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第11話:甘い罠の囁き ~李粛の誘い~

第11話:甘い罠の囁き ~李粛の誘い~


丁原と董卓の対立が深まる中、李儒は密かに呂布への接触を図った。彼は呂布の屋敷を訪れた。呂布は、董卓派の腹心である李儒の訪問に警戒しつつも、丁原の指示もあり彼を迎えた。屋敷の一室で、李儒と呂布は対面した。部屋には、高価な伽羅の香が焚かれていた。その匂いは甘く、しかしどこか不気味な重さがあった。李儒の纏う空気もまた、洛陽の闇そのもののように感じられた。


李儒は、まず呂布の武勇を惜しみなく称賛した。彼の言葉は滑らかで、人の心に響くように選び抜かれていた。「飛将軍の御武勇は、今や帝都に響き渡っております。私も、練兵場での演武を拝見しましたが、あれほどの力、あれほどの技は、生れてこの方見たことがございません」彼の声は、耳に心地よく響いた。


呂布は、李儒の言葉を静かに聞いていた。称賛されて悪い気はしないが、彼の言葉の裏にあるものを警戒していた。李儒の目は、言葉とは裏腹に、呂布の価値を測るような、冷たい光を宿していた。


「しかしながら」李儒は続けた。「将軍ほどの御方が、なぜ辺境の丁原将軍の配下に甘んじておられるのか、私には理解できません」彼の言葉には、わずかに侮蔑の響きが含まれていた。「丁原将軍も立派な方ではございましょうが、いかんせん老齢。並州という僻地から、この帝都の乱世を乗り切る力がおありでしょうか?」


李儒の言葉は、呂布の胸に、わずかな動揺をもたらした。丁原は偉大で、呂布にとって父であったが、確かに帝都の情勢に通じているわけではない。並州は貧しい。この乱世で天下を救うには、並州の力だけでは足りないのかもしれない。そんな思いが、かすかに呂布の心に過った。


「我には、父上への恩義がございます」呂布は、李儒の言葉を遮るように言った。彼の声は固かったが、李儒は呂布の僅かな動揺を見逃さなかった。


李儒は笑みを深めた。その笑みは、蛇のように滑らかだった。「恩義、ですか。もちろん、恩義は大切でございましょう。しかし、将軍ほどの御方は、より広い世界で、その力を存分に振るうべきではないでしょうか? 天下は乱れ、董卓様がこれを平定せんとしておられます。董卓様は、将軍の御武勇を高く評価しておられます。もし将軍が董卓様の元へ来られるならば、帝都の全てを差し上げても惜しくないとお考えです」


そして、李儒は呂布の屋敷をさりげなく見回した。「それに、将軍には可愛らしいお嬢様方がいらっしゃるとか」李儒の声のトーンが変わった。「この帝都は、並州とは違い、華やかですが……危険も多い場所です。将軍ほどの方でなければ、ご家族を守り抜くのも容易ではございません。董卓様の御威光の下にあれば、将軍も、そしてお嬢様方も、安泰な未来をお約束できます」


李儒の言葉は、呂布の最も柔らかい部分に触れた。娘たち。並州から連れてきた、彼の何よりも大切な存在。帝都の華やかさの裏にある闇、董卓軍の横暴を、呂布は娘たちと共に見てきた。確かに、並州よりも危険な場所かもしれない。もし丁原と董卓が敵対すれば、自分だけでなく、娘たちも危険に晒されるかもしれない。李儒は、その不安を巧妙に突いてきたのだ。呂布の心は、激しく揺れた。丁原への忠義と、娘たちの安全。どちらを選ぶべきか。それは、これまで経験したことのない、重い葛藤だった。娘たちの無邪気な笑顔が、呂布の心に浮かんだ。彼女たちの小さな手の温もり。


李儒は、呂布の顔色が一瞬にして変わったのを見逃さなかった。彼は、この「家族」という餌が、呂布の心を深く捉えたと確信した。彼は畳みかけるように言った。「将軍に、今以上の地位と権力をお約束いたしましょう。今までの苦労が報われる、有り余るほどの金銀財宝も。そして何よりも、お嬢様方がこの帝都で、何不自由なく、安全に暮らせる未来を」李儒の手が示唆するように動いた。目に見えない輝かしい未来。


「そして……」李儒は、呂布の目をじっと見た。「董卓様は、将軍に相応しい、天下に二つとない宝物を用意しておられます。それは、武将ならば誰もが喉から手が出るほど欲しがる、伝説の御馬でございます」李儒の声の響きは、まるで夢を見せているかのようだった。


李儒の言葉を聞きながら、呂布は彼の纏う空気に、甘く、しかし底知れない危険を感じていた。李儒の声の響きは心地よいが、その言葉に含まれるものは、毒のように不快だった。彼は、李儒の言葉が、自身と父・丁原の絆を断ち切らせようとする罠であることを見抜いていた。しかし、娘たちの安全という言葉は、彼の心を深く抉った。そして、李儒が最後に口にした「伝説の御馬」という言葉に、呂布の武人としての心が強く揺さぶられた。馬を愛する呂布にとって、その言葉は格別の響きを持っていたからだ。


李儒は、呂布の目の色がかすかに変わり、彼の心が激しく揺れているのを見逃さなかった。彼は勝利を確信したかのような、冷たい笑みを浮かべた。甘い罠は、獲物の心を捉えつつあった。地位、財宝、名馬、そして娘たちの安全。これら全てを天秤にかけられ、呂布の「忠義」が、今、まさに試されようとしていた。李儒が纏う、甘く、そして不気味な誘惑の匂いが、呂布の心を締め付けるかのようだった。

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