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薄雪草を抱く  作者: 紀野光
綿津見神

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綿津見神4

 朝、いつも最後に家を出る春香には登校を偽装する手間は一つもなかった。夏樹がランドセルを背負って家を出たのを確認してから、制服ではなく普段着に着替えてベッドに転がる。


 一週間も経たないうちに力を失ったピョン子はただのくたびれたぬいぐるみに戻っていた。


 西向きの春香の部屋はいつまでも薄暗いため眠気を誘う。ウトウトしていると一階でインターホンが響く音が聞こえた。階段を下りて、玄関ドアを開けると天照大御神が「おーい」と右手を挙げて立っていた。


 相変わらずシャツにスカートの変わらない格好をしている。さらに流行りの極小サイズのポシェットを斜め掛けしているが実用的には見えない。


「電車に乗っていくからお金忘れないでね」


 最寄りの駅まで徒歩で十五分。春香にはICカードがあるが天照大御神は切符を買う。手慣れた様子で迷うことなく発券した。小さいポシェットから財布を引っ張り出したり、押し込んだりと大変そうだった。改札を通って下り電車が入場するホームに着く。


「便利になるのはうれしいんだけど、あたしたちを排除するものが増えていく」


「どういうこと?」


「さっきの改札もそう。あたしたちは住所どころか戸籍も、名前さえないから身分証明ができない。だから電子マネーとかが作れない」


「名前ならあるじゃん」


「『天照大御神』のこと?」


 電車が入ってきて強風に吹かれた。ドアが開いて乗り込む。通勤通学ラッシュが過ぎた電車はガラガラで座ることができた。


「『天照大御神』は神名だから名前とは少し違う。はーちんは中学生だからって『中学生』って呼ばれないし、はーちんのお母さんは『お母さん』って呼ばれるけど『お母さん』って名前じゃない。でもあたしには『天照大御神』っていう肩書しかないから仕方なく『天照大御神』って呼ばれてる」


「ふーん」


 神様の言うことは時々難しいと春香は思う。理解することを諦めた春香を見て天照大御神は両手をグーにして自分の太ももを軽く叩く。


「もう。伊邪那美は市村祥子って名前があるから祥子って呼ばれてるでしょ。あたしもそういうのが欲しいの」


「あー」


「はーちんが名付け親になってよ」


「えぇ。私が? もっと頭のいい人たちに考えてもらったほうがいいんじゃ」


「嫌、初めての友だちのはーちんに付けてもらいたいの」


「えーと、じゃあ、アマノテルミとか」


 天照大御神は「おぉ」と感嘆しながら音の出ない拍手をしている。


「いいの? 天照の天野照美だよ?」


「うん、気に入った。早速あだ名を考えないと」


 電車に乗り合わせる大人たちは私服の中学生と高校生の少女に関心がない。乗り換えを二回行って駅から出た後、バスに揺られて二十分。バスから降りてすぐ、やっと着いたと天照大御神は伸びをした。


 潮がにおう。波は荒く、白波が立っている。砂浜に降りて海を眺める。


「海は広いな大きいなぁ」


 天照大御神は一直線に波打ち際に向かう。平日だが、ちらほらいるサーファーが海の中でいい波が来るのを待っている。


 波が届かない少し離れた場所に貝殻がうねりながらも線になって続いている。それぞれ大きく、掌にすっぽり収まるサイズのものもあった。

 

 春香はその中から藍色の縞模様が綺麗な貝殻を砂の中から引っこ抜く。そして波を使って砂を取った。どこも欠けずに美しい曲線を確認し、ティッシュで海水を拭う。

 

 一連の春香の行動を見ていた天照大御神が一言質問する。


「それ、人が捨てたやつだけどいいの?」


「自然に打ち上げられたものでしょ?」


「違うよ。この近くには貝が売ってて、皆この砂浜でバーベキューするの。それで食べ終わったら貝殻がゴミになっちゃうでしょ。それで貝殻だから海に入って捨てるの。でも足が少し浸かる程度のところでポイするから、結局波に押し戻されて」


 話を聞いて春香はその場に貝を捨てた。再びゴミになった貝殻は波に押されて引き寄せられてを繰り返し、仲間たちの元へ帰っていく。


「お腹すいたでしょ」


 天照大御神はすぐそこにある海の家を指さす。


「おいしいもの食べよう」


 それだけ言うと春香が返事をする間も与えずに店の中に入った。


 「こんにちはー」と天照大御神が大きな声を出すと奥からガッツリ日焼けした色黒のガタイのいいおじさんが顔を出した。白いタンクトップには汚れが一切付いていないからか光って見える。


「いらっしゃい。何名様?」


「二人」


「お好きな席にどうぞ」


 店はかなり年季が入っているようだけど、きちんと手入れがされていて綺麗だった。


 だが、店中に酒の匂いが充満していた。奥の席にベロベロに酔ったおじさんがいる。白髪と黒髪が混在した髪の毛と髭。頬がこけてガリガリで見るからに不健康。


 そしてぶつぶつと独り言を呟いている。ああいう人には近づかない方がいい。


 少し離れた席に座って注文する。春香は焼きそばを、天照大御神は醤油ラーメンを頼んだ。


 テレビにはお昼の情報バラエティー番組が映っている。行列のできる都内のパンケーキ屋の特集で、今が旬の若い女性タレントと勢いのある若手お笑いコンビの三人でリポートしている。


 パンケーキの上にタワーを建てるが如くホイップクリームを乗せて、フルーツで飾り付ける。仕上げにケーキシロップをたっぷりとかけて完成。


 リポーターたちは口に入れた瞬間に一人は目を見開いて「んー、美味しい」とコメントし、一人はその甘さに悶える様子を身体で表現し、相方がつっこむ。そして一笑い。テレビの笑い声が店に流れる。


「お待たせしました」


 配膳された料理は女子中学生には困るほどの大盛りだった。


「んふ。美味しそう。食べよ食べよ」


 天照大御神は勢いよく麵をすすった。春香も割り箸を割って麵をすする。唇がギトギトになるほどの焼きそばは野菜が多めで体に良いのか悪いのかといったところだった。


「はーちんには夢とかある?」


 天照大御神は置いてあるナプキンで鼻をかむ。


「うんん、ない」


 春香はよく噛みながら答える。


「なりたいものとか、やってみたいこととか」


 幼稚園の頃に「ケーキ屋さんになりたい」と願って、その夢が自然消滅してからはなんの目標もなく生きてきた。


「なんにも」


 春香の考え抜いた空白の答えに、天照大御神は「なるほど」とだけ言って、チャーシューに嚙みついた。


「……」


 春香は会話が止まってしまったことに緊張する。もっとより良い答え方があったのか、早く次の話題を、春香の脳みそに電子が激しく回路を伝い始める。そんな春香を見て天照大御神は微笑んで肩を叩く。


「気楽にしてよ。あたしには気を遣わないで。ね? 自分らしくしてなくちゃ。はーちんは現人神候補。だから堂々としなさい」


 どこかで聞いたことがある言葉だと春香は思い出す。そういえば天之御中主神も同じようなことを言っていた。


 テレビは先ほどのバラエティー番組からニュース番組に切り替わっていた。


「あたし、トイレ行ってくるね」


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