〈 2 〉
「ホラー系が入ってるね。今回の夢は。」
S百貨店コンシェルジュの小澄孝之は、サンマ定食に箸をつけながら言った。近年の不漁のせいか、旬の割に痩せ細ったサンマは焼き過ぎて固くなってしまっている。
「怖かったわよ。目覚めた時はびっしょり冷や汗をかいていた。」
同じ百貨店の案内所に勤務する稲森夏実は、おむすびの入った弁当箱を開けながら眉をひそめた。今日は自作の弁当だ。
S百貨店の9階にある社員食堂でのランチタイム。ウィークデーの割には人が多い。10月の月末が近いせいかもしれない。月ごとの売上目標に追われる百貨店の売場は、月末が近づくとピリピリした空気になりがちだ。売場経験の長い孝之にはその気持ちが痛いほどわかる。特に昨今は百貨店を取り巻く環境は厳しく、売上目標の達成はどの売場も簡単ではない。
稲森夏実の頭の中には名探偵が住んでいる。そして、彼女の身近で起こった事件のヒントを夢の中での暗示という方法で教えてくれる。最近実際に起こった事件を通じて、孝之はそのことを見せつけられた。
「夏実の名探偵は今回は何を言わんとしているのかな。最近何か事件があったっけ。」
「今回の夢は起こった事件のことじゃないの。瑠璃色のカーテンは開かなかったから。」
「どういう意味。」
「過去に起こった事件のヒントは瑠璃色のカーテンが開いた向こう側で展開されるものなの。」
「ほう。」
「そして、瑠璃色のカーテンが開かず、閉じられたままのカーテンを背景にした夢は、これから起こることをあらわしているの。滅多に見ないんだけどね。」
SFめいたファンタジックな内容に孝之の箸が止まる。
「未来のことを予言してくれるのかい。すごいね、その名探偵。」
「遠い未来のことを予言するんじゃなくて、数日後とかのごく近い未来のことなのよ。」
夏実は真顔で孝之の顔を見る。
「近未来に起きる出来事っていうのは、現在進行系で起こっている事柄や現象が絡み合った延長線上にある。そこのところを名探偵はデータから推理し、論理を組み立て、先を読むことができるんじゃないかな。それで、何かわたしの人生にかかわることが起こりそうな時に、夢の中の暗示で知らせてくれるというわけ。」
夏実は少し言葉を切って水筒のお茶を一口飲んだ。
「これはわたしの話しを聞いて、父が考えてくれた説明だけど。」
「じゃあ、今回の夢も、夏実の身に近々起こることを暗示してるっていうことかい。」
「そうだと思うの。内容がちょっと怖い夢だから心配になってね。だからこうして小澄さんに相談してるのよ。」
今日は夏実の方からランチに誘われたのだった。
「なるほど、そんなふうに頼りにしてくれるのは嬉しいけれど・・・はたして力になれるかどうか。」
孝之は首をひねって少し考えてから、
「どう解釈したらいいかは別として、夢そのものの内容はある程度ハッキリしてるよね。吸血鬼に襲われるという。」
「そうよ。オルゴールが流れていて、雷が鳴って、ドレスを着て、吸血鬼に襲われるのよ。」
「オルゴールと水色のドレスの意味はわからないけど、夢にあらわれた吸血鬼のイメージはドラキュラだよね。」
「吸血鬼とドラキュラは同じ意味じゃないの。」
「ドラキュラはとても有名な吸血鬼だから、その名前が吸血鬼の代名詞として使われたりするよね。でも同じ意味じゃない。吸血鬼は一般名詞で、英語ではヴァンパイアだ。一方、ドラキュラはあくまで固有名詞だ。」
「ドラキュラさんってわけね。」
「そうだよ。『伯爵』って尊称されることも多いよね。」
孝之は我が意を得たりとうなずいた。ギリシャ神話と違って、この方面は得意分野だ。ドラキュラについては昔、原作小説を夢中になって読んだこともあるし、映画化されたものも数多く観ている。
「ドラキュラは19世紀にイギリスの作家の書いた怪奇小説に出てくる吸血鬼の名前だよ。作者の名前はブラム・ストーカー。とても怖い物語だ。」
「ストーカーって名前が怖い。」
「付きまといっていう意味のストーカーじゃないよ。綴りも違う。」
Stalkerとstoker
「この小説はベストセラーになり、それをもとにした戯曲や映画が次々に作られてそのヒットによって、このモンスターは世界的に有名になった。このドラキュラというやつは・・・」
孝之が得意気に語りだしたウンチク話は、背後からかけられた声によって中断させられた。