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第17話:貂蝉との運命 ~悲しき瞳、囚われの蝶~

第17話:貂蝉との運命 ~悲しき瞳、囚われの蝶~


庭園で再会した貂蝉は、以前にも増して美しく、そして儚げに見えた。その美しさは、洛陽の華やかな花々をも霞ませ、周囲の景色全てが彼女の輝きを引き立てるための背景と化してしまうほどだった。絹の衣装は、彼女のしなやかな体に沿い、風に揺れる様は、天女の羽衣かと見まがうばかり。黒曜石のように艶やかな髪は、繊細な飾りに彩られ、そこから漂う香の匂いは、ただ甘いだけでなく、清らかで、しかしどこか遠い故郷を思わせるような、物悲しい響きを持っていた。彼女の纏う空気は、透明でありながら、触れることのできない神聖さを帯びていた。そして、何よりも、その大きな瞳。そこには、星屑を散りばめたような輝きと、並州の冬の空のように暗く、深い悲しみが宿っていた。その悲しみは、彼女の美しさを一層際立たせ、見る者の心を強く引きつけた。呂布は、彼女の姿から目を離すことができなかった。武人の直感が、彼女が何か深い事情を抱えていることを感じ取っていた。それは、戦場の危険とは異なる、しかし心を強く揺さぶる予感だった。


貂蝉は、呂布の視線に気づき、ゆっくりと振り向いた。彼女の顔に、わずかな驚きと、そしてすぐに、訓練されたかのような、完璧な笑みが浮かんだ。その笑みは、洛陽の朝日のように美しかったが、彼女の瞳の悲しみとは釣り合っていなかった。まるで、彼女の真の感情を隠すための、あまりにも精巧な仮面のようだった。その笑みの手触りは、冷たいガラスのようだった。


呂布は、彼女に近づき、声をかけた。「貴女は……以前、王允様の屋敷でお見かけしました」呂布の声は、普段の戦場での声とは異なり、どこかぎこちなかった。彼の心臓が、少し速く脈打つのを感じた。


貂蝉は、優雅に一礼した。その仕草は、絵のように美しかった。「ええ、あの日以来でございますね。まさか、呂将軍とこのような場所で再びお目にかかれるとは思いませんでした」彼女の声は、鈴のように美しかったが、その響きには、どこか諦めのような響きが含まれていた。その声の響きは、絹が擦れる音のように滑らかだった。


呂布は、彼女の瞳の悲しみが気になった。「何か、お辛いことでも…」彼の声には、純粋な心配の色が滲んでいた。


貂蝉は、静かに首を横に振った。「いえ、何もございません。ただ、この乱世の行く末を案じているだけでございます」彼女の言葉は丁寧で、隙がなかったが、その真意は測りかねた。彼女の纏う空気は、近づきがたいほど清らかでありながら、助けを求めているかのような、かすかな心の叫びが聞こえるような気がした。彼女の美しい顔の裏に、隠された苦悩がある。それは、李儒が纏っていた不気味な誘惑の匂いとは異なる、純粋な悲しみの匂いだった。それは、心を締め付けるような、切ない匂いだった。


その時、屋敷の使用人が近づいてきて、貂蝉に何かを囁いた。使用人の顔には、焦りの色が浮かんでいた。貂蝉の顔色が、一瞬にして変わった。彼女の瞳に、恐怖の色が浮かんだ。まるで、冷たい水をかけられたかのように。そして、すぐに元の作り物のような笑みに戻った。その切り替えの速さは、訓練された者のそれだった。


「申し訳ございません、将軍。少々用事がございました。これで失礼いたします」貂蝉は、急いでその場を立ち去ろうとした。彼女の動きは、まるで何か見えないものから逃れようとしているかのようだった。その足音は、庭園の石畳に響きながらも、彼女の心臓の音のように速かった。


呂布は、引き止めようとしたが、彼女の様子にただならぬものを感じ、声をかけることができなかった。貂蝉は、振り返ることなく、庭園の奥へと消えていった。彼女の姿は、まるで囚われた蝶が、必死にもがいているかのようだった。美しいが、自由ではなかった。


呂布は、一人、庭園に残された。彼の心には、貂蝉の比類なき美しさ、そして彼女の瞳に宿る深い悲しみが焼き付いていた。彼女は一体、何者なのだ。そして、何を恐れているのだ。彼女の周りに漂う、重く悲しい空気。呂布は、彼女を助けたい、彼女の悲しみを解き放ちたいと強く願った。しかし、彼女が王允という都の重臣の養女であること、そして王允自身が都の重臣であり、丁原と董卓の間の微妙な立場で動いていることを知っていた。迂闊に手を出せば、父の立場を危うくするかもしれない。並州から持ってきた鎧の金属の冷たさが、彼女の置かれた境遇の冷たさを思わせた。


彼の心の中で、丁原への「忠義」と、貂蝉への募る情愛がぶつかり合った。それは、李儒の誘惑とは全く異なる種類の葛藤だった。李儒の誘惑は断ち切ることができた。しかし、貂蝉という一人の女性への情は、彼の心を深く揺さぶった。父の教えである「義」は、民を救い、主君に尽くすこと。しかし、愛する者を救うこともまた「義」ではないのか? 彼の心は、答えを見つけられずにいた。彼は、胸の内に熱い塊ができたかのような、苦しさを感じていた。


この運命的な再会が、呂布の心を大きく動かし始める。そして、この貂蝉との出会いが、やがて来るべき帝都の激動、そして呂布自身の運命に、計り知れない影響を与えていくことを、この時の呂布はまだ知る由もなかった。庭園に残された花々の匂いは、もはや甘いだけでなく、どこか切なさを帯びているように感じられた。それは、貂蝉の悲しみの匂いだった。

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