綿津見神8
天照大御神は春香に寄りかかるのをやめて水をがぶ飲みする。
「あたしもさ、もう辞めようかと思ってたの」
「お酒?」
「ううん。神を」
「んだよ、テメェもかよ。どいつもこいつも」
「祥子さんも言ってたけど、神様って辞めるとかあるんだ」
「だって神だもん。辞めようがなにをしようが誰も文句は言わない。今はね」
「ねえ、神様を辞めるってどういうことなの? 祥子さんは人間で、それでいてもう魂だけの存在だから高天原にいられなくて現世に戻らなくちゃいけないから消えちゃうって天之御中主神に言われてたけど。でも元からの神様はどうなるの? 儀式とか祭りとかに参加よくなるとか?」
春香の質問に天照大御神は首を横に振った。
「……」
それ以上なにも言わない天照大御神の代わりに少名毘古那神が答える。
「神は神以外の何者でもねぇ。俺たちは神力そのものだ。だから神の座から降りれば俺たちは消える」
「消える?」
「まあ、人間でいうところの「死」みたいなもんだ。だが人間のように肉体も残らない。だから高天原では「死」とも概念が違うと考えられているから「死ぬ」とは言わない。
それに神が神を辞める、神の資格の喪失、生き物の形を保っていた神力が霧散する事象は今まではあり得ない話だった。だから言い表す言葉がない。
だから俺たちの「死」に似ている現象はとりあえず「消える」と表現している」
「え…」
春香は友だちになったばかりの天照大御神を見る。心配する春香を見て天照大御神はいつもと同じに笑った。
「思って「た」だけだから。そんな顔しないで。せっかく友だちができたのに消えたりなんかしない。あーあ、水分取りすぎちゃった。もう一回トイレ行ってくる」
天照大御神は小走りでトイレに入っていった。少しして、外から話し声が聞こえたと思ったら先ほどのサーファーたちと綿津見神が戻ってきた。
「それじゃあカレーライス二つで」
「はーい。それではお好きな席でお待ちくださーい」
綿津見神は軽い足取りで厨房に入っていった。
「あいつはなんにも考えてなさそうだな」
「ハハハ」
少名毘古那神の感想に春香は笑うしかなかった。
「なぁガキ」
少名毘古那神が春香に体を向ける。
「天照のことどう思う」
「どうって、友だちです。優しくて、それでいて強くて。今日だってここに来るのを誘ってくれて、うれしかった。ずっと上っ面だけの友だちしかいなかったから」
そうか、と言って少名毘古那神は水の入ったコップを握って見つめる。
「さっき、天照は高飛車だったと言っただろ」
「この前高天原に行ったとき、他の神様たちが「天照は変わった」って言ってたけどそういうことだったんだって思いました。でもそんな天照、想像がつかないです」
「ほとんどはそう思うだろうな。だが俺からすれば、天照は「変わった」というより「元に戻った」と言える…」
少名毘古那神は少し口ごもった。そして急に立ち上がり頭を下げた。
「これからも天照と仲良くしてやってほしい」
その態度に春香も慌てて立ち上がって頭を下げた。
「いえ、こちらこそ」
少名毘古那神が頭を上げるのを見計らって春香も頭を上げた。そして少名毘古那神が座ると同時に春香も座るようにした。
「まぁ、気が合えばの話だがな」
シャワーでしおを流して普段着に着替えたサーファー二人は大盛りのカレーライスに福神漬けをたっぷり乗せて味わっている。
「最近の失踪やら行方不明やらの件だがな」
少名毘古那神がテレビに目を向けながら春香に話しかける。
「お前も気をつけたほうがいい」
「? はい…」
トイレから水を流す音が聞こえて、お手洗いと書かれたドアが勢いよく開いた。
「よし! もうそろそろ帰ろう」
天照大御神が濡れた手を服で拭きながらトイレから出てきた。
「お会計お願い」
天照大御神が声をかけると綿津見神が厨房から顔を出した。
「あのお兄さんが払うからいいわ」
少名毘古那神に視線を向けて、顎で指す。
「あ? なんで俺がそいつらのまで払わなきゃぁいけねぇんだ」
「アンタ、今までの分のツケ、いくらだと思う? たった二人分増えたって雀の涙よ。ああ、そういえばまだ言ってなかったわね。アンタにはこれからここで働いてもらうわ」
「おい、なんで俺が。俺は協力しねぇぞ」
「協力なんて甘いもんじゃないわよ。強制よ。拒否権はないの。決定事項だから」
「ありがとう!」
天照大御神は奢ってくれると聞いて、少名毘古那神に向かってお礼を叫ぶ。
場は完全に少名毘古那神がお代を払ってくれる流れになっている。そういうことならば、内緒で海まで来たために交通費をもらっていない春香にはかなり有り難い話になる。少ないお小遣いが減らなくて済む。すぐさま天照大御神に便乗して春香もありがとうございますと頭を下げた。
「テメェもかよ。チッ」
「あっ、マズイ! もうバスが来ちゃう。はーちん、走れー」




