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プロローグ

「しばらく、さよならだ」

 慣れ親しんだ住み心地のいい部屋をゆっくり一瞥すると、僕はそう呟いた。現在時計の針が示す時刻は夜中の十二時ちょっと前。

 夜空に散りばめられた眩いほどに輝く星空を背中に、不安や期待が混ざり合うこの妙な感覚は、胸の中でなんとも喩えようのないものとなっていた。

 近くにある、豪華な装飾の手紙に視線を移す。今回の事の発端である淡い光を放つ手紙は、何度見ても非現実的。結局最後まで理解が追い付かずに、僕は思わず首をかしげて嘲笑してしまった。

 そして、特別片付ける事もなくいつも通り程よく散らかった部屋の中で、今日起こった現実味のない出来事をゆっくり意識に刷り込むように、反芻してみる。窓から臨む三日月は星空の中、僕のなんともいえず微妙なこの気持ちを知りもせず、気持ちよさそうにふわふわ浮かんでいる。

 その淡い灯りは世界を静かに照らしている。そのついでだと言わんばかりに、僕の身体も月の灯りは包み込んでいた―――




 僕は心地よくて程よく気が抜けた何気ない生活や、ゆったりした時間の流れのそんな漠然とした「平和」というのが其処に在るのなら、出来ればそれはずっと変わらないでいて欲しいと、物心ついた頃からそんな風に考えていた。

 だから僕は極力変に波風を立てずに、静かに過ごしてきた。しかしこの桜が舞う小春日和のこの日、変わる事の無いものなど生きている限り存在しないのだ、ということを僕は痛烈に思い知ることになってしまった。思い知らされてしまった。


 僕の名前は御巫凪(みかなぎなぎ)という少し、というか結構変わった名前だけれど、多分どこにでもいるようなとても普通で、平凡な高校二年生。とある本屋でバイトをやっているくらいで、部活もやっていないし、成績も中の中くらい。クラスの中でも、特別浮いている訳でもなければ目立っている訳でも多分ない。そう、やはり僕は至って普通。

 そして今日も、いつも通りに日が暮れていく。何かが起こる訳でもない学校でのゆるい時間を過ごして、放課後のバイトも本の新刊の整理や品出し等いつも通りなんとなく終わって……あぁ、そういえば帰り道で数匹の見慣れない猫が道端に集まっていたとか、蜘蛛の巣に引っかかった二匹の蝶とか、妙に生き物に出会う日だったなーなんてのは、あんまり関係ない事だろうか。

 その蝶は綺麗なアゲハ蝶で、蜘蛛にとっては折角の獲物なのに悪いと思ったけれど、可哀想だしアゲハ蝶を逃がしてあげた。今思えば少し大きくて、その姿形も見たことの無い珍しいアゲハ蝶だったと記憶している。

 まぁそんな風につつがなく一日が平凡に終わっていき、今日の出来事を考えながら部屋で珈琲を口に含みながら、ゆっくりくつろいでいる。


 そして不意に視線を机に移した時。

 さりげなく、わざとらしさが滲み出てる怪しさで、一枚の封筒のような物が届いている事に気付いた。

 因みにこの部屋への出入り口は、窓を差し引いても玄関だけだ。一人暮らしの安アパートで、その玄関には勿論しっかりと施錠をしていたのに、一体どうやって? と些か疑問に思った。

 拭えない疑問と疑念を感じつつも机の上の封筒らしき紙をもう一度よく見てみる。よくみるとそれは手紙で、様々な種類の綺麗な宝石の装飾が施されているのか、とても色鮮やかで丈夫な包み紙だった。

 しかしその豪華さが逆に胡散臭いというか正直、怪しかった。

 手紙を何度も確認してみた。何回見てもどうしてか宛名には「御巫凪様」と達筆で書かれている。不思議に思いながら恐る恐る開封して読んでみると、その手紙には日本語でこう書かれていた。



「御巫凪様。

 まず、いきなりの御手紙お許し頂けたら幸いです。

 この度、御巫様の適正が正式に認められましたので、キスハート魔術学園への入学の手筈が整いましたことを、僭越ながら手紙にて報告致します。暫くは日本から離れる事になります故、親族や友人への挨拶を済ませてくださるよう何卒御願い致します。

 では必要な物をまとめて今日の、日が変わる頃にこの手紙を持ったまま窓の近くで待機していて下さるよう、御願い致します」



「えっ…………?」

 つい変な声が出てしまった。いやこんなの誰だって変な声くらい出るであろう、あまりに現実離れした内容に僕はうろたえてしまう。そしてふらついた結果、足元にあったゴミ箱にはぶつかるし、バランスを崩した体を支えようと机に手を掛ければ、置いていた珈琲をこぼしてしまうし。

 その惨状を横目に痛む頭を抱えながら、これは手の凝った新手の悪戯なのかなと思った所で、頭の片隅に引っかかっている微かな記憶の断片を思い出した。

「……いや、ちょっとまてよ? キスハートってどっかで聞いた事あるな。それに魔術云々って確かどっかのサイトで……」

 机にこぼしてしまった珈琲を近くにあったタオルでざっと拭き、既に電源の入っているパソコンを操作する。窓から差し込む空を焼き付ける焦げた様な赤色が部屋を彩っていく中、パソコンの音と僕の荒くなった息の音だけが、静寂の部屋の中で奇妙に唸っていた。

 薄らと覚えていたのは、とある掲示板で見つけたスレッドとその書き込みだった。部屋に居るときは割とパソコンで何かしていることが多いのだけれど、この掲示板は本当に偶々暇だった夜に、ネットサーフィンしていた先に辿り着いた、なんの変哲もない普通の掲示板だった。

 カチッとマウスのクリック音が部屋に響く。直ぐに臙脂色で幾何学模様した、見るものを深層心理的に不快にさせる独特の背景が現れ、その中の掲示板のページには様々なスレッドが乱雑している。

「えーっと、どこだったけな。もしかしたら消えちゃったかも。過去ログ…………あ、これかな」

 焦る気持ちを落ち着かせながら開いたスレッドを下にスクロールしていくとそこには、数名のユーザーによって何かのアニメや小説のような内容について書かれていた。その内容を要約するとこうだ。


・キスハートという幻の学園が、世界のどこかに実在するらしい。

・其処では魔術のようなものを自在に使うことが出来るようになるらしい。

・入学方法や場所等詳細の一切は謎に包まれているらしい。

・魔のトライアングルや、各国で起こる謎の現象や失踪等はその学園が絡んでるらしい。

 という内容がやり取りされていた。

 大方この四つのテーマを広げた会話のようで、書き込みしているユーザーは何でもいいから、ゲームとかアニメみたいな魔法を使ってみたいよねって話と、学園の場所や考察についての議論で盛り上がっていた。ただ、この怪しすぎるやり取りはもう、傍からみたら厨ニ病としか見えないようなあまりに現実から乖離したもので、実際初めてこのスレッドを見た時は、あまりの内容に僕も嘲笑してしまったことを思い出した。

 そこで、手元にある沢山の宝石が散りばめられた豪華な装飾の手紙を改めて見てみる。入学の手筈が整ったという文には、こっちの都合なんて一個も考えてない乱暴な内容。これには相当な疑念を覚えるけれど、心なしか心が踊り始めている自分がいた。

 平和な日常から逸脱した環境の中に、身を投じる様なことになるのを余り好んでこなかったというのに、今ではアニメや漫画の主人公になったような気分が、どこかで僕の心を高揚させる。

 豪華な装飾の手紙をもったまま、手をだらんと下ろす。その腕の衝撃にわずかだけれど肩に痛みを感じつつ、鮮やかな朱色に焼けた見慣れた空にゆっくりと視線を移す。窓から見える綺麗な景色を眺めながら、静かに心の中に浮かんだ想い。

「もし、もしそんな所が在るのなら……本当に在るのなら、僕は変わる事が出来るだろうか」

 嘘か真か、怪しい噂話をなんとなく確かめてみようかな位の、軽い肝試しみたいな気持ちで夕暮れの部屋の中、手紙の指示通りに準備をしてみる事にしたのだった。


 いざ荷造りをしてみると、絶対に必要な物って意外と少ないことに気付く。少ないというか、何を持っていけばいいかよく解らないというのが本音だった。

 通帳なんて明らかに使えない気がするし、そもそも通貨も解らない。携帯電話の充電の為に必要な電気だって通っているか解らないし、そこに電波があるかさえ解らない。というか実際にその学園があったなら其処は一体何処なのだろうか。

 僕は生まれつき頭痛持ちだから、頭痛薬とかそんな感じの薬が向こうで売ってると助かるんだけれど。いや、病気も魔術で治してしまうのだろうか。

「ま、とりあえずこんなもん……なのかな」

 机の上には、メガネと携帯電話。それと財布に、昔とある出来事があってその時に友人から貰った、黒のゴム製のブレスレットだけが上がっている。自分でも少なすぎるかなと思ったのだけれど、こういった所謂遠出するのは初めてのことなので、結局何を用意したらいいのか全く検討がつかなかったのだ。

「って……案外疑いながらも、真面目に考えてちゃんと準備してるんだな。……何してんだろう僕は」

 用意した荷物とも呼べないような私物を眺めると、ふっと含み笑いをこぼしてしまった。これでは近所のコンビニに行く程度の軽装だ。どこか遠くに行く人間の荷物ではない。

 依然として手紙の内容に対する疑念は晴れないけれど、刻々と時計の針が十二時に近づくのを心待ちにしているのが、自分でも解るくらいにそわそわしていた。



 僕には親が、居ない。厳密に言うと幼い頃に亡くなってしまったらしい。らしい、というのは僕にはその記憶が全く無いのだ。まだ乳飲み子位の時に両親は亡くなってしまったらしく、親の親戚に引き取られたのだけれど、その親戚の話によるとお参りしている寺のお墓には、両親の遺骨が入っていないそうなのだ。

 それが何故なのか、僕は今までそういう両親の写真や死因などの情報を、あんまり聞かされずに育った。いや、育っている。

 引き取ってくれた夫婦は決して悪い人達ではないけれど、お世辞にも良い人とは言えない方達だった。幼い頃からの思い出したくもない様々な仕打ちの記憶は、日を重ねるごとに僕の心を遠慮なく濁していく。義理の両親と同じ空間に居るのがたまらなく苦痛になり、高校入学をきっかけに安アパートで一人暮らしを始めたのだった。

 それこそ心から平和を求めて。

 もし仮にあの手紙が本物で、このまま何も言わずにここから居なくなってしまったら、あの夫婦も少しは僕の事を気にかけて心配してくれるのだろうか。複雑な想いを密かに馳せつつ、一応今回の事の詳細を書いた簡単な手紙を机の上に置いた。


 もしこの話が嘘で、手紙に書かれたような事がなかったらその時は、今用意した手紙は恥ずかしいから即刻燃やしてしまおう。そんな事を思いながら、数少ない友人に簡単なメールを送ったりしていたらいつの間にか、時間は十二時近くになっている。

「えーっと……この手紙をもったまま窓際に……だったかな、確か」

 用意した携帯と財布を、ジーンズのポケットにねじ込む。黒のゴム製のブレスレットは既に左手首に装着済みだ。着ていく服装は迷った挙句に簡単な服にした。なんでもない普通のジーンズに、アイボリー色のTシャツ。その上にカーディガンを羽織っただけだ。メガネケースはカーディガンのポケットに入れてある。

 いざ準備が整って、窓際に寄って壁に身体を預けていると、なんとなく部屋の電気を消してみたくなった。

 ふっ、と灯りを失った部屋の窓から臨む夜空は、無数に瞬く星で明るい。星が世界に向かって雨のように零れ落ちてしまうような絶景に、言葉を失ってしまう。そしてその中で、圧倒的存在感を放つ三日月は夜空を淡く優しく彩って浮かんでいた。

「うわ……綺麗だな」

 そう呟いた刹那、綺麗に装飾された例の手紙が蛍のように淡く発光し始め、驚いて思わず手を離してしまった。落としてしまった手紙は、ひらひらと重力に逆らうことも無く床へと落下していく。

 手紙の異変を目の前にして呆気にとられていると、床に落ちる寸前のところで今度は少し浮かんだまま静止している。

 この世界の物理法則を無視していた。その詳しい原理や理屈は全く解らないけれど決して嘘ではない、確かに浮いている。

 手紙は紛れも無く浮かんでしまっていた。ニュートンがこの光景を見たら驚きで林檎をぶん投げてしまうだろう。

「うわ……じゃあもしかして、この手紙は……本物ってこと? ……こんなの冗談でしょ、ありえないって」

 今立っているこの場所は自分の部屋なのに、自分の部屋じゃないような感覚に包まれていく。目の前の非現実的な現象から、目を離す事など出来なかった。

 そこですっかり忘れていた時計を見ると、丁度十二時へと針が動いたところだった。そのアナログな時計が示す運命の数字を見つめていると、浮かびつつ発光する手紙が激しく振動しだした。

 振動しながら手紙は窓に向かって勢いよく飛んでいき、びたっとガラスに張り付いてしまった。一体どうしたのかとその手紙を見つめていると、窓から見える三日月が先程見た時よりも近くて大きく見えている事に気付く。窓際で見たときにはそんな事、微塵にも感じなかったのに、だ。

「まさかこの大きい三日月も、もしかしてこの変な手紙の影響を受けているっていうのか……? いや待て、ちょっと何がなんだかわからない状況だな……一旦落ち着こう」


 夜空に浮かぶ三日月から放たれる月光が、窓に張り付いた手紙を余すことなく照らしつける。

 手紙から漏れる仄かな光が床に幾何学模様の、魔方陣のようなものを描いていく。薄い光の線はゆっくりと僕の部屋の床を埋め尽くしていき、数分と経たない内に部屋の床は、色とりどりの鮮やかな色と模様で彩られていた。

 いつの間にか僕はその魔方陣の中心へと移動していた。いや、無意識に移動させられていた。

 そのよく解らない力に満ちた光の中では、思考もどんどん鈍っていく。言葉や文字では説明出来ないその光の温かさに身をゆだねながら僕は、目を靜かに瞑り深く深く考えていた。


 僕は本当につまらない人間で、これといった長所もない。成績だって決して良い訳ではないし、人当たりが良い訳でもない。だから、こんなんだから身寄りのない僕を引き取ってくれた義理の両親も、可愛げの無い僕をちゃんと見てくれなかったのかもしれない。

 僕だけの思いを心の中で身勝手に膨らませて。

「……」

 これから向かう先は一体どんな所なのだろうか。

 僕はその場所にちゃんと馴染めるのだろうか。

 拒否されないだろうか。

 僕は変われるだろうか。

 そんな諦めかけていた様々な想いが一気に溢れて、止まらなかった。

 ゆっくりと瞼を開ける。目の前の、先程から変わりのない異常で現実ばなれした幻想的な状況は、何故か僕の心を少し安堵させる。



 だから、だから。



「しばらく、さよなら」

 そう呟くと、再びゆっくりと瞼を閉じる。朦朧としていた意識はもう既に遠く、深く沈んでしまっていた。

 身体がどんどん淡い光に包まれていくのが、瞼を閉じたままでも解る。きっと次に目を開けた時には、見たことの無いような壮大な景色が広がってるのだろうと思う。そして僕はそこで考える事を放棄して、ふわふわする魔術とやらの力の流れのままに流される事にしたのだった―――






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