第十四話 紡がれる真実と歴史
禍々しい魔力の渦と共に雛子とクイナが消失してしまった場所。
近づくと、そこから発せられるあまりの禍々しさというか、酷い悪寒に気が遠くなりそうになる。心無しか、その場所だけ歪んで見える。それはちょっとした蜃気楼の様にうまく認知出来なくなっていた。
「……いや、これ位のもんでしてやったと思われちゃ、困るんだよね。こうみえても俺はただの薬屋さんじゃないんだぞっと」
そんなことを呟きながら、なにやら準備を始めだすエル。
羽織っている白衣の内ポケットから、瓶の薬品や粉末が詰まった袋、石や何に使うか解らない道具などを床に並べ始めた。一体どうやってそんなに持っていたのかという位の量を出していて、もうちょっとしたフリーマーケットのようになっている。
「エル、それってどこにそんなに入るスペースがあるの? その白衣の中」
「馬鹿だな、それはお前……企業秘密ってもんだ」
おどけて笑ってみせるその、ある種精神安定剤のような安心感。それはいつか僕にも身に付くものだろうか。そこに居るだけで周囲の人間を無条件で安心させられる雰囲気というか、人格。
「まさかこんな形で、雛ちゃんと御巫におつかい頼んだ物を使う事になろうとはね。虚ろな瞳と、デルフィニウムの花弁。本当は、新しい研究の材料にしようと思ったんだけど。昔研究で偶然発見した調合が、ここで役に立つとはな」
「あの黒猫堂で買ったやつだね。よく覚えてるよ。インパクトがある名前だもんね、虚ろな瞳と、それはー……それがデルフィニウムの花弁だったっけ?」
虚ろな瞳は、見た目はソフトボール位の瞳。そういう名前の他の何か物とかではなくて、眼球である。ただ、僕が知る限りここまで大きな眼球の生き物は知らないし、ここまで作り物めいた瞳も見た事が無い。実際どういう物なのかは不明だけれど、案外本物の眼球ではないのかもしれない。
ただ、エルが大事そうに扱うその瞳は、確かにどこか虚ろげだった。
「少し待ってくれるか? ちょっと色々準備と作業があるんだ。その間見てても構わないし、心の準備しながら休んでてもいいし。この調合が終わったら、消失の先へすぐ行くから」
心の準備。その言葉には、きっと沢山の意味が込められている。
しかしこの場所で休むといったって、きっと満足に休めないだろうとなんとなく判断した僕は、エルの作業を眺める事にした。
虚ろな瞳を、何かの粉末と共に何か和紙のようなもので包んで、硝子皿に乗せる。その際、エルは和紙に包まれた虚ろな瞳に手を翳して、声には出さずに何かを唱えていた。
小さな硝子瓶の蓋を静かにあけ、中身の液体を和紙に包まれた虚ろな瞳に振りかける。すると、ほんの少しだけれど硝子皿を包むように靄が現われた。
「……見ていて、面白いか?」
「うん、もの凄く。こういっちゃあれだけれど僕、理化や科学の実験とか大好きだったし」
「ははは、そうか。御巫を助手にして良かったとつくづく思うわ。早く帰ってラボラトリーで雛ちゃんと御巫と新しい実験や調合をしたいもんだな」
しみじみそんな事を言うエル。頭の中で想像する、あの微妙に暗くて散らかったラボラトリーの光景が物凄く恋しい。
硝子皿の周りをふんわりと包む靄。その様子を眺めながらエルは、並べられた何本もの硝子管を一本とり、軽く振る。様々な色の液体が並ぶその様は、新しい芸術というか、一種のアートのようで綺麗だった。
一本ずつ、慎重に確かめながら微量を注いでいく。その度に微かに発光する硝子皿と、和紙に包まれた虚ろな瞳。そして様々液体を注ぐ度に、次第に色の種類を増していく沢山の靄で、今ではどうなっているかよくわからなくなっている。
「御巫。あと、このデルフィニウムの花弁を虚ろな瞳に添えてこの異能は完成する。これは使用した魔術、もしくは異能の効果を一瞬呼び戻す。要はさっきの消失した魔術を再度この場所に呼び戻して俺達も自ら着いて行く形で消失しようってことな。これはそういう異能の調合」
呼び戻し。その場所で起こった魔術もしくは異能をもう一度、一瞬だけ。雛子とクイナが消失した魔術に僕も自ら巻き込まれていく。それは乱暴で危険そうな話だったけれど、不思議とそれが安心で一番確実な手段に思えた。
エルの異能はこれが多分初見だし、この異能が正確に発動してくれる保障も何もない。もっと言えば、僕達は本当の意味で消失してしまうかもしれないのだ。
「雛ちゃん達は、確実にまだ生きているよ。そしてあれは、消失というよりは移動魔術、もしくは強制転送魔術といったところ。この魔術の残り香は、そういう類だと推測できる」
「よかった、今まで消失した人がどうなったとか、雛子とクイナがどうなってしまったのか。何気に説明とかもなかったから少し心配してたんだ。そっか、良かった」
「ああ、すまんすまん。それと、因みになんだが、御巫がこの材料を同じ手順で同じ薬品やエルフィニウムの花弁を添えても、同じ効果は出ないからな? あくまで、調合と薬師の異能の組み合わせで出来た異能魔術なんだわ」
それじゃあ、準備はいいか? とデルフィニウムの花弁を大事そうに手に持ちながらしゃがむエルが、僕を見上げる。
とうとう時は来たのだ。全身の筋肉が、緊張で引き締まっていくのがわかる。これから起こるであろう様々な出来事に、僕の中に流れる魔力も一丁前に震えている。
「……僕は、最初からずっと大丈夫だよ」
深く深呼吸して、そう答える。エルもそれに答えて間延びするようにゆっくり息を吸い込んだ。そして、和紙に包まれた虚ろな瞳が乗っている硝子皿にデルフィニウムの花弁を静かに乗せた。
硝子皿に強い反応が起きる。禍々しさはないものの、感じる魔力の量は先程この大聖堂で渦巻いていた膨大な魔力そのもの。意味も、種類もよく解らないこそ立っていられるであろう絶大な魔力。気を抜くと一気に意識を吸い込まれそうになる。
やがて沢山の色に変化する靄が大爆発を起こすように、辺りに拡散しだした。身体が膨大な魔力の中に取り込まれていく感覚を感じて、僕はゆっくりと、沢山の想いと共に目を閉じたのだった。
禁じられた消失の魔術。その凄まじい魔力の渦中。
足元の床が一瞬で消え失せ、真っ暗闇の中に体が落下していくような。それに加え、底なしの沼に嵌まってずぶずぶと沈んでいく感覚が合わさって、あまりの酷い感覚に目を開けられずにいた。
でも、開けなくて正解かもしれない。アウラに乗った時だって忠告された、目を開けると酔うと言われた事を思い出す。
それが今、あの雛子とクイナを消失させた凄まじい魔術の渦中だったらどうか。きっと酔うどころじゃ済まないと思う。
しばらくの間そうしていたように感じる。ただ真っ暗闇に落ちていって、なのにずぶずぶと抵抗することも出来ずに沈んでいく、不思議且つ不快極まりない感覚。
しばらくそんなことを考えていた、その時だった。
ほんの小さな衝撃と共に、ふわっと地に足が着いた感覚。落下し続けた不安定な体に安定と感覚が少しずつ戻ってきたような気がした。
すっかり重くなってしまった瞼を、ゆっくりと開けてみる。
瞼の裏をずっと見ていた眼球は暗闇に慣れ、無作法に入ってくる一筋の光に眩む。しかし段々と慣れていき、視界が開けてくる。すると、そこは。
真っ暗闇の空間。その宙を舞う、無数の淡い光。淡い光はゆらゆらと浮かんでいて、たゆたう後には光の筋が一閃する。
その暗闇の空間の中に浮いている床。浮いているというのは、辺りを見渡してもあるのは闇しかないからだ。支えるべくものがなにもなく、ただ土の地面だけが当たり前かのように浮かんでいるように見える。
周りの暗闇の空間がうねっているのか、黒系色のマーブル状に変化していて、黙って見ていると酔いそうになる。無条件で精神に異常を起こしそうな、なんだか精神的ブラクラのような景色。
漂ってくるぬめっとした生ぬるい風、どろっとした鉄の匂い。時折思い出したかのようにノイズのような音が聴こえる。
もしかしたらここは、死後の世界なんじゃないか? 消失の魔術に巻き込まれて、死んでしまったのではないか? そんな思いがふつふつと湧き出てくる。
何故なら、僕はその訳のわからない闇に浮かぶ土の地面上に立っていて、さほど広くもないその地面には夥しい程の人間が無造作に転がっていたからだ。
「酷い……」
胃の中身が逆流しそうになる。そこにはキスハート学園の制服を着ている人もいれば、私服の人もいる。多分、中には学園外の人もいるかもしれないけれど、殆どがキスハート学園の生徒なんじゃないかと思う。
あまりの惨状に、思わず口に手を当てているとエルが隣にやってきた。僕達の先に広がる光景を、険しい表情で見つめている。
「先に言っとくが、ここは死の世界じゃないからな。大丈夫、俺も御巫も死んじゃいないよ」
「……そっか、よかった。今、丁度そんなこと思ってたから、安心したよ。じゃあ、消失先へ無事到着したって事なんだね。なら、あそこに倒れている人達をまず助けないと」
死んだ後の世界ではなく、消失魔術で連れて来られた世界ならば、あそこに倒れている沢山の人達も生きていて助かるかもしれない。そう思って走り出すと、静止するように肩を掴まれた。
「ちょっと待て。直ぐ行動するには早い。もしかしたら、俺達が見てる全てがフェイクの可能性だってあるんだぞ」
確かにそうだ。ついつい第一世界の感覚で物事を見てしまう。でも、今では同じ学園に在籍している同胞のあんな姿を見せられて、はたして冷静でいられるか。もしこれが幻覚の魔術で、僕に揺さぶりをかけたのであれば、悔しいけれどそれは成功している。
エルが白衣の内ポケットに手を突っ込んで、コルクで蓋をした細長い硝子管を取り出す。
「耳障りなノイズや、異質な環境は容易に精神に影響を与え、本来見るべき物を隠したりする」
そう言いながら、硝子管を思いっきり投げる。投げた先は、浮かぶ地面の中央部分。闇がより一層強くうねっていて嫌な感じがする。
そのうねりに吸い込まれるように、硝子管が闇に消えていく。そして数秒後、闇のうねりに薄い青色が混じりだす。
薄い青がマーブル状に闇を侵食していく。そうしている内に、今度は薄い紫。そして薄い緑と、混ざり合う色は増えていき、最後には殆ど白に近い色にまでなっていた。
「こんな小細工が通用すると思われてんのなら、随分舐められたもんだな」
朝日に当てられて拡散する朝靄のように、浮かぶ地面の中央部分のうねりが晴れていく。真っ黒の闇だった部分は、エルの投げた硝子管の効果なのか、今まで混ざり合った様々な色に変化しながら帯状に拡散していった。
「そんな……嘘、でしょ?」
そして、その綺麗な色に変わったうねりが拡散する、毒気の抜かれた淡い光の中から姿を現した人間を見て僕は。直感でこの消失事件の黒幕なのだと解ってしまった。
いや、その姿や目を見れば解る。僕のよく知るその人は、もはや僕のよく知る表情ではなかったし、なにより雛子の両腕を片手で拘束して僕に鋭い視線を送っていた。
脱力感が全身を襲う。信じたくない気持ちが、今目の前の状況の矛盾点を探すけれど、いくら探しても否定できない。そんな決定的な状況だった。
「ここまできちゃったんだね。大人しく学園に居ればよかったのに。そうすればあたし、君や薬師のお兄さんを殺さなくて済んだのになぁ」
にぃっと唇が笑みの形に歪む。ちらっと見える八重歯が印象的に僕の心を悪い意味で掻き乱していく。
瞳の色は薄く透明感のある黄金色で、相変わらず高貴な雰囲気を纏っている。明るいブラウンの髪は横に流すように結われていて、ふわふわと揺れる。そんな文句無しの美少女が、そこにはいた。
「クイナ……どうして、これどういうこと……?」
「どうしてって? 何故あたしが君にそんなこと言わなきゃならないの?」
クイナは左手で吊るし上げている雛子の両腕を、乱暴にまた締め上げる。雛子の方はまだ意識があるのか、その痛みに小さく呻き声を漏らしていた。
まるで別人だった。中身だけ別の何かに入れ替わってしまったかのように、口調も冷たく視線も氷のようだった。その事実と、意識が朦朧している雛子に姿に僕の心は激しい悲鳴を上げていた。
いっそこの場で、大声をあげて叫びながら泣きたい衝動に駆られたその時、視線の端でエルが動いたのが見えた。
「御巫、これはお前の心を破壊するに匹敵する出来事かもしれない。でも耐えろ。散々言った筈だ、散々警告したはずだ。それで御巫、お前は大丈夫と言ったな。思い出せ、お前の目的はなんだった?」
「おい、五月蝿いな薬師。面倒臭いから、お前から始末してやろうか?」
詠唱も、魔術の匂いも感じさせないまま、雛子を拘束する魔術が次々構築されていく。幾何学模様や見たことの無い記号の羅列が宙に浮かび上がり、あっという間に雛子は魔術によって両腕を吊るされるように拘束されてしまう。
「ここまで君達がほぼ無傷で来れた事は、正直あたしにとっても想定外。予定が大幅にずれちゃった。本当どうしてくれんの?」
蠱惑的な表情と、身に纏う禍々しい魔力で威嚇をしてくる。肌が焼けるようにぴりぴりするけれど、顔に出さないように必死に耐える。
「ねぇクイナ、この件の事情は僕には解らない。けれど、どうか雛子をそんな風に乱暴しないでくれないか? 理由があるなら話してほしい。出来ればその子を拘束しないでさ、解放してくれないかな……?」
「こいつを放せって? 馬鹿言わないでよ。この腐った竜が宿ったマヤの末裔を無しに、この計画は完成しないの。っていうかそもそも、こんなのが生きているから……」
ここまで歯軋りの音が聴こえそうなくらい歯を食い縛り、クイナの両手は行き場を失ったように宙に浮かせて適当に揺らしている。
刹那、身体に衝撃が走った。クイナが片手を横一線に薙いだと思ったその直後、突然地面が爆ぜた。
「痛っ……」
運が良かったのか、その爆発の基点からずれていたのか、直撃はしなかった。しかし、爆ぜた衝撃がそのまま砕けた地面の土を媒介にして身体に伝わってくる。
身体の所々から血が出ているし、笑えてくる位に酷く痛む。
怖い、ただただ怖い。
本能的に、ここで動かなければ殺される、躊躇なく殺られると直感する。痛みに咽び泣いている暇など、もうとっくに無い。
しかし僕には困った事に、武道の心得などは全然ない。ましてや殴り合いの喧嘩などもしたこともない。なので、一体どういう風にするべきか、判断が出来ずにいた。
こんな状況で思い出したのは、第一世界で好んで読んでいた漫画や、ゲーム。その立ち振る舞いや構えだけでも、真似できればもしかしたらコツを掴めるかも知れない。
「遅いよ、君。それに薬屋。もう全然遅すぎて、全く話にならないよ」
瞬きの瞬間。瞼を下ろす前のクイナの位置と、上げた後の位置が違いすぎた。クイナの右手は僕の首元で止め、手の平を見せている。左手も同様開いたまま、エルの胸の辺りで静止させていた。
わかっていたことだった。これは喧嘩じゃない、殺し合いであること。そしてその相手は魔術を操る相手だという事を。わかっていても、一歩すら動く事すら許されなかった。
「よくそんなんで、此処までこれたね? よくそんなんもんでさ、この件に首つっこんできて、あたしの前に現われたね?」
「……舐めるな。お前が、俺の大切な助手の友達と言うから何もしないだけだ。御巫が、まだお前を信じているのなら、手を出すべきじゃないだろうって、そう思っているだけだ」
そうじゃなきゃ、その右手を今すぐに硫酸で焼き切るところだ。と、黒くドスの効いた声で呟く。その圧倒的な怒りに満ちた雰囲気に、僕ですら慄いてしまう。
クイナとエルの二人が睨み合う。一触即発のその渦中に自分もいて、その戦禍を被ると確実に、命を落とす。そんな中で、僕は必死に勇気を振り絞り、思い切って身体を捻らせてクイナの手から抜け出した。
「御巫、感じろよ。こういうシチュエーションをきっかけに、お前の異能を発動させるんだ。とにかく、自分の中に流れる魔力を解き放つイメージだ」
クイナ的にはチェックメイトの体勢だったのか、勝手に動かれた上に好き放題発言されたのが気に食わなかったらしく、酷く歪んだ形相だ。今にも僕達に阿修羅の如く襲い掛かってくる勢い視線が背筋に冷や汗を滴らせる。
「勝手に動くなんて、命知らずだね君。その無計画で突拍子も無い行動で、ちょっとした拍子に君を殺してたかもしれないよ? ……で、何ができるの?」
首を横に倒しながら、唇を更に歪ませて微笑む。クイナの乱れた髪が顔に散らばっていて、可愛い表情も今では跡形も無い。
「僕は、何もできない。けど、だからって何もやらない訳にはいかない。押し付けがましくて申し訳ないけれど、僕は雛子を助けたいけれどクイナも助けたいんだ」
頼む、力を貸してくれ。と、念じる。身体に流れる魔力を感じながら祈る。僕にその気はなくとも戦闘中にこんな無防備に集中していたら、きっと一撃で殺られるのだろう。けど、いつまで待ってもクイナからの一撃は来なかった。
意識を深海に潜るように沈ませる。頭に浮かんだのは、月の涙を身体に宿した入園の儀式でみたあの光景。
瞼の裏の暗闇の中に、緑色に帯がまるでオーロラのようにゆったりと流れる。ゆらりと安定せず揺らめく緑色のオーロラの様。
見るからに異種の様々な植物や木、色鮮やかな花や実、神が気紛れに作った庭と言われても納得する壮大で幻想的な光景。
噎せ返るような生命の濃い匂いが今にも、意識を遠退かせる程に命豊かな森の景色の真ん中には一本の巨大な樹。雲をも突き抜けんばかりの巨木の周りを、オーロラのように緑色をベースに様々な色に変化して漂っている。
瞼の裏で、その茫漠な光景を眺めていると急に、身体の魔力が抑えきれなくなってきた。偶然掘った土から溢れ出る水のような感覚が、身体の中で這いずり回る。
「お願い、なんか出てくれ!」
微妙な手応えを感じながら祈るように顎を引く。異能が発動していることを期待してゆっくり目を開ける。すると、そこには変化があった。
異形の赤い花。一輪の花と僅かばかりの植物が、クイナの足元の咲いていた。突然、生えてきた訳じゃないとしたらこれは、きっと。
「少し興味があったから待ってみたけど、何これ。全然使えない異能ね、終わってる。君、花屋でもやってればよかったんじゃない?」
まぁ、生きて此処から出さないんだけどね。と続けるクイナは、心底馬鹿にしきった態度。時間が経てば経つほど、僕の中に構築されていったクイナ像が音を立てて崩れていく。
「御巫、お前その異能……おい、その花の異能を発動させるんだ、早く!」
エルが突然そう声を荒げると、クイナの手を勢いよく弾いて距離をとる。しかし、突然発動させろと言われても僕にはその方法が解らない。しかし、なんとなくクイナの足元に咲いた花や植物と僕の感覚が繋がっている気がして、方法は解らなくとも感覚で出来るような気がした。
念じながら指を無造作に動かす。
すると、クイナの足元に咲く赤い花が勢いよく枯れていく。普通ではありえない速度で枯れた花の後を追うように、周りの植物達も枯れだしていく。そして無風であるはずのこの場所で枯れた花達はクイナに纏わり付くように舞い上がる。
『だから、なんだっていうの……って、え?』
鬱陶しそうに舞った枯れた花達を払いながら呟いたクイナの声が、なんだか不自然にだぶる。僕が知っているクイナの声と、もう一つは年季の入った男の声。
「御巫、この娘はやはり操られていたのかもしれない。きっと声がダブってるのは術者自身の声だろうな。意識的乗っ取りや、人格の刷り写し、記憶改竄及び掌握……どれも禁断魔術だ」
「……やっぱり操られてたんだ、なんか少しだけほっとしたかも。ってか、こんなに……異能とか魔術を唱えると疲労するものなの?」
全身が酷くだるい。風邪をひいたときのような倦怠感が全身に広がる。初めて成功した異能の反動が思ったよりも強く、戸惑う。
でも、クイナが操られていたってのは、やっぱりなんだか心が救われる気持ちだった。良かった、本当に良かった。
『クソ……本当に精神の刷り込みが剥がれかけてやがる。ちっ、しかもこの女……同期を拒否し始めやがった』
ちゃんとお互いの同意のもとだったんだがなぁ? そういう魔術だし。とダブった声で唇を歪んだ笑みの形にして僕を見据える。
クイナの身体なのに、中身は全く違う別人。そう認識を変えると、抑えていた色々な感情がふつふつと湧き出てきた。
「何でこんなことを……何でクイナだったんだよ。同意って、それもまた嘘なんだろ」
「いや、御巫。同意は嘘じゃない。これはそういう禁断魔術だ。そして、今は術者との同期を拒んでいる。完全に切り離すまでの魔力もこの娘には多分ないから、御巫の異能を借りてようやくこの状況って感じなんだと思う」
『よく喋るね薬師……いや、シャノン・エルファーアルベラム氏。薬屋のシャノンさん?』
そう調子よくエルに挑発したクイナに同期している術者。その刹那、エルの様相が一変した。びりっとした荒々しいエルの気配が辺りに広がる。
「貴様、その名を軽々しく呼ぶな。……次は無いぞ」
白衣のポケットから、煙草を取り出して咥える。まるで、落ち着きを取り戻そうとしているようで、今にも爆発を起こす前の炎の様な、雰囲気と気迫だ。
『いいよ? 別に。この身体は結局、私のじゃないし。お好きにどうぞ。でも、この娘の潜在魔力はすごいよ? 出来るならこのまま持って帰りたいね。私の魔力に耐えるだけじゃなくここまで使える身体は貴重だ。考えて魔術を使って、間違ってこの娘が壊れないように気を付けないと。その加減した戦闘でも私は君達に負ける気がしないね。ねぇシャノン氏?』
「御巫、決断を。俺はもうあんまり耐えられそうに無い。このままだと、お前の大切な友人を殺めてしまう」
淡々に、機械的にそう告げると、咥えた煙草に火をつけた。今度はポケットからオイルライターを取り出して着火させる。カチャンっという金属の開閉の音が、燻らせた紫煙と共に酷く響いた。
「エルもうちょっと待って。クイナ、というか術者か。結局何が目的なの? 雛子はどうするつもりなの? なんでこんなキスハートの生徒を攫ってきたりしたの?」
先程発動した、異能の名残を身体全体で感じながら何気なく見つめていると、クイナの目と口が少しづつ見開いていく。何かに気付いて、呆けているようなそんな表情。うまく感情が読めない。
『……いいよ。折角だし、冥土の土産に話してあげるよ』
クイナと同じ口調なのだけれど、相変わらず男の声とダブった声で、三半規管が妙に揺らされた感じがして酔ってしまいそうになる。
先程は聞く耳もたず、といった態度だったけれど気分が変わったのか、クイナの中の術者は語りだした。
『この世界は、もともとムーンガーデンなんて名前じゃなかったの。遥か昔、ここには自然が溢れていた。
月の樹、冥王、腐竜。生命の樹とその二つの神竜の均衡した力で成り立っていた。
綺麗で幻想的な星だった。そんなこの世界は地球内天体イヴと呼ばれていた。後に地球、第一世界にて言い伝えられた名前はアルザルだったらしいけれど、元々はイヴという名前の地球内天体だった。
イヴは、中心に聳え立つ月の樹の恩恵と、冥王と腐竜の力のバランスで植物は自由に生い茂り、そして枯れ、そして生まれ変わり、繁栄する。
イーラ、シヴァ、エーヌ、ラヴ。その他様々な呼び名を持つ二つの神は空を飛び、互いに干渉せず、自由に飛ぶ。そんな世界。
月の樹にも別名が沢山あった。セフィロト、世界樹、菩提樹。万物の樹。そんな生命溢れる月の樹の存在がイヴを豊かにしていった。
ところが、その日は突然やってきた。
それはあまりに唐突だった。地球の人間が地球内天体にやってきた。それは本来絶対にありえない事。地上の人間には、仮にどこまで掘ったとしても人間には物理的に届かないし耐えられない。耐えられるわけがない。マントルにさえたどり着けない。ましてや外核や内核はもっての他。
イヴはただ内部にあるというだけじゃない。そもそも次元が違う。どこまで掘ろうが、無駄。特異点や黄金比率を用いたとしても、無駄。只の地球破壊活動。
それなのに、自らをマヤ族と呼ぶ民族がイヴのあらゆる事柄をも捻じ曲げて、信じられない事だけど空間に無理やり捻じ込んでくる様に侵入してきた。
後に、ノアの箱舟と呼ばれる魔法を使ったのだと教えてくれた。
そこからのイヴは一変した。マヤ民族が月の樹の生命力を利用して、魔法や魔術を行使する日々。曰く、イブを新しい故郷にする、のだそうだ。
そして干渉された月の樹はやがて力を失っていき、その姿を視覚認知できなくなる。そこに在るのに見えないし感じない、けれど微量の生命の力を垂れ流す。そんな曖昧な存在になってしまった。
そうしていつのまにか冥王は姿を消した。その同時期、月の隣に新たな星が生まれた。結局最後まで残っていたのは、腐竜だった。
腐竜の存在は、マヤ民族にとって邪魔であったと同時に畏怖の対象だった。視認するだけで、眼球に異常が起こる程の瘴気に、倒れていく彼らは一つの対策をとった。
倒せないのならば、封じればいい。
そう考えた彼らは研究を重ね、一つの有効打を見つけ出したの。
それは、月の樹の力のみの行使。魔法や魔術を操る彼らは、どうしても自身の色や癖が出てしまい純正の月の樹の力ではなくなっていた。
生贄。そして神宿し。これが彼らの見つけた有効打。
一人は月の樹の力を体内に取り込み、一人は腐竜を宿す体を仕上げていった。そのどちらの作業も、惨たらしいもので、やはり生贄や人身御供という言葉が適切だった。
万物の樹に当てられたヒトは、虚ろげな瞳をした廃人そのもの。神宿しの体を仕上げたヒトも、体中に入墨や魔術陣を描かれて自我を無くしていた。
魔術陣の中にはヒトの皮膚、肉を裂いて、骨に直接描いたものさえあった。その一連の光景は惨劇そのもの。まともな所業ではなかった。
そして、計画通り腐竜落としは実行される。
ヒトが宿した月の樹の力を用いて腐竜を空から落とす。同時に詠んでいた魔術の陣の上に落とされた弱った腐竜は、そのまま神宿しの準備を終えたヒトへと、三日三晩かけて封印されてしまった。
封印の生贄となったのは、マヤ族の一人の女性だった。もはや植物状態と言ってもいいその女性は心身共に崩壊していたが、なんと身篭っていた。
腐竜落としの数ヵ月後、その女性は奇跡的な出産を果たした。その子孫は確かに生を育んでいったが、母体は出産と共に朽ち果てた。ただ死ぬ事すら赦されなかったのだ。
その一族には腐竜落としの影響が子孫にまで伝わっていた。その一族の名は、キスハート。
そこの雛子というマヤの末裔は、その子孫だ。そして時折その一族には、その娘同様参月の夜のように
自我をなくした状態で、腐竜の呪いを行使する者が現われたと云う。
そして月の樹の力を宿したヒトは、その後息絶えた。人が宿して扱うには、それは大きすぎた。それを悟ったマヤ民族は、その力を神力と呼んだ。
マヤ民族の考えは非常に近く、惜しかった。実際には神力でもあって、新緑の力。つまりは月の樹の緑の力だった。それは多義的だけれど、要は植物の力。それはつまり……』
まるで物語を紡ぐように語っていたクイナ、もしくは術者が語りを止めて、少し顎を引きながら神妙な顔つきで僕に視線を送ってきた。
「え……? いやいや、まさか」
『そのまさかなの。いえ、私もさっき気付いたんだけれど……君が宿したのは月の樹の神力であり新緑の、緑を受け継ぎし緑師。さっきの君の異能は、そういうもの』
さっきまでは、ただ物語や御伽噺を聞いていた側だったのに、なんだか急にその内容の中に無理矢理引き摺り込まれた感じがする。そんなこと、いきなり言われても正直言ってる意味がわからない。
「ちょっと、待って。じゃあ仮にその緑師ってのが僕の異能で、緑師は月の樹の力の恩恵であるんだとする。でも、さっきの話だと、月の樹を宿した人は死んでしまったんじゃ……?」
『でも月の樹は死んでいない。というか、死、生、有る無しじゃないんだよ。でもね、矛盾すること言うけどね、今だってこの世界には見えないけれど月の樹は存在するよ。もっと言うと、そして月の涙は年々魔術を使えるものが居なくなったマヤが生み出した、至高の秘術。月の樹の神力、あれは新緑を真似をしようとして出来た偶然の産物さ』
「それと、僕の異能とどう関係があるっていうんだ。論点がずれてるよ、僕が聞きたいのはそうじゃないし、僕の質問が何一つ回答されていないよ」
この話を聞いている時から、妙に体が熱い。血が沸騰するような感覚にも襲われるし、今だってあんなに恐怖だったクイナと中の術者に向かって啖呵を切るようなことを平然としてしまっている。まるで、自分が自分じゃないみたいだ。
すると、さっきまで抑えていたであろう殺気を放ちながら、クイナは無表情で手の平の上に青白い炎を轟々と現せると僕に向かって放ち、その青白い炎と一緒に勢いよく向かってくる。
僕は僕で、自分の体だっていうのにまるでオート操縦というか、体が勝手に動くような感覚に身を任せていた。クイナが飛ばしてきた青白い炎の渦を片手で容易く払い退け、向かってきたクイナの拳にもしっかり反応して相打ちにできた。
体が燃えるように熱い。自分でも信じられない動きに驚くも、熱に犯された脳はこの事を大して大きな疑問として取り上げることはせず、至近距離で見つめ合いながら相手の出方をじっと待った。
「緑師め……」
忌々しそうに睨むと、空中でなにか描く動作の後に僕の足元から水が湧き出して、あっという間に僕を巻き込むように渦巻く。
激しく巻きつく水の動きにまた体が勝手に反応する。身を捩るように回転させて、水の魔術の力を逆手にとってクイナに向かって勢いよく魔術を放つ。
異能を放つと同時に、クイナを傷つけたくない、と心の中から悲鳴のような訴えが脳内に響いた。
そしてその異能は当たり前だけれど僕にとって、まるで覚えているはずも無い、そんな異能だった。
水の勢いそのままに、水の渦を纏いながら植物が勢いよく育っていく。見たことの無い異形の花もどんどん咲いていき、クイナの周りを囲む。
水の勢いが緩やかになり、その流れが止まったのをきっかけに異能で生えた植物がクイナに襲いかかる。花からは怪しげな胞子が舞い、粘液が糸を引く。異様な色の葉はクイナの四肢を切り刻む勢いで一閃しようとしていた。
しかし、僕の心配していた結果にはならなかった。
一秒もしない内にクイナの周りには青白い炎が竜巻のように舞い上がり、先程まであった植物はもう炭すら残っていない。
『折角こうやって話をしてんだ、最後まで聞けよ緑師。見ろよ薬師なんかさっきからちゃんと聞いてる。本当なら今すぐこうして戦闘に入ってお前らを殺してやってもいいってこと、忘れるなよ』
鋭い視線と殺気が僕を突き抜ける。しかし、今の僕はなにかがおかしい。全く恐怖に感じないどころか、何故か若干の快感まで覚えてしまう始末。
クイナはそんな様子の僕を横目に、溜息混じりで話を始める。
『まず、緑師。月の樹の神力、緑を受け継ぎし者が居て、それが予想外の君だったって事はひとまず置いておく。今の戦闘で、自覚したでしょ? あれは素人の動きじゃないよ。……まぁいいや。ここまで話した上で、緑師が私にした質問に答えていく。
一つ目、結局何が目的なのか? 雛子と呼ばれるそこのマヤの末裔であり、腐竜の呪いを宿した娘を私達で確保し、腐竜を目覚めさせ復活させる。
二つ目、雛子はどうするつもりなのか? これは今言った通りだから省く。
三つ目、何故キスハートの生徒を攫ってきたりしたのか。これはまず、腐竜を宿した娘の気を引き、最終的にはこの場まで連れて来る事。そして、そこら中に漂っている消失者の魂を魔力に変化させて、禁断魔術を行使する為』
これで、満足? とクイナの舐め回すような視線が厭らしく絡みつく。
僕はその説明を聞いても何一つ納得出来なかったし、理解もできなかった。そんな顔をされても、わからない。
「雛子から……腐竜を復活させる理由は……?」
『緑師、自分でももう大体わかっているんだろう? 私達はムーンガーデンからイヴを取り戻す為に、その娘を腐竜へと戻す。そして、君の緑師の力は君の意思でそれを邪魔出来る唯一の力。だから』
だからここで君を殺してその異能を私達が回収するよ、と低い声でクイナは言い放った。
「っ……もう一つ、いい? クイナ。クイナはそれにどう関係しているの? さっきクイナが操られているのは同意の上だっていってたけれど」
「おい、御巫……それは」
エルの発言をクイナは手の平を向けて制止する。なんだかこの時、クイナの口から語られる事に対して僕は決して聞いて良かったとは思わないんだろうな、と直感する。本当ならこのまま、聞かないでいたい。
『この娘も、話してくれていいと言っている。……どうもなぎなぎ、には知っておいてもらいたいんだそうだが?』
その言葉を頷くだけに留め、この後に続くであろうクイナの物語を想って僕は、懐かしい呼び名の名残を噛み締めつつ、クイナの黄金色の瞳を見つめたのだった。