七福神4
あの日から学校に行っていない。学校への欠席連絡は自分でしている。親には報告していない。一日中ベッドの上でゴロゴロしていたが、それが三日も続くと飽きてきた。だからと言って学校に行く気はない。
春香は今日もベッドに寝転がる。うつ伏せて無気力にスマホで動画サイトを漁る。メッセージアプリには誰からの連絡もない。
三日前から床に置きっぱなしのリュック、椅子に掛かったままの制服。鉛筆すら握っていない。
まだ十時。お腹は減らない。
春香はスマホを置いて仰向けになる。窓から空が見えた。天気は晴れ。理科で習ったばかりの巻雲が空の高さを教えてくれる。
突然インターホンが一階で鳴り響いた。そのピンポンの音は二階の部屋で引きこもっている春香にも聞こえた。春香は布団を頭までかぶった。出るつもりはない。面倒だからというのが一番の理由だが、ずっと家にいたという証拠を残すわけにはいかないし、人と関わりたくないという気持ちもあった。
一分ほど経ってもう一度インターホンが押された。春香ももう一度無視をする。
今度は三十秒ほどしてインターホンが押された。春香は布団から顔を出す。そのまま様子を見ようとしていたが鳴らす間隔はどんどん速くなり、ほぼ連打されているようになった。春香に恐怖が湧き上がる。
春香はベッドから起きて部屋から顔を出す。家中にピンポンが鳴り続ける。音をたてないようにおそるおそる階段を下りてリビングにあるモニターを確認した。
画面下部に見たことがある顔が映っていた。春香が通話ボタンを押して、はいと一言だけ発した。
「やーっと出てくれた。何回押してもうんともすんとも言わないから直接部屋にお邪魔しようかと思ってたところだったんだよ」
長袖長ズボンに衣替えした子どもはむくれてクレームを述べる。
「……」
「なに? どうしたの? 元気ないの?」
天之御中主神はカメラに顔を近づけた。
「あっ、もしかして怒ってる?」
「いや、別に」
「そう? まあいいや」
天之御中主神は踵を上げたようで、顔の位置が少し高くなった。
「今日は祥子さんの伝言を預かってきたんだ」
天之御中主神の顔に占領されたモニターを前に、春香は一度会っただけの女の人を思い出す。
「祥子さん、君とお喋りしたいんだって。元気にしてるかなぁって言ってた。もちろん無理強いはしない。たまたま会ったら挨拶する程度でいいからさ。それにちょうど今、七福神祭が始まったから気が向いたら遊びにおいでよ」
言うことを言い終わると天之御中主神は画面からいなくなった。春香はモニターの通話を切る。自由で勝手気ままに行動する天之御中主神と話したらウジウジしていたのが馬鹿らしくなってきた。
春香は部屋に戻って机の引き出しを開けた。時計の横にしまってあった神器を手に取る。それをポケットに突っ込んで春香は三日ぶりに外に出た。
―
門をくぐって高天原に入った。
「さむっ」
現世は暖冬だが高天原はしっかり冷え込んでいた。春香は腕をさする。上着を取りに帰ろうかとも考えたが動いているうちにあったかくなるだろうと思い、石段を下った。
街に降りるとたくさんの神が道に出ていた。建ち並ぶ和風の建物の前でお喋りしていたり、ボードゲームで遊んでいる神様もいる。
春香はとりあえず人の流れるほうについていく。
少し歩くと広場に出た。所々に人だかりができている。その中でも広場の奥にはより大きな人だかりがあった。舞台があるのが見える。舞台では和の音楽が奏でられていて誰かが舞っている。
とりあえず春香は一番手前にある人だかりのなかに入っていった。内側にはいくつかの巨大な生け簀が置かれていた。皆で囲んで釣りをしているところもあれば、生け簀の中に入って魚を手掴みしようと皆で躍起になっているところもある。
誰でも自由に参加できるようで誰にもなにも許可を取らずに出入りしていて、道具もそこらに置かれていた。
各生け簀のそばに建てられた看板には海か川か、そして放たれている種類が書かれていた。中には「釣ってからのお楽しみ」と書かれているところもあった。春香は生け簀の間を縫って見て回る。
釣果はそれぞれで籠を何個も使っている神もいれば、調子がいい神からお裾分けしてもらっている神がいる。
そして少し離れた場所では七輪で釣った魚を焼いて、美味しそうにかぶりついている。
一つ、周りに比べると一際小さい生け簀があった。五十代前後の小太りで顎と鼻下にちょび髭を生やしたおじさんと、さっき人ん家のインターホンで遊んでいた子どもが生け簀を挟んで対面でなにかをしている。おじさんは小さい椅子に座っているが、子どもは袖をまくってしゃがんで生け簀の中をジッと見つめている。
生け簀を覗くと赤く小さい魚がウジャウジャ泳いでいた。天之御中主神はポイを持った右手を水に沈めて素早く金魚をすくい上げて、左手で水面近くに待機させていたお椀に入れた。お椀にはすでに四匹の金魚がいる。
「あれ、もう来たの?」
天之御中主神は隣にいる春香に気づいて見上げる。
「君も小さい頃ははしゃいでやったでしょ?」
天之御中主神はもう一度金魚すくいに集中する。
「やったことない」
春香が答えると天之御中主神は再び春香を見上げて「それは一大事だ」と途端に真面目な顔になる。
「恵比寿、この子にもやらせてあげて」
恵比寿と呼ばれた男は足元に置いてあったお椀に生け簀の水を直接すくって水面に浮かべて、ポイを手渡してきた。
春香は少しためらってからそれを受け取って、両袖をまくってから見様見真似でポイを水中に沈める。水温はかなり低い。一匹の金魚に狙いをつけて、下にくぐらせる。
今だ。
意を決してすくい上げると、しかしポイは簡単に破れて金魚は逃げてしまった。
「お嬢ちゃん、ポイは持ち上げるんじゃなくて、こう滑らせるように水面から出すんだ」
恵比寿がジェスチャーで指導してくれる。
「もう一回もう一回。当たって砕けろだよ」
天之御中主神は自分が使っていたポイを渡してくる。すでに水に濡れて、雫が滴り落ちている。
神様二人が見守るなか再チャレンジする。けれど一匹も捕まえられないまま破れてしまった。「あー」と二人は声を揃えて落胆する。
「お嬢ちゃん、センスないなぁー」
そう言いながら恵比寿はポイがダメになるたびに新しいものを渡してくる。
「たくさんあるから何回でも挑戦できるぞ」
それを繰り返して、やっと一匹すくえた時には手は悴み、指はふやけ始めていたが大歓声だった。天之御中主神はハイタッチを求めてきた。春香はぎこちなくそれに応える。
「お腹減ったー」
天之御中主神は前触れもなく大きな声で呟いた。春香も金魚すくいに集中していたから気づかなかったが、言われてみればお腹がすいていた。
「御中主様、是非ともウチで食べてってください。網を使って捕まえる準備もしてありますんで、すぐに用意できますよ」
恵比寿の好意に天之御中主神は答える。
「いや、この子、七福神祭初めてだから大ちゃんのところに行こうかなあって思うんだ」
恵比寿は春香を見る。
「お嬢ちゃん、今回初めてなのか。そりゃあ大黒天のところがいい」
恵比寿は気さくに答える。
天之御中主神は金魚を捕まえていた自分のお椀をひっくり返して全て逃がしてしまった。金魚たちはすごい勢いで仲間たちの元に紛れた。
また明日来るよと天之御中主神は立ち上がった。
でも春香は同じようにお椀をひっくり返すことができなかった。初めての、そしてやっと苦労してすくい上げた金魚。春香はこの一匹に愛着が湧いていた。
「お嬢ちゃん、どうかしたか? もっと遊んでいくか?」
恵比寿が新しいポイを足元から拾う。
「あ、いえ。もう大丈夫です」
「違うよ、入れる袋だよ。ね?」
天之御中主神が春香に確認を取る。
「おぉ、そうでした。お嬢ちゃん、悪いな、今取りに行ってくるからちょっと待っててくれ」
「袋も大丈夫です。持って帰ってもウチ飼えないんで」
春香は心の中でバイバイを言う。そしてお椀を傾ける。
「僕が面倒見てもいいよ」
天之御中主神が提案した。春香の動きは止まった。
「面倒見るって言っても裏の池に放つだけだけど。どうする?」
春香は途端に恥ずかしくなる。
言えなかった。中学生にもなって一匹の金魚が欲しいなんて。でも欲しい物は欲しいし、手放したくなかった。
春香は顔を真っ赤にしながら黙って小さく頷く。
「じゃあご飯食べた後にも色々見て回るから、他のとは別にして取っておいてくれる?」
天之御中主神は恵比寿に頼む。
相わかりましたと了解して恵比寿は春香のお椀を水面から持ち上げる。
春香はボソッとお礼を言った。
「ありがとう」
天之御中主神と恵比寿は首をかしげた。




