〈 12 〉
一週間後、ケヤキ並木の舗道を孝之と夏実は並んで歩いていた。S百貨店が店を構える港町の街角。150年前の開港当時、外国人の建てた当時としてはモダンな建築物の残る一角だ。
港の近くのホールでこの街の異業種間のサービス交流会が開催され、二人はS百貨店の代表として出席した。その帰り道だ。
ケヤキ並木は赤や黄色に染まっている。
「守屋さん、辞表を出したそうね。」
「そうらしい。あのドラキュラの件は罪の無いイタズラみたいなものだし、責められることはないのに。」
北風に木立がざわめく。今年ももう木枯らしの゙季節がやって来る。
健人はあれから、シークレットシューズのことを周りの人にカミングアウトした。健人のさばさばした表情が印象的だった。
「守屋さん、ドラキュラの件もあるけど、みんなを騙してたっていうことへの贖罪の意識もあって、けじめをつけたかったのね。もう一度胸を張って、やり直そうと思ってるわ。きっと。」
「そうだね。きっと守屋さんにも思いを寄せ、支えてくれる人がいつかあらわれる。」
「もう、とっくにあらわれてるわよ。」
「えっ。」
「あの時、平良さんが最後に言った言葉を覚えてないの。」
「何かつぶやいていたみたいだったけど、ぼくには聞こえなかった。」
「平良さんはね、守屋さんにこう言ったのよ。『わたしはあなたを応援し続ける。』」
「そうだったのか。」
「平良さんの気持ちには、わたしは気づいていた。あの時、平良さんが守屋さんにあそこまで怒ったのは、そんな思いがあったから。女ごころが女にはわかる。」
夏実は孝之の顔を見上げて微笑んだ。
「そういうものかな。」
二人は舗道の落葉を踏みしめながら、肩を並べて歩いていく。
「でも、まだわからないこともあるの。守屋さんはどうしてあんな手の込んだことをしたの。正体がバレる危険を冒してまで、どうしてドラキュラになったりしたのか。やっぱり理解できない。」
「彼のイタズラ心、あるいは変身願望なんかもあったのかもしれないね。」
孝之は首をかしげている夏実にそう答えた。しかし、そうではない。夏実は気づいていないのだ。健人がドラキュラになったのは、夏実のためだった。その夢の話を聞いてしまったからだ。
健人は夏実に思いを寄せていた。心の奥に秘めた思い。孝之は以前からそのことを知っていた。あの時、夏実が健人の前でドラキュラの夢の話をし、不安を胸に抱いていることを知った。健人は夏実の『夢の呪い』をなんとかして解いてあげたいと思った。ドラキュラとなって夏実の前にあらわれたのが、健人の出した答えだった。思いを寄せる人のための、しかし何も報われることのない行為。馬鹿らしいと言えば馬鹿らしい。いじらしいと言えばいじらしい。しかしそれもまた、男心というものだ。
「何か、大変な収穫祭になっちゃったね。楽しくもあったけど。」
「そうね、わたしもお姫さまになれたしね。」
夏実は立ち止まり、ちょっと気取ってダンスをするように、くるりと一回転した。
「わたしの王子さまはいつになったらあらわれるのかな。」
軽いため息をついて夏実はそう言った。孝之はそれを聞いて、ふっと目を閉じる。
孝之は思う。きっとあらわれる。そう遠くないうちに必ず。夏実のことを大切にし、共感し合い、手を取り合って歩いていける王子さまが。
軽いめまいに襲われて、孝之は首を振りながら目を開く。
目の前いっぱいに広がる瑠璃色のカーテン。その前に夏実が立っている。セパレートになった水色のドレスを着ている。見覚えのあるその衣装はディズニー映画の『アラジン』のヒロイン、ジャスミン王女のものだ。夏実が夢で着ていたのはこのドレスだったのに違いない。
ジャスミン姿の夏実はいつもより綺麗だ。おとぎ話のプリンセスは、それぞれの物語の中でさまざまな苦難にぶつかる。物語の舞台は違っても、彼女たちはいつも前を向いてそれに立ち向かう。夏実の生きざまもそうであって欲しい。プリンセスはいつも自分を肯定し、自分を励まし、精一杯に自分のストーリーを生きていくものなのだ。
瑠璃色のカーテンの前に立ってこちらを見つめる夏実。その真っすぐなまなざしが孝之にはとてもまぶしかった。