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薄雪草を抱く  作者: 紀野光
伊邪那美命

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伊邪那美命6

「私、菊理媛神ってやつになる」


 誰もいない薄汚れた給湯室で隅に片付けてあった丸椅子二脚を用意して、座ってからすぐに春香はそう言った。


「それは君の意志じゃない。少し落ち着こう。君は今冷静じゃない」


 天之御中主神はカヤには君をあの部屋から連れ出すようにって言ったんだけどなあと頭を掻いてからこれだけは決まっていると宣言した。


「僕は君を巻き込むつもりはない」


 春香の反応を待たずに続ける。


「もう人間を使い捨てたりしないって皆で決めたんだ。


 とりあえずの手段として君には綿津見神のところに行ってもらう。綿津見神、知ってるよね。


 高天原はもうどこも安全じゃないから。じゃあ現世なら大丈夫なのかって言われたらそんなことないんだけど。


 君の身に起こったことは聞けば危険だけどここよりはましで、綿津見神が傍にいれば君の部屋よりは安心できる。それに少名毘古那神も住み着いてるらしいから」


「でも私が」


 行けばと口答えはするが自信が無くて声がどんどん小さくなる。そんな春香を天之御中主神は逃がさない。


「黄泉の国に行くと帰ってこられないかもしれない。要は死ぬってことだ。実際危ないところだった。君は黄泉の国に引きずり込まれていた。それなのに今ここにいる。だからこそ君は生きていなくちゃいけない」


 ほら立ってと声を掛けるが春香は言うことを聞かない。その様子にしびれを切らす。


「ハッキリ言おう。天照の決死の救助が水の泡になる」


 給湯室の外では看護係が慌ただしく動く足音が聞こえる。給湯室に舞う埃がチラチラ見える。


「君を引き上げた温かい手っていうのは天照だ。


 君が襲われてた同じ時間、高天原も黄泉の国から攻撃を受けてた。


 あの子程の力があれば今回のことでも自分で自分の身を守れてた。そもそも僕とかカヤもそうだけど、自衛できる神は力の弱い神たちをここまで避難させてたんだ。もちろん天照も。


 それなのに天照が突然消えたんだ。だから行方不明ってことにしてたんだけど。きっと君が危ないってことに気づいた」


 温かい手。ああそうか、あの時か。思い出す。


 稲荷と呼ばれていた女にからかわれているときに庇ってくれて、天照大御神に手を引かれて公園に連れていかれた。その時に繋いでくれた手。暖かかった。


「天照が君に初めて会った日、喜んでたんだ。初めて人間の友だちができたって」


 だからあの子の思いを汲んであげてほしい。


 春香は愕然として開いた口が塞がらなかった。そして自分に失望した。さっき、調子が悪い状態なのにお見舞いに来てくれないからと勝手にそんなものだと決めつけてガッカリしていた自分に。


 初めてできた友だち。それは私にとっても同じ。初めてできた、本当の友だち。


「私、菊理媛神になる」


「だから——」


「違う。これは私の意志」


 自分で決めた。


 誰に言われたからやるではない。誰に言われようとやめたりしない。


 誰でもない、私が私を決める。


 天之御中主神がなにかに驚くように反応した。そして沈黙して考えている様子だったがわかったと答えて立ち上がった。


「ああそうだ。神器、今持ってる?」


「持ってない」


「必要だから取ってきてほしい」


 天之御中主神は指一本で門を作り出した。


「君の部屋に直接繋げた」


 春香は門の前に立つ。


「僕は急いで神座の準備をする」


 だから高天原に戻ってくるときは自分で門を開けるように。


「くれぐれも黄泉の国には気をつけて。もう襲ってこないとは限らない」


 そういうと天之御中主神は春香の背中を押した。光を抜けると自分の部屋だった。襲われた現場だというのにいつもと同じ。


 春香は机の引き出しから神器を取り出す。隣にしまってあった太陽光電池の腕時計はずっと引き出しにしまってあったにもかかわらず秒針が時を刻む。十四時十六分四十秒。

 

 春香は部屋を出て、急いで階段を駆け降りる。

 

 突然、玄関のドアの鍵がガチャリと音を立てた。平日の昼に帰ってくる家族はいない。春香は身構える。ドアが開いた。

 

 お母さんだった。春香の名前を怒鳴りながら呼び、そして階段にいた春香と目が合った。


「学校も行かないでなにやってるのよ」


 オフィスカジュアルな格好をしたお母さんはパンプスを脱いで家に上がる。


「あんた、部屋着のままで、もう」


 お母さんは怒りと呆れを混在させる。


「担任の先生から電話があったのよ。いつまで経っても春香が学校に来ないって」


 だから半ドンで帰ってきたんだと言う。あんたのせいで会社に迷惑をかけたと言う。


「今すぐ学校に行きなさい」


 選択肢はないと言わんばかりにお母さんは命令する。


「…行かない」


「行きなさい!」


「行かない!」


 お母さんが次の発言をしようとするのを制して春香は続ける。


「お母さんは私がクラスでどんな扱いを受けてるか知ってるの? 悪口言われて無視されて仲間外れにされて。お母さんは私にわざわざ嫌がらせを受けに行けっていうの?」


 お母さんはそういうことならばそうと早く言いなさいという。


「じゃあお母さんも一緒に学校に行って先生に話を聞くから早く着替えなさい」


「うるさい!」


 春香は乱暴に口答えをする。


「あんた、これからずっと部屋に引きこもるつもりなの?」


「今は行かない。やっとできた友だち、これから助けに行くの! 邪魔しないで!」


 春香はお母さんを押しのけて玄関を飛び出した。待ちなさいと叫ぶ声を無視して春香は走った。お母さんも走って追いかけてきたようだったが追いつけなくて、その後も探し回ったが春香はどこにもいなかった。


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