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薄雪草を抱く  作者: 紀野光
伊邪那美命

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31/48

伊邪那美命1

 おばあちゃんが死んだ。今はおばあちゃんの家で遺品整理中。三十坪ほどの土地にギュウギュウに建てられた二階建ての安普請。


 おじいちゃんはずっと前に死んでいるから、この家に住む人はもういない。おばあちゃんに叱られた、褒められた。そんな思い出が詰まった一軒家は売りに出されるという。


 共働きだった両親の代わりに春香たちの面倒を見てくれたおばあちゃんは、物語に出てくる優しいおばあちゃん像とはかけ離れていて、厳しいから嫌いだった。だけど、もうこの世にいないと実感すると寂しい気持ちになる。

 

 おばあちゃんが死んで、そしていつかはお父さんとお母さんが死んで、次は私の番。当たり前に回ってくる悲しみ、恐怖。

 

 永遠の命を持つ神様が羨ましい。初めて高天原を訪れた時、天之御中主神は言っていた。娯楽もない、進歩がない、なにもない、なにも変わらないこの世界は人間にとってつまらないものになった。


 それはたしかにつまらないかもしれないけれど、なにも変わらないのはすごくいいことなのではないのか。すごく幸せなことなのではないのか。そう考えながらも天之御中主神のあの池での表情が忘れられない。

 

 お母さんが春香たちに声をかける。


「おばあちゃんの若い頃の写真が出てきたわよ」


 お母さんと子ども二人で顔を寄せ合って黄ばんだアルバムをめくる。画素数は低い。ページをめくる。子どもの頃のおばあちゃん。学生の頃のおばあちゃん。面影がある。結婚式の時のおばあちゃん。赤ちゃんだったお母さんを抱っこするおばあちゃん。同窓会に参加して楽しそうなおばあちゃん。春香の生まれる前の出来事を記録している。新鮮でおもしろい。


「ちょっと待って」


 春香は次に進もうとするお母さんを止めた。同窓会の写真。よく見たら知っている顔がある。おばあちゃんではない別の人。おばあちゃんの隣で笑っているこの人。春香は知っている。この姿のまま。彼女はまだ生きている。死んでいるけど生きている。


 祥子さん。


 固まった春香に次のページに進んでいいかと聞いてきたお母さんが、声を上げて「この人覚えている」と指をさした。


「たしか…、そう、市村さんだわ。私が小学生くらいの時まで、市村さんの家族と一緒に何度も出かけたのよ」


 お母さんは自身の山積みになった記憶の中から埋もれた一つを探し出す。そして一枚の写真を示す。それには幼い女の子二人一緒に遊んでいる。


「何ちゃんだっけ。そうだ、洋子ちゃんだ」


 その後にも花見、バーベキュー。様々な催しの一コマが一枚一枚丁寧にアルバムのポケットに入れられていた。お母さんは途中のページを飛ばし飛ばししながら、あー、行った行ったと思い出しては見せてくる。


「おばあちゃんと市村さんが高校生の時に親友で、それで私と同い年の女の子がいたっていうのもあって、家族ぐるみで仲良くしていたのよ」


 一冊目が終わって二冊目に突入しても二家の交流は続く。小さいお母さんと女の子が真ん中で手を繋いで、その両脇に若かったおばあちゃんとおじいちゃん、祥子さんとその旦那さんの笑顔の幸せな瞬間を写した一枚。だが、交流の写真がぱたりと無くなる。


「もう無いの?」


 夏樹が聞く。その質問に無いとお母さんは言う。なんで、どうして、と好奇心を発揮する夏樹に覚えていないとお母さんは答える。


「小学校に入学してからもたまに出かけてたけど、どうしてか疎遠になっちゃったの。今はなにしてるのかしら」


 向こうで手伝ってくれとお父さんが呼ぶ。もう疲れたと駄々をこねる夏樹の尻をお母さんが叩いて仕事をさせる。


 捨てられるものはゴミ袋に詰めて、使えるものは売るか持って帰ることになった。その他諸々については不動産屋と話し合うらしい。


 お父さんは春香と夏樹が落書きした居間のドアを見て、消せるかどうか雑巾で擦ってみる。その落書きは春香も強烈に記憶に残っている。


 いたずら実行中の姉弟を発見した、まさに怒髪天を衝くおばあちゃんに二人の孫は反省をする余裕もなく、ただ泣くしかなかった。

 

 春香はお母さんに自分が生まれ育った家を売って悲しくないのかと聞く。


「まあ、寂しいとは思うけど仕方ないかーって。生きてれば失うこともあるから」


 お母さんはお母さんが小学校の時に描いた絵などをゴミとしてまとめながら答えた。


 日が暮れて、家に帰るよと声を掛けられた春香は落書きまみれの居間のドアを思い出にとスマホで写真を撮った。


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