第十二話 鍵の模様と参月の夜
優しい灯。それぞれに火が付いていて、様々な形のランプが絶妙に落ち着く暗さで包まれた月の祝福亭。
ちゃんと整列して並べられていない木製のテーブルと椅子や、棚に並べられている数々の瓶や置物は、ランプに照らされてアットホームな雰囲気となり、まるでここは外国の絵本の世界そのもの。
まだ昼にもなっていない時間の為か、客もまばら。そんな中、僕とエルは一番奥の席に座っていた。
この奥のスペースにだけ、対面式ソファある。柔らかくて、身体を優しく沈ませて包み込んでくれる、アンティークを思わせるソファだ。
「まぁとりあえずこれでも飲んで、落ち着いたらいい」
「でも、あの…………いえ、そうですね。ありがとう御座います」
受け取ると、ほんのり暖かい。木製のマグカップからは湯気が昇っており、色と匂いはミルクのように白くて甘い。名前も味も知らない飲み物の暖かみが、今はなんだか妙に沁みる。
こんなに悠長にしててもいいのか? そんな言葉が口からやはり出そうになったが、なんとか留める。エルのことだから、きっとこれも必要な事と判断したのだと思う。
確かに、先程廊下で出会った時の僕の精神状態は、話し合いもまともに出来ないだろう程に酷いものだった。
記憶がぼんやりしていてよく覚えていないのだけれど、状況を説明しようとして酷く取り乱した気がする。
海に潜っていくように深くゆっくりとさっき起こった事について考えて、記憶の整理をする。手の中の暖かいマグカップと湯気を見つめたまま喋れずにいた。
「飲んでみろよ。月の祝福亭の名物の一つ、はちみつホットミルク」
「あ、意外と普通だったんですね」
「普通よ普通。でも、蜂はミトロヒア・フィオーレビーと言って、神々の住む世界に咲いた花の蜜のみを吸うと言われる幻蜂なんだよ。ま、実際はそんな場所確認されてないし誰も蜜を吸う瞬間見たことがないから、ただそう云われているだけなんだけどな」
結構謎に満ちた生態なんだよなぁ、今度調べてみようかねぇ……と科学者っぽく楽しげに微笑む。
飲み物のジャンルと名前は、とても馴染み深かったけれど、蜂と蜜に関しては全然馴染み深くなかった。
すごい神聖な言い伝えの蜂と蜜。その蜂蜜が良く香るミルクを一口飲む。突き抜ける蜂蜜の甘みはしつこくなく、でもその中で主張しすぎない絶妙な甘さと香りだ。
ミルクも、独特で濃厚な美味しさ。第一世界で、眠れない夜によく飲んだミルクを思い出す。この甘さと香りだけですごく落ち着く。というか、条件反射で少し眠くなってきてしまう。
聞きはしないけれどこの美味しいミルクも、搾乳した生き物はきっと牛じゃないもっと別の生き物、もしくは僕の知らない品種の珍しい姿形をした牛のミルクなような気がする。
「どうだ、結構美味いだろ」
エルは半透明の緑色した瓶を口に運び、直接飲む。まるで今日は何も無かったかように、限りなく普通の雰囲気だ。
まるで、この月の祝福亭の中で僕だけが間違っていて、おかしいのは僕だけなんじゃないかとさえ思えてくる。
「美味しい……とても美味しいんだけど」
「けど、何故こんなに悠長にしているか、だろ?」
僕がさっきから思っていた事を、あっさりと看破された。エルは僕にそう言うと、手に持っていた半透明の緑色した瓶をテーブルに置く。
壁やテーブルに置いてあるランプの灯りが、瓶を照らす。テーブルには瓶の緑色が映し出されていて、ランプの動きにあわせて色の明暗や形を変える。
「はいはーい、お待ちどうにゃーん」
エルが続きを話そうと口を開いたのとほぼ同時、先程からエルが飲んでいる瓶と同じ瓶を持った女の子が側に来た。
エルの新しい飲み物を両手で大事そうに持つ女の子。肩に掛かる位の髪で全体的にふんわりとしていて、前髪を横に流してピンで留めている。
見た目は幼く童顔。小学生だと言われれば頷いてしまう様な、それでいて大人だと言われてもなんとなく納得できてしまいそうな雰囲気。
そして頭には、猫の耳が付いていた。しばらく凝視してしまったが、時折ぴこぴこ動くので飾り物ではないようで、どうやら本物らしい。……猫耳っ子すごく可愛い。
「おお店主、ありがとう」
「ええっ、この子が月の祝福亭の店主? てっきり店主の娘とかがお手伝いしているもんだと……」
「にゃんと失礼にゃ。でもまぁ、初見の人は大体似たような反応にゃん。だから、寛大な私は許してあげるにゃーん」
目立たない程度にさりげなくフリルが付いた可愛いエプロンが似合う、年齢不詳で幼い見た目の店主は、猫耳を動かしながらにゃんにゃん言っててもう本当に可愛い。ついつい撫でたくなってしまう。
「えと、なんだったかにゃ。あーそうだそうだ、そこのはちみつミルクを飲んでいる君、君にはこの薬屋から発せられているものに気が付かないにゃ?」
透き通るような眼差しが、僕を捕らえる。幼いなんてとんでもなかった、この子の立ち振る舞いと雰囲気は只者ではない。人間の本能的に強くそう感じて、僕は見つめられたまま押し黙ってしまう。
「私は、薬屋が店に入ってきた瞬間思わず厨房から出て覗いちゃったにゃん。動揺、不安、怒り、憤り。そういった負の類の強いオーラがダダ漏れだったからにゃあ。……それは勿論君からじゃなく、そこの薬屋からのものにゃ」
「店主さんよ、そういう余計な事言わなくていいっての。御巫は気づいてなかったんだから、それはそれでいいじゃないか。とんだ恥晒しだろう」
「悠長だなんてとんでもにゃい。薬屋は君よりもよっぽど、この状況を重く捉えているよ。だからさっさとその殺気をしまいたまえ、薬屋。私の店に客が来なくなっちゃうにゃん」
月の祝福亭の店主は、エプロンの前に付いているポケットに手を突っ込んで、僕に小さく微笑みかけたと思ったら店の奥に行ってしまった。
なんだかもう既に事情を知ってそうな口ぶりだった。酒場でもある月の祝福亭だから、色々な情報がすぐに飛び交うのかもしれない。
「エル、その……大丈夫?」
「おう。店主はああ言ってたがな、まぁ気にしなくていい。御巫もだいぶ落ち着いてきたか?」
エルも僕と同じく、いや、僕以上にこの今の状況に感情を揺さぶられている事実に、なんだかほっとした。そして同時に少し申し訳ない気持ちにもなった。
置いてけぼりじゃない、ちゃんと一緒になって怒ったり心配したりする仲間がいるってだけで、僕が冷静になって落ち着くには十分な事だった。
「うん、僕はもう大丈夫。なんだかごめん、ありがとうエル」
少し冷めたはちみつミルクを一口飲む。心境の違いからか、先程飲んだ時よりずっと美味しく、より味わうことができた。
「えっと……エルはどこまで知っているの? 因みに僕は何もわからない状態。だから正直何処に行って何をしたらいいのかも、よくわかってない」
「それなのに、あんな風にまでなってどこかに向かっていたのか。無謀っつーか、変なところで勇んでるっつーか……まぁ、それも仕方ないか」
エルの持っている瓶を伝う水滴。その小さな一滴がテーブルに落ちて弾けたのを合図に、エルは抑え目な声で話し始めた。
「御巫、きっとお前は雛子が、なんらかの理由で拘束されると思っていないか? 教室に飛び込んできたメイドに雛子を探しているって聞いたんじゃないか?」
「うん、ってかそこまで知っているんだ? そうなんだよ。精霊学の授業中に、何かが飛び込んできて教室が大変なことになってさ。もう皆パニックだよ。で、その飛び込んできたのが、メイドさんだったんだよね」
痛みをきっと堪えていて、身体や服が傷だらけになった、僕のよく知っているメイドさん。ついさっき起こった出来事を思い出してみても、なんだか遠い昔の出来事のようでなんだかしっくりこない。
あれは本当にあったことなのだろうか。実は僕が見ている悪い夢なんじゃないだろうか。そんな可能性も、手の平に感じるぬくもりがはっきりと否定する。
「そのメイドさんがその時にこう言ってたんだ、雛子の確保を優先せよって。そして問い詰めたら、この件に関わるな、と。僕からは笑顔が消えて、深い悲しみに苦しむことになるって言ってたんだ。エルはこの意味わかる?」
「そうか、そんなこと言ってたのかあのメイド。いや、そのメイドの言っていることはもの凄く正しい、全く間違っていない。本当に甚だ正論だから、御巫はこの件に首を突っ込むには覚悟とか、そういうのが必要になるよ」
真実が御巫にとって、有益になるとは限らないんだよ、と言い淀んだ様子でエルは言う。メイドさんが言ったのと殆ど同じ内容の台詞。
きっとメイドさんもエルも、この件についてよく知っている。そしてその上で僕に警告してくれているのだ。引き返すのなら今だと。関わらないことで、得られる平穏があるのだと。メイドさんの言葉を含めて、きっとこれで二回目の警告なんだ。
優しい警告。僕の事を心配してくれる、暖かい警告。僕はその意味に、視界が涙で歪むのを感じた。
でも、僕はもう決めている。この世界にきたことで知った、色んな思いや出逢いを守るために決めたのだ。
「覚悟ならもうとっくにしているよ、エル」
だから、話して。と言わんばかりに僕は、はちみつミルクが注がれていた木製のマグカップをテーブルに置いた。
「そうか。御巫、お前はそんな風に自分の意思を、強く曲がらない芯のある意思をこういう風にちゃんと伝えられる人間だったんだな。流石は俺の助手。なんかちょっと見直したわ」
わかった、ちゃんと話す。っと呟くとエルも瓶をテーブルに置く。その刹那、エルから発せられる雰囲気が鋭いものに変わったのを感じた。きっとこれ以上のものを、最初から月の祝福亭の店主は感じていたのだろうと思うと、やはりあの人は只者じゃないなと思った。
「最近この学園には、正式に公表されていない消失事件ってのがある。生徒が消えてしまうって事件だ。知ってるか?」
「あ……それ第十六図書館で雛子に逢った時、少し焦りながら雛子が教えてくれた話だよ。でも、あれって雛子の妄想っていうか、そういう本を読んで怖がっているだけだと思ってた」
数日前の、第十六図書館での出来事。雛子が読んでいた、消えた生徒達というタイトルの本を読んだ後に、僕のことが心配だと言ってくれたあの日だ。
あの話は、雛子の読んだ本に影響された話じゃなかったという事なのだろうか。
「うあー、雛ちゃんは御巫へのアプローチが苦手なんだなぁきっと。随分遠回りな……ま、もう薄々解っていると思うけど、その話は本当。実際に何人もの生徒が消失している」
テーブルに落ちた水滴を、エルは指でなぞる。薄く伸びた水滴は、アメーバのように互いを引き寄せあい、何故かまた分離を始める。
ほんの少し、魔力の匂いを感じた。もしかしたらエルは無意識に異能を漏れさせているのかもしれない。それほど動揺しているとしたら、自然と僕の身も固まっていく。
「……ちょっと気持ちの整理が出来ないけれど、まずその消失事件が本当にあったとするよね。でもそれが雛子とどう関係があるの?」
「現状では、その事件の最重要参考人として雛ちゃんを探している状態。……お前ならこの意味はもうわかるな?」
「……雛子が、その消失事件の犯人だと、そういうことを言ってるの? そんな……馬鹿な!」
つい声を荒げてしまう。自分でもこの感情の揺れっぷりには驚きを隠せない。エルも少し驚いたように僕を見ていて、なんだかその視線が生暖かく感じる。
「いや、俺もそうは思っていないよ。ってのは、その結論に至るまでの証明が不十分過ぎるからだ。ある生徒の証言、とかその程度なんだよ。ただあのメイドが動いているとなると、信憑性もでてくる」
エルが白衣のポケットから煙草を取り出す。箱から取り出した煙草にはやはり火を付けず、手の中で弄んでいる。
「だから、確かめに行こうと思っている。ただ、さっきも言ったとおり、この件に首を突っ込むのは危険だ」
「……エルも散々警告してくれたもんね」
「ああ。詳しいことはこの学園に施されている禁則系魔術という言動を制限魔術で言えないんだが、雛ちゃんが重要参考人として以外の理由でもこの件を良い理由に確保、隔離される可能性があるんだ。むしろそっちの理由の方が心配で、雛ちゃんにとってもだし俺達……いやムーンガーデンにとって危険な事でもある」
禁則魔術。こないだなんとなく読んだ本で見たような気がする。でも、それは確証のない噂話程度の記述だった気がする。
誰かが唱えた、ムーンガーデンに住むもの全てを対象とした言動制限魔術。術者にとって不都合で余計な情報が流れない、魔術というよりかはそんなもの最早魔法に近い。といった都市伝説的内容の本だった気がする。
「雛子が確保や隔離されちゃう、理由って……?」
危険が及ぶとしたら世界規模で危険という事に、僕の額にはじわりと冷や汗が滲む。
「今から約六年程前の、よく晴れた三月の月の事だ。ああ、晴れたといっても夜晴れの事な。そんなよく晴れた日に、それは突然起こった。それはこの世界に深々と刻まれた、後に参月の夜と呼ばれる黒い歴史となった」
手の平で弄んでいた煙草を咥えると、テーブルに設置された綺麗な細工のランプで火を点ける。
話すのを躊躇う様に煙草の紫煙を肺に送り込むと、溜息まじりに煙を吐き出す。
「雛ちゃんがまだ、今よりずっと幼かった頃の話だ。そして、俺がムーンガーデンに来て四年余りが経った頃。
なんの予告も予兆もなく、突然キスハート学園全体が、原因不明の揺れと大規模な洪水に見舞われた。その時の水の出所は予測や憶測はあるものの、魔術だろうってだけで今もよく判っていない。それは凄まじいものだったよ。この世の終わりを感じるほどの光景だった。
この学園の屋根や外壁は次々に剥がれ落ちた。黒光りする暗雲立ち込める空には、見たことも無い術式の陣が一面に展開されていて沢山の稲妻が落ちてくるし、そんな稲妻を孕んだ竜巻もあちらこちらに発生した。足が竦む程巨大な渦巻きも至る所に発生していたよ」
当時の事を思ってかエルの表情が苦痛に歪み、身体が小刻みに震えていた。煙草の煙がせわしなく揺れる。
「そしてその天変地異レベルの災害、参月の夜の原因は結論から言えば雛ちゃんだった。雛ちゃんを中心にこの異変が起きていたんだ」
「えっ……本当に雛子が引き起こしたの? その凄まじい現象を、雛子一人で」
あの小さくて華奢で、硝子細工のように美しく脆そうなあの身体で?
「引き起こした。それは間違いない。まぁ、その雛ちゃんを俺も見たからな。目の色は両目とも紅蓮の赤。髪は真っ白に変色していたよ。凄まじい魔力の根源はやはり雛ちゃんで、そこから大規模な魔力の渦を確認した」
どっと身体に疲労が溜まっていくのがわかる。テーブルに置いたはちみつミルクを飲み干して、頭に糖分を送り込む。エルからの話をより正確に脳内再現し、出来る限り記憶に努めた。
「地獄絵図のようだった。この世界は終わるんだと皆が思った程だよ。でも……雛ちゃんの自我はそのときもう既に失われていたそうだよ。本人の意思ではないと今ではわかっているんだけど、この事件はやはりバニラノームやキスハートに住む人々の記憶に深く刻むことになったんだ」
「やっぱり、その……亡くなってしまった人も、いたの?」
「いや、そこは魔術士と異能士が集まる場所。人命は守り通したよ。参月の夜で一人も死んじゃいないのが、また凄まじい功績だったりするんだけどな。……でも、俺は何も出来なかったよ。あの事件、参月の夜をただ眺めているだけだった。その後収束してから、異能の薬師で、看護や治療の手伝いをした程度」
「いや、僕みたいにその参月の夜を経験もしていなければ見てもいない奴に、こんな風に言われるともしかしたら怒っちゃうかもしれないけれど、僕はそうは思わないよ。エルのその看護や治療でどれだけの人が救われたか。それがなかったらそれこそ死人が出てたのかもしれないんだよ」
手当て。傷口や痛む箇所に手を当てるその動作だけで、どれだけ心が救われるか。どれだけ痛みが癒えるか。エルは何も出来なかった等と卑下してはいけないと強く思ってしまった。それこそその場にいなかった癖に、だ。
「そう……か。そう言ってもらえると嬉しいわ。でな、そんな甚大な被害を収めたのも雛ちゃん自身だった。収めたというよりは、勝手に落ち着いちゃったといった表現のが適切な気もする。力尽きたように倒れこんで、世界の終わりのような天変地異もその時止まったんだ」
「……あんまり実感が沸かないんだけれど、でもそれって本当にあったことなんだよね。……実はこれは雛子には言わなかったんだけれど、バニラノームで雛子と一緒に歩いた時に感じた妙な視線もそういう事だとしたら、一応合点がいくかも。それで、雛子がそうなってしまった原因ってわかっているの?」
「いや、結局わからなかったと思う。雛ちゃんが引き起こしたその事件は、なにがトリガーになったのか、なにが原因だったのかはよく解ってないし、明かされていないな」
エルは、半透明の緑色した瓶を手に取って一気に飲み干した。喉がカラカラに乾く程神経をすり減らしながら語ってくれたのだろう。
そして、飲み干したエルのその表情はより一層険しくなる。
「参月の夜、と呼ばれるようになったその事件の後。収束して大人しくなった……いや、衰弱していた雛ちゃんは、エーテルと呼ばれる治安維持集団、第一世界で言うところの警察みたいな感じの集団にしばらく拘束された。その時の事を雛ちゃんは決して話してくれないが、相当な拘束だったと予想される。エーテルは学園内の組織じゃないから、学園長の孫という肩書きは、一切機能しなかったんだろうと推測される」
無意識に噛んでいたのか下唇が痛い。口の中にじわりと鉄の味が微かにしてきた。血独特の匂いと味が鼻腔を撫でるように衝く。
「……でも、そのエーテルってのが間違ったことはしていないのが、更に言及しずらいんだよねきっとこの件。だって一応この学園やバニラノーム、いや世界を守る為の行動なんだもんね」
でも、雛子には本当に罪があったのか。拘束のレベルは、どのくらいだったのか。そしてそれは適切だったのか。
「そう、基本的にエーテルってのは無害だ。むしろ善。でもな、正しいかもしれないが、なんか納得できなかったんだよ。自我がなく、無意識での出来事っていうのは、あの場に居た人間や雛ちゃんの証言で解ってるんだから、もっと方法があっただろうにと思ってさ」
「そっか。うん……そうだよね。その事もあって、今エーテルやメイドさんが消失事件の最重要参考人でもある雛子を確保して、参月の夜との関連性からまた拘束しようとしているのなら、尚更早く雛子探さないと」
なんというか、隔離とか確保とか、そういう言葉を雛子に向けているのが我慢ならない。場合によっては拘束し、なんらかの処置をする事が最善なのかも知れないけれど、僕はなんか嫌だ。
ある意味無責任で、思い上がりの傲慢なのかも知れないけれど、雛子がそんな風に晒されるなんて嫌だと、強く感じる。
「今言った通り、事は急ぐ。消失事件もそうだし、参月の夜も懸念されているはずだから、俺としては早く雛ちゃんを見つけて状況把握と、保護をしたい」
「でも、どうやって探そう。二手に分かれれば早いよね」
少しでも人手が多いほうがいいのだろうけれど、公表して助けを請う事も難しそうだ。メイドさんに事情を話して協力を、と思ったのだけれど、もしそれが出来たのならばエルはとっくにしていただろう。
「そこで、この俺の素晴らしいアイデアが光ってくるんですよ御巫助手」
そう得意げに微笑むエルは、手首に巻いた鍵を指差す。勿論エルの手首にも、僕や雛子と同じミサンガ状の鍵が結ばれてある。
「鍵がどうしたの? まさか他に使い道があるの?」
「正解。そのまさかの使い道が、あるんだ。今この状況の為にあるような使い道が」
エルの指示に従って、僕はテーブルの上に鍵を結ってある左手をかざす。それにあわせてエルも同じように手をかざした。
「いいか、自分の中に流れている魔力を感じろ。それ自体はもう何度もやっているはずだから、出来るはずだ。そして、そのまま鍵の方に意識をずらすんだ」
目を閉じて集中する。エルに言われた通り、僕に宿った月の涙による魔力を感じる位はもう、いつでも出来るようにはなっていた。というか、それしか出来ないからそれしかやってなかった。
静かに流れる、僕の魔力。その魔力を感じたまま、鍵へと意識を移動していく。
「おお。思ったよりスムーズに出来たな。見ろ御巫、出てきたぞ」
目を開けると、テーブルの上にはなにやら模様が浮かび上がっていた。僕と、エルの手首に結ってある鍵が、微かに光っている。
「この、ここ見てみろ。ここでぼんやり光っている箇所があるだろ? これが雛ちゃんの今いる位置」
浮かび上がってきた模様は正直よく解らなかったけれど、どうやら小さく動くこの光が雛子の居場所らしい。動きは小さいが、確実に移動しているのがわかる。
「凄いよエル。こんな使い道があったなんて……で、僕にはこの模様を見てもよくわからないけれど、エルにはもう雛子の居場所はわかったの?」
「当然だな。でも良かった、移動しているところをみるとまだ捕まってはいないみたいだしな。今間に合えば、雛ちゃんに消失事件の話を聞けるし、うまくいけば保護できるかもしんない」
エルはほっと胸を撫で下ろしていた。その様子をみて、僕も反射的に安心する。本当に大変なのは、この後なのに。
「ここでもう一度聞く。本当に最後の忠告だ。御巫、お前は……覚悟ができてるのか」
「出来てるよ」
僕は考える間も無くそう言った。エルの優しさを感じながら、深く頷く。そして互いに目を合わせ頷き合うと、僕達はほんの少し微笑み合いながら立ち上がったのだった。