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第9話:飛将の名 ~都に響く武~

第9話:飛将の名 ~都に響く武~


丁原が朝議で董卓と対立して以来、洛陽の空気は一層剣呑なものとなった。董卓は丁原を公然と敵視するようになり、両者の関係は修復不能となった。都の街を行き交う人々の顔にも、以前にも増して不安の色が濃くなった。丁原は屋敷に戻り、陳宮と共に今後の対応を協議した。部屋には重い空気が漂っていた。丁原の眉間の皺は深かった。呂布は常に丁原の傍らに控え、その身辺警護にあたった。鎧の金属が擦れる音だけが、静かな屋敷に響いた。その音は、来るべき戦いを予感させた。


しかし、帝都洛陽に現れた「呂布」という男の武勇は、すぐに人々の噂となった。並州での異民族との戦いでの活躍、そして帝都での武芸の試し合いなどで見せた圧倒的な力。彼の武の才能は、都の武人たちの度肝を抜いた。洛陽の武官たちが集まる練兵場での、模擬戦や演武。呂布が方天戟を振るうたびに、風が唸り、地面が微かに震える。槍、剣、弓、そして彼の得物である方天戟。どの武技においても、彼は他の追随を許さなかった。その動きは、力強く、速く、そして何よりも美しかった。まるで、舞を見ているかのような、しかし恐ろしい美しさだった。無駄のない動き、研ぎ澄まされた技。彼の体から発せられる並外れた気迫は、対峙する者を圧倒した。汗の匂い、革の匂い、そして金属の匂いが混じり合う練兵場の空気の中で、呂布の存在感は際立っていた。彼の周囲だけ、空気が薄くなるかのようだった。


「人中の呂布あり!」


いつしか、都の人々の間でそう囁かれるようになった。彼の比類なき武勇を称える言葉だ。呂布の名は、瞬時に洛陽中に知れ渡った。彼の武勇は、人々に驚きと興奮を与えた。彼が街を歩けば、人々は振り返り、畏敬の眼差しを向けた。ざわめき、感嘆の声。その声は、波のように呂布の周りに広がった。子供たちは彼を指差し、目を輝かせた。彼らは、英雄の誕生を見ているかのようだった。


しかし、その一方で、彼の武勇は権力者たちにとっては危険なものであった。董卓派の者たちは、彼を警戒し、敵意を剥き出しにした。彼らの冷たい視線が、肌を刺す。その視線は、戦場の敵意とは異なる、政治的な、粘着質なものだった。董卓の腹心である李儒は、呂布の力を冷静に分析し、彼を董卓の配下に引き入れることができれば、どれほど大きな力となるかを計算していた。彼の目は、獲物を狙う狼のように鋭く光っていた。彼はすでに、呂布を懐柔するための計画を練り始めていた。董卓自身も、呂布の力を自身のものにしたいという欲望を募らせていた。彼の太い指が、獲物を掴むように動く。


洛陽での生活は、三姉妹にとっても大きな変化だった。並州の素朴な生活から一転し、豪華な屋敷での暮らし。着るもの、食べるもの、見るもの、全てが新しかった。彼女たちは、都の文化や習慣に触れ、多くのことを学んだ。暁は、屋敷に備え付けられた書物や、父に随行する陳宮から様々なことを学んだ。書物の紙の匂い、墨の匂い。彼女の瞳は、知識を吸収しようと輝いていた。飛燕は、父や張遼、高順たちが訓練する様子を見て、武芸への興味を一層強くした。訓練場から聞こえる金属音、兵士たちの掛け声。彼女の手は、自然と木剣を握る形になった。華は,美しい庭園を駆け回り、都の子供たちと遊びながら、無邪気に日々を過ごしていた。庭園の草木の匂い、土の手触り、子供たちの笑い声。


しかし、父が朝廷で危険な立場にあること、そして父の武名が知れ渡るにつれて、周囲からの視線が変わってくることも感じ取っていた。好奇の目、羨望の目、そして時には敵意のこもった視線。彼女たちは、父がただの強い人なのではなく、大きな力を持つが故に、危険な存在でもあることを幼心に感じ始めていた。父の鎧の金属の冷たさとは異なる、人々の視線の冷たさ。それが、洛陽という都のもう一つの顔であることを、彼女たちは学び始めた。彼女たちの小さな肩に、見えない重圧がのしかかるかのようだった。


丁原は、呂布の武名が高まることを喜びつつも、それに伴う危険性も理解していた。彼は呂布に対し、常に警戒を怠らぬよう厳しく言い聞かせた。陳宮もまた、呂布の武勇は諸刃の剣であり、利用されぬよう注意が必要だと忠告した。陳宮の声には、経験に基づいた重みがあった。


呂布は、自身の武名が都に響き渡ることを、特に誇りに思ってはいなかった。彼にとって重要なのは、丁原という父が、そして並州の民が、そして今、都で苦しんでいる民が、安全に暮らせることだった。彼の力は、誰かを踏みつけ、自身の栄華を築くためのものではない。守るためにある力なのだ。その思いは、並州の大地で丁原から受け継いだ、「義」の精神に根差していた。彼の心の中には、並州の土の匂いと、父の声が残っていた。


しかし、その「義」と彼の圧倒的な「武」に目をつけた者が、すでに彼に近づこうとしていた。董卓の腹心、李儒。そして、伝説の名馬、赤兎馬。甘い誘惑が、呂布に迫りつつあった。彼の「忠義」が試される時が、刻一刻と近づいていた。洛陽の華やかな光と、その下の闇の中で、彼の運命の歯車が大きく動き出そうとしていた。

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