〈 3 〉
「これはこれは、お二人お揃いで。お邪魔だったかしら。」
小澄孝之の背後に、大柄な平良杏奈の姿があった。係長として、こども服売場を担当している。堂々とした体格通りの大きな声でそう言って、返事を待たずに孝之の横にドスンと腰を下ろした。
孝之はこども服売場での勤務経験がある。杏奈とは数年前、同じ売場で仕事をしていた。杏奈は自分の意見をハッキリ主張するタイプで、上司や同僚に対して、歯に衣着せぬ発言が多いが、性格はカラリとしている。仕事に対しては妥協しない厳しさがあるが、面倒見の良いアネゴ肌で、後輩からは恐れられつつ、慕われる存在だ。接客のうまさについては、ベテラン販売員も舌を巻くレベルである。
「ここ、座ってよろしいですか。」
遠慮がちに言って夏実の横に座ったのは、守屋健人だ。販売促進担当として、店内のさまざまなイベント企画に関わっている。小柄な健人は杏奈のからだの影からひょっこりあらわれた。華奢なからだをピッタリしたスーツで包んでいる。やや線の細さを感じさせるが、眼鏡の奥のまなざしは聡明さを湛えて、涼しげに光っている。
百貨店では集客のための大小さまざまな、数多くのイベントが開催される。有名人を招いてのトークショーやサイン会、人気キャラクターや芸人によるパフォーマンスショー、新進デザイナーのファッションショー、メイクアップアーティストのデモンストレーション、各種実演販売などなど。守屋健人はそのほとんどに関わっている。売場担当者と連携し、出演交渉、関連部署との調整、現場の装飾、宣伝告知活動など、計画から当日の運営まで非常に多忙な仕事をそつなくこなしている。
「何を内緒話していたの。なんだかあやしい雰囲気だったわよ。聞かれちゃまずい話かしら。」
杏奈は大盛りのカツ丼を豪快に口な運びながら、からかうような口調で言った。
「まさか。別に内緒話じゃないよ。」
孝之は苦笑する。
「吸血鬼がどうのって話が聞こえたんですけど。」
健人はサンドイッチをほおばりながら、夏実にそう聞いた。
「わたしが昨日見た夢の話なの。たいしたことじゃないの。」
「その内容、僕たちにも聞かせてくださいよ。」
健人は柔らかく微笑んだ顔を夏実に向けた。
「他人の夢の話って面白くないでしょ。支離滅裂な内容だし。」
夏実はそう言いながらも、杏奈と健人に夢の内容を繰り返して話した。二人は案外興味深そうに夏実の話を聞いていた。
「じゃあ、その夢が稲森さんの未来を予言しているってことなんですか。」
健人は少し心配そうな顔になる。
「そうよ、今までだってそうだった。信じられないかもしれないけれど。」
「だとしたら、少し怖い夢ですね。」
「そうなの。あまりこういう怖い予知夢は見たことがないから、何か不吉なことが起こるんじゃないかって。何かの警告とか。」
夏実は肩をすくめ、少し大げさに不安そうな表情を作ってみせる。
「そのドラキュラは結構イケメンだったんじゃないの。」
杏奈がカツ丼の最後の一切れを口の中に放り込みながら言った。
「そうね、身なりが良くて、ハンサムと言えないこともなかったような・・」
「ドラキュラのイメージそのものね。」
そう言って杏奈はカラカラと笑った。
「そんな運命のイケメンが今後、あなたの前にあらわれるって意味じゃないの。悪夢って得てして良いことの前兆よ。自分が死ぬ夢だって実は縁起が良いって言うし。」
「そうだといいけど・・・」
「そうよ、そう思っとけばいいのよ。」
杏奈はそう言って、空になったどんぶり鉢の底を残念そうに見つめた。
「なかなか肉の旨味があって美味しかったけど、少し味付けが甘すぎたわね、このカツ丼。」
「平良さんはいつも食べっぷりがいいですね。」
健人が感心したように言う。
「そうだ、月末は平良さんの好きなマグロ漬け丼ですよ。数量限定なのでお早めに。」
「わあ、楽しみ。そうか、その日は午前中にマグロの解体ショーがあるんだ。」
「そうですよ。サンマも旬ですけど、マグロも旬ですからね。」
「マグロの種類によるけどね。キハダとか。」
食へのこだわりの強い杏奈が口を挟む。
食品売場でのマグロの解体ショーももちろん健人の管轄である。
午前中にショーがある時はそのおこぼれを社員食堂のメニューに回してもらう段取りをしている。
「わたしも漬け丼大好き。」
夏実もニッコリ笑う。孝之も場の雰囲気が明るくなってほっとする。
「夢とマグロの話は置いておいて。」
杏奈は少し口調をあらためて、
「小澄さんと稲森さんに話があるの。二人一緒でちょうど良かった。」
そう言って、杏奈は健人と顔を見合わせてうなずき合った。孝之は二人の顔を交互に見比べながら、
「こども売場の係長と販売促進担当が揃って話があるとすると、さてはハロウィンの今年のイベント、こどもパレードの件だね。」
「さすが、ご明察。」
杏奈は軽く両手を叩いてニッコリ笑った。
ハロウィンはもともと古代ケルト人の間で行なわれていた秋の収穫祭である。悪霊を追い出すという宗教的な意味合いの強い行事でもあった。
日本では馴染みの薄かったこの行事が広まったのは、1990年代の後半からだ。各地でハロウィンのイベントが開催され始め、いろいろな形で定着してきている。ハロウィンに関するさまざまな商品やイベントの市場規模も年々拡大している。今では百貨店でも10月に入れば、店内装飾もハロウィンがメインとなる。百貨店のかき入れ時を控え、ファッション需要がやや落ち込むこの時期の顧客動員策として、ハロウィンの関連催事は重要視されているのだ。
こどもたちが家々を訪ね歩いてお菓子をもらうという風習から、こどもを集めた仮装パレードが各地で行なわれる。S百貨店でもこどもパレードが開催される。年々その内容は盛大になる傾向だ。
こどもが主役ということから、主催となるこども服売場担当者にとっては大事なイベントであるし、店の販売促進担当としてもその重要度は高くなっている。孝之がこども服売場を担当していた頃はこどもフロア限定のささやかな企画だったが、今では店を、挙げてのイベントになった。
「ハロウィンパレードの警備応援なら、去年もやったよ。」
孝之がそう言うと、健人は嬉しそうに笑って、
「今年はもっと重要な役割をお願いしようと思ってます。稲森さん共々。」
「わたしも?」
「そうです。お二人ともこちらに来てもらっていいですか。」
皆の食事が終わったのを見計らって、健人と杏奈は立ち上がった。
孝之と夏実は追い立てられるように、社員食堂脇の研修室に案内された。学校の教室ほどの広さの研修室には、長机がずらりと並列に置かれている。その机の上に色とりどりの衣装がいっぱいに並べられていた。
孝之は目を丸くして衣装をぐるりと眺めた。
「これ、全部ハロウィンの衣装で使うの。」
「そうなんですよ。今回は各階売場のフロア責任者にも仮装してもらって、パレードを盛り上げてもらおうと考えてます。」
「すごーい、本格的。」
夏実は机の上のコスチュームを手に取っては声を上げる。なかなか楽しそうだ。
「このマリオの仮装、とってもあったかそう。」
テンションが上がっているのか、孝之ばりのギャグがでる。孝之も負けてはいられない。
「こっちのチャイナドレスはちっチャイナ。このかめん、滑ってつかめん。」
「でも・・・」
夏実はコスチュームを見渡しながら、
「ドラキュラの衣装は無いみたい。」
少しがっしりしたように言った。夢のことを結構気にしているのかなと孝之は思った。
「ドラキュラはお休みなのかな。吸血鬼だけに休憩付き、なんて。」
少し苦しい。健人はアハハと愛想笑いして、
「小澄さんと稲森さんの分もありますよ。」
うきうきしたような口調で言った。
「お二人にはパレードに参加してもらおうと思っています。」
孝之と夏実は顔を見合わせた。
「こどもたちと一緒にパレードするの?わたしたちも仮装して。」
「そうですよ、警備も兼ねて。もう万場部長の許可も取ってます。」
顧客サービス部の万場部長は孝之と夏実の上司だ。
「お二人の衣装も決まっています。稲森さんにはこれを着てもらいます。」
健人は机の上から黄色いドレスを取り上げて夏実に渡した。幾重にもフリルの入ったドレスだ。たっぷりドレープをとったプリンセスライン。つやつやとした光沢があり、光の加減で黄金色にも見える。
「素敵、お姫様みたい。夢に出てきたドレスじゃないけど。」
夏実はドレスを身体に当てて、まんざらでもないようだ。
「小澄さんはこれ。馬子にも衣装ね。」
杏奈が机の向こうから衣装を投げてよこした。広げてみると、鮮やかなブルーのタキシードだ。こちらも光沢のある素材だ。肩のパッドが異様に大きい。
「その衣装も、まるで王子さまみたい。」
「本当だ。てもどこかでこの組み合わせは覚えがあるような。黄色いドレスと青いタキシード。」
「わたしも何だかそんな気が・・」
夏実は首をかしげたが、すぐにはっとしたように声を上げた。
「もしかしたら、あの夢が表していたものは・・・」
「赤いバラ、鏡、オルゴール。」
孝之もつぶやいてからうなずいた。
「そうだ。夢の一部はあの物語のことかも。」
「オルゴールの意味がわからないけど。」
「あの物語は何度も映像化されているけど、ヒロインのお父さんがオルゴール職人という設定のものもあったはず。」
「そうか、今思い出した。夢の中のオルゴールの曲は『愛のめばえ』よ。」
夏実は手を打ってそう言ってから、
「だとすると、小澄さんの仮装は・・」
「そう、小澄さんにはこれも被ってもらわないとね。」
杏奈が机の上からもうひとつの仮装グッズを取り上げた。
顔面いっぱい茶色の毛に覆われたマスク。頬まで大きく裂けた口。頭には水牛のようにねじれた角が2本。
「なるほどね。『美女と野獣』というわけか。」
孝之がつぶやいた。