ピンチの時にさっそうと現れたヒーローは、見た目以外は高スペック男子でした。
一応、恋愛の種くらいにはなっているはず!と信じて投稿します。
男の振るう剣は、まるでハリボテのように軽々と魔物の体を切り裂いた。
それは突然のことだった。
隣国に行く途中の安全だと聞かされていた森の中、突然、大きな熊のような姿をした魔物に襲われたのだ。
身の丈は3メートルを超そうという黒い肢体に禍々しい赤い瞳。丸太のように太い腕を振り回せば、人など簡単に吹き飛んだ。
さらに、それに従うように狼のような魔物まで複数姿を現した時、人々は絶望に瞳を染めるしか無かった。
数多く引き連れていたはずの護衛も歯が立たず、あるものは紅を撒き散らし地に伏し、あるものは魔力を絞り尽くし昏倒していた。
せめて主人を逃がす時間だけでも作ろうと、我が身を盾に虚しい抵抗をする護衛達を、馬車の中で震える妹を抱きしめた姉はジッと見ていた。
彼らが倒れた時、自分たちの命も終わる。
それは、何よりも明確な現実であった。
その事は、震えがくるほど恐ろしい。
しかし、今まさにその命を散らしながらも自分たちを守ろうとしてくれる護衛達の行く末を見守ることが、その忠誠に対し自分にできる最後の礼のような気がしていた。
ゆえに、荒事など無縁の少女は恐ろしさに涙の膜を貼りながらも、ジッと窓から外を見つめていたのだ。
旅の途中、暇潰しにと色々な話をしてくれた年老いた魔法使いが地に臥す様も、仲良くなったまだ見習い騎士の少年までが剣を取り体を紅に染めていく様も。
(神様………。どうかお救いください)
届くことのない何度目かの祈りの言葉を少女が呟いた時。
突如、木々の間から黒い影が飛び出してきた。
そして、まさに護衛の1人に食いつこうとした狼の魔物を一刀の元に斬り伏せたのだ。
そこからは、まるでその人物の独壇場。
くるりと刀を振った勢いのままに体を回し、返す手でもう1匹。
他を襲っていた魔物達も、突如現れた人物が脅威だと判断したのか一斉に飛びかかっていくのだが、それすらも、男は苦もなく捌いていく。
男の動きに黒いマントの裾が綺麗な弧を描き、白銀の刃の下で赤い花が咲いていく。
それは、まるで美しい舞を見ているような、一切の無駄がない、優雅とすら感じる動きであった。
深く被られたフードにより男の顔は見る事は叶わないが、わずかに覗く口元は軽く引き結ばれていた。
コレで笑みでも浮かべて入れば、その圧倒的な強さゆえ、人ではない何かを疑ってしまうほど、その力の差は歴然であった。
護衛達では刃をたてる事も叶わなかった熊型の魔物の黒い被毛すらも、男は斬り捨ててしまう。
振り下ろされる鋭い爪をかいくぐり胴体へ一刀。
抱きこもうと交差された腕から逃れ背後に回り、全力で持って心の臓あたりに剣を突き刺す。
深く深く。
魔物の胸から刃先が飛び出した。
男は、あっさりと剣から手を離すと、素早く距離をとる。そして、足元に落ちていた護衛の剣をどうやったのか器用につま先で宙に蹴り上げ、その手に納めた。
突然に与えられた痛みに怒り狂った巨大な魔物が、闇雲に両腕を振り回しながら突進してくる。
しかし、地響きすら感じるその迫力も、男を怯ませる事は無かった。
致命傷を受け思考能力の落ちている力任せの突進など、男にとっては脅威でもなんでも無かったのだろう。
向かってくる魔物に相対するように男も走り出した。
正面より近づいてくる敵を見据え、魔物はその爪の餌食にしてやろうと自分の半分ほどしかない存在に丸太のような腕を振り下ろした。
しかし、その手は再び虚しく宙をきることとなる。
目にも留まらぬスピードで振り下ろされたはずの凶器を、半身をそらすことで紙一重で避けた男の体は次の瞬間、高く宙へと飛び上がっていた。
そして。
魔物の首が空を飛び、体は数瞬の後、地響きを立てて崩れ落ちた。
男の邪魔にならぬよう素早く馬車の方へ体を寄せ、あたりを警戒しながらも、その美麗な剣技に見とれていた護衛達の口からワッと歓声が上がった。
それは、脅威が去ったことへの喜びと男への賛辞だった。
魔物の体から突き刺したままになっていた己の剣を回収していた男は、その声に驚いたようにビクリと体を震わせた。
それから、少し迷ったような仕草を見せた後、自身の剣を鞘になおし、ゆっくりとした足取りで馬車の方へと近づいてきた。
そして、手にしたままの地に落ちていた剣を護衛達に向かって差し出す。
「すまない、勝手に拝借した」
差し出された剣を受け取ったのは、中年の騎士だった。
「いや。あなたの役に立てて、これの持ち主も本望だっただろう」
静かに伏せられた瞳に滲む悲しみに、本来の持ち主の行く末を知った男が、静かに葬送の印を指で切った。
その動きは、剣を振るっていた時の荒々しさとは似ても似つかなぬ優美なものだった。
護衛の騎士は、不思議な気持ちで目の前の男を見つめた。
人相がわからないほど目深にかぶった黒いローブは、薄汚れてボロボロで年季を感じさせた。
持っている背負い袋も同じく、元の素材がわからないほど薄汚れている。
扱っていた剣も、よく見ればそこらの鍛冶屋で手に入れられる名もなき一品のようで、多分、先ほど返された剣の方がよほど高価だろう。
あの、恐ろしいまでの切れ味は、一重に男の高い技量によるものだ。
魔物の住む森を1人で旅する程の技量の持ち主。
それだけ見れば、傭兵か何かかとも思えるが、訛りのない綺麗な発音や美しいとすら感じさせる洗練された剣筋、そして、さりげない所作は高い教養を感じさせた。
どうにも、男の正体がよく分からない。
しかし、命の危機を救われたのは確かだ。
「助太刀、心より感謝する。おかげで我が命だけでなく、主人を守ることができた」
護衛の騎士をまとめる役割を担っていた男は、素直に礼を口にした。
そして、次の街まで共に行ってくれないかと交渉する。
「恥ずかしい話だが、今回の襲撃により多くのものが負傷し、主人を守るには心許ない」
頭を下げる騎士に、男が迷うように沈黙を返した時、馬車の扉が開く音がした。
「姫様、なりません」
押しとどめようとする侍女の手を振り切るように、少女が1人、降りてきた。
年の頃は15〜6。
柔らかな金のウェーブを描く髪と、菫の花を思わせる濃い紫の瞳を持った美しい少女だった。
「いいえ。命を救われたのです。ぜひに私からもお礼を言わせてください」
血の匂いが濃く残るその場に不釣り合いな甘く涼やかな声は、意外なほどの芯の強さを持ってその場へと響いた。
旅装の為、膨らみのないシンプルなドレス姿ではあったが、仕立ての良さは見るものが見ればすぐに気づくことができた。
さらに、ピンと伸びた背筋とまっすぐに向けられる瞳が、少女が普段人を従えさせることに慣れている階級の出である事を示していた。
ピクリとローブ男の肩が揺れた。
それを気にすることなく近づいた少女は、しなやかな仕草で膝を折った。
「マリーン王国のセイラーン公爵家の娘、アメリアと申します。この度は危ない所を救っていただき、誠にありがとうございました」
予想以上に高い身分であったことに、ローブの下で男の眉が顰められた。
しかし、まだ幼いとはいえ公爵家の令嬢に正式な礼を尽くされ、そのままにするには男は真面目すぎた。
逡巡の後、片膝をつき騎士の礼をとる。
片手を拳にして胸に置き、もう片方を背に回す。
それは、遠く東にある小国の騎士の所作である事を、隊長は思い出し、内心で首をかしげた。
国3つを挟むほどの遠方の国の騎士が、単騎でこんな場所で何をしているのだろうか?
「お言葉ありがたく存じます。訳ありの身ゆえ………」
ローブの男が何かを言おうとしたその時、一陣の風が吹いた。
そして、風のいたずらは頑なに隠されていたローブの中身を白日の下に晒してしまう。
息を飲んだのは、多分その場にいた全員だった。
不幸にも騎士の礼をとるために両手を封じていたことが仇になり、慌てたように男が再びフードを被った時には、その場にいた人間はその容貌を目撃してしまっていた。
そして、一瞬であったにもかかわらず、目撃した全てのものにその容貌は強烈な印象を与えた。
ギョロリとした三白眼に太い眉。顔の真ん中でデンと主張する大きな鼻は潰れて横に広がっていた。
さらに厚みのある大きな唇は引き結ばれてへの字に歪み恐ろしさを強調している。
肌は浅黒く、たくさんのイボやホクロがまるでガマガエルのような不気味さを男に与えていた。
その顔を細かく縮れた黒髪が縁取る様は、見るものに生理的な嫌悪感を与えずにはいられない。
気の弱い婦人なら、その顔を見ただけで気を失うものすらいるのではないだろうか。
醜いと言われているトロールですら男の前では可愛く見えるかもしれない。
「……………見苦しいものをお見せしました」
反射的に剣の柄に手を置いてしまった隊長は、フードをかぶりなおした男の言葉に慌てて手を離した。
確かに、まるで魔物もかくやと思うほどの顔ではあったが、命の恩人に対しての態度ではない。
そう、ただ醜いだけで………。
それはありえないくらい、ちょっと信じられないレベルで……多分自分だったら世を儚んでいるレベルで、醜いだけで………。
(あぁ、頑なにフード取らないわけだよな。アレは無理だ………)
かなり失礼な事を考えつつ、どう声をかけようか迷う気まずい空気をぶち破ったのは、なんと主人の少女であった。
やんごとない姫君であるはずの少女は、パンっと両手を合わすと、ニコリと微笑んで見せたのだ。
「すごいわね、貴方。そこまで色々揃っていたらある意味奇跡だわ。貴方のように醜い容貌を私、初めて見たわ」
あっけらかんと。
ひどい言葉のはずなのに、ほんの僅かの邪気も含まれないその言葉に、先ほどとは別の意味で時が止まる。
「姫さまっ!!?」
先ほどよりも余程強い口調で侍女が声を上げたが、アメリアは少しうるさそうに僅かに眉をひそめただけだった。
「心配しなくても、大丈夫よ。彼は立派な騎士だわ。見知らぬ一行の危機に我が身を顧みず飛び込むのだから。確かに、悪鬼もかくやと言わんばかりの恐ろしい容姿と強さだけれど」
持ち上げているのか落としているのか。
失礼極まりない言葉に、侍女はついに絶句した。
「……………実際に魔の物が、油断させるために助けたのかも知れないぞ?」
沈黙を破ったのは、ローブ男の静かな声だった。
しかし、その低い声の中に面白がっているような色が潜んでいる事を少女の敏感さで気づいたアメリアは、にっこりと笑って見せた。
「あら。それこそ無いわね。人のふりをできるほどの力のある魔物は震えるほどに美しいと言われているもの。油断させるにしても、せめて人並みの容姿に化けるでしょう?」
小首を傾げてまるで出来の悪い生徒に言い聞かせるように語るアメリア。
「……………姫さまぁ〜〜」
自分の主人のあまりにも酷い物言いに、ついに侍女が泣き出しそうな情けない声を上げた時、その場に弾けるような笑い声が響いた。
薄暗い森の中をあえて大きな道を避けて進んだのは、自分の姿に対して向けられる他者の視線が煩わしかったからだ。
魔物が住む森ではあったが、男の実力を持ってすれば脅威など感じなかった。そんなものより、人の方が余程恐ろしいと、この2年ほどで身にしみていたのだ。
何をするわけでも無い。
ただそこにいるだけで、人は悲鳴をあげ逃げるか、嫌悪をあらわに睨みつけるかのどちらかであった。
中には、あからさまに石を投げ剣を振るって追い払おうとする輩すらいたのだ。
たとえ命を助けても、相手の必要なものを無償で与えたとしても、それは変わらなかった。
全ては、醜いこの見た目の為に。
中には動じない剛の者もいるにはいたが、多くは人生の酸いも甘いも噛み締めた年寄りであり、常に命の危険と隣り合わせの傭兵であった。
つまり、「普通」の人々には到底受け入れられない。
幾度も同じ事を繰り返せば、さすがに男も諦めがついた。
受け入れられないなら、隠せばいい。
フードを深くかぶり、できるだけ人を避けて、1人で黙々と目的地へめがけ歩き続けた2年であった。
そんな中、魔物の集団に襲われる一行を見つけたのは偶然だった。
獣道をかき分けて進む中、剣戟の音と魔物の声が聞こえたのだ。
素通りするには、体の髄まで染み込んだ騎士道が邪魔をする。
諦めのため息を1つつくと、男は剣を抜いて音の方へと走り出した。
さっさと済ませてさっさと立ち去ろう。
それが、苦い経験を積んだ真面目な男の、唯一学んだ処世術であった。
しかし、その先で。
運命は思いがけない出会いを用意していたのだ。
助けたのが公爵家の娘が乗る馬車であり、見た目にもたおやかな少女が「礼を」と降りてきた挙句、いたずらな風に隠したものを暴かれて、なお。
悲鳴をあげて気を失うかと思われた少女は、目をそらす事なく堂々と失礼な持論を言い放ってみせた。
しかも、嫌悪も邪気も何もなく。
心の底から「そう」思っているのだと分かる声で。
そんな反応をされたのは、この2年で初めてで。
気がつけば、久しぶりに心の底から笑っていた。
自分の斬り伏せた魔物の、血臭の濃く残るこの場で。
まさか、こんなに湧き立つような気持ちになるとは思いもしなかった男は、込み上げてくる笑いを抑えることができず。
失礼な事を散々言われたはずなのに、楽しそうに腹を抱えて笑う男に呆気にとられたような視線が多数向けられる中、それでも男はどうしても止めることができずしばらく笑い続けたのだった。
「あら、笑い声だけ聞くと意外と若いのね?」
そんな失礼なつぶやきは、幸か不幸か誰の耳にも届かなかった。
「いつまでもここにいたら血臭でまた魔物が引き寄せられる。出来れば死骸を燃やせればいいんだが」
どうにか笑いを納めた男はウィズと名乗った。
ウィズの言葉に、まだ余力のあったもので魔物の体を1箇所に集め、魔術師が火炎魔術で一気に焼き払う。
チャッカリと魔物の体から魔核を取り出していたウィズは、興味深そうに馬車の側でこちらを見ていたアメリアに、その中でも大きな一粒を放り投げた。
「魔物避けになる。持っていればいい」
少女の掌ほどもある赤い石は、熊型の魔物のモノで魔石としては極上の部類だった。
多くの人の命を奪ってきたであろう魔物の中にあったとは思えぬほどに美しい石をじっと見つめた後、アメリアはぎゅっと握りしめると小さな声で「ありがとう」と呟いた。
脳裏をよぎるのは、今回の襲撃で不幸にも命を落としてしまった護衛たちの笑顔だった。
小さな拳を額にあて黙り込んでしまったアメリアをしばらく見つめた後、ウィズは仲間の遺体の前で祈りを捧げている魔術師たちの方へと歩み寄った。
「誰か時止めの魔術を使えるものはいないか?いるなら、これを使って遺体の保存をして、帰りにでも荷馬車を雇って連れて帰ってやるといい」
無造作に狼の魔獣から回収した魔石を手渡すウィズに、渡された魔術師は面食らったように目を瞬いた。
魔物の体から取れる魔石には魔力が宿っており、魔術師の行使する魔術の補助に使うこともできるのだ。
「小粒だが数はあるからなんとかなるだろう?それとも、燃やして骨にして帰るか?その方が場所はとらないが、確かマリーンでは土葬が主流だったよな?」
「あ……ああ。出来るならこのままで連れて帰ってやりたいと悩んでいたところだ。助かるが、……いいのか?」
魔石は色々な道具の原動力や守り石として使われるため、専門店に持っていけば買い取ってくれる。傭兵や冒険者の収入源であり、権利は討伐したもの、つまりウィズにある。
「構わない。死者への手向けとして受け取ってくれ」
あっさりと答えて背を向けるウィズに静かに頭を下げると、生き残った魔術師2人は力を合わせ、仲間たちの遺体の腐敗が進まないよう時どめの魔術と目くらましの結界をかけた。
コレで、せめて体だけでも家族の元に帰してやることができるし、きちんと故郷で弔う事もできる。
それは、生き残った者たちにとっても救いだった。
自分たちを見出して、魔術師として仕込んでくれた大恩ある師の顔についた泥と血をそっとぬぐうと、涙をこらえ呪文を唱える。
その姿に、誰もがそっと目を閉じて仲間の冥福を祈った。
必要な処理をすませた一同は素早くその場を後にした。
昼を少し過ぎたばかりの時間だったため、予定よりも足を早め、距離を稼ぐことに専念した。
そのため、街にまでたどり着くことはできなかったものの、どうにか森を抜けることが出来た。
主人をなくした馬を借りて共に来ていたウィズも、誘われるまま野営を共にすることにした。
あえてフードをとって顔を晒す気にはならないものの、一行の主人が笑い飛ばしてしまった以上、護衛達が、ウィズに感謝こそすれ排除しようとする動きがあるはずもなく、居心地は悪くなかった。
だから、共に食事をとりながら護衛隊長のランバードに改めて目的地である神都シシューへの同行を頼まれた時も、ウィズはどうせ通り道だとあっさりと頷いたのだった。
魔獣の襲撃により護衛の数を半数に減らしていたため、快諾したウィズにランバードはホッと胸をなでおろし感謝を告げる。
焚火を囲む一向に、和やかな空気が流れた。
「あら、楽しそうね。私も混ぜてほしいわ」
そんな中に、いそいそと混ざり混んで来たアメリアにランバードは呆れたような顔を向けるものの、嗜めるような事は無かった。
その様子から、このお姫様が、常日頃から護衛の中に混ざり混んでいる事が伺えて、ウィズはフードの陰でヒッソリと苦笑した。
共に旅する妹姫は、頑なに馬車の中から出てこようとしないのだが、高貴な身分の未婚の娘としてはそちらの方が「正解」であり、アメリアの行動の方が非常識なのである。
だが、ウィズの顔を見て笑いかける事ができる少女を、常識に当てはめようとしても無駄な事だろう。
「ユリアは気が弱いからしょうがないのよ。ランバード達のことだって怖がっているくらいなのだから。ウィズの顔がどうこうというより、見知らぬ傭兵だというだけできっと気絶するわね」
呆れたような口調ながらも、そんな気の弱い妹が可愛くてしょうがないのだろう。ユリアのことを語るアメリアの瞳には愛しさが煌めいていた。
「それにしても、ウィズはどこから来たの?ボロボロの格好だけど、魔石はあっさり人にあげちゃうし、とても強いし」
ウィズの隣に腰を落ち着けると同時にすごい勢いで質問を始めるアメリアに、ウィズがわずかに身体を後ろにずらした。
「そもそも、その剣技ってどこで身につけたの?ここら辺の動きではないわよね?見た事ないもの。それに、動きや食事の所作も綺麗だわ。どこかの国の貴族だって言われても驚かないくらい」
しかし、その様子にめげることなく引かれたぶんだけ詰め寄ってアメリアの質問の嵐は止む事がない。
思わず救いを求めるように周りを見渡すも、ランバードを始め先ほどまで和やかに会話していたはずの一同がスゥッと無言のまま目をそらした。
顔は見えないものの、明らかに困惑しているウィズを助けないのは、こうなってしまったアメリアを止める術を持たないことと、この不思議な騎士の正体に対する好奇心を多少の差はありこそすれ一同持っていたからに他ならない。
自分たちで問いただすことは礼儀として戸惑うものの、アメリアならば、なんとなく許されるであろう空気があった。
結果、1人の味方も得られないと悟ったウィズは、ため息を1つつくと白旗を上げることにする。
ある意味規格外の目の前の少女の好奇心を、ほんの少し満たすくらいの情報なら渡しても問題ないだろう。
「大陸の東の端にあるロドムという小国をご存知ですか?私はその国の出身で、現在、自国へと戻るために旅している途中です」
いつの間にか静まり返った空間に、耳に心地よく響く低めの滑らかな美声が流れた。
「その姿だと、これまでも随分長く旅していたみたいだけど、何をしていたの?見聞の旅?」
アメリアが小首を傾げ、さらなる疑問を口にした。
若い騎士の中には武者修行と称して無謀な旅に出る事もあると聞く。その類かと思ったのだ。
無邪気な問いに、ウィズから押し殺したような低い笑い声が漏れた。
「そんな大層なものではありません。魔術の事故で、強制転移させられたんです。座標が指定されていなかったため、跳ばした方もどこに行ったのか分からなくなってるでしょうね」
「まあ!大変だったのね。どこに飛ばされたの?」
アメリアの顔が気の毒そうに歪んだ。
未熟なものの魔術暴発ほど厄介なものはない。
自身も持て余すほどの魔力に恵まれたアメリアも、幼い頃は何度も魔力暴走を起こしかけ、周囲に多大な迷惑をかけてきた。
今回、神都を目指すのも、魔術大国でもある彼の国の学園に入学し、魔術の鍛錬を積むためである。
「…………リーン大陸に」
低く呟かれた言葉に、アメリアのものだけではない驚きの声が上がる。
それは遠く海を越えた先にある大陸だった。
魔法で風を起こして進む早船をもってしても順調に行って二か月以上かかる為、一応航路は通っているがほとんど交流はない、未知の大陸である。
アメリアに限らず、ほとんどの人間が、リーン大陸に足を踏み入れる事もなく一生を終えるであろう、そんな場所。
「…………それは、本当に大変だったのね」
ポツリと呟かれた言葉はあまりにも重い。
言葉すらろくに通じないであろう見知らぬ土地に突然飛ばされたのだ。
事故というからにはまともな装備も持っていなかっただろう。
さらに言えば、この容姿である。
他大陸とは言え、美醜感覚がそう変わっているとも思えない。他者との交流を図るだけでも一苦労であったことだろう。
どれほどの苦労があったかは想像するしかできないが、目の前にいる青年がここにいることが、もはや1つの奇跡であるというのは分かった。
周囲の同情に満ちた視線に、ウィズは苦笑とともに肩をすくめた。
「幸い身を守る術は持っていましたし、魔力も人並みよりはありましたから。傭兵のようなことをして金を稼ぎ、船の動力源の魔術師として雇ってもらう事もできました。苦労しなかったとは言いませんが、得難い経験でした」
さらりと何でもないことのように語り、手にしたカップを口に持っていくウィズには、身1つで数多の困難を乗り越えてきた強者の雰囲気が滲み出ていた。
「そうなのね。それにしても、リーン大陸、かぁ。どんな所なの?お父様ですら、殆ど情報を得られなかったみたいで、書斎にもろくな情報がなかったの」
やはり、というか、1番最初に立ち直ったのはアメリアであり、未知の大陸を旅して来たというウィズに興味津々で詰め寄った。
「……さほど、こちらと違いはありませんでしたよ?しいて言えば、人よりも獣人の方が数が多かったくらいでしょうか?おかげで、こちらよりは幾分私に対する当たりも弱かったので助かりましたが」
過去に想いを馳せるように、ウィズの顔が少し上を向いた。
ローブの奥で、僅かに目を細め、記憶を探る。
耳や手など一部だけに獣の要素を持つものから、獣の姿で二足歩行する者まで。
さまざまな姿形を持つ獣人たちが闊歩する国では、ウィズの容姿もただの個性と捉えられることの方が多かったのだ。
まあ、醜いことには変わりがないので、人には忌避されたし、獣人にも気の毒がられたりからかわれたりはしたのだが。
少なくとも、船に雇ってもらうことはできる程度には受け入れられていた。
反対なら、正規の料金以上を払っても、船に乗せてもらう事すらできなかったのではないかとウィズは苦笑した。
「そうなのね。この大陸にも獣人はいるけれど少数だし、基本トロン国から出てこないから、私は会った事がないの。人とはどう違うの?」
好奇心に瞳を輝かせてアメリアは話をねだった。
「そうですね。私もリーン大陸でしか獣人とかかわったことはなかったですが、基本おおざっぱで強者が尊ばれる風潮があります。おかげで助かりましたが、ある程度腕があることが知られると、顔を見るたびに勝負を仕掛けられるのには多少辟易しました」
苦笑する様子から、先ほど垣間見せた強さを他大陸でもいかんなく発揮してきたのであろうことがうかがえた。
もっとも、その強さがあったから、ウィズは今ここにいるのだ。
「人気者だったのね」
その意味を分かっているのかいないのか、アメリアがのんきにそう言って笑うと、カップの中身を飲み干して小さくあくびをした。
「もう寝るわね。お邪魔しました」
元気そうに見えても、魔物に襲われ、森の中の荒れた道を馬車で走り抜けた疲労は少女の中に確実に蓄積されていた。
小さく手を振って馬車へと戻っていくアメリアの背中にウィズが小さく何かを呟いた。
「今のは?」
隣にいたランバードが異国の響きを持つ言葉に小さく首を傾げる。
「悪夢よけの呪いだ。物おじしないお嬢様のようだが命のやり取りを間近に見たんだ。夢にうなされても不思議はない。…まあ、気やすめだがな」
肩をすくめて見せると、ウィズも手にしたカップの中身を飲み干した。
「俺も休ませてもらう。寝ずの番が必要なようなら、声をかけてくれてかまわない」
そういうと、ウィズは焚火の当たる範囲から少し離れたところにある大木に腕を組んで背中を預けた。
相変わらず目深にかぶったローブで顔は見えないが、そのままじっと動かなくなったウィズに、あのまま休むのだろうとランバードは小さく吐息をついた。
「……不思議な御仁ですね」
隣で焚き木に小枝をくべながら、副官を任せている青年が小さくつぶやいた。
ランバードはそれに無言でうなずくことで同意を示す。
仕える主人の娘二人を神聖シシュー国へと送ることが、今回のランバードの仕事であった。
自国からシシュー国までは馬車の通れる街道でつながれているため、そう難しい道程ではないはずだったのに、ふたを開けてみればトラブル続きであった。
それでも、仲間と力を合わせどうにか乗り越えてきて、最後の難所である森までたどり着いたのだが、そこで今までで最大の災難に襲われたのだ。
最近、魔物の活性化が多く報告されていたが、それも人里離れた場所が主であった。
少なくとも、人の通行の多いが移動にあれほどの大物が出現するなど今までになかったことである。
森の奥から巨大なクマの姿をした魔物がうなり声と共に飛び出してきたときには、正直死を覚悟した。
せめて大切な預かりものである二人だけでも逃がそうとしたのだが、巨大な魔物におびえた馬たちはパニックで動こうとしない。そうしているうちに、さらに現れた狼型の魔物たちに囲まれてしまったのだ。
幾人もの兵士が倒れ、いよいよ覚悟した時に飛び込んできた助けは不思議な経歴の持ち主であった。
嫌悪感を催すほどの醜悪な容姿。しかし、それに見合わない清廉な心と他の追随を許さない強さ。
「ロドムと言いう国を知っているか?」
出身国だとあげた国をまだその場に残っていた周囲に尋ねれば、皆首を傾げた。
その中で副官の男だけが、何かを思い出すようにしながら口を開く。
「…確か、山に囲まれた小国だったと思います。目立った特産物もなく国交を結んでいる国もあまりなかったのではないでしょうか?ただ、独自の文化を持っていて、我々とは違う系統の魔術を操ると聞いた事があります」
ゆっくりと小声でもたらされた情報にランバードは小さく頷く。
「険しい山に囲まれているため、あまり周囲との交流は取っていないが、誠実で真面目な国民性の国だ。魔術は知らんが、変わった身体強化を使い直刀の剣で戦う。昔、一度戦ったことがあるが、強かったぞ」
十年ほど前。
武者修行の旅の中でたまたま遭遇した、ロドム出身だという剣士との試合を思い出してランバードはつぶやいた。
「そいつは平民出身で魔力量が少ないから身体強化は苦手だと言っていたが、十分強かった。試合だから勝てたが、実戦ならおそらくやられていただろうな」
「ランバード隊長でもですか?」
驚いたように目を丸くする部下に、ランバードは苦笑する。
「まだ若かったしな。今なら危なげなく勝てるだろうが、ウィズ殿には勝てる気がしない。つまりはそういう事だろう」
「……魔力量の多い強者。つまり、彼は貴族かその流れに汲むものという事ですか…」
「まぁ、推測でしかないがな。とにかく、力強い味方ができたと思っておこう」
思案する副官に、ランバードは肩をすくめて話を切り上げる。
「我々も休もう。交代はいつも通りに。ウィズ殿は客人だから、交代要員には含まず休んでもらえ」
「「「はっ!」」」
短く答える部下たちを満足そうに見やって、ランバードは腰をあげる。
(テントを貸し出すというのも、余計なお世話なのだろうな)
一人でこの森の道なき道を旅してきた強者である。
恐らくああしていても意識の半分は警戒しているのだろうし、これまでの夜もああして休息をとっていたのだろう。
先ほどの体勢のままピクリとも動かないウィズを横目で見ながら、自身の寝床へともぐりこんだのだった。
「今日はいいお天気で良かったわね。空気もすがすがしい気がするわ」
「……あぁ」
おのれの腕の中で機嫌よく話すアメリアを、ウィズは困惑気味に見下ろした。
気分はまさに「どうしてこうなった」である。
簡単な朝食後、隊列を組み出発しようとしたのだが、アメリアが馬が余っているのなら、自分も騎乗で進みたいと言い出したのだ。
何があるか分からないから危険だといさめようとするランバードに、アメリアが胸を張って言いのけた。
「じゃあ、ウィズといっしょでいい」と。
「いや、なんでだ?」と、聞くともなしに二人のやり取りを聞いていたウィズは心の中で突っ込んだ。
ところがそれに対して、ランバードがしぶしぶとはいえ許可を出してしまったのだ。
なぜ、大事な姫君を、どこ誰とも知れない男に預けようとするのか。
そもそも、自分の容姿をしる少女が、狭い馬上に共にいる事を自ら望むのか。
数々の修羅場を潜り抜けてきたと自負のあるウィズだったが、この状況が理解できずにいた。
その困惑の沈黙を了承したと思われたのか、馬に乗せろと無邪気に伸ばされた手を反射的につかんでしまったのが運の尽き。
少女は腕の中で、無邪気に馬上からの風景を楽しんでおり、ウィズは、伝わる温もりに困惑しか出てこないというわけである。
「もう、ウィズ。ちゃんと話を聞いている?」
上の空の返事に、アメリアが不満そうに唇を尖らせて振り返った。
体格差がある為、それほど顔の距離が近いわけではないけれど、それゆえに振り返れば下から覗き込むようになる。そのため深くかぶったフードも意味がなく、ウィズはまっすぐに自分を見上げるアメリアの菫色の瞳と見つめあう事になった。
「……この顔が、気味悪くないのか?」
思わずこぼれた言葉に、アメリアがパチパチと目を瞬いた。
思いがけない事を聞いたと言わんばかりの顔に、ウィズは唇を引き結ぶ。
あまりにまっすぐに自分を見つめる瞳に、考える前に言葉が出ていたのだ。
「いや、馬鹿な事を聞いたわすれ「ウィズは意外と馬鹿なのね」」
考えなしに出してしまったおのれの言葉を恥じて打ち消そうとしたウィズに、アメリアがキッパリと言葉をかぶせてきた。
思ってもみなかった暴言に、今度はウィズが目を見開くことになる。
そんなウィズに、アメリアはまるで聞き分けのない子供に言って聞かせるような顔で口を開いた。
「確かに、私たちは出会ったばかりだけど、あなたの為人は分かったつもりよ。あなたは命の恩人で、自分で考え、動くことのできる立派な人だわ。確かに容姿は個性的だけど私にとっては大した問題じゃないわ。だって、きちんと言葉で交流できるし、むしろ紳士的だと思うけど?」
あまりにもあっさりと、アメリアはウィズという存在を肯定していく。
他大陸に飛ばされてからの短くない年月を、排除されることに慣れ切ってしまっていたウィズにとっては、あまりにも思いがけない言葉の数々にいつの間にか圧倒されていた。
「個性……なのか?」
顔を見ただけで悲鳴をあげられ、石を投げられた。
理不尽に非難され、ただ水を乞う事すらも許されなかった。
助けるために伸ばした手を、はねつけられたこともある。
脳裏をよぎる数々の光景に、ウィズは唇をかむ。
傷つかないはずはない。
本当は、何度も泣いて叫びそうになった。
それでも、騎士として培った精神が高潔であれと叫ぶのだ。
ここで折れてしまえば、相手の思うつぼだと。
こんなハンデなど大したことないのだと笑い飛ばして見せろ、と。
「そうね。一度会ったら忘れられないから、すぐに覚えてもらえていいんじゃない?」
あっさりと頷くと、アメリアは、振り向いていた体勢に疲れたのか前を向いてしまった。
「それでも、ウィズが気にするなら、仮面でも嵌めたらいいんじゃない?フードだと、昨日みたいに外れちゃうかもしれないし」
そのうえで、気になるなら隠してしまえと軽い口調で言ってのけるアメリアに、ウィズは何とも言えない気持ちで口をつぐむ。
泣きたいような、笑いだしたいような変な気持ちだった。
ただ、確かに心のどこかが軽くなった気がした。
だから、緩んでもいない手綱を持つ手に力を籠め、ウィズはポツリとつぶやいた。
「……仮面は、別方向で変じゃないか?」
「そう?人に見せられないひどい火傷傷があるとでも言っておけば、意外と受け入れられそうじゃない?」
それすらもあっさりと返すアメリアは木立の中に見つけた珍しい色の鳥を追うのに夢中で、もう振り返りもしない。
だから、フードの奥で浮かんだ不格好な微笑みを見るものは誰もいなかった。
「そもそも神聖シシュー国に向かう羽目になったのは、妹が準成人の儀で光魔法の適性を得たからなのよ」
昼前には森を抜ける事が出来、一行は徐々に広くなる道を進んでいた。
相変わらずウィズの前を陣取るアメリアは、さすがに人目と日差しを避けるためフードを深くかぶっていた。
フードをかぶった二人乗りはやや珍しいものの、魔術師にはよくある姿の為、それほど悪目立ちしているほどでもない。
もっとも、いかにも貴族の一行の中、ウィズだけがボロボロの旅装のままでは目立つため、体格の似ているランバードから予備の服などを借り受けてはいたのだが。
清浄の魔術で汚れは落とせても、衣類のほころびや装備の傷までは綺麗にできないのだ。
「光魔法は珍しいから教える事ができる人は限られているし、隣国の神聖シシュー国には専門の教育機関がある。友好国でもあるしお世話になることになったの」
そもそもの旅の目的を、アメリアは暇つぶしもかねてウィズに話していた。
「確かに、光魔法を磨くならシシュー国に行くのが早道だと言われているな」
光魔法は治癒や浄化に特化した魔術で、訓練で使えるようになる事もある他属性に比べて、先天的に適性がある人間しか使えない希少な魔術だ。
光魔法を極めると身体欠損を治したり、致命傷すらも回復すると言われている。
もっとも、修練法は独特で、そのノウハウを一手に持っているのはシシュー国のみと言われていた。
「でもユリアはすごい人見知りで、一人で知らない国に行くのは無理だって泣いていやがったから、姉の私まで巻き込まれたってわけ」
肩を竦めて見せてから、アメリアは笑い出した。
「まぁ、他の国に行ける機会なんてそうそうないから楽しみなんだけどね」
くすくすと笑いながら、内緒話のように声を潜めるアメリアにウィズも苦笑する。
好奇心旺盛で度胸もあるアメリアが、未知の体験にワクワクするのは、まだ短い付き合いのウィズでも十分に理解できていた。
産まれてきたときからアメリアを見てきた周囲の人々がその事を分かっていないはずもなく、きっと今回の留学はアメリアの為でもあるはずだった。
「シシュー国は、光魔術だけでなく他の魔術の教育機関も充実しているから、きっとアメリア様の糧にもなる」
恐らく、周囲のものが言えなかった本音を短く口にすれば、アメリアはくすぐったそうに笑う。
「そうね。私、魔力量だけは多いけど、繊細な術式は苦手だから魔力操作がもっと上達したらいいな、とは思うわね」
人差し指を立ててクルクルと回して見せたその先で、オレンジ色の光がパチパチと弾けた。
それは子供が魔力操作のために最初に習う行為で、本来なら、指先に魔力を顕現させ丸い形に整えるもののはずだった。それができたら、次に三角・四角と形を変えていくのだが、まるを形作るはずのアメリアの魔力はまるで花火のように弾けている。
元気にはじける魔力の塊が、まるでアメリアそのもののようで、ウィズは自分でも気づかないうちに口角をあげていた。
「顕現させる量が多すぎでまとまらないんだろう。魔力量を絞るか、形作りたいフォルムの外殻を固めるイメージでやってみろ」
囁きと共に、綺麗な青い魔力がアメリアの指先にともる魔力にくるりと覆うように張り付いた。
途端に弾けていた魔力が無くなり、綺麗な丸に整えられる。
よく見ると青い膜の中でアメリアのオレンジ色の魔力がグルグルとめぐっているのが見えた。
「え?これ、ウィズの魔力?どうやっているの?」
純粋な魔力の塊に他者が干渉するのは難しい。
魔力の扱いができない子供が、増え続ける魔力を抑える事ができず魔力暴発を起こす事故がまれに起こるが、その際は腕のいい魔術師が複数人で抑え込むか、空の魔石に吸収させるかで対処するしかない。
膨大な魔力を持って生まれたアメリアは、幼い頃は空の魔石を身に着けて生活していたけれど、それでも間に合わず弾けた魔力で部屋を吹き飛ばすこともままあった。
そのため乳母のほかに熟練の魔術師が常に付き従っていたのだが、感情のままに荒れ狂う魔力を抑えるために四苦八苦していたのを、アメリアは申し訳なく思っていたのだ。
「私の魔力って勢いがありすぎて扱いづらいって、いつも文句言われていたんだけど」
目を丸くするアメリアに、ウィズは小さく首を傾げた。
「力任せに押さえつけようとするから反発するんだ。魔力の流れを円の形に巡るように誘導してやって、その表面を同じ方向の流れで覆うように整えてやればいい」
「……その、誘導が難しいんだと思うけど」
なんでもない事のように答えるウィズに、アメリアは呆れたようにつぶやいた。
「これ、うちの魔術師たちに見られたら大騒ぎになりそう」
意識して眺めると、確かに内側で回る自分の魔力のほかに、表面を覆う青い魔力も同じ方向にゆっくりと流れているのが分かる。
今まで、アメリアが教わっていた魔力操作は石のように固めて形作る方法だった。
ウィズの教えてくれるやり方は、今までの概念を覆すことになる。
「魔力は体内を流れているのだから、外に顕現したところで動かし続ける事は可能だろう?むしろそれまで動き続けていた力を突然一定の形に押し固める方が不自然だ」
何を驚いているのか分からないというように首を傾げるウィズをアメリアは振り返る。
「ウィズの国ではそれが一般的な考え方だったの?」
「さて?うちは剣士の家系でな。魔術に関しては門外だったから教えを乞う先もなくて、ほとんど書物と独学だからよく分からん。後は、実践で使っていたら今のようになった」
微かに眉間にしわを寄せて答えるウィズは、容姿ゆえに、悪鬼さ加減が増している。
昔を思い出しているゆえの表情でしかなかったのだが、知らない人間が見たら、なんの悪だくみをしているのだろうと悲鳴をあげていただろう。
しかし、アメリアはそんな表情には頓着せず、ただひたすらになぜアメリアが驚いているのかが分からないと困惑の色を浮かべる瞳を見つめ、一つため息を落とした。
「ウィズが容姿だけでなく能力も規格外だってことが、よく分かったわ。まぁ、それくらいじゃなきゃ、たった一人で未知の土地に飛ばされて生き残るなんてできなかったんだろうけど」
「そんなに非常識な方法か?」
「少なくとも、私は初めて聞いたわね。後で他の人たちにも聞いてみましょう」
困惑顔のウィズに、アメリアは魔力を戻しながら答えた。
アメリアの魔力の動きを敏感に察知したのか、それに合わせるようにするッと青い魔力も消えていった。
(そもそもこんな自然に自分の体から離れたところに魔力を顕現させて自由に操るってのも異常なんだけど、きっと言っても無駄よね)
こっそりと思いながら、なんだか悔しくなったアメリアは背後にあるウィズの体に勢いよく倒れこんだ。
「なんだか、学校に行くよりあなたに教えてもらった方がはかどるんじゃないかと思えてきたわ」
結構な勢いで倒れこんだというのにびくともしない体にさらなるいら立ちを感じながら、アメリアはそのままの体勢で上を見上げる。
フードの奥の瞳は相変わらず深い困惑に彩られていた。
その後の休憩で護衛の魔術師たちに同じことを披露した結果、出発時間をずらさなければならないほどみんながヒートアップし、ウィズも自分が常識外れの事をやらかしていたことを認めるしかなくなった。
さらに、剣術だけでなく魔術の腕も一流だった事も発覚し、旅の間アメリアどころかほかの魔術師たちにまで魔力の扱い方を教えたり、ランバードをはじめとした騎士たちとも手合わせをしたりと非常ににぎやかな旅路になるのだった。
「ねぇ、ウィズは急いで国元に帰らないといけないの?」
その後旅は順調に続き、シシュー国に用意されていた屋敷に無事辿り着いた一行は、門前で立ち尽くしていた。
元々、ウィズの同行はシシュー国につくまでの予定だった。
それを、口約束だったのをいいことにアメリアがずるずると今まで引き延ばしてきたのだ。
しかし、安全な屋敷についてしまえば、それ以上引き延ばすのは難しかった。
しかし、短い旅の中ですっかりウィズを気に入ってしまったアメリアは、別れの気配にしょんぼりと肩を落としていたのだ。
「いや……。一応、失踪したことになっているだろうからケジメとして戻ろうとしていたけれど、おそらく家に帰ったとて俺の居場所はもうないと思う」
馬から降り立ったままの姿で、ウィズは静かに答える。
その顔には、目の部分だけが開いたシンプルな仮面がつけられていた。
アメリアが戯れにつぶやいた案を、面白がったウィズが採用した結果だった。
森で採取した特殊な木を削って作られた仮面は、軽くて通気性もよく意外と快適だそうだ。
ほとんど馬車から姿を現さなかったアメリアの妹であるユリアが、手慰みに作り上げた作品でもある。
極度の人見知りゆえに言葉を交わすどころか顔を合わすこともなかったが、ユリアも命を救ってもらった事を感謝していたのだ。
「じゃぁ、このまま我が家に滞在しない?護衛として雇えるし、魔術の師として迎えてもいい。希望はできるだけ叶えるわ」
アメリアが、勢いよく顔をあげた。
その瞳は、期待に潤んでいる。
真っ直ぐに菫色の瞳に見つめられて、ウィズは揺れていた。
とある事情から国に帰還しようとしていたが、今となっては別に急ぐ必要も感じていなかった。
それは、明らかに目の前の少女発生の居心地よい空間と他者とのやり取りにほだされたせいであり、それほどに久しぶりの穏やかな時間だった。
この姿になってから、初めてだったといってもいい。
だが、偶然命を救う事になっただけの自分が大国の公爵家とかかわりを持っていいかと思うと二の足を踏む。
あまりに一行が普通の対応をしてくるため忘れそうになるが、自分の姿が人々に嫌悪されるものだというのも身に染みているのだ。
その事で、このおおらかな少女に不利益が降り注がないとは、とてもいい切れなかった。
黙り込むウィズを、アメリアは辛抱強く待った。
目の前のいろいろと規格外の青年が、誠実ゆえに頑ななのはもう知っていた。
そして、言葉の端々から何か秘密を隠し持っている事にも、人を見る目にたけるアメリアは敏感に察知していたのだ。
「非常にありがたいが、まずは俺の話を聞いてから判断してもらってもいいだろうか」
だから、長い沈黙の後、苦い声音でウィズがそういった時、アメリアは一二もなく頷いた。
内心(ウィズゲット~~~!!)と雄たけびをあげながら。
そんな二人のやり取りを、と、いうかアメリアの内心を読み取った周囲が温い目で見守っていたのだった。
「なに、その女!最低なんだけど!!」
そして、場所を居間に移し、アメリアは吠えていた。
旅装をとき軽く埃を落とした後のため、綺麗に背中に流されたままの髪が魔力を帯びてふわりと広がる。
果てには、パチパチとあふれ出した魔力がはじけていた。
「落ち着け、アメリア。魔力がもれている」
同じくマントを外し身ぎれいにしたウィズが、パチンと指を鳴らした。
途端にアメリアから漏れ出していた魔力がスッと消え失せる。
「……だって」
途端に興奮が少し落ち着いたのか、立ち上がっていたアメリアがストンと腰を落とした。
しかし、その愛らしい唇が不満を表すようにツンととがったままである。
「自分の気持ちが受け入れてもらえないからって、癇癪起こして呪った挙句に別大陸まで吹っ飛ばすなんてどれだけよ!」
イライラと吐き捨てるアメリアに、ウィズは困ったように肩を竦め、同席していた面々は何とも言えない顔を見合わせた。
ウィズが聞いてほしいといった話は、なぜ他大陸まで飛ばされてしまったかの原因だった。
ウィズはもともとロドム国の王に仕える筆頭騎士の当主のもとに5男として産まれた。
側室腹であったため大して注目も受けていなかったのだが、剣術の才能に加えて魔力も多かったためめきめきと頭角を現したらしい。
加えて美女と名高かった母親の血を濃く引いたためか、非常に見目麗しかった。
成人の儀を終え、領地で過ごしていたのをせっかくの能力を活用せよと王国騎士団に放り込まれた際、転機が訪れた。
主家の末姫に見初められてしまったのである。
とはいえ、側室である母親はその美貌ゆえ召し上げられた平民であり、筆頭騎士の血筋であっても王の末姫をめとるなど許されることではなかった。
それでも、お互いが思いあっているのならまだ許される芽があったのかもしれないが……。
「どうにもそんな気にならなくてな」
王家の血筋らしく大変見目麗しい姫であったのだが、甘やかされた上の傲慢さと他者をもののように扱う様子が苦手で、ウィズは身分が足りないのをこれ幸いと逃げ回っていた。
拒否されることに慣れていない姫は、たいそう意地になり、さらに追いかけ回すという悪循環。
挙句の果てに。
「自分のものにならないなら、そんな美貌は分不相応だ。身分にふさわしい見た目になればいい、と言われて呪いをかけられたんだ」
王家の秘宝を勝手に持ち出し強力な呪いで姿を変えられ、自分のシンパであった魔術師たちを使い場所指定しない転移術で飛ばされたのだ。
「完全に、私刑じゃない。ありえない!」
「まぁ、まさか他大陸まで飛ばされるとは魔術師たちも思っていなかったと思うがな」
怒り心頭なアメリアに、ウィズが穏やかな声でなだめようとする。
が、どうにも逆効果だった。
「なんでそんな理不尽な目に合わせられて怒らないのよ!」
八つ当たりのように叫ぶアメリアに、ウィズがゆっくりと首を横に振る。
「もう何年も前の事だ。怒りもきえたよ」
あくまで穏やかな声音に、アメリアも様子を伺っていた他の面々も息をのむ。
そもそも逆らう事も難しかった立場で逃げ回っていたのだ。
国元で言葉以上に嫌な目にあった事も多かっただろうが、そのうえで容姿を変えられ見知らぬ土地へと飛ばされたのだ。
怒りも絶望もさぞ深かったことだろう。
それでも前を向けたのは、ひとえにウィズの精神の強さゆえだ。
「ウィズはすごいわ」
アメリアは万感の思いを込めてウィズを見つめた。
仮面の向こう側、その表情は分からないがふっと緩んだ気配にウィズがほほ笑んだことを知る。
「まぁ、人との交流を持つのが難しかったので、それだけでもどうにかならないかと国元を目指したが、今回、皆と旅をして、自分の甘えもあったのだと痛感したからな」
そっと仮面に触れて、ウィズは笑う。
容姿を隠すことを考えなかったわけでもない。
だけど、隠してしまえば自分の中の何かが曲がってしまう気がして頑なに顔をさらし続けた。
しかし、今回仮面をかぶることで、明らかに他者の視線が変わったことを知ったし、その事で自分が変わることはなかった。
だがそれは、屈託なく変わったしまった自分を受け入れてくれたアメリアの存在が大きい事に、ウィズは気づいていた。
そのままの自分が受け入れられた経験があったからこそ、仮面をかぶっても卑屈になることはなかったのだ。真っ直ぐに自分を見つめた菫色の瞳を思い出すと心のどこかがふわりと温かくなる気がした。
(俺はこの恩を返さなければならない)
だからウィズは、ひっそりと誓う。
自分は大丈夫だと頑なに目をそらしていた、凍り付いた心を救ってくれたアメリアに。
「もし、今の話を聞いて嫌でなければ、ここに置いてもらってもいいだろうか?」
ひそかな決意を胸に頭を下げたウィズに、内心の小躍りしたい気持ちをかくして、アメリアは重々しく頷いた。
「そういえば、ユリアがウィズの姿がぶれて見える時があるって言っていたのは、呪いで姿が変えられていたからだったのね」
改めて契約をかわそうと話し合い、契約書作成に執事が席を外した時、お茶を飲んでいたアメリアがふと思い出したように言った。
「そんなことがあるのか。そういえば、光魔法は浄化が使えるから、呪いも場合によっては解くことができるのか?」
首を傾げるウィズに、アメリアが目を輝かせる。
「じゃあ、光魔法の上位者に相談したら、ウィズの呪いも解けるかもしれないってことね!」
「そう、うまくいくかは分からないですが、その可能性はあるかもしれないですね。解けなくとも、何かしらの助言はもらえるのではないかと」
今後はその指揮下に入る予定だからとちゃっかりとその場に同席していたランバードが、用意されていた軽食をつまみながら答える。
「そっか。どこに問い合わせたらいいのかな?神殿?」
「どうですかね。力の強いものほど神殿所属になるでしょうけど、上位の方につなぎをとるにはまず伝手を探さないと難しいかと」
真剣な顔で相談を始める二人に、ウィズがのんきに首を横に振る。
「別に無理しなくても、仮面があれば人前でも問題ない」
実はひそかに仮面が気に入っている様子のウィズに、アメリアが呆れたような目を向ける。
「問題はあるでしょう。私は気にしないけど、やっぱり四六時中仮面をつけているのは不自然だし、護衛してもらってても不審者として、いれてもらえない場所も出てきそうだし」
「……だめか?」
残念そうに肩を落とすウィズに、ランバードが不思議そうな目を向ける。
「元の顔に戻りたくないのか?幾ら通気性は良いといっても視界が遮られて死角ができそうだし、邪魔じゃないか?」
「……元の顔に戻っても注目はされるし、煩わしい事も多い。完全に解けるんじゃなく、効果半減くらいにしてもらえないものか」
真剣な声音で悩みだすウィズに、アメリアとランバードは顔を見合わせた。
「……いったい、どんな顔だったの?」
「小国とはいえ何でも手に入るお姫様が固執する美貌でしょう?しかも、ウィズの口調だとウィズさえ受け入れればどうにかなりそうな空気だったみたいだし、そうとう?」
「なにそれ!すっごく気になる!!」
コソコソとやり取りをする二人をウィズが不思議そうな顔で見ている。
やがて、好奇心が抑えられなくなったアメリアが、ウィズに聞き取りを始めるのだが、でるわでるわ。
産まれた時から愛らしい姿に、平民側室の子だというのに父親どころか正室までメロメロになり取り合いになったとか。
騎士を生業にする家に生まれた男児だというのに、怪我をして傷が残っては大変と8歳になるまでろくに修練をつけてもらえず、最終的に許してもらえなければ傷をつけると小刀を振り回したことでようやく許可が下りた、とか。
外に出すと争いのもとになると、王都どころか領地内もろくに出してもらえなかった、とか。
成人して王家に仕える事になったのも、その美貌のみならず剣や魔術の優秀さが噂に噂を呼び王家の耳にまで入ったからだった。
「え?すごく可愛がられてる。それって、姿消した時すごく騒ぎになったんじゃない?」
「どうだろう?やっかみも多かったから、適当に誤魔化されたんじゃないだろうか?」
「いや、それ、絶対家族が抗議してるだろう?帰らなくとも、一度連絡を入れた方がいいんではないか?」
三者三様に首を傾げる中、書類が整ったと戻ってきた執事はなにをしているのかと不審な目を向ける事となった。
その後、呪いをとく方法が分かったり、息子の無事を聞いた当主が長男(長兄)を送り込んできたり、王家の我儘末姫が突撃してきたりするのは、また別の話。
読んでくださり、ありがとうございました。
なろうの仕様変更後、執筆中小説の保存方法も変わり、改めて振り分けしている中に発掘した小説でした。
書きかけで長く放置、また書き足して放置~~を、繰り返していた為、設定忘れているわ、なんか文体微妙に変わっているわ、の、問題作ですが、息抜きかねて供養(笑)
本当はその後~の二行部分で恋愛が発展する予定だったのですが力尽きました。が、なんか悔しいのでジャンル変更せずに投下します。