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ハロウィンがやってきた。
S百貨店のこども服売場は8階にある。フロア中央にあるエスカレーターホールは一部ガラス張りになってその部分から外光がさしこんでいる。ホールは他の階より大きめで、外光だけでは採光が足りず、天井からの関節照明で補っている。店全体の方針で、百貨店としての高級感を優先するため、各階ホールの照明はやや抑え気味になっている。その日の天気予報は晴れ時々雲り。時おり分厚い雲が流れてきて、陽光は遮られがちだ。
エスカレーターホールに隣接する形で40坪ほどの多目的スペースがある。こども売場では、季節に合わせたいろいろなシーズンイベントがある。クリスマスのおもちゃ、お正月の羽子板・破魔弓、ひな人形と五月人形、ランドセルや新入学関連グッズ、夏休みの作品展や母の日・父の日の似顔絵展、新発売のゲームソフトのプロモーションなど。それに対応できるユーティリティースペースが不可欠だ。ハロウィンのあるこの週は、ここにハロウィンの装飾がいつにもまして念入りに作られていた。
床には赤いカーペットが一面に敷かれ、天井からはイミテーションのシャンデリアが吊り下げられている。張りぼての壁は一部バルコニーを模した作りで、その向こうに幾重にも重なった尖塔のシルエットが貼ってある。その横の壁にはレンガ調の壁紙が貼られ、大きな鏡もはめ込まれている。鏡のまわりには赤いバラがあしらわれ、その前には金色の燭台が置かれている。「王宮の間」のイメージだ。
「王宮の間」にはハロウィンのイメージをだすため、大小のジャック・オー・ランタンが要所に飾りつけられている。
「今年の装飾はすごいでしょ。」
守屋健人は映画のセットのようなその装飾の前で、そう言って胸を張る。健人は東京の制作プロダクションに勤めていたという経歴の持ち主だ。2年前にその会社を辞め、S百貨店に途中入社してきた。店内での経験は浅いが、専門スキルを生かして、店内のイベントの企画・装飾の責任者を任されることが楽しいと言う。特に装飾については時に自ら図面を起こし、制作物の手配も自分でしたりする。
今回のハロウィンの装飾は健人の自信作だ。いつになく店からもらった予算が豊富だったせいもある。
王宮の間のカーペットの上に、稲森夏実と小澄孝之が立っている。夏実は黄色いドレスに華やかなティアラを付け、孝之は青いタキシードに野獣のマスクだ。並んでポーズをとってみるが、孝之の野獣はどことなくぎこちない。
「お二人とも、よく似合ってますよ。完璧な『美女と野獣』ですね。」
そういう健人はミニサイズの魔女の帽子を、申し訳程度に頭にのせている。二人に向かって片手をあげてひらひらと振った。
「それじゃ、パレードはよろしくお願いします。僕は屋上で待ってます。」
「天気は大丈夫かな。雨にならなきゃいいけど。」
孝之がマスク越しに声をかける。
「そうですね。天候状況とかは小澄さんの携帯電話に連絡入れます。」
健人はそう言い残してその場を去った。パレードは店内の各階を一周した後、この場所に戻り、王宮の間で一人ずつ記念撮影をする。そのあと、屋上へ異動して全員で集合写真を撮って終了という段取りだ。人数が多いので、スペースの都合上フロア内では集合写真が写しにくい。
ドレス姿の夏実は王宮の間の装飾物を興味深そうに見て回っている。心なしか優雅な歩き方をしているように見える。どこかエキゾチックな雰囲気のあるその面立ちに、ドレス姿が良く似合っている。
孝之は張りぼての壁にはめ込まれた大きな鏡の前に立ってみる。真実を映し出す「魔女の鏡」だ。鏡には正装した野獣の姿が映っている。よくできたマスクだ。こどもたちが怖がらないだろうか。大きなパッドで肩がいかっているが、その分下半身が少し貧弱に見える。
孝之は時計を見た。午後1時半になる。パレードは2時からだ。そろそろ参加者のこどもたちがやってくるころだ。
パレードの参加者は小学生以下限定で50名である。孝之がこども売場を担当していた頃は参加者集めに苦労したが、最近は応募者が多く、抽選で参加者を決めている。
エスカレーターホールの隅にカウンターが置かれ、参加者の受付になっている。そこに受付係として平良杏奈があらわれた。
杏奈の格好を見て、孝之は腰が抜けそうになった。
この日、こども服フロアの販売員たちは皆それぞれハロウィンの仮装を一部取り入れた格好をしていた。販売業務をやりながらなので、頭に帽子やリボンをのせたりする程度だ。だが、杏奈は気合の入ったコスチュームに全身を包んでいる。
それが、こともあろうにレースクイーンだ。
ピンク地にチェッカーフラッグの意匠が肩口から腰にかけて斜めに入っている。肩回りとわき腹、両足が大きく露出している。大きなからだを無理やり押し込んだコスチュームが、今にもはち切れそうになっている。
こども服売場の主任の仲沢明日香が通りがかりに、立ちすくんでいる孝之を見て足を止めた。
「野獣の小澄さん、どうかしましたか。」
明日香は杏奈の直属の部下にあたる。こども服売場担当時代、孝之も一緒に仕事をしたことがある。良く気の付く、動きのいい社員だ。頭に黒いリボンと三日月のような角を2本付けている。キュートな小悪魔といったところだ。
孝之はカウンターで笑顔を振りまいている杏奈を目線で指し示しながら、
「あれ、誰も止めなかったの。」
明日香は背後の杏奈にちらりと目を走らせて、一瞬だけ顔をしかめて見せた。そして孝之に顔を近づけて声をひそめた。
「止めましたよ。もちろん、全力で。そんな格好で風邪でもひかれたら大変だって。でも一度決めたら引かない人だから。」
「そうやっていつものように押し出されたわけか。」
孝之がボソリとつぶやく。そして少しあわてたように、
「もとい、寄り切られたんだね。」
明日香は我慢できずに小さく吹き出して、孝之を叩くふりをした。
「押し切られたの。そんなこと係長に聞こえたら殺されますよ。」
孝之はため息をついて小さく身震いした。
「しようがないね。お母さま方からクレームがつかないことを祈ろう。」
参加者のこども達が次々にやってきて受付を始めた。レースクイーンの杏奈はこども達の仮装にオーバーアクションで驚いたり、褒めたりして場を盛り上げている。如才のないその応対ぶりは、さすがだなと孝之はあらためて感心する。
こども達は皆、負けず劣らずそれぞれ凝った仮装に身を包んでいた。定番の魔女や悪魔、ティンカーベルやゲーム・アニメの主人公など、その衣装は手作りのものを含め、なかなか力のこもったものだ。
その格好のせいか、こども達のテンションは高い。受付が終わるとすぐに保護者のそばを離れて「王宮の間」の中をはしゃぎ回るこどもが多い。
孝之は野獣らしく、低いうなり声を上げながらこども達を捕まえるふりをしたが、こども達は怖がりもせず、歓声をあげてまとわりついてきた。
ドレス姿の夏実も人気で、女の子たちに取り囲まれている。夏実は一人一人に丁寧に愛想を振りまいている。その光景を写真に撮る保護者も多かった。
幼稚園くらいの女の子が一人、母親のそばにピッタリ貼り付いたまま離れようとしない。黄色いドレスにティアラ。夏実と被ってしまって気後れしているようだ。夏実は目ざとく見つけて、女の子に近寄ってかがみこむ。
「かわいいドレスね。わたしとお揃いだ。さあ、一緒に野獣を倒しに行こう。」
二人は手をつないで孝之の野獣に向かってきた、ひとしきりかわいいパンチを受けてから、孝之は女の子の手を取って、不器用なダンスを踊ってあげた。女の子はすっかり元気になった。
パレード15分前になった。ざっと見渡したところ、ほとんどの参加者はすでに集まっているようだ。
「みんな、すごい力のいれようだね。」
感心したように孝之が言うと、夏実もこども達を見回しながら、
「そうね。でもドラキュラはいないみたい。」
少し残念そうにそうつぶやいた。
レースクイーンの杏奈が胸を張り、肩と腰を振りながら近づいてきた。歩き方がもうレースクイーンになりきっている。
「あと一人まだ来てないんだけど、時間だからみんなを集めてパレードの説明するね。」
杏奈がそう言った時、最後の参加者が受付に駆け込んでくるのが見えた。
全身黒い服に身を固め、小さなからだに大きなマントを床まで引きずりながら。コウモリのマスクで顔の上半分を覆い、むき出しにした口の両端からはみ出した白いキバ。
「来た、ドラキュラだ。」
孝之と夏実は同時に言って、顔を見合わせた。