〈 6 〉
屋上で、健人は携帯電話を使い、店の安全管理部、施設管理部に至急の連絡を入れた。
孝之は平良杏奈に電話し、屋上での集合写真は中止することを伝えた。
「詳しい説明は後にするけど、とりあえず、天候不良の可能性があるということにでもしておいて欲しい。イベントの締めはフロア内でなんとかまとめてくれないか。」
杏奈はそれ以上は質問せず、
「わかったわ。あとはまかせといて。」
頼もしくそう言ってくれた。
後で聞いた話だが、その後の杏奈の差配ぶりは見事だったらしい。まだ仮装を解いていなかった各階の部長たちを呼び集め、こども達を交えた小規模の撮影会を行なって、最後は拍手喝采で終われたそうだ。ドレスの夏実や野獣の孝之にもう一度会いたいと言うこども達も多かったそうだが、
「野獣さんは本物の野獣になって、森に帰ったんだよ。あのお姉さんも一緒について行ったんだ。野獣さんを人間に戻すために。」
黄色いドレスの女の子が一生懸命まわりにそう説明してくれたらしい。
管理部の部長以下スタッフ数名はほどなく現場に到着した。その時には煙はほとんど収まっていて、踊り場全体がほぼクリアに見渡せるようになっていた。最初見た時は、人の形に膨らんでいるように見えたドラキュラの衣装は、ぺしゃんこになってしまっている。襟から湧き出たものは形を失って、赤く細かい泡となって広がっている。泡からはかすかにまだ白い煙が立ち昇っていた。
手袋にマスクをし、簡易の防護服に身を包んだ管理部の人たちは慎重に、でも手際よく現場を点検していく。ドラキュラの衣装を床から剥がすようにして裏返す。赤く染まったシャツ。袖口と足首まわりからも赤黒い泡が流れ出る。衣装を持ち上げると、中から細かい肉片のようなものがパラパラと落ちた。泡で汚れた床の点検がひと通り終わると、管理部のスタッフの中の一人がマスクを外して、
「とりあえず危険はないと思います。火気も無いですし、この煙も有毒なものではないでしょう。」
「なんでこんなものが、ここにあるのかな。」
管理部の部長は首をひねった。
孝之たちは事の経緯を部長に話し始めた。
こどもパレードから始まった顛末を、夏実と交互になって説明していると、その背後から野太い声がかかった。
「ひどいイタズラだな、これは。」
振り向くと百貨店の最高責任者である店長と販売促進部長が立っている。健人が連絡を入れたのだ。
体育会系を自称している、がっしりした体格の店長は、踊り場を見て顔をしかめている。
今度は健人が店長に経緯を説明している。孝之が感心するほど要領を得た内容だったが、店長は説明の9割ほど聞いた段階で結論を下した。
「そのドラキュラのこどものイタズラだな。しょうがない奴がいるもんだ。管理部長、ここにも監視カメラが必要だな。」
「でも店長、それなら、その子はどこに行ったって言うんですか。」
健人が珍しく店長に食って掛かる。
「どこにもいない。消えてしまったんですよ。」
「イタズラを仕掛けて、どこかに隠れていたんだよ。一面煙で覆われてたんだろう。煙にまぎれて隠れていて、隙を見て逃げ出したんだ。」
反論の余地を与えない断固とした口調で、そう断言すると、店長は管理部長に向かって顎をしゃくった。
「危険物ではないんだろう、早く片付けてしまいなさい。」
「なるほどね。結局店長は事を荒立てたくなかったって訳ね。」
杏奈はシニカルな面持ちでうなずいた。
あれから、孝之たちは管理部の人たちと、踊り場の片付けをおこなった。販売促進部長も一緒になってやり出したから手伝わざるを得ない。販促部長は店長の言葉には一切逆らわない。清掃の仕上げを管理部に任せて、孝之たちは現場を離れた。
着替えをすませてから、孝之、夏実、健人の3人はこども服の売場奥の事務所で、杏奈と顔を合わせた。
孝之たちの話を聞いて、杏奈は驚いていたが、どこか納得したような表情も見せた。
「でも、店長の言うことも、わからないではないよ。普通に考えれば、イタズラとしか思えないから。」
孝之は自分に納得させるようにそう言った。
「ドラキュラが太陽の光を浴びて、消えてなくなっただなんてね。」
売場の商品ストック場の隅に無理やり作ったような事務所だ。4つあるパイプ椅子にそれぞれ腰かけると、ひざを突き合わせる格好になる。杏奈はレースクイーン姿のままだ。よほど気に入っているのだろうか。向かいに座った孝之は目のやり場に困る。
「普通に考えたらね。」
杏奈は真面目な口調になって、
「でも、あのドラキュラはもしかしたら本物だったのかもしれない。」
「えっ。」
「どういう事。」
夏実と健人は杏奈の顔を見る。
「あの撮影会の時、不思議なことがあった・・」
「やっぱり、平良さんも気づいてたんだね。」
孝之は夏実と健人を交互に見ながら、
「夏実は気づいて無かったと思うけど、王宮の間で撮影会があった時、こども達は魔女の鏡の前を通って撮影場所まで来たよね。ドラキュラが鏡の前でポーズを取った時、その姿が鏡に映らなかったんだ。」
「そんなバカな。」
「見間違いじゃないの、小澄さんの。」
夏実と健人はいっせいに声を上げた。
「ぼくも見間違いじゃないかと思った。でもそうじゃない、本当なんだよ。ほかのこども達はちゃんと鏡に映っていた。」
「わたしも目の錯覚か何かだと思った。」
杏奈の顔も真剣だ。
「あの時、わたしはこどもたち一人ひとりを気を付けて見ていた。それでなくても、はしゃぎがちだし、撮影会で注目されてテンションMAXだろうし、ケガされたら困るから。だから気づいた。ドラキュラのこどもだけが鏡に映らなかったってことに。」
「でも、そうだとしたら、その場にいた他の人は気づかなかったのかな。騒ぎになりそうなものだけど。」
夏実が投げた疑問には孝之が答えた。
「はたしてあの中でどれだけの人が、ドラキュラに注目していたか。たとえば、保護者の方々は自分の子以外に関心がどれだけあったか。それでも何かおかしいと気づいた人はいたかもしれない。でも、光の加減か何かの錯覚だと考えるのが普通じゃないかな。起こり得ないことだから。ぼく達はドラキュラのことを気にしていて、逆に先入観を持っていたから、それを現実として見ることができたんだと思う。」
夏実と健人は黙って顔を見合わせた。
「そうだ、その時の写真はありますか。」
健人が思いついたように杏奈に尋ねた。
「そうか、写真か。ドラキュラだったら写真にも写っていないかも。」
杏奈は膝を打って立ち上がると、事務所を出て行った。
しばらくして、杏奈はカメラを手にして戻ってきた。開いた画面を三人に示す。
「写ってるわ。ドラキュラもしっかりと。」
美女と野獣にはさまれて、両手を差し伸べたポーズでドラキュラの子がハッキリと写っている。孝之とその子はマスクで表情はわからない。笑っているのは夏実だけだ。
「デジタルカメラには写るのかな。」
健人が頭に手をやった。
「内部に鏡が使われてないから・・」
「じゃあ、写真は決め手にはならないわね。」
杏奈はがっかりしたように言ってから、
「ドラキュラが消えた時のことをもう少し詳しく教えて。守屋さんはずっと屋上にいたのよね。」
「集合写真の撮影会のために、ずっと待機してましたよ。」
「誰も屋上には来なかったの?ドラキュラのことがあるまでは。」
「来なかったですね。一人で孤独でした。」
「ドラキュラのこどもが屋上に上がってきて、どこかに隠れたってことはないの。」
「ないですね。だって屋上のトビラに鍵をかけてましたから。」
10階屋上には随分以前はささやかな屋上遊園があった。百貨店が、家族連れの憧れのレジャースポットだったころ、古き良き時代の話だ。今は夏のビアガーデンの時以外は使われていない。屋上の隅に小さなお稲荷さんが鎮座しているだけだ。普段は保安上、自由に出入りできないように施錠してある。背景に広がる街並みは綺麗なので、健人が今回の撮影場所に選んだのだ。
「そろそろ撮影会でみんなが上がってくると思って、トビラを解錠しようかと思ってたところだったんですよ。そしたら稲森さんの悲鳴が聞こえたんです。あわててトビラを開けてみると、煙がもうもうとあがってて。」
「守屋さんの横をすり抜けて、ドラキュラが屋上に出たってことは。」
「考えられないですね。狭い場所だし、いくら煙っていたとしても、人が通れば気づいたはずです。」
「そうかあ。じゃあ階下へ隠れたのかしら。」
杏奈は夏実の方に向きなおった。
「わたしがドラキュラの子を追っかけて8階の階段に着いた時、ドラキュラの子の姿はもう見えなかったけど、上の方から足音が聞こえていたの。」
夏実が思い出すように上方に目をやって、
「階段を駆け上がろうとしたんだけど、ドレスの裾が邪魔であまり早くは上がれなかった。9階に来たころには足音は聞こえなくなったけど、すぐに苦しそうな叫び声のようなものが聞こえたの。それで、なんとか踊り場まで行くと、煙が上がってて、ドラキュラの子が倒れていたというわけ。小澄さんが来てくれたのはその後すぐだった。」
「ぼくもその叫び声と夏実の悲鳴は階段の途中で聞いた。誰ともすれ違ってない。ドラキュラが、階下へ降りた可能性は無いと思う。踊り場も広いスペースではないし、煙がひどいといっても、人が隠れているのを見逃すはずはないよ。」
「ところで平良さん、ドラキュラの子の名前はわかるのかな。」
孝之は杏奈に聞いた。
「パレードの名簿があるからわかるはず。」
杏奈は事務机の引き出しの鍵を開けて、名簿を取り出した。
「ええと、この子よ。名前は『小森 翼』となってる。10歳、小学校4年。」
パレードの参加者は抽選だ。この子は50名の当選者に入った訳だ。
「抽選は厳正におこないましたよ。」
健人が言った。参加者抽選の責任者は健人だ。
「この子に保護者、付き添いの人は誰もいなかったのかな。パレードの時には見当たらなかったけど。」
孝之は重ねて杏奈に質問する。
「受付にやって来た時は、お母さんがあとから来るって言ってたような気がする。」
杏奈はそう答えた。
「声が小さくて聞き取りにくい、ささやくような声て、今思えばちょっと妙だった。」
「パレードの最中もあの子、こどもらしいノリはなかったわね。」
夏実も同調してうなずく。
「あやしいね、この名前。」
名簿を指さして、孝之が眉をひそめてつぶやく。
「ドラキュラですって自分から名乗ってるようだ。」
「これ、偽名だって言うの。」
杏奈は驚いて孝之を見る。
「だって、小森 翼・・・こうもりつばさ、だよ。」
「たしかに。」
健人がうなずいて、
「偽名を使い、鏡に映らず、太陽の光で溶けてしまったってことは・・・本物の吸血鬼だったのか。」
「本物かどうかはこれでわかるかも。」
夏実がそう言って、手に持った紙袋を横の机に置いた。一同の視線が集中する。
「さっき踊り場の後片付けの時、貰ってきちゃったの。捨ててくるっていいながら。」
夏実は袋の中身をチラリと見せた。赤黒く汚れた白い布地が見えた。
「ドラキュラの子のシャツよ。これを今から県警に持って行って調べて貰おうと思って。」
健人は感心したように夏実を見て、
「そう言えば、稲森さんのお父さんは県警本部の警視でしたっけ。」
「そうよ。なんとか父にうまいこと言って、鑑定してもらうつもり。詳しい鑑定を頼むのは無理だろうけど、これが本物の血かどうかくらいは解るかもしれない・・・」