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第2話:父と娘と、そして仲間 ~并州の絆~

第2話:父と娘と、そして仲間 ~并州の絆~


戦いの翌日、九原の呂布の家は、前日の血戦の匂いを微塵も感じさせない、穏やかな空気に包まれていた。家は土壁に木材の梁を組み合わせた、並州では一般的な作りだ。決して裕福ではないが、清潔に保たれている。囲炉裏からは、薪の燃える温かい匂いと、湯気の立った粥の匂いが漂ってくる。外の寒さとは別世界のような温もりがあった。


呂布は、朝餉の粥を、娘たちと共に囲んでいた。長女の暁は、まだ十歳になるかならないかといった歳だが、物静かで聡明な顔つきをしていた。大きな瞳は好奇心に満ち、常に周囲の様子を注意深く観察している。書物を読むのが好きで、静かに父や周囲の会話に耳を傾けていることが多い。次女の飛燕は、八歳。父譲りの勝ち気な目をしており、じっとしているのが苦手な活発な娘だ。家の中よりも外で遊び回るのを好み、兵士たちの訓練を遠巻きに見ていることもしばしばある。末娘の華は、まだ六歳。くるくると表情が変わり、甘えん坊で、呂布の後をちょこちょこと追いかけるのが常だった。彼女の手は小さく、父の大きな指を掴むのが精一杯だ。


「父様、昨日は大変だったでしょう?」


暁が、心配そうに呂布の顔を見上げた。彼女の言葉は控えめだが、その声には父を気遣う気持ちが溢れている。彼女の声は、並州の冬風の中でも温かい、優しい響きだった。


呂布は豪胆な笑みを浮かべた。「何、大したことではない。並州の狼どもを少し追い払ってきただけだ」彼の声は、戦場での雷鳴とは全く異なり、娘たちに向ける時は、驚くほど柔らかな響きだった。その声には、深い愛情が込められていた。


「父様、かっこよかったの? 斬ったの?!」飛燕が、目を輝かせて尋ねた。彼女にとって、父の戦いは英雄譚そのものだった。彼女の声は弾んでいた。


呂布は娘の頭を優しく撫でた。「うむ、斬った。でも、戦いは怖いものだ。お前たちは、父様が守ってやるから、ここで安心して暮らしなさい」彼の手のひらの温かさが、飛燕の頭に伝わる。


華は、呂布の膝にすり寄り、そのまま呂布が持っていた匙に手を伸ばし、粥を口に運ぼうとする。呂布はそれを制止せず、華の小さな手に自分の大きな手を添え、ゆっくりと粥をすくってやり、彼女の口元へ運んだ。華は嬉しそうに粥を頬張る。粥の温かさ、父の手の温かさ。呂布の顔には、自然と笑みが浮かんでいた。戦場での鬼神の顔とは似ても似つかない、温かい、優しい父の顔だった。


朝餉の後、呂布は并州牧である丁原の屋敷へ向かった。丁原は、呂布の養父であり、武芸の師であり、そして何よりも、呂布にとってはこの乱世で最も信頼できる、ただ一人の存在だった。丁原の屋敷は、呂布の家よりも幾分立派ではあるが、他の諸侯の屋敷に比べれば質素なものだった。並州の貧しさを反映していた。屋敷の中には、並州の厳しい気候に合わせた、乾燥した、しかし清潔な空気が漂っていた。


丁原は執務室で、昨日の戦いの報告を受けていた。壮年の彼は、厳しい顔つきの中に、民を思う深い情を宿していた。白髪交じりの短い髭を撫でながら、呂布の話を聞く。彼の声は低いが、威厳があった。


「やはり、鮮卑の動きが活発化しているか。軻比能、油断ならぬ男よ」丁原の声には、辺境の守りを担う者の重責が滲んでいた。彼の吐く息は、部屋の温かさの中でも白かった。


呂布は頷いた。「ですが、父上ご安心ください。奉先がいる限り、並州の空は揺るぎません」呂布の声には迷いがなかった。並州を守る。それは彼の使命であり、「義」であった。その声は、冬の寒風にも負けない、力強い響きだった。


丁原は呂布の言葉を聞き、深く頷いた。彼の顔に、安堵の色が浮かぶ。「うむ、奉先がいるからこそ、私は安心してこの並州を守れる。お前は私の誇りだ」彼の声は震えていたが、それは寒さではなく、感情の昂ぶりからだった。彼の瞳には、呂布への深い信頼が宿っていた。丁原は、かつて孤児であった呂布を引き取り、衣食住を与え、武芸を教え、人間としての生き方を教えてくれた。その恩義は、呂布にとって何物にも代えがたいものだった。丁原が与えてくれた温もりと、彼が教えてくれた「義」の重み。そして何より、丁原は呂布の武勇を誰よりも信頼し、彼に並州の未来を託そうとしていた。その期待に応えたいという思いが、呂布の「忠義」を強固なものにしていた。彼の心の中で、丁原の声が響いていた。


その時、執務室に張遼が入ってきた。端正な顔立ちに、引き締まった体つき。彼は呂布と同年代であり、共に并州の兵を率いる、呂布の最も信頼する片腕だった。彼の鎧からは、わずかに血と埃の匂いがする。昨日の戦いの後始末を終えてきたのだろう。その後ろから、無骨だが実直そうな高順が続く。彼は陥陣営を率いる猛将であり、呂布とは古い付き合いだった。彼らの鎧の金属が擦れる低い音が響く。彼らの顔には、疲労の色が見えたが、目は力強かった。


「呂将軍、丁原様」張遼が丁重に礼をする。彼の声は落ち着いていた。


「戦の後始末、ご苦労だった」丁原が労いの言葉をかけた。


「いえ、奉先の活躍のおかげで、敵は瞬時に瓦解しました。ですが、兵の損耗も少なくありません」張遼は冷静に報告する。


呂布は張遼、高順と目を合わせた。彼らは、呂布が最も信頼し、共に生死を分かち合ってきた仲間だった。彼らの存在が、呂布の力をさらに大きなものにしていた。並州という厳しい大地で、彼らは互いを信じ、支え合いながら生きていた。彼らの間には、言葉にするまでもない、深い絆があった。鉄のように硬く、雪のように白い並州の大地で育まれた、確固たる絆だった。その絆の温かさが、呂布の胸を満たした。

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