え、可燃性の一酸化炭素ガスが溜まった状態の時に、熱された一酸化炭素に酸素が急激に取り込まれて結びつき、二酸化炭素への化学反応が過度に進み、最後には爆発を引き起こす現象。

 魔術ではないけれど、科学的にはこれをバックドラフトと呼ぶ。

 それを、魔術で同じ事を今、再現されたら。

 仮にこの暗闇の真っ暗空間が密室だったとしたら。クイナのさっきの炎の渦柱によって可燃性の一酸化炭素ガスが、空間一杯に充満していたとしたら。

「やめろ、イヴの意志アルヘオ……此処にはまだ人が大勢いるんだぞ……!」

『私の思考が緑師に流れてる、のか? 貴様、益々忌々しいな……』

 全身が粟立った。この薄暗い空間で、これほどの殺気を放ちながら唇を醜く歪ませて微笑む姿はもはや異常であり、常軌を逸している。ゆらゆらと浮かぶ無数の淡い光がクイナの前を通ったときの、何閃もの光の筋がさらに異質さを増している。

 正直、この瞬間改めてたまらなく怖いと思った。肌の粟立ちが一向に止まる気配がない。

『まあ、いい。これで終わりだ。我々が科学を知らずに、魔術を語っているとでも思っていたのか?』

 歯を食い縛る。多少なりともそう思ってた部分もあるからだ。そしてそんな様子を嘲笑いながらさらに話を続ける。

『もうこの一発で終わりにしよう、緑師。そこら辺に転がっている肉の塊は灰すら残らないから、大丈夫だ。そして、その辺に漂っている魔力ぬ源の光は、宿主が死んだとて消えないから役に立つ。心配はない。本当の意味で死ぬのは……緑師、お前と薬師だ』

 一際唇の形を歪ませると、後方へ一気に距離をとるクイナ。そして直ぐに魔術の詠唱と陣を描き始める。ものの数秒で噴き出す禍々しい魔力と、地面と空中に現われる重なり合った幾何学と記号に埋め尽くされた円。

 一瞬で此処まで離され、ここまでの陣と魔力を放つなんて。その堂々たる存在感に身体の力が抜けそうになるけれど、本能的にその姿を全身の筋肉を無理矢理行使して追う。

 間に合わなかったら、この空間全体が信じられない程大規模で絶大な威力のバックドラフトに包まれる。そうなったら、ここにいる全員は一貫の終わりだ。

「助手、絶対間に合え! イメージするんだ!」

 雛子の支えになっているエルがそう叫ぶと、なにか丸い硝子瓶を投げた。僕に向かってではなく、クイナと僕の丁度間のあたり。

 その丸い硝子瓶の放物線は、何故かスローモーションだった。その動きから目が離せない、離れない。

 そして。

 地面と接触して、割れて中の液体が飛び散ったその瞬間。僕は兎に角クイナの目の前まで距離を詰めるイメージをぼんやりとだけど、した。

 そしていつもの通りに瞬きをした、その一瞬で。

『ちっ……どいつもこいつも……』

 僕は何故か、クイナのもう目の前まで距離を詰めていた。ほんの瞬きしたほんの一瞬で、だ。

 きっとエルの投げた丸い硝子瓶の液体と薬師の異能がなにか、上手く噛みあって発動した異能だろう。

エルはやっぱり、凄い。

「させないよ、絶対に止めてみせる」

 まるで僕の脳じゃないような脳にアクセスし、止める方法を探す。すると段々身体が火照ってきたので、もしかしたら何か丁度良い異能が発動する予兆かもしれない。

『でも、もう遅いよ』

 詠唱と魔術陣の構築が終わったようで、僕の接近にまったく動揺する様子もなくクイナは、首をゆっくり傾げて不気味に笑う。

「頼むっ……っ!」

 感じるままにクイナの足元の辺りを目掛けて手の平をかざし、身体に流れる熱い魔力を解放してみる。ついさっき異能が使えた時の感覚と同じ、身体の疲労を急激に感じた。

 何かを感じたのか、その場から一歩後ろに下がったクイナの居た所に、何故か水も無いのに、沢山の水草が生えてくる。それも、まるで水草の周りには見えない水でもあるかのようにゆらゆらと気持ち良さそうに揺れている。

『本当に緑師の異能は訳がわからないな……さっきの纏わり付く植物の次は、水草? その草で一体何が出来て、何を護れる?』

 そう言ってぐしゃりと足元に生えた水草を踏みにじると、瞼を下ろして蚊の羽の声でなにか呟く。その刹那クイナの身体に淡い色がふわりまとった。魔術反応である。

 そして踏まれた事で、なんの意味もないように思えた水草から、淡い水色の光を放ち始める。まるで、それは。

「反応した……?」

 そんな僕の小さな呟きなどクイナには聞こえることもなく、暗闇であり黒色に支配された空間が全体的にうねりはじめる。

 綺麗な水に黒の絵の具をぶち込み、汚れた筆で次々と洗って、黒をベースに沢山の色を無理矢理混ぜられたような壁。荒く飛び跳ねる水のように、流動しているのが解る。 

『ではお望み通り、この場を炎の海に変えてやる。骨まで焼ききる死の業火を味わうと良い』

 一際うねりが強い場所。クイナの頭上には少しづつ明るい色が混じりだす。まるで外にでも通じている壁を無理矢理抉じ開けている様だ。なんだか黒っぽい色が微妙に拡散しているようにも見える。

 そして。息苦しく、密閉された空間に、爽やかで酸素をたっぷり含んだ風が吹き抜けたその瞬間。

「駄目だ、止めてくれ……止めろぉぉぉぉぉおおお!」

 無音。数秒の間、音は無くなり、思い出したかのように激しい炎が空気の流れと共に生まれる。その炎はまるで悪魔の生誕と共に生まれたかの様に、激しく燃え上がる。そのうねりを含んだ炎の道はあっという間に拡散していき、果ては爆発するように空間を炎が支配していった。 

 目の前が赤く染まっていくのと同時に、荒く呼吸する度に肺が焼け爛れていくのをぼんやり感じる。目も開けていられない程の熱を乱暴に振り撒く死の業火は、確かに皮膚をも焦がし、骨をも灰にしてしまうというのもなんだか頷ける。 

 これはもう流石に、駄目かもしれない。

 そう思った刹那、なにかが目の端に映った。突然すぎてわからなかったけれど、どこか見たことのあるフリルが一瞬見えた気がした。

 しかし、もうこの地獄の中で目を開けていられない。

 諦めに似た気持ちで閉じた僕の瞼の裏には、月の涙を身体に宿した入園の儀式でみたあの茫漠な光景が、幻想的に広がっていたのだった。






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