〈 8 〉
瑠璃色のカーテンが音もなくゆっくりと開いた。
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空いっぱいに広がる星。数えきれない無数のきらめき。思わず息をのむ。こんな多くの星を一度に見るのは初めてだ。
天頂に向かって、白く煙るように伸び上がる天の川に首を巡らせる。首が痛くなるくらいに高くまで続く、美しい天空の帯。天の川を横切って流れ星がひとつ。願い事をする間もなく、あまりにもはかなく、それは消えてしまう。そう言えば、流れ星にうまく願い事を言えたためしがない。
どこからか、物悲しいコオロギの鳴き声が聞こえてくる。
星空から地平線に目を下ろすと、黒い森がシルエットになっていた。森の中から、人の形をしたものが浮かび上がってくる。ゆっくりと、踊るような足取りでこちらに近づいてくる。その動きは何だかぎこちない。
星あかりに照らされながら、その輪郭がはっきりしてくる。ぎこちない動きの訳がわかった。それは、あやつり人形なのだ。木でできているその人形は、この美しい星空から降りてきた見えない糸であやつられている。その動きは酔っぱらいを連想させて、どこかユーモラスだ。
人形が手の届くくらいの距離までやってきた。丸太にぽっかりと穴を穿っただけの目と口が、笑いかけるように三日月の形になった。こちらに向かって両手を差し伸べる。何かを話しかけたいようだ。耳を近づけようとした時、背後で大きな音がした。ガラスの割れる音だ。
振り返ってみる。半分割れたグラスが地面に転がっている。割れたガラスの破片がキラリと光った。
割れたグラスの脇をすり抜けて、小さな黒い影が足元へ走ってきて、「チュー」と鳴いた。ネズミだ。ネズミは好きではないが、このネズミからは何故かいやな印象は受けなかった。
ネズミは一瞬顔を上げてこちらを見たが、すぐに何かに追い立てられるように闇の中に姿を消した。
固い地面を踏みしめて、駆けてくる足音がそのあとから聞こえてくる。赤いチョッキを着た少年が息を切らしてあらわれた。こちらを見て少し驚いたような顔をしたが、次の瞬間、荒々しく右手を取られた。ひんやりと乾いた手だ。
「早く逃げよう、ここは危険だ。」
切羽詰まった声でそう言った。
少年のあらわれた暗く深い森の方角から長く尾を引く遠吠えが聞こえる。腹の底に響くようなオオカミの声だ。
少年に手を引かれて駆け出した。
森の中は暗かった。足元もよく見えない。絡み合った木の根につまづきながら夢中で走った。
いつのまにか少年とはぐれてしまった。一人になっても必死で逃げ続けた。
白々と夜が明けてくる。森を抜けた。緑が目に染みるような美しい草原が、眼前に広がっている。まわりはすっかり明るくなった。
オオカミのことは忘れてしまっていた。もう走る必要もない。
湖のほとりにやってきた。青い湖面に朝日が当たってキラキラと光っている。水の中をのぞき込んでみる。水面に映った自分の顔。水は澄んでいるが、その中までは見通せない。
ふいに水面が揺れた。同心円の波が水面の一点で起こり、徐々に大きくなる。水の中から何かが浮かび上がって来ている。
金色の髪をした人の顔が水の中からあらわれた。髪の中から二つの小さな翼が生えている。頭に続いて全身が姿をあらわす。ゆったりとした白い布をからだに巻き付けた、髪の長い女性。足に履いた金色のブーツにもそれぞれ翼が生えている。水の中から出てきたのに、服もからだも濡れていない。肉付きのいいからだをしたその女性の目は、以外なほとおだやかな光を湛えている。
彼女は左手に翼の生えた杖を持ち、右手に人形を手にしている。かわいらしい女の子の人形だ。ガラスでできたように、人形のからだは透き通っている。人形の瞳は濃いブルーだ。悲しみを訴えかけているようなその目を見ていると、何だか吸い込まれそうになってくる。
何の前触れもなく、突然人形のからだに亀裂が入った。次の瞬間、人形はバラバラに砕け散った。ガラスの割れる乾いた音が鼓膜に響き、乱反射した光が目に突き刺さった。
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瑠璃色のカーテンがゆらめきながら静かに閉じた。