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薄雪草を抱く  作者: 紀野光
七福神

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七福神9

 金魚を取りに行こうと言われて、恵比寿の釣り堀に戻って金魚を受け取った後、天之御中主神の家の裏にある池に放しに行くことになった。


 オレンジ色の太陽が左に沈んでいこうとしている。今日は楽しかったか、美味しかったか。


 そんな他愛のない会話をしながら賑やかで騒がしいお祭りを背にして階段を登って、石畳を進んで、家の裏手に回った。


 小さい子どもが一人暮らしするには大きすぎる神社は街からかけ離れているせいで静かさが行き過ぎていた。不安になってくるほど。


 裏手には小さくはないが大きくもない池があった。丁寧に手入れされている池で水は透明で底がはっきり見える。


 どうぞと促されて、生き物どころか、塵さえも浮いていない池に小さな金魚を放つ。春香の金魚は体の大きさを比べたらもったいない新しい住処にご満悦のように見えた。


「色々驚いたでしょ」


 天之御中主神が立ち話を始める。


「人を見下してくる神も一定数いるから、なにか言われても気にしないで。あまりに酷いようだったら僕に言って。もししつこいようだったら僕の名前を出していい」


「そんなに偉い神様だったの?」


 過去に天照大御神からそういうことはないと聞いていたが、わざとからかうように聞いてみる。


「いや、僕たちには人みたいに年齢でとか性別でとか、上下関係は無い。それに僕は男でも女でもないし。ただ高天原の神の一部は僕が創ったから、とりあえず話は聞いてくれる神が多いってだけ」


「ふーん」


「……、数か月前から黄泉の国からの高天原への干渉が激しくなった」


 天之御中主神の口調が重くなった。


 春香にはなんのことだかわからない。


 葉々が風で揺らされて音を立てる。一つ一つの音は小さいものの、それに三百六十度囲まれると逃げられない。


「五百年前、初代の伊邪那美が黄泉の国に堕ちた」

 

 いつも丁寧に一から教えてくれる天之御中主神が一人で勝手に話を進める。


「それも高天原のど真ん中で。伊邪那美命が黄泉津大神になった時、それと同時に高天原の神たちを喰らっていった。その喰われた神たちの次代たちがここ最近、黄泉の穢れに苦しんでいる。幻聴、幻覚、体の痺れに意識障害…。軽ければ耳鳴り程度で済むけど、場合によっては発狂状態になる」


 ……、耳鳴り…?


「それらの症状が顕著に出ているのは伊邪那美命を継いだ祥子さん。見たでしょ? 今日の様子を」


 天之御中主神は池を眺めながらも虚空を見つめる。


「神力が大きくて且つ人間の祥子さんなら穢れた伊邪那美命の席に吞まれないと思った。でも今の状況を見ると甘く見すぎていたと反省している」


 一度見に行った。黄泉の国への入り口。穏やかな高天原にぽっかりと開いた穴。背筋が凍るようなその不気味さは今でも鮮明に思い出せる。


 天之御中主神は思いつくことを考えるよりも先に口に出す。


「思い出せないくらいもの長い間存在して、僕たちは疲弊していた。


 日々を厭悪に思って、恒久な明日に倦怠する。倦怠しながらも伝統に固執するしか能がなくて、それが正しいと妄信していた。


 伝統が、伝統が。決り、慣例、仕来り、因習。呆れちゃうでしょ。


 伝統なんてもの、原初に立ち戻ればなんてことはない。ほんの些細な事柄だ。僕たちはその原初を知っているのにも関わらず、それに囚われて思案することを止めていた」


 水面にぽつんとあって木に囲まれた天之御中主神の家は周囲に障害物がないため、ありのままの強風が轟々として巨木を困らせる。


「自分の足で歩んでいると認識していたけど、それは勘違いだった。


 例えるなら僕たちは川下りをしているだけだったんだ。景色が動いているのをいいことに、自分たちはサボってなんかいないと思い込んでいた。確かに最初は船を造った。


 でも浮かべてからはただ乗船しているのみでそれで満足していた。増水しないから、座礁しないから。穏やかな川に甘えてなにも行動しなかった。


 でも安定していて心地よくても、川はだけど永遠には続かない」


「……」


「伊邪那美は思いやりがあった。優しかった」


 悲しげに懐古する。


「だからこそ、余計、一番に疲れていた」


 万年を生きた神が春香を見る。


「僕たちは、僕はそんな彼女を否定した。僕も疲れていたんだ」


 子どもが泣きそうな、なにかを求める面様で人間を見る。


「こんな僕をどう思う?」


「……」


「僕はどうすればよかった?」


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