其ノ玖
真矢は白俐に支えながら、ねむの前に俯いたまま立っていた。
部屋の外に出ることも、家族に愛されることもなく、たった六年しか生きることができなかった少女……それがねむなのだ。
「ねむさん……」
白俐が目線を合わせるように膝をつき、ねむの手を取って優しく声をかける。
「あなたは、ずっと一人で頑張ってきたんですね。怖かったですよね、寂しかったですよね」
ねむは顔を上げると、瞳から涙が零れ落ちた。
「だれも、ねむのことを見てくれなかったの……だから、きづいてほしかったの……」
声はか細く、震えていた。
「その気持ちが、椿さんを苦しめたんだ」
ねむは、そっと唇を噛んだ。
「でも、僕らが君の存在に気づいた。もう、この場所に縛られる必要はないよ」
「出ていって、いいの……?」
「そうさ。もうこの場所に居続ける必要はないんだ」
真矢は刀を床に置き、そっとねむの頭を撫でた。
「君はこの世に存在していたことは、変わらない事実だ」
白俐がそっと手を差し伸べる。
「きっとあなたのことを天国で、待ってくれている人がいますから」
ねむの瞳が、初めて微かな光が宿った。
「ねむのこと、わすれない?」
「忘れないよ」「忘れません」
真矢と白俐が同時に頷いた。
その瞬間、ねむの体が淡い光に包まれ、髪が風に揺れるように舞い上がる。
髪も寝間着も透明になっていき、やがて空気に溶け込むように消えていった。
「……ありがとう。おにいちゃん、おねえちゃん」
最後に残したその声が消えた後、部屋に残ったのはほんのわずかな春のような温もりだった。
真矢は刀を鞘に収め、白俐と共に目を閉じて胸の前で手を合わせる。
「ようやく……眠りにつけたようですね」
「そうだね」
二人は目を開けると、足元に淡い桃色のブローチが落ちていることに気づいた。
白俐がそっと拾い上げる。
そのブローチはほんのりと温かく、まるでねむの想いが宿っているかのようだった。
「……これは、ねむさんが残したものでしょうか?」
白俐が呟く。
「きっとそうだろうね」
白俐は胸の前でそれを抱きしめるようにして、目を伏せた。
「ねむさんは……最後まで、忘れられたくなかったんですね」
そのとき、ベッドに横たわっていた椿が小さく呻き声を漏らした。
「……ん…」
やがて閉じられていた瞳がゆっくりと開かれる。
二人は側に駆け寄り、白俐が声をかける。
「椿さん!」
「あれ……?どうして真矢さんと白俐が……?」
まだ意識は朦朧としているが、椿の瞳には確かな生気が戻っていた。
「晴海さんに椿さんを助けてほしいと依頼をされててね。けど、もう心配いらないよ」
真矢は優しく声をかける。
椿が無事であることを確認すると、白俐は 「晴海さんに知らせてきます」と言って部屋を出た。
晴海は椿の母親と共に近くの部屋で待っていた。
「終わったの……ですか?」
晴海が立ち上がって、険しい表情のまま問いかける。
「はい。無事、椿さんに取り憑いていた霊を成仏させることができ、椿さんが目を覚ましました」
「……本当ですか!?」
晴海も椿の母も、表情が一気に陽が差したかのように明るくなった。
三人は急いで椿の部屋へ向かった。
部屋に入ると、椿は真矢と何か話していたようだが、すぐに母と晴海の姿に気づく。
「お母さま……晴海さん……」
母は駆けよるなり椿を強く抱きしめ、涙をこぼした。
「椿……!よかった、本当によかったわ……!」
「ごめんなさい、お母さま……心配をかけてしまって……」
晴海も目を潤ませながら、真矢と白俐へ深く頭を下げる。
「お二人のおかげです。本当に……本当にありがとうございました」
続けて椿の母も姿勢を正し、涙を拭いながら丁寧に礼を尽くす。
「娘を救ってくださり、心より感謝申し上げます。言葉では到底尽くせません」
白俐は少し戸惑ったように瞬きをしてから、そっと微笑んだ。
「私達はいつもお世話になっていますから」
椿も二人の方へ向き直り、真っ直ぐに感謝を伝える。
「真矢さん、白俐、本当にありがとう」
晴海は懐から封筒を取り出し、それを真矢に差し出した。
「これは本来のお約束です。どうかお受け取りください」
「ありがとうございます。……椿さんが元気になったら、また喫茶店に遊びに来てください」
「必ずお伺いします」
真矢と白俐は深々と一礼し、屋敷を後にした。




