其ノ肆
「それでは、お話を伺いましょう」
晴海はそっとティーカップをソーサーに戻し、一息吐いた後に語り始めた。
「お嬢様ご一家と私は、先月、神楽坂の屋敷に引っ越しました。最初の一週間ほどは何事もなかったのですが……それを過ぎた頃から、お嬢様が急に高熱を出されまして」
「高熱、ですか?」
白俐が問い返す。
「はい。三日、四日と経っても熱は下がらず、お医者様にも診ていただきました。けれど、どんな検査をしても原因が見つからず……」
春海は指先をティーカップの縁をなぞるように動かす。
「毎晩のようにうなされていて、『置いていかないで』『行かないで』と。まるで誰かにすがるようなお声で。別人のようでした」
「別人……?」
真矢が眉をひそめる。
「はい。最初は疲れや環境の変化によるものかと思っていましたが、日に日に様子が変わっていまして……もしかすると、霊か何かに取り憑かれているのではないかと、思い至ったのです」
晴海の声には、責任感と不安が滲んでいた。
真矢は目を伏せ、少し考える素振りをした後、静かに頷いた。
「分かりました。お引き受けいたします」
「ありがとうございます……!」
春海の目が見開かれ、顔がパッと明るくなる。
白俐は立ち上がり、執務机の引き出しから何か書かれている紙を取り出す。
その紙を真矢に手渡すと、真矢はローテーブルに置いた。
「こちらの紙で依頼の費用について説明します」
紙には依頼の費用が一覧になっている。
「ご相談に関しては紅茶代で構いません。調査の基本料金は十圓、もし退治が必要な場合は三十圓程度。それに加え、護符や特殊な道具を使用する際には、別途費用が発生する可能性があります。それでもよろしいですか?」
「はい、構いません。お嬢様が助かるのであれば」
「ありがとうございます。それでは、少しだけお時間をください。支度を整え次第、すぐに向かいましょう」
真矢が席を立つと、白俐も静かに後に続いた。
二人は応接間を出て廊下を進み、右手にある一枚の木扉の前で足を止める。
真矢がポケットから鍵を取り出し、そっと錠を開けた。
扉を開けると上階へと続く階段が伸びており、二人はその階段を上っていった。
階段を上がった先は、彼らの住居スペースだった。
それぞれの自室に入り、身支度を始める。
真矢はベストを脱ぎ、クローゼットの奥から漆黒の外套を取り出す。
白いシャツの上にそれを羽織り、袴風に仕立てられた黒のパンツに脚を通す。
黒革のブーツを履き、最後に銀鎖の懐中時計を胸元のポケットに収めると、その姿はすでに喫茶店の店主ではなかった。
一方、白俐も静かに身支度を整えていた。
灰色のワンピースを脱ぎ、代わりに袖を通したのは、白無垢を思わせる小袖。布地には銀糸で繊細な刺繍が施されている。
淡い銀色の帯を結び、足元には白革のブーツ。そして、最後に髪を整え、白百合を模した簪をそっと差し込んだ。
真矢が静かに部屋を出ると、ほどなくして隣の部屋から白俐が現れる。
視線が合うと二人は頷き合い、階段を下りていった。
応接間の戻ると、晴海は変わらずソファに腰かけ、膝の上で静かに手を組んでいた。
真矢は部屋の左手、執務机の左にある洋風のキャビネットへと向かう。白俐もその後に続き、右隣に立った。
真矢は鍵を取り出し、硝子扉の錠を外す。
扉をそっと開けると、棚の上段に置かれた縦長の木箱を手に取る。そして、蓋を結ぶ細い紐を解いて蓋を開ける。
中には護符の束が収められていた。
そのうち数十枚取り出し、真矢は右隣に立つ白俐に目を向ける。
「白俐も持っていくかい?」
「はい、ありがとうございます」
白俐は静かに頷くと、真矢から渡された護符を受け取り、自身の小袖の内側に仕舞った。
真矢もまた、残る護符を懐に仕舞い込む。
白俐はキャビネットに立てかけられた刀袋を二つ取り、うち一つを真矢に手渡した。
真矢の刀袋は藤色、白俐の刀袋は白で、それぞれ真矢の妖刀と白俐の薙刀が納められている。
刀を刀袋に入れているのは、中身が外から見えないようにするためだ。
万が一、巡回中の警官に見られても咎められないように配慮している。
「ありがとう、白俐」
真矢は礼を言い、自身の刀袋を受け取ると、右肩に担ぐようにして持った。
「お待たせしました。準備は整いましたので、お屋敷に向かいましょう」
真矢がそう言うと、晴海はすっと立ち上がった。
懐から小さな革の財布を取り出し、紙幣を一枚、丁寧に真矢へ差し出す。
「こちら、相談料として。紅茶代分には少し多いかもしれませんが……」
「ありがとうございます。確かに、お預かりします」
真矢は受け取った紙幣を折り畳み、背広の内ポケットに仕舞う。
そして、店内の照明を落とし、晴海と共に出入り口に向かう
白俐も扉の鍵を持った後、出入り口へ向かう。
二人が外に出ると白俐が扉を閉め、鍵を静かに回す。
カチャリ、と金属の音が路地に小さく響いた。




