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薄雪草を抱く  作者: 紀野光
伊邪那美命

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伊邪那美命3

 頭がぼんやりする。仰向けになって横になっているのはわかる。背中が痛い。どうやらベッドの上ではない。向こうでは大勢がバタバタと走っている。叫んでいる人もいれば、泣いている人もいる。騒がしい。


 傍で春香の名前を呼ぶ声がする。どうしてか今自分がいる場所は家ではないらしい。


 朦朧としていた意識が徐々にはっきりしてきた。誰か女の人が春香の頬を叩きながら何度も呼び掛けている。


 春香の視界が開く。鹿屋野比売神が春香の顔を覗いていた。鹿屋野比売神は春香と目が合うと心配と嬉しさが混合した複雑な表情をした。わかりますかという問いかけに春香は頷く。


「痛いところとか、苦しいところはありませんか?」


 その質問にも頷いて答える。春香は上体を起こした。しかし体が異常に重くて、更に激しい眩暈に襲われた。世界がグルグル回転する。その春香を鹿屋野比売神が支えてくれた。


「無理はなさらないでください」


 隣から呻き声が聞こえる。見ると男の人が横になっていた。脂汗をかきながら悪夢にうなされているかのように顔を歪ませている。畳の上で布団も枕もなしに寝かされている。


「大丈夫ですか」


 春香は声を掛けた。返事はなかった。見回してみると同じ症状の神たちが部屋中に並べ寝かされている。


「移動しましょうか」


 鹿屋野比売神が春香をお姫様抱っこする形で部屋を移動した。移動先は比較的軽症者が収容されていた。春香は襖にもたれて座る。


「ここは」


「あーちゃんさんのおうちです」


 理解できなかった。


「大鳥居の下で倒れていたんですよ」


 春香は首をかしげる。


「私たちもあの状況の中でどうして春香さんがあそこにいたのか不思議でたまらないんです」


 未だにはっきりしない頭に血を流そうとグッと目をつぶると吐き気がしてきた。


「お水をお持ちします」


 袴姿の鹿屋野比売神は口調とは似合わない俊敏さで離れていった。


 春香はぽつんと一人取り残された。そういえばと、春香がこのような状態なのに高天原の中で一番騒ぎそうな天照大御神の姿が見当たらない。


 さっきから部屋の中をあっちに行ったりこっちに行ったりとうろうろしている神に「あの」と声を掛けて天照はいないのかと聞いてみる。口に出してから後悔した。そんなものだよなと。


 小学校に入学しても中学校に進学しても親友はおろか、通年の友情すら築けなかった。初めは自分の性格が悪いからだと思った。だから相手を思いやる言動を心掛けた。でもうまくいかなかった。


 ある程度話すようになった人から最初は怖い人かと思ったと言われた。だから明るく振る舞って、いつも笑顔でいるようにした。それでもうまくいかなかった。


 心の中で反省会をしてみるとつまらない奴だからだという結論に至った。だから相手を楽しませるおしゃべりができるように頑張った。結局うまくいかなかった。


 そして今年も、友だちは去っていった。


 私は友だちというものに期待しすぎているのかもしれない。それに今まで、春香は天照大御神に色々としてもらうだけでなにも返していない。


「天照大御神ならば行方不明と処理されています」


 無表情でそれだけ伝えると去っていった。


 随分人間嫌いな神様だ。春香とはおしゃべりをしたくないらしい。その態度があまりにもあからさまだからか、それとも体調が悪いからかはわからないが、そんな塩対応をされてもショックを受けなかったことに自分は成長したと春香は思った。


 別に恨めしいわけではなかったがその神のことをボーっと目で追った。背は高いが体が細いせいでヒョロヒョロに見える。短いおかっぱ頭で綺麗な顔立ちをしていたが声は低かった。


 まとめられた分厚い紙の束にしきりにメモを取っている。立ち止まってはメモを取り、声を掛けて顔を上げさせてはメモを取り、じっと考え込んではメモを取り、挙句の果てには歩きながらもメモを取っていた。そんなメモ魔なおかっぱ頭は座り込んでいる神に話しかけられた。


「なあ、神水を持ってきてくれ」


「……」


「おい」


「……」


「聞いてんのか!」


「見てわかりませんか? 私は看護を担当していません。それに、己の仕事を放棄してまであなたに水を用意するほど暇ではありません」


 おかっぱ頭は書き込みながら、相手の目どころか顔さえも見ずに淡々と回答する。


「お前っ!」


 頼みごとをした方は立ち上がろうとしたが力が入らずコケてしまった。そして頭痛がひどいのか頭を抱える。


 それでもおかっぱ頭は意にも介さず仕事を続ける。


 その様子を見ていた春香は、答えてもらえただけでもありがたいと思うことにした。体に鞭を打って立ち上がって、近くにうずくまっている神に話しかけた。


「天照がどこにいるか知りませんか」


 声を掛けられた神は顔を上げて春香を見た。春香を視認すると異形の怪物を目の前にしたかのような表情になった。


「こっちに来るな!」


「えっと」


「黄泉の気が——!」


 そのヒステリーが周りの神たちにも伝播した。部屋は阿鼻叫喚になる。明るい和室が地獄に変貌した。


 看護担当たちが何事かと部屋に飛び入ってくる。怖くなった春香は、泥棒の様に息を殺して逃げるようにその部屋から離れた。


 しかし廊下も多くの神たちが行き交い、春香は明らかに邪魔だった。だから邪魔にならない場所を探したが、どの部屋も怪我人、病人が押し込まれていた。

 

 体がすごく怠い。頭が回らない。それなのに腰を下ろせる場所が見つからず、フラフラしていたら外に出た。


 だけれど外も状況は同じで、屋内よりは容態は軽くみえるが敷地一面に神たちが座り込んでいた。春香は避けて歩く。


 家に帰ろう。春香はポケットに手を突っ込んで漁ったが、門を開くためのいつもの神器を持っていないことを思い出した。


 後方から「お待ちください」と呼び止める声が聞こえた。振り向くと鹿屋野比売神が水差し、コップ、草履を抱えて走って追いかけてきていた。鹿屋野比売神の袴に水差しからこぼれた水が染みている。


 やっと見つけました。そう言う鹿屋野比売神は息切れをしている。


「探しました」


 鹿屋野比売神は持っていた草履を地面に置いて春香に履いてくださいと促す。春香はそこで自分が靴下で出てきてしまったことに気づいた。


「あー」


 考える前に一言発して履いた。履いて少ししてから思い出してお礼を言った。


 鹿屋野比売神は、足は怪我していませんかと心配しながらコップに水を注いで渡してくれた。口に含んで喉に流すとスーッと体が楽になっていくのがわかった。


「戻りましょう」


「でも私のせいで騒ぎになっちゃって」


「春香さんのせいではありません。ですから気にしなくて大丈夫です」


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